魔法科転生NOCTURNE SS置き場   作:人ちゅら

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HP#002 霧中の行進(2) 包囲

 夜明け前。

 洞窟の外は、まだ群青色の闇に包まれていた。

 あなたは一人、入口近くの岩へ腰を下ろしている。

 

 わざわざ眠る必要もない。

 風が運ぶ匂い。

 鳥の羽ばたき。

 遠くを歩く獣の足音。

 それらを聞きながら、夜が明けるのを待っていた。

 

 洞窟の奥では、避難民たちが束の間の眠りについている。

 その中で一人だけ。

 眠れずに身を起こしている青年がいた。

 

 片腕を吊っていた負傷者。

 関節を外され、頬に大きな切り傷を付けていた。

 昨夜から何度も目が合っている青年だった。

 

 負傷は合流した時点で【ディア(なお)】してある。

 痛みで眠れないわけでもなかろう。

 

 あなたは何も言わない。

 視線に気がついた青年も、ふいと顔を逸らした。

 

*   *   *

 

 朝靄が山肌を覆い始める。

 老人は全員を起こし、小さく告げた。

 

「ここから先は、港まで半日ほどです」

 

 誰もが安堵の息を漏らす。

 もう少し。

 あと半日。

 それだけで助かる。

 そう思いたかった。

 彼らの思いを背に受け、あなたは先頭へ立つ。

 

──行こう。

 

 一行は再び歩き始めた。

 昨夜とは違い、誰の表情にも僅かな余裕があった。

 しかし、一人だけ違う。

 負傷しながらも逃げてきた青年だけは、歩みが妙に落ち着かなかった。

 

 何度も後ろを振り返る。

 拳を握り締める。

 唇を噛む。

 

 まるで置いてきてしまったものを悔いるように。

 何かに迷い、心が進めずにいるようだった。

 老人も気付いていた。

 

「どうした?」

「……いえ」

「傷が痛むのか」

「大丈夫です」

 

 青年は目尻を下げ、口角を上げようと試み。

 しかし表情筋は無様に痙攣するばかりだった。

 

*   *   *

 

 正午近く。

 一行は尾根道へ出た。

 眼下には森が広がり、その向こうには黒海が青く光っている。

 

 あと少し。

 港はもう遠くない。

 その時だった。

 

 風に乗って、微かにエンジン音が聞こえた。

 あなたは足を止める。

 耳を澄ます。

 車両が数台。

 止まった。

 人の気配。

 十数人。

 それ以上。

 老人の顔色が変わる。

 

「……追いつかれた」

 

 青年は蒼白になった。

 震える手が、胸元から何かを取り出す。

 小さな布切れ。

 幼い少女が刺繍したらしい、花柄のハンカチだった。

 

 青年はそれを握り締める。

 そして。

 崩れ落ちた。

 

「……ごめんなさい」

 

 誰も意味が分からなかった。

 

「ごめんなさい……」

 

 青年は涙を流していた。

 

「妹が……」

 

 老人が目を見開く。

 

「妹?」

「捕まったんです……!」

 

 嗚咽混じりの声だった。

 

「逃げる時に……

 妹だけが逃げ遅れて……!」

 奴らが……!」

 

 青年は肩を震わせる。

 

「あなたたちを渡せば返すって……

 居場所を教えろって……」

 

 老人は言葉を失う。

 青年は叫ぶように言った。

 

「返してほしかった!

 たった一人の家族なんです!」

 俺は……!」

 

 そして立ち上がり、尾根の先へと駆け出した。

 

 あなたは止めない。

 青年は両手を口へ当て、山へ向かって叫ぶ。

 

「こっちだぁ――ッ!!」

 

 その声が、谷へと響き渡る。

 だが次の瞬間。

 

「……こっちだぁ――ッ!」

 

 別の方向から同じ声が返ってきた。

 青年が顔を上げる。

 

「違う!」

 

 もう一度叫ぶ。

 

「こっちだ!!」

「……こっちだ!!」

 

 また違う方向。

 さらに。

 

「こっちだ!!」

「……こっちだ!!」

「こっちだ!!」

「……こっちだ!!」

 

 山全体が叫び始めた。

 老人が呆然とする。

 青年も動けない。

 

*   *   *

 

 谷の向こう。

 傭兵部隊が一斉に顔を上げる。

 

「どこだ!」

「西だ!」

「いや東だ!」

「違う、上だ!」

 

 山彦は止まらない。

 同じ声が、幾重にも幾重にも森中を駆け巡る。

 隊長らしき男が怒鳴る。

 

「森へ入れ!」

「探せ!」

 

