魔法科転生NOCTURNE SS置き場 作:人ちゅら
……という建前の設定開示編です。
今回は本作における霊子放射光過敏症と【水晶眼】=【見鬼】の設定について。
5月某日──放課後。
魔法大学附属第一高校・薬学実験室。
静まり返った室内に、小さな祝詞が響いていた。
「──
空気がピンと張り詰める。
現代魔法式ではない。
人間が持つ
マガツヒを供物に【異界】へ直接働き掛ける古式魔法独特の感触が、実験室へ淡く広がっていく。
「──
最後の一言と共に、小さな光球が祭場の中央へ姿を現した。
両の掌で包めるほどの大きさ。
明滅する光は何度も分裂し、それぞれが意志を持つように室内を自由に飛び交っていた。
やがて満足したように空中へ消えていく。
「ふう……」
幹比古は額の汗を拭った。
ほんの二ヶ月前には励起することすら難しかった低位精霊だが、最近では維持時間も安定してきた。
安定性において、一年前の自分には及ばない。
それでも確かな手応えはある。
「……吉田くん?」
不意に、小さな呟きが聞こえた。
幹比古が振り返る。
実験室の扉が少しだけ開き、その隙間から同じ
「あ……」
目が合った。
「ご、ごめんなさい!」
美月は慌てて閉めようとする。
「いや、別に構わないよ」
幹比古は苦笑して汗を拭う。
魔法の機密管理の点では褒められた話ではないが、古式魔法はその構成要件が念入りに隠匿されている。一度見られた程度で盗まれる心配は極めて少ない。それにスランプだったこの一年、ここまで術式に没入できたことなど無かったのだ。幹比古はそれが嬉しかった。
「どうしたの?」
「えっと、その……強い光が見えたから」
「光が?」
幹比古は問いながら、小さく手招きをして彼女を招き入れた。
いつも教室で見かける彼女と様子が違うような気がして、少し考えて気がついた。
美月はメガネを掛けていなかった。
どうして、と気にする幹比古をよそに、美月はおずおずと中へ入ってくる。
祭場を興味深そうに眺め、先ほど精霊が現れていた場所へ視線を向けた。
「今の、スピリチュアル・ビーイング、ですよね?」
「うん。低位の精霊だね。それで、見えたっていうのは?」
しかし幹比古の問いに答えるでもなく、美月はうわ言のように言葉を漏らす。
「……そこに」
「え?」
「そこ」
美月は幹比古の背後を指差した。
「青くて……少し白く光ってる」
幹比古の表情が固まる。
儀式そのものは終わっている。
それはつまり、儀式による
幹比古でも、意識を凝らさなければどこに精霊がいるかまでは分からない。
ましてや普通の人間には何も見えないはずだ。
「柴田さん」
「は、はい」
「何色に見える?」
「え?」
「詳しく」
美月は困惑しながらも目を凝らした。
「中心が濃い青で……外側が少し緑っぽい……碧? えっと、自然の、森の中の池みたいな……」
幹比古の背筋を冷たいものが走る。
見えている。
残滓だけではない。
本質に近いものを。
「……そうか」
幹比古は静かに携帯端末を取り出した。
「少し待っていてくれ」
* * *
十数分後。
あなたは実験室の扉を開けた。
──待たせた。
「いや、こちらこそ。急でごめん」
幹比古は真剣な表情で事情を説明する。
「柴田さんが、精霊を見えたみたいなんだ」
──ほう。
「しかも
あなたはちらりと美月を見る。
その視線だけで、美月はなぜか姿勢を正してしまった。
──自覚は、
「無いみたいだね」
──なるほど。
短く頷く。
確認が必要だ。
そう言うと、あなたは実験室の中央へ歩み出た。
胸の前で合掌すると、右手を一節ほど下げ──
──礼。
パン──
乾いた柏手ひとつ。
それだけだった。
だが次の瞬間、実験室全体の空気が変わる。
外界との境界が閉じるような、静かな圧力。
耳鳴りにも似た違和感が一瞬だけ走り、すぐ消えた。
「……え?」
幹比古が目を見開く。
「結界が」
美月とあなたが踏み入ることで、完全に解けていた結界を結び直した。
柏手の音で空間を清め、場を切り分けるのは神道の術のひとつだ。
簡易祭壇による神祇魔法の場と、幹比古と美月の認識。
認識阻害と抗魔術の結界として、十分少々は持つだろう。
「柏手だけで?」
──場に倣っただけだが。
驚くことだろうか?
