魔法科転生NOCTURNE SS置き場 作:人ちゅら
HP#002 霧中の行進(1) 逃避行
2014年3月。
クリミア半島を巡る情勢は、日を追うごとに悪化していた。
民族、国家、宗教。
幾つもの思惑が複雑に絡み合い、一つの半島を戦場へと変えようとしている。
もっとも、あなたにとってそれらは本質ではない。
その陰で、誰からも見捨てられた人々がいる。
それだけが事実だった。
あなたは黒海沿岸から少し離れた古い修道院跡へ足を踏み入れた。
石造りの礼拝堂は半ば崩れ、屋根も失われている。
祭壇だけが残る広間には、携帯型投影端末が一台置かれていた。
淡い光が揺らぎ、一人の男の姿を映し出す。
氷川総司令。
あなたは何も言わず、その映像へ視線を向けた。
『ご苦労。まずはここまで足を運んでくれたことに感謝しよう』
相変わらず感情の起伏を感じさせない声だった。
あなたは頷く。
『ここに来るまでにおおよその状況は把握できたかね?』
──止まらんだろう、もはや。
『同意する』
氷川は静かに頷く。
『政情不安に乗じ、土着の
白魔道士──民衆の生活を支える土着の魔術師。
善なる魔道士とも呼ばれる。
科学全盛のこの時代に、まだその系譜が残っているとは思わなかった。
そんなあなたの感慨など無視するように、壁の映像が切り替わる。
幾枚もの写真。
焼け落ちた集会所。
破壊された祭具。
血痕の残る石畳。
『彼らは東欧系の白魔術を扱う。
精霊信仰。召喚術。土地神への祭祀。
現代の魔道士にとっても、時代遅れの技術だ』
次の写真。
老いた男が縄で縛られている。
その周囲で何かを叫ぶ群衆。
『だが、彼らを異端視する者たちには、そんなことは関係がない。
彼らは
そう信じている』
あなたは写真を眺める。
怒号。
憎悪。
恐怖。
写真一枚からでも、それだけは伝わってきた。
──誰が……
『現地の狂信者だ』
氷川は短く答えた。
『正規軍ではないし、宗教団体そのものでもない。
思想に取り憑かれた者たちが、金で集めた傭兵を使って魔道士狩りを行っている。
表向き、誰も存在を認めない部隊だ』
あなたは一枚の写真を見つめる。
黒い戦闘服に目出し帽。
不吉な意匠のワッペンを付け、構えた武器はあなたでも知っているロングセラーの名銃だ。
休めの姿勢で撮られた集合写真からは、民兵とは思えぬ練度が見て取れる。
『彼らはおそらく魔術そのものを知らないし、信じていない。
だからこそ、理解できないものは全て悪魔だ。
悪魔なら殺して構わない。
度し難いことに、そういう理屈で動く』
映像が消えた。
代わりに半島の地図が浮かぶ。
赤い印が点々と広がる。
『既に七つの集落が襲撃され、百名以上の魔道士とその家族が殺された。
老人六名。
女性四名。
子供五名。
負傷者二名。
彼らは現在、クリミア山脈にある廃村へ身を隠している』
地図の一点が光る。
『目的地はここだ』
西岸。
小さな漁港。
『そこまで着けば、協力者が船で逃がしてくれる』
あなたは地図を見た。
人目を避けて山を越え、谷を抜けて、黒海へ。
夜通し歩けるなら一日で辿り着けるかも知れない。
だが逃げ隠れながらとなると、三日は見るべきか。
老人や子供を連れてなら、もっとかかるかもしれない。
──若者は。
『負傷者の二人だけだ。あとは女子供を逃がすために盾となった』
既に対価は支払われている、と。
自らを由とし、理不尽に挑んだ者の手を払うことは出来ない。
それはあなたが定めたあなたのコトワリだ。
──敵は?
