或いは、あなたが共にあれば   作:ぱぱパパイヤー

12 / 23
感想ありがとうございます!
エンディングまで巻いて行きます! とにかく終わらせて、完結したらまた読みやすく加筆したりする…。


第十二話 蜘蛛-赤い月

 美しい月が、眼前に広がっている。湖が一望出来る月見台には、安楽椅子に揺れる老人が一人と、満月以外には何もなかった。

 何処よりも神秘に近いビルゲンワースでありながら、男は不安にとらわれる。ここは、ヤーナム中のどこからも感じた神秘の臭いが感じられない。変態した生物を殺し切ると、ここはたちまち、最も神秘の薄いエリアとなってしまった。

 

 男はそれまで、気にも留めていなかった老人へ近づき、蜘蛛は何処かと尋ねる。彼は喃語のようなものを呟きながら、月を示した。男は頭が啓かれる感覚を味わったと同時、この老人こそが、学長ウィレームであることを識る。

 彼は呆けた老人のようにも見えたが、男はその頭に異様なものが存在することに気づく。触手のような円筒状のものは彼の頭から生えており、彼が人ならざる者に足を踏み入れていることが察せられた。だが、これまでの学徒たちのように完全な変態をしているのではなく――。

 彼は人の肉体を持ったまま、上位者へ成ろうとしていた。

 

 ――その言葉を、聞き取れないこの身が憎らしい。あなたの見つめる次元は、どんな世界をしているのですか。

 

 彼の試みが、彼の思うままに成功したのかは分からない。思考だけは恐らく彼方へとたどり着いたのだろうが、それを口に出来ぬのであれば、外野からは何も悟れない。ただ――彼は獣ではなく、そして人でもない今、上位者、もしくはそれに限りなく近い存在であるのは間違いなかった。

 

 男は彼に敬意を表し一礼すると、老人の示した月へと歩み寄る。月見台の下には、水に覆い隠されたその先の揺らめきが、現世からも見えていた。神秘の気配は何かに遮断されたのか、こうして目の当たりにしながらも、男には未だ感じ取れなかった。

 

 トンッ、と床を蹴る。男は微塵の恐れも感じることなく、先達の指し示す道へと飛び込んだ。

 

 

 

 

 足の裏に空間を感じる。四方八方、いや、全方位が白く、まるで霧で出来た世界のようだ。大きな――大きく歪な蜘蛛と、男だけが、ここでしっかりとした輪郭を持っている。

 視界から、聴覚から、触覚から――五感全てが、震える。あまりに高位の神秘に、男は一時、呼吸を止めた。

 

 男はこの空間に既視感を覚えた。これは、男が失った記憶を求めて思索に耽る際の、探せど掴めぬ脳内の様子に非常に似ている。まるで、求めるものなど初めから存在しなかったかのように靄に覆われ、何もかもが元の形を失い、どれだけ手を伸ばそうと、何にも触れられない……。

 これこそが、この蜘蛛の世界なのだろうか?

 男が近づけど、蜘蛛は身じろぎさえしない。いっそ無垢と言って差し支えないほどに、蜘蛛は男に敵意を抱かない。男が来る前からも、来てからも、ずっとこうしていたのだろうか。閉じ込められたとも考えることも、感じることもなく。なんの思考もせずに。

 

 男は――分不相応にも――この上位者に対しての憐憫を覚えた。男の目的には、この蜘蛛の排除が必要だった。オドンの地下墓の、「見えぬ我らの主」とやらさえも、この蜘蛛は封じている。おそらくは上位者さえも、この白痴が、水に封じられたこの湖で、ずっとずっと隠してきたのだ。誰かがこうして、蜘蛛と一緒に閉じ込めたのだ。

 ――この生き物は、まるで使われるために存在しているようだった。それこそ虫けらのように、都合よく、意志など存在しないかのように。

 

 男は狂おしいほどの懐古と、震えるほどの激情に取りつかれる。白痴の蜘蛛に己を重ねた愚かな人間は、溢れんばかりの哀れみで、殺意なき刃を振りかざした。

 

 

 

 蜘蛛の柔らかな腹へ、斧を大きく差し込み、そのまま男は斧を引きずるように側面を走る。血が傷跡から噴出し、肉が裂けて内側が覗き込めるようになる。

 それが決め手となったのか、さんざんに身を斬りつけられた蜘蛛はついに倒れ、灰となって消えていった。

 

 上位者の血の遺志が男へ宿る。脳が成長したかのような、眩暈に似た揺れが起こる。男の手には、眷属の証たる死血があった。人ならざる血、これこそが、かの蜘蛛が上位者の身であったことを示していた。

 

 男が辺りを見渡し、何らかの変化を探すと、それはすぐに見つかった。湖面に立つ古風なドレスの女性。腹が血に塗れ、どこか遠くを――いや、彼女は、月を見ている。真っ赤な、月を。

 いつの間にか、何もなかったはずのこの湖に、赤い月が浮かんでいる。それだけではない、無音の空間に、赤子の鳴き声が響き始める。甲高い泣き声は、誰かを呼んでいるかのように騒がしく、ガンガンと男の頭を痛めた。

 声が聞こえる。泣き声が。何かを呼んでいる――ああ、それに応えるように――真っ赤な、赤い、赤い月が、降りて、く、る……。

 

 

 

 

 男が次に意識を取り戻した時、そこはアメンドーズに初めてまみえた古教会の中だった。あの時には見えなかった上位者が、今ははっきりと男の目に映っている。

 

 ――儀式の秘匿は破れた。

 固く閉じられていた扉が開いている。アメンドーズが番人のように手を伸ばすが、男はそれを走り抜け、遠くから見える赤い世界に自ら駆けよっていく。赤い、赤い光が見える。

 ――ああ、これが……これこそが……。

 男の瞳に、赤く光る月、そして――青ざめた空が、映り込んだ。

 

 鐘の音が反響する。空からは祝福の赤い月光が降り注ぎ、男の進む先々には、アメンドーズたちが何体も、何体も、何体も現れた!