あなたは首を傾げる。
幹比古は思わず口をつぐむ。
そんな芸当が出来る神祇魔法師など、彼は伝承の中でしか知らない。
これが【異界】の管理者、
──柴田、さん。
「はい」
──まず目を閉じてくれ。
「……?」
──君の
「なにか分かるんですか? その、古式の術とかで」
幹比古の様子に、美月もなにか思うところがあったのかも知れない。
はい、と頷くと彼女は素直に目を閉じた。
あなたは右手を軽く掲げ、マガツヒを少しばかり掌に乗せる。
魔法式らしい展開もなければ、呪文も結印もない。
ただ青い火花が散って空間が静かに歪み、小さな存在が現れる。
光る苔玉のような丸い頭。
土色の渦巻文様をまとい、細い手足をゆらゆらさせる、小柄な人型の精霊。
【地霊】コダマ。
日本の神話伝承で語られる樹木の精霊。
あなたが
幹比古には、その掌の上に何者かが
その場に最初からある存在を通じ、精霊として
場のつながりを無視して
およそ暴力的な格の違いを見せつけられた思いだった。
何故だか一人で奮起している幹比古はひとまず横に置いて、あなたは美月に語りかける。
──柴田さん。
「はい」
──ゆっくりと目を開けてみて。
あなたの指示に従って、ゆっくりと美月が瞼を上げる。
その瞬間だった。
「っ……!」
両目を押さえた。
「いた……!」
長机に手をつき、苦しそうに息を乱す。
「目が……!」
──帰れ。
あなたが短く命じると、コダマは一瞬で消えた。
数秒後。
美月の呼吸がようやく落ち着く。
──柴田さん、何が見えた?
「……み、緑……」
ゆっくりでいいと、あなたは手で示す。
美月は頷いて深呼吸をひとつ、ふたつ、みっつ。
ようやく顔を上げると、涙を浮かべたまま彼女は答えた。
「薄い緑と……土の色……重なって……」
──ありがとう。
あなたは静かに頷く。
──じゃあ、もう一度。目を閉じて。
先ほどと同じように、右手を差し伸べ召喚門を開く。
今度はその掌から冷気がこぼれ落ち、春の陽気をひんやり冷やす。
青い帽子とギザギザの襟巻き、丸い靴。
白い雪だるま。
【妖精】ジャックフロスト。
冬の到来を告げ、また夜の間に民家の窓に霜の芸術を描くことで知られる、イングランドの悪戯好きの妖精。
人々の暮らしが自然環境から遠のいた現代において、それでも季節という暮らしの一部に在るためか。あるいは不思議なマスコットキャラクターとして知られるようになったためか。あるいは単にわがままなためか。
ともかく彼はコダマと比べてより多くのマガツヒを持っていく。
コダマと同じくアストラル体で呼び出した。
それでも冷気が漏れ出す辺り、やはり存在感イコール放出
「冷たい……?」
その冷気に気付いたのか、美月は身を縮めた。
わずかに顔を背けるが、瞼がかすかに痙攣している。
外の様子が気になるのだろう。
──まだ開けないで。
ヒホヒホと小躍りしているジャックフロストをつまみ、彼女の前に移動させる。
──もう良いよ。
だが。
「……っ!」
美月は瞼を開く前に顔をしかめた。
「いたい……!」
──帰れ。
ジャックフロストは即座に送還された。
彼女の苦痛はそれだけで収まる。
なるほど。
あなたは腕を組んで考える。
彼女は
マガツヒの光を直接見た上で、そこに含まれる
そんなことをして、ただの人間が正気で居られるはずがない。
思ったより重症だ。
今のままでは偶発的に悪魔と遭遇しただけでも、致命傷になりかねない。
あなたという存在が居る以上、その確率は格段に上がってしまう。
──ふむ。
ひとまずは対症療法で抑えられるかも確認しておこう。
あなたは制服の胸ポケットから薄手の白いハンカチを取り出す。シルキーが毎日洗って丁寧にアイロンを掛けてくれているそれを、なんだか申し訳なくて普段遣いしていない。
そのハンカチを広げて息を吹きかけると、そのまま虫でも払うように、何度か振ってみせる。
振られた布が、宙に淡い光の軌跡を描いた。
こんなところか。
両手で端をつまんで三角に折る。
「もしかして、
──短すぎるがな。
神祇魔法の術具のひとつ、比礼は本来、古代の女性が肩にかけた細長い布の総称とされる。神話の中で虫や獣、強風や高浪などの厄を鎮めるために振るわれたことから、厄よけのお守りのように扱われたりもする。
あなたはその神話の描写を意図的に、かつ簡易的に再現することで、ハンカチに一時的に術具としての比礼の機能を与えたわけだ。
あなたは美月の前へ立つ。
──失礼。
その布を優しく彼女の目元へ巻いた。
「温かい……目隠し、ですか?」
──いくらか透けて見えないか?