『既に捜索を始めている。
時間はない』
あなたは静かに目を閉じた。
古き
放置すれば、またあの
……断れる筋ではないな。
──嫌な話だ。
氷川は小さく息を吐く。
『君ならそう言うと思った』
映像が少しだけ揺れる。
『一つだけ忠告しておく』
珍しく、氷川の声色がわずかに低くなった。
『ここは古い土地だ。神秘はまだ辛うじて生きている』
あなたは目を開ける。
氷川と視線が合う。
『土地に根付いた精霊。
忘れられた妖精。
信仰を失った神々。
力を失った悪魔。
彼らもまた、生き延びようとしている』
あなたは短く頷いた。
──分かっている。
『……そうだったな』
氷川は僅かに口元を緩めた。
それが笑顔だったのかは分からない。
『任せたぞ、
通信が途切れる。
礼拝堂は再び静寂に包まれた。
* * *
山道を無視し、道なき道を登ること一時間。
崩れかけた石壁に囲まれた小さな集落は、打ち捨てられてからそれほど経ったようにも思えないが、それでも既に朽ち始めている。
氷川のメモに従い地下貯蔵庫へ入ると、人の気配がした。
最初に立ち上がったのは、白髪の老人だった。
痩せ細っている。
だが、その瞳だけは鋭い。
「……あなたが」
老人はあなたを見つめる。
何かを探るような目だった。
あなたは名乗らない。
老人も尋ねない。
代わりに後ろを振り返る。
地下には十数人。
幼い少女が母親へしがみついている。
片腕を包帯で吊った青年。
疲労で眠り込む子供。
誰もが、逃げ続けた顔をしていた。
「ヒカワ殿から話は伺っております」
老人は静かに頭を下げる。
「我々を……助けてくださると」
あなたは頷く。
──行こう。
それだけ。
老人は少し驚いたように目を丸くした。
もっと作戦を説明するものだと思っていたのだろう。
「……移動は」
──歩く。
「食料は」
──道中で。
短い返答。
訛りの強い異国語を自在に操れるほど、あなたの社交能力は高くない。
お互いに、かろうじて意思疎通ができる程度の言葉でしかなかった。
老人は困ったように笑う。
その隣で若い女性が小さく囁いた。
「大丈夫なんでしょうか……」
「分からぬ」
老人も苦笑する。
「だが、あのお方は迷っておられん」
あなたは地下室の入口へ歩く。
空を見上げると、早くも夕日が沈み始めていた。
夜になったら動こう。
昼は敵の目がある。
いまだ春の足音もきこえない、北国の三月だ。
まして夜ともなれば、寒さは身を突き刺すほどになるだろう。
およそ行軍できる時間帯ではないが、だからこそ油断もあるだろう。
結論。
夜を行くしかない。
背後で支度を始める音がする。
荷物をまとめる音。
水袋を確かめる音。
子供を起こす優しい声。
あなたは山の向こうを見つめる。
そのさらに先。
見えない暗闇の中で、何かがこちらを見ていた。
敵意はない。
殺気もない。
ただ静かに、じっとこちらを見守っている。
あなたはその気配に気付くがしかし、呼び掛けるようなことはしない。
相手もまた姿を現さない。
夕暮れの風だけが、草を揺らしていた。
やがて最後の陽が地平線へ沈む。
あなたは振り返った。
──行こう。
十七人の避難民が、無言で頷く。
こうして、小さな一団は霧の立ち込める夜の山へ足を踏み入れた。
* * *
夜の山は静かだった。
春先とはいえ、黒海から吹き上げる風はまだ冷たい。
あなたを先頭に、一行は獣道とも呼べぬ細い山道を進んでいた。
誰も口を開かない。
荷物の擦れる音。
枯葉を踏む足音。
時折聞こえる子供の寝息。
それだけが、夜気の中へ溶けていく。
老人たちの足取りは重い。
若い者が荷を代わろうとしても、誰も譲らない。
それが最後に残された矜持なのだろう。
あなたは振り返らない。
足音だけで、一団の疲労を測っていた。
まだ歩ける。
限界ではない。
それでも、この速度では三日は掛かる。
敵が追いつくには十分な時間だった。
* * *
先頭を歩くあなたの耳へ、小さな泣き声が届く。
後方。
三歳ほどの少女だった。
母親が慌てて抱き寄せる。
「しっ……静かに……」
少女は怯えている。
見知らぬ夜。
慣れない山。
何より、大人たち全員が張り詰めている空気を敏感に感じ取っていた。
母親は震えていた。
