或いは、あなたが共にあれば   作:ぱぱパパイヤー

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第六話 穢れた血-蜜

 男は木々に隠れるように襲い掛かってきた獣を切り捨て、森の奥、荒廃した村を遠目に見る。

 

 ここにはかつて人が住んでいたようだ。そして、獣化した人間が徘徊する以上、当たり前だが、この獣の数だけ住民が居たということになる。

 そこら中に落ちているまだ新しい狩人の遺骸から察するに、ビルゲンワースが閉じた後も、ここを訪れる人間が一定数存在したのだろう。合言葉は秘匿されていたが、何か大きなグループなどで共有されていたのかもしれない。

 

 ビルゲンワースは医療教会の前身でもあった。あるいは、何処ぞの一派が、古巣に残る何かを手に入れるために、侵入することもあったのだろう。

 

 鬱蒼とした森を抜け、今にも消えそうな獣道を頼りに民家の並ぶ間を進む内、明かりの灯る家があった。この荒廃した村で、未だ獣ではなく生きている人間が居ることに驚き、男は、アリアンナ以来の誰何をしたのだった。

 

 窓の陰から伺えるシルエットは、如何にも腰の悪そうな老人であったが、その声は中年の男性のものであった。男は訝しんだが、僅かに開いた窓から、ぽとりと渡された石を受け取る際、覗いたその手が人ではないように見え、その家屋からそっと離れた。内部に居るのは、人ではなく、獣の一種であるかもしれなかった。毛の生えた節足の生き物のような……奇妙な手だった。

 

 男は受け取った石を矯めつ眇めつした後、上着のポケットへと放り入れ、家の裏手へ慎重に回り、獣道を追った。

 

 自然と出来たであろう洞窟へ入り、刺激臭を放つ毒沼を抜ける。随分と長い梯子を発見し、地上に出ると、全身に月光を浴びながら、いつしか馴染んでいたヤーナムの空気を吸った。

 

――男は、ヨセフカの診療所の入り口へと戻ってきていた。

 ヤーナム市街へ続く扉を開けておき、男は梯子を振り返る。目指す先はビルゲンワースであったが、来た時のものとは別にもう一脚、何処かへと繋がる梯子が伸びている。視線で辿っていくと、家屋の屋根へと繋っており、診療所の上階への経路が見えた。

 

 男は診療所の女医、ヨセフカとは、一度も顔を合わせたことがない。悪夢のようなあの輸血が真実であれば、記憶を失う前にも、だ。

 

 扉越しに出会った女医が初め男へと、狩人かどうかと素性を尋ねた以上、彼女は診察室に居ると推測出来る人物――男に、心当たりがなかったということになる。異邦人かつ、施術を受けたばかりの人間だ。輸血自体は車椅子の男にされたが、このように特徴的な患者が入院していたのなら、忘れることはまずない。

 

 はてさて……自身の求める「青ざめた血」について、男に施術した老人は知っていた。ヨセフカは、あの老人を知っているだろうか?

 男は梯子を上り、屋根を伝い、診療所への扉を開く。内部から風が勢いよく噴き出したという錯覚があり――脳裏を揺さぶる、神秘特有の感覚がやって来た――その後に、自身に啓蒙が与えられたことに、瞠目する。

 男は今、なんらかの特別な神秘の中に居るということだった。

 

 たたらを踏み、辺りを見渡す男の鼻に、何処かで嗅いだ甘い匂いが漂ってくる――。

 

「……あら、月の香り……」

 

――蠱惑的な、女の声。男は己の愚行、その象徴たるアリアンナを彷彿とさせる女に、ぐっと歯を食いしばり、武器を構えた。

 

 男にとって都合の良いことに、この女は狩人だ。それだけではない。男が用のあった、ここの主たるヨセフカとは異なる声をしており……男へ殺意を向ける、『まともではない』狩人だ。

 自身の罪を雪ぐ時が来た。彼女らのような”まがい物“に、男は惹かれない。もっと素晴らしく、美しいものに心を捧げたのだ。それをここで、証明して見せるのだ。

 