「はい。はっきりとは、見えませんけど」
結び終える。
──比礼という。霊的な刺激を和らげる効果がある。
現代魔法師に“
案の定、分かっていなさそうな、きょとんとした反応だ。
もっと直截な言い方をするべきか。
──痛みを抑えてくれるはずだ。
それから再び目を閉じるように言い、あなたは再びコダマを呼び出した。
──どうだ?
美月はゆっくりと瞼を上げる。
「……さっきより平気」
裸眼視力が良かったことが、却って悪さをしていたのだろう。
かつて【
ともあれ、これなら情報量を制限するだけでも多少なりと抑制は出来る。
それでは今度は日常生活が困ることになるので、根本的な解決には程遠いわけだが。
──色は?
「薄い緑と……茶色。くるくるって、うずまき?」
今度ははっきりと見えているようだ。
──声は?
美月は押し黙ると、耳に手を当ててそれを聞き取ろうとする。
「……聞こえます」
──何と言っている?
美月は少し笑った。
「こんにちは、って」
その答えに、コダマが嬉しそうに八の字に飛び回る。
幹比古が驚いて目を瞬かせた。
「会話まで……」
──ご苦労。
あなたはコダマを帰還させる。
続いて地霊カハクを呼び出した。
漢字で“花魄《カハク》”と書く中国由来の妖怪。蝶の羽を背に飛ぶ幼女の姿は、西洋の妖精にも似ているが、三度首吊りに使われた樹木の精とされる。
ジャックフロストではいささか強すぎたと反省し、
──どうだ?
「赤……さっきとは違う」
美月は少し首を傾げる。
「熱い感じ? がする」
カハクはその情念の表れなのか、【
──声は?
「元気そうです」
それはそうだろう。
急な呼び出しに文句を言い、それからあなた以外の人間がいることに驚き、それが子供たちであることに喜んで声をあげていた。あなたの手指をぺちぺちとその小さな手で叩く、その都度火花を散らしていなければ、ただの元気な幼女に見えるだろう。
──意味は分かる?
「遊ぼう、って」
あなたは頷き、カハクに礼を言って帰還させた。
カハクは人間には理解できない、鳥獣の鳴き声のような声で喋るとされる。
半ば悪魔の側にあるあなたにとっては意思疎通に言語を要さないが、ただの人間であれば理解することはできないはずだ。
実験室へ静寂が戻る。
──おつかれさま。
目隠しにしていた比礼を外してやり、畳んで胸ポケットに戻す。
「……どうですか?」
あなたは幹比古へ向き直り、頷く。
──当たりだ。
「やっぱり……」
確信と緊張感を顔に表しながら、幹比古は美月に歩み寄る。
鬼気迫るその表情に、思わず身を引く美月の両肩を掴み、幹比古は一言ずつ噛んで含めるように語りかける。
「柴田さん。君の眼は【
「水晶眼……?」
──古くは【見鬼】、あるいは【
聞き慣れない言葉に、美月は首を傾げた。
「精霊や死霊、
「それは……霊子放射光過敏症の人はみんな?」
美月の問いに、幹比古は首を横に振る。
「僕も最初はそうかと思ったんだけど、そういうことじゃないみたいなんだ」
そう答えてから、幹比古はあなたへと視線を送った。
だいぶ雑な推測になるが。と断りを入れてから、あなたは解説を始める。
──この権能は、おそらく複数の能力の掛け合わせで成立している。
マガツヒを視覚的に認識する能力。
それを脳で情報として受信する能力。
受信した情報を整理する能力。
非オカルト的にプロセスに分解すると、そんなところだろう。
これに言語化能力を加えることで、儀式における【審神者】の役割が成立する。
霊子放射光過敏症とは、おそらくマガツヒを視覚的に認識する能力のことだ。その時点で眼球が強い焼き付きを起こし、視覚的な困難を生じる。痛みを感じる段階にあるのはその次、脳が膨大な情報を受信してオーバーヒートしているケースだろう。視神経に膨大な電気信号が生じることで、神経系から周囲の組織に強いストレスがかかっている。
「なるほど……」
「そうか。そういう考え方もあるんだ」
おそらくだが、霊子放射光過敏症を抑えるレンズは、マガツヒの光をまるごと遮断しているのだろう。だからマガツヒ光の中に含まれる情報も届かない。