子供をあやしたい。
しかし声を出せない。
泣き止ませなければ。
だが焦れば焦るほど、少女は泣き止まない。
老人が青ざめる。
「まずい……」
その時だった。
風が吹く。
森の奥から、小さな鈴の音が聞こえた。
少女がぴたりと泣き止む。
涙を浮かべたまま、小さく笑った。
「あ……」
母親も老人も首を傾げる。
誰も鈴など鳴らしていない。
少女は眠たそうに目を擦ると、そのまま母親の胸で眠り始めた。
誰も理由は分からない。
ただ、助かった。
それだけだった。
あなたは一瞬だけ森へ目を向ける。
木の枝に、小さな影が腰掛けていた。
頭巾をかぶった小さな少女。
家憑き妖精──キキーモラ。
こちらを見ると、戸惑うように口をパクパクと開け閉めするが、結局は何も言わずに夜の闇へ消えていく。
あなたは何も言わず、再び歩き始めた。
* * *
二時間ほど進んだ頃。
急な斜面で、一人の老人が立ち止まった。
「……しまった」
靴紐が切れている。
このままでは歩けない。
替えはない。
布を裂いて縛るしかないか。
そう誰もが思った。
「あれ?」
少女の一人が地面を指差す。
そこには、古びた革紐が一本落ちていた。
まるで誰かが置いていったかのように。
老人は目を丸くする。
「こんな所に……?」
長さも太さも丁度良い。
靴へ通す。
驚くほどしっくり収まった。
「……運が良かった」
老人は苦笑する。
あなただけが知っていた。
少し離れた岩陰から、毛深い老人──ドモヴォーイがこちらを見ている。
腰に巻いていた革紐が一本なくなっている。
目が合う。
ドモヴォーイは照れくさそうに鼻を掻き、そのまま森へ逃げていった。
* * *
夜半。
一行は渓谷へ差し掛かる。
そこは敵も通る道だった。
あなたは全員を岩陰へ伏せさせる。
遠くから車両の音。
ライト。
軍用車両が三台。
武装した男たちが降りてくる。
「ここも調べろ!」
「山へ逃げたはずだ!」
ライトが木々を照らす。
避難民たちは息を殺す。
少女が目を閉じる。
老人は祈るように杖を握る。
その時。
渓谷へ白い霧が流れ込んできた。
最初は細く。
やがて谷全体を覆い尽くすほど濃く。
「何だ、この霧!」
「見えん!」
「ライトを上げろ!」
兵士たちは混乱する。
懐中電灯も赤外線も役に立たない。
谷全体が乳白色に染まる。
あなたは静かに立ち上がる。
──今。
一行は霧の中を歩く。
兵士のすぐ横を通る。
互いの距離は五メートルもない。
それでも誰も気付かない。
霧の向こう側。
岩の上へ、半透明の女性が腰掛けていた。
長い髪を風へ遊ばせながら、静かにこちらを見送っている。
霧の精──ルサールカだった。
あなたは小さく会釈する。
精霊は嬉しそうに微笑む。
その姿もまた、霧の中へ溶けていった。
* * *
明け方近く。
敵の気配は遠ざかる。
一行はようやく小さな洞窟で休息を取ることになった。
火は焚かない。
食事も乾パンだけ。
それでも全員、生きている。
老人は壁へ背を預け、大きく息を吐いた。
「……不思議な夜でした」
あなたは答えない。
「子供は泣き止み。
霧は我らを隠し。
必要な物は偶然現れる」
老人は苦笑した。
「きっと神が見守ってくださったのでしょうな」
あなたは洞窟の入口を見る。
外では、まだ夜が続いている。
木々の間。
岩陰。
枝の上。
幾つもの小さな気配がある。
妖精。
地霊。
精霊。
力を失い、人知れず生き延びてきた悪魔たち。
彼らは姿を見せない。
ただ静かに、この逃避行を見守っていた。
あなたは誰にも聞こえないほど小さく呟く。
──助かった。
枝の上で、小さな笑い声がした。
返事をするように。
風へ溶けるように。
誰にも気付かれないまま。
霧は再び山を覆い始めていた。
感想、評価、お気に入り、ここすき、いつもありがとうございます。
本編を書き始めた頃から考えていたネタのひとつ。
うまく形にならず放置していたら現在の情勢になってしまったので、あれこれ手を入れ直して、どうにか妥協点に収まったかなーという。
時系列としては前世になるので、本来なら2番目とかに挿し込むべきなんですが、更新が分かりにくくなって読んでもらえなくなってもアレなんで、章立てして直下に並べてしまいました。