 甘い匂いに抗いながら、男は女狩人へと斧を振り被る。

 数度切り結ぶと、彼女は奇妙な神秘を用いた。男は咄嗟にそれを避けることに成功したが、動揺は避けられない。好機と肉薄した女へと、しかし彼は惨いほどの嫌悪感に、痛みなど慮外にして左腕を差し出した。女の仕込み杖が、しなって腕に刺さる。

 ごつりと骨に止められ、それに沿いずりずりと皮と筋肉を剥いでいった仕込み杖を、反対の手で棘も気にせず掴み止め、硬直した女の整った頭蓋へと、水銀弾を打ち込んだ。

 

 輸血液を肩口に刺し、ぺちゃりと削げ残った筋肉を、自分で引きちぎる。再生が始まると、武器の血しぶきを払い、男は院内の散策を始めた。

 診療所を一通り回っていくと、見たことのない類の獣……いや、何らかの生物が居た。それは頭が大きく肥大しており、青く柔らかそうな体をしている。子供のような大きさの生物だ。

 

 診察台に横たわり死んでいる者も在る。これは何らかの実験で生み出されたもののようだった。

 

――男が初めてヨセフカと話した際の、あの言葉が正しければ、ここにはまだ患者が居たはずなのだ。状況を見るに……貴重な輸血液を見返りもなく男へ与え、患者を守ると言い切った人道的な女医は、残念ながら、その身命も患者をも守れなかったらしい。

 

 しかし……ここには患者も本物の女医の姿も、それらの遺体も存在しない。獣と化した死体もなく、青い子供のような怪物だけがここに居る。

 

 順当に考えならば、人が獣へと変ずるように、女医たちも青い怪物に成り果てたというのが自然だろう。獣の病とは、ヤーナムの風土病なのだと聞いていたが。これは全く別の変化に思えた。この土地で起こった変化である以上、血に纏わる理由だろうが……。

 

 血というと、この女狩人も独特な血液を体に宿していた。男は、匂い立つ甘い血を滴らせる死体を見下ろす。この女の匂いは、とてもマールムに似ていた。アリアンナと同じく、男を誘惑する血の香りだった。

 

 明らかに、一般の人間とは異なる血の持ち主だったが――そして血こそが人を形作る以上、この女は常人ではない――しかし、何にせよ、これは狩人である。

 男はマールムの姿を脳裏に描き、彼女の喜ぶさまを想像した。すると、あれほど忠告を受けたというのに、男の心はたちまち、狂気に陥ったかのように、少女へと強く惹かれ出すのだ。たった数時間前の、夢への忌避感など、思い出すのが難しいほどだった。

 

――いや、常人らしく踏みとどまる必要など、最早ない。

 

 男は踏みとどまらないことを、”正しい“判断だと感じ始めていた。

 蓄えた啓蒙が、輪郭が捉えづらいながらも、確かな真実を示唆し始めていた。男の目指す目標である「青ざめた血」、そして――男がそれを手に入れた”その先“に向かう道程において、彼女に溺れるのは間違っていないと、直観が囁いていた。

 

 ただし、この恋への傾倒が ”正しい“からといって、目的を放り捨て、全身全霊での献身をしてはならない、とも。

 

 男は彼女を救いたい。彼女を自分のものにしたい。だが歯痒いことに、それに自身の全てを賭してはいけないらしかった。

 それでは、本末転倒だと、智慧がさざめく。目的の明確な形も分からないというのに。

 

 だが、目指すべきものだけは、はっきりと分かっている。何度も自分に言い聞かせてきた。例え記憶を失えども、「青ざめた血」という目的だけは忘却せず、違えることもなかった。

 

 この空っぽの脳にこびりついた記憶の残滓が、或いは、無意識の習性が、神秘の残り香を犬のように貪欲に嗅ぎ取ってきた。その記憶の訴えに従うことが、真っ当であることに違いないだろう。

 

 だから、男は、彼女のためだけに、心身を捧げてはならない。

 智慧が警告するように、頭がぞわぞわと揺れていた。

 

――しかし、そのような自制には、何の意味もなかった。

 