ただ、この説が正しいとすれば、レンズを通して見る世界は生物と無生物を区別しない。非常にのっぺりしたディテールでの理解になってしまっているはずだ。視力は悪くないのに立っている人を避けられなかったり、ただの物体に過剰反応したり、傍から見るとやはり難はありそうな気がする。
レンズを介さなければ視界に余計な光刺激を受けることになり、レンズを介しても別のリスクを背負うことになる。動いていれば何でも動体として反応できるが、生物か無生物か、つまり動体の規則性について脳が予測するまでのタイムラグに致命的に大きな差が生じてしまうのだ。それでは複数人が複雑に入り乱れるスポーツ競技には圧倒的に不向きだし、なんなら大量輸送型の公共交通機関でも苦労するだろう。
こうした振る舞いをする人間は、えてして
そういえばブランシュ事件に加担した
母親が治療に奔走したという話も理解できる。これは子供に負わせるにはおもすぎる
……………。
あなたが【見鬼】についての思いつきに没頭したことで、取り残された二人の間に、少し気まずい雰囲気が生じてしまった。
その空気に耐えきれなくなった幹比古が、口を開く。
「それは古式魔法では非常に価値が高いんだ」
どうしてか、と小首をかしげる美月。
おかしな空気から逃れられたと幹比古が静かに頷き、言葉を続ける。
「儀式魔術では、霊的存在を正確に識別できるかどうかで成功率が大きく変わるんだ。昔から本物の【審神者】は祭祀に欠かせない存在だった」
「だけど……」
美月は不安そうに目を伏せた。
「私、痛くて……」
その時、ようやくあなたが思索の海から帰ってきた。
美月の不安げな視線と、幹比古の言葉に迷う様子を見るが、状況がわからなかったのであなたは自分の話を進めることにした。
──君は今、目を開くたび、無防備に情報を受け取っている状態だ。
「情報……」
──低位のコダマで眼痛を起こした。ジャックフロストでは見る前に反応した。
淡々と告げる。
──より高位の存在だったら、視認しただけで失神してもおかしくない。
美月の顔色が青ざめた。
「そんな……」
そう。彼女は非常に危険な状態にある。
──眼鏡をかけていれば、ひとまずその心配はなくなるが、万が一もある。放置はできない。
あなたは断言する。
能力そのものは貴重かもしれないが、正直に言ってそれはどうでもよい。
あまり強い言葉は使いたくないが──
──制御できなければ命に関わる。
ブランシュ事件の際、もし彼女が攻撃を受け、眼鏡を失っていたなら。
その状態で悪魔の罠にかかっていたなら。
事件は生徒側の死者一名、となっていた可能性は十分にある。
そしてそれは、今後何度でも起こる可能性はあるのだ。
実験室に沈黙が落ちた。
──きちんと訓練した方が良い。
静かな声だった。
その力を、彼女自身が扱えるようになるまで。
「制御できるようになるんですか?」
──そう簡単なことではないが、半年もあれば。
本来なら一生抱えて生きていくつもりだった障害を、あなたは半年で改善するという。
美月は信じて良いものか迷ったのだろう。幹比古の方を見つめた。
「古式には古式の知恵があるんだ。……ですよね?」
殊の外信頼の込められた幹比古の口調に、ああ、とあなたが力強く頷き返す。
美月は不安と緊張を滲ませながらも、小さく頷いた。
「……お願いします」
その返事を聞き、あなたもまた静かに頷き返した。
次に始まるのは、能力の確認ではない。
【審神者】として生きるための、本当の修行だった。
感想、評価、お気に入り、ここすき、いつもありがとうございます。
「室礼」は「設え」の語源で、本邦の平安王朝文化より始まる、目的に沿った室内デザインを施す文化です。
本作では意味を拡張して、神祇魔法では特に儒学の「礼」を取り込んだ儀式魔術に適した空間デザインを指します。人修羅さんが柏手ひとつで結界を展開しているのは、それ以前に幹比古が「神祇魔法」の場(=室礼)を整えていたことで、より手軽に成立させています。