 どうやら傭兵たちは散開したようだ。

 分散してあなたたちを発見しようというのだろう。

 こちらは無力な避難民。発見できれば少数でもどうにでもなる……という算段か。

 

 あなたは静かに森を見た。

 風一つ無い穏やかな日差しの下、何故だか枝が絶え間なく揺れている。

 木々は笑うようにざわめいていた。

 あなたは小さく目を伏せる。

 

──森の主(レーシー)か。

 

 ()()は姿を見せない。

 ただクスクスと笑いながら、兵士たちを森の奥へ招き入れていく。

 

*   *   *

 

 日が傾き始めても。

 銃声は聞こえなかった。

 代わりに時折、怒鳴り声だけが風に乗って届く。

 

「またここか!」

「さっきの沢だ!」

「道が消えた!」

「地図が合わん!」

「ふざけるな!」

 

 森は兵士たちを帰さなかった。

 倒木は何度も位置を変え。

 自ら踏み荒らしたはずの足跡もいつの間にか消え去り。

 木々に、岩に、幾度も付けたはずの目印はひとつも見当たらず。

 鼻腔をくすぐる甘やかな香りに集中力を乱され。

 気付かぬうちに同じ場所を何度も歩かせている。

 

 まるで森そのものが迷宮へ変わったかのようだった。

 老人はその様子を見つめ、静かに呟く。

 

「……山神が怒っておられる」

 

 あなたは否定しない。

 神ではない。

 しかし、この森には確かに主がいる。

 今宵はまさに、その()の時間だった。

 

*   *   *

 

 夕闇が山を包む頃。

 青年は一人、あなたの前へ跪いた。

 

「……殺してください」

 

 あなたは答えない。

 

「俺のせいで……

 もう居場所は知られてしまいました。

 妹だって、これじゃ、もう……」

 

 青年は拳を握る。

 

「結局、誰も助けられなかった」

 

 長い沈黙。

 やがてあなたは、小さく口を開いた。

 

──歩けるか。

 

 青年は顔を上げる。

 

「……え?」

 

──まだ歩けるか。

 

 青年は何度も頷いた。

 涙を拭いながら。

 

「……はい」

 

 あなたは踵を返す。

 

──なら、行こう。

 

 責める言葉はない。

 慰めもない。

 

 ただ。

 まだ終わっていない。

 それだけだった。

 

 その夜。

 レーシーは最後まで傭兵たちを森の迷宮に囲い続けた。

 

 しかし。

 避難民がこの山に潜んでいることだけは、もう隠しきれなかった。

 

*   *   *

 

 夜が明けた。

 東の空が白み始める。

 夜の支配は終わりを告げ、森は静かに息を潜めた。

 昨日まで聞こえていた小さな気配も、今は感じられない。

 

 レーシーは去った。

 夜は終わったのだ。

 あなたは立ち上がる。

 

──行こう。

 

 一行は再び歩き始めた。

 青年は最後尾を歩いていた。

 

 誰も責めない。

 責める余裕もなかった。

 

 妹を助けたかった。

 その願いを否定できる者は、ここには一人もいなかった。

 老魔道士だけが青年の肩へ手を置く。

 

「生きなさい」

 

 それだけだった。

 涙が枯れるほどに泣いた後、青年は静かに頷いた。

 

*   *   *

 

 尾根を越える。

 朝霧の向こうに黒海が見えた。

 朝日を受けて静かに輝いている。

 老人は目を細める。

 

「……見えた」

 

 誰かが息を呑む。

 その向こう。

 小さな港町。

 

 古びた木造の桟橋。

 沖には一隻だけ漁船が停泊している。

 あれが協力者だろう。

 

 あと少し。

 あと十分。

 その距離だった。

 老人は涙ぐむ。

 

「助かった……」

 

 安堵の息を漏らす人々を余所に、あなたは一人、首を横へ振った。

 

 まだだ。

 首筋を撫でる風が、気を抜くなと告げている。

 海から吹く潮風ではない。

 

 鉄と油の臭い。

 

 敵意ある存在(ヒト)の気配。

 

 かすかに鼻を突く刺激臭は、火薬だろうか。

 

 視線を西へ向ければ、港へ続くのは一本道だ。

 そこへ黒い影が並んでいた。

 

 十人。

 

 二十人。

 

 三十人。

 

 いや、それ以上。

 道路を完全に封鎖している。

 青年が呟く。

 

「そんな……」

 

 老人も立ち尽くす。

 

「追いつかれた……」

 

 あなたは静かに歩き出した。

 一本道。

 逃げ場はない。

 避難民たちも後に続く。

 

*   *   *

 

 百メートル。

 

 五十メートル。

 

 三十メートル。

 