 恋とは斯様に罪深く、人の理性を乗っ取るものだったのか。「青ざめた血」を探求することに全てを注ぎ、人という人、獣という獣を狩り殺すはずだったであろう男が、こんなにも一人の少女のことに、頭を占められてしまっているのだから。

 

 診療所のテーブルの上に乗った、男宛のカインハーストの招待状。男はいよいよ、最後の自制心を捨て去り、少女のために、夜の工程を変更する。

 

 ビルゲンワースではなく、カインハーストへと。智慧ではなく、恋を選んだ。

 足早に診療所の灯火へと歩き出したところで、男は自身が斬り殺した青い怪物の下に、何かを発見し立ち止まる。死体を蹴り転がし、あお向けにすると、そこにはあの女医の寄越した精製された輸血液があった。

 男はそれを手に取り、外套の内へしまう。この青い怪物の元は、ヨセフカだったのだろうか?

 

――優秀な医療者こそが血の医療に深く関わる。男はほくそ笑み、思わぬところで狩人の血の遺志を得られたことに、気を良くした。

 きっとマールムは、花の咲くような笑みを男へ向けてくれるだろう。

 

 

◆◆◆

 

 

 男は夢に降り立つ。不変の景色の中、常ならざることとして、甘い花の香りが、墓の前にまで漂ってきていた。

 

 男が変化に心躍らせ、墓の並ぶ階段を上って行くと、少女は屋敷の裏口近くの墓の辺りに、いつも通りに座っていた。変わらずマールムはそこに在ったが、変化は彼女の周囲に表れていた。

 マールムの座る墓の付近には、青いレンゲのような花が咲いていた。ゲールマンが言った、少女ではなく、花が見えるだけだ――というのはこの花だろうか? 彼女の花飾りと同じ花のようだ。

 

「貴公、戻ってきてくれたのか! フフッ、さあ見てくれ……貴公のおかげでこんなに血が還ってきた! 力が戻ったからだろう、記憶のままの形を作れるようになった……今の私を見て、きっと誰もが血族だと気付けるだろう!」

 

 少女が男に見えるよう、両手を無防備に差し出す。彼女の陶器染みた白い肌は、ほのかに血の通った色になっていた。いかにも人らしい。その手は未だ白魚のようではあるが、まだ白人の範疇に収まるほどに、人間になっていた。

 

 男は少々の落胆のようなものを覚えたが、少女がいたく嬉しそうに笑うので、それもすぐに消えた。彼女はレンゲに似た花を指で突くと、頬をバラ色に染めて笑った。

 

「フフ、貴公にとって強い、甘い香りがするだろうか? ……しかし、ここは貴公の夢の中、私も貴公の夢の私。これも、私が思い描く過去の体、偽の香り……故に、貴公のため、血の施しとやらをすることも出来ないが……。……そうだ!」

 

 少女は徐に、ぶちぶちと、咲いていた青い花を摘み始める。くたりと垂れた花に手を翳すと、彼女の手には、人形が血の遺志を男の力に変ずる際に生じるものと同じ、靄のような光が現れる。次に、マールムが手に持った花へと口づけをすると、青い花弁はみるみる内に、レンゲに相応しい赤紫へと変わっていく。

 

 少女はそれを、男へ渡した。赤紫になったレンゲには、滴り落ちんばかりの蜜が光っていた。

 

「血の施しの代わりだ。貴公の助けになると良いが……フフ、きっと……これは貴公にとって、血のように甘く、蕩けるように心地よいだろう」

 




<●>25
診療所上階へ行く+1

・レンゲの蜜
夢の中の少女マールムの「花の蜜」
甘く神秘に満ちた蜜は、啓蒙を得ることに加え、一度使用すると、次に夢に戻るまでの間、スタミナの最大量を上昇させる。

狩人を殺める度に花畑は広がっていく。
少女は蜜を啜り、血を取り戻し、更には力を得る。花の蜜は彼女のお裾分けだ。


や やったー 明日から休みだ……実家カエレル…………
もうすぐで書きたいシーンが書けるし…そこまでは頑張りたい…
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