魔法科転生NOCTURNE SS置き場 作:人ちゅら
鳴り響く銃声の中。
あなたの声は、確かに
* * *
銃弾が迫る。
避難民たちは思わず目を閉じた。
次の瞬間。
あなたの前の空間が、大きく歪む。
陽炎。
否。
空間そのものへ亀裂が走ったかのように、景色が
あなたの前に、何かが現れた。
人の形をしている。
だが、人ではない。
半透明の身体。
歪んだ顔。
いくつもの人面が重なったような輪郭。
傭兵たちが感じている恐怖そのものが、形を得たようだった。
──スペクター。
あなたは、その名を知っていた。
アマラ経絡で幾度となく遭遇した悪魔。
恐怖を喰らい、恐怖を撒き散らす怨霊。
その姿は半透明で、輪郭すら定まらない。
それぞれの顔が、別々に呻き、笑い、泣いている。
老人が息を呑む。
「……っ!」
母親は咄嗟に子供の目を覆った。
青年は、その場へ尻餅をつく。
誰も言葉を失った。
その異形は、およそ世界そのものが拒絶するような存在だった。
* * *
傭兵たちもまた凍り付く。
「な……」
「何だ、あれ……」
構えた銃口が震える。
あらゆる非合法的な戦場を渡り歩いた傭兵と言えども、これほどの異形を相手にしたことはあるまい。
その実在を否定したいものたちは銃を構えたまま、視界にそれが収まらないよう、顔を背けた。
しかし中央の法衣の男だけは違った。
その瞳が歓喜に染まる。
「見よ!」
銀の聖印を高く掲げる。
「やはり悪魔ではないか!」
高らかに歓喜の声を振りまいた。
まるで長年探し求めた証拠を見つけた子供のように。
「見たか! これが奴らの正体だ!
主は我らを見捨てなかった! 私は間違っていなかった!」
男は天を仰ぐ。
「主よ! あなたは正しかった!」
あなたは静かに、二つの存在を視野に収めた。
アマラ経絡で幾度となく遭遇した悪魔。
恐怖を喰らい、恐怖を撒き散らす怨霊。
スペクター。
だが。
今この場に満ちているものは、ただの恐怖ではない。
神と己とを一体化し、己を正当化し他者を裁きたい法衣の男の、狂気。
銃器を構え、一方的な虐殺を予感し昂ぶる兵士たちの、殺意。
自分たちをこんな目に合わせた狂人どもを睨む魔道士たちの、憎悪。
そして今の状況。
一歩間違えば誰もが死の川を渡るだろうという、恐怖。
あなたは小さく目を細めた。
──この場この時、お前もただの
自身の顎に触れ、意識を定める。
そうしてあなたは、その存在へ新たな名を与えた。
──レギオン。
あなたの声が、波となって悪霊を染め上げる。
透けていた身が赤黒く変わり、影を差して実体を得る。
怨嗟に歪んだ顔は、歓喜と狂気を表して膨れ上がった。
無数の人間が無理やり繋ぎ合わされたような醜悪な身体。
幾つもの口。
幾つもの目。
幾つもの腕。
目から口から腕から爛れ腐った肉汁を垂らし、巨大な肉塊は喜びとも恨みともつかぬ声を上げる。
無数の眼が、一斉にあなたを見ていた。
その全てが期待と歓喜を示していた。
* * *
法衣の男は、勝ち誇ったように十字架を突き付ける。
「主の御名において命じる! 退け!」
異形は動かない。
そもそも彼の存在になど気付いていないのかも知れない。
世界の何もかもを嘲笑するように、ケラケラと
「退けと言っている!」
男は一歩前へ出る。
聖印を高く掲げた。
「主は悪魔を裁く!」
その叫びだけが山へ響く。
魔術でも祈祷でもない、ただの狂気から生み出された、ただの言葉だ。
激情に漏れ出したマガツヒも、行先もなく大気に還ってゆく。
あなたは小さく息を吐いた。
それから一歩だけ前へと踏み出した。
いまや喚き立てるだけとなった、狂った男を見やる。
その手の中にある十字の聖印を見る。
静かに口を開いた。
──
溜息ひとつ。
──
男は一瞬だけ言葉を失う。
次いで怒りに顔を歪め、唾を散らして大声で喚いた。
「撃て!」
* * *
銃声が幾度となく鳴り響き、無数の銃弾が異形へと降り注ぐ。
肉が裂け、骨が砕ける。
血とも膿ともつかぬ液体が飛び散る。
避難民たちは悲鳴を上げた。
しかし異形は倒れない。
無数の口が嗤う。
無数の喉が叫ぶ。
その絶叫は、一つではなかった。
何百。
何千。
幾つもの声が折り重なり、一つの咆哮となって山を震わせる。
次の瞬間。
裂けた肉が動いた。
腕が千切れる。
胴が裂ける。
頭が転がる。
傭兵の一人が叫ぶ。
「やったぞ!」
残念。
あれは倒れたのではない。