 黒装束の男たちは、黙ってあなたに銃口を向ける。

 一糸乱れぬ、とはいかぬまでもピタリと構えたその姿は、写真では判断しきれなかった彼らの練度を物語っていた。

 

 中央に、一人だけ異様な男が立っている。

 白い法衣。

 胸には大きな銀の聖印。

 しかし、その眼には信仰者の静けさはない。

 あるのは陶酔だけだった。

 

「ようやく諦めて姿を現したか」

 

 男は笑う。

 

「悪魔の僕ども」

 

 母子が身を寄せ合い、老人が彼らを隠すように動く。

 二人の若者は、それぞれ威嚇するように、手にした木の枝を構えた。

 最後まで戦うつもりらしい。

 あなたは背後にいる彼らの振る舞いに、思わず頬が緩んでいた。

 

 法衣の男は、その笑みを見逃さなかった。

 険しい表情で法衣の男が睨む。

 

「貴様が案内人か」

 

 答えない。

 

「面白い」

 

 男は一歩前へ出る。

 

「顔付きが違うな。貴様も魔術師か?」

 

 さて、あなたは()()()なのだろうか。

 ともあれ答える必要を認めない。

 小さく鼻で笑い飛ばす。

 

 何を感じ取ったものか、男は笑みを深くした。

 

「ならば話は早い」

 

 両腕を広げる。

 

「その者たちをこちらへ渡せ。

 悪魔へ魂を売った罪は重い。

 神の御前で裁きを受けさせようぞ」

 

 老人が前へ出ようとする。

 あなたは片手で制した。

 男は続ける。

 

「安心しろ。抵抗しなければ苦しまずに逝けるぞ」

 

 あなたは男を無視し、その奥に居並ぶ傭兵たちを見る。

 

 彼らは男の演説など聞いていない。

 引き金へ指を掛け、いつでも撃てる姿勢を保っている。

 

 仕事だからだ。

 彼らを動かすのは思想(アタマ)ではない。報酬(カネ)だ。

 だからこそ危険だった。

 

*   *   *

 

 男は聖印を掲げた。

 

「神は悪魔を赦さぬ。

 異端もまた同じことよ」

 

 老人が震える。

 青年は拳を握る。

 子供たちは母親へしがみ付く。

 男は静かに宣告した。

 

「もう一度だけ問うてやろう。その者たちを引き渡せ」

 

「拒むなら……」

 

 男の笑みが深くなる。

 

「お前も悪魔と見なす」

 

 馬鹿馬鹿しい。

 あなたは小さく首を振り、大きくため息を吐いてみせた。

 

 狂人(カミ)あなた(アクマ)の間には、ただ風が流れゆくばかり。

 

 あなたは一歩前へ出た。

 老人たちを背中へ隠す。

 傭兵たちが一斉に銃を構える。

 男は眉を上げた。

 

「返事は」

 

 あなたは静かに口を開く。

 

──断る。

 

 男は失笑した。

 

「命が惜しくないらしい」

 

 あなたは答えない。

 男は聖印を高く掲げる。

 

「ならば。

 神の名において……討ち滅ぼせ」

 

 安全装置が外れる音。

 幾十もの銃口が一斉にあなたへ向く。

 老人たちは息を呑む。

 青年は思わず叫ぶ。

 

「逃げてください!」

 

 あなたは動かない。

 ただゆっくりと右手を持ち上げる。

 空気が変わる。

 男は眉をひそめた。

 

「……何だ」

 

 青い火花が爆ぜる。

 あなたの前の空間が、陽炎のように揺らめく。

 まるで聖堂のように近寄りがたい雰囲気は、しかしもっと古く、もっと禍々しい何かだ。

 

 形容しがたい気配が、周囲の空間を満たしていく。

 

 風が止む。

 鳥が鳴き止む。

 森が沈黙する。

 

 あなたは静かに目を閉じる。

 忌々しくも懐かしい気配だった。

 

 アマラ経絡に落ちたあなたに幾度となく襲いかかり、狂気と憎悪を交わしてきた因縁の敵。

 湧き出てきてはその狂える眼光で、幾度となくあなたに死を刻んだ怨敵。

 されどこの場に招くには、これ以上ない存在だろう。

 

 戦気を凝り固めた邪悪。

 何度殺しても立ち上がる()()

 

 男は一歩後ずさる。

 

「撃て」

 

 その命令だけが響いた。

 幾十もの引き金が、一斉に絞られる。

 

 鳴り響く銃声の中。

 あなたの声は、確かに()()へと届いたようだ。

 




 感想、評価、お気に入り、ここすき、いつもありがとうございます。

 スラヴの妖怪たちがちょいちょい登場しています。
 ブランシュ事件に登場したキキーモラも、地元に居ればこんな妖精さんなのです。
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