 ここが地上だということが信じられない。こんなにも神秘に――上位者に近い場所があるなんて、男は想像だにしなかった。いや、或いは、かつてはそう推測したのだろうか? 記憶を失う前の男は、そのためにここへやってきたのだろうから。

 壁に人が同化し、人と人が組み合わさった怪物が闊歩する。赤い月は、人と獣の境だけでなく、人とそうでないものの境――人の輪郭それ自体すらも曖昧にするのかもしれない。彼らの輪郭が、最も曖昧になった“瞬間”に、他のものと溶け合い、“その瞬間”が終わった途端にそのまま固定化されてしまったのだろう。

 “その瞬間”、即ち、メンシスの悪夢の儀式の行われた時より、この隠し街には、蜘蛛の隠していた赤い月が呼び出されているのだろう。

 

 探索を行う内、男は聖堂街の上層の鍵を見つける。ゲールマンが言っていた、上層の鍵だ。そして、マールムの縁の深い聖堂教会の最奥である。鍵を仕舞いこみ、男は現実での少女との出会いを思い、高揚する。

 

 男は大通りを進み、人々が何かを敬うように死んでいる扉へ触れる。この先に、男の求めた上位者が……青ざめた空の現れた今、男の唯一持ち得た目的が――!

 赤い月が、地に降りる。男は鐘の音に呼ばれるそれに、違和感を覚えた。何故、鐘の音が必要なのだ。それがなければ降りられないとでも? 男の中の不安を表すように、月を黒い靄が覆う。赤いまがい物の宇宙のようなものが現れると、そこから腐臭を放つ液体が落ちてくる……。

 

 ――これは、違う。

 違う、違う、違う! こんなものが上位者だと!? 混血児であるマールムの方が、よっぽど神秘的だ!! 何より美しい!

 男は出来損ないの上位者を前に、人体を継ぎはぎで固めただけの、知能もない怪物に怒り狂った。鐘の音が響く。何度も、何重にも。

 

 汚らしい双生児を殺め、男は血を払った。悍ましい再誕者、何人もの死体が再度、一つになって生まれ直した怪物。強い腐臭と不快感に吐き気を催し、男は猛烈な不安に襲われた。

 

 ――自身の求めるものは、上位者とは、こんなものだったのだろうか……?

 求めるものが、無価値であるかもしれないなど、考えもしなかったのだ。男は先へ進むのが少し怖くなる。赤い月はあんなにも美しくここを照らしているというのに、どうして、あんな悍ましいものが……。

 

 男は胸に去来する虚無感と不安に耐えられず、使者たちの侍る灯火に手を伸ばす。男の知る、最も美しい上位者の落胤――マールム、愛しい少女に会うために。

 

 

◆◆◆

 

 

 男が近づくと、マールムはすぐに異変に気付いたようだった。

 

 「一体、どうしたのだ。そんな不安そうな顔をして……。私にはもはや何も出来ないというのに、貴公はいつも、私に献身の欲を興させるな……」

 

 マールムは男の頬を包み込み、優しく撫でた。

 神秘の香りを漂わせる青い花畑は、不思議な生気が人間の目玉とまつ毛を彷彿とさせる。それに囲まれた少女は、相変わらず美しく、神秘的で、そして人間を気圧させる存在感を持っていた。

 

 「少しは落ち着いただろうか。私は、地上でのことは、何も分からないが……大丈夫。貴公ならば、きっと、上手くやれる。きっと、きっと……」

 

 少女は天に上る月を眺め、あやす様に呟く。男は以前のように、頬に添えられた手を、自身の手で捉え、そして恭しく口づける。

 

 ――酷く恐ろしいものを見てしまった。あなたのような者ばかりであれば良いのに、悍ましい腐臭の上位者を……。

 

 「……フフ、私も腐肉と大して変わらないさ。それに、美しき上位者なら、星の娘が居るだろう。僅かでも貴公の心に恐怖の染みが残るのなら、聖堂街の上層に行くと良い」

 

 マールムは目を細めて、男の触れる手をじっと見つめた。

 

 「貴公が恋をするには、私は醜すぎるよ」




<●>65
ウィレームと会話+2
ロマと戦闘+2
ロマ撃破+2
再誕者戦闘+1
再誕者撃破+3

へその緒も生きている紐も寄生虫説が一番好みでしっくりくる。苗床カレルが寄生虫の攻撃を変える=寄生虫は体を改造するってやつ。
星の娘の血(の中の寄生虫)は宇宙的存在に体を変態させて、へその緒は人間とのハーフの赤子が落とすから人間を緩やかに上位者に改造する…って説。
あと獣血の主はムカデだし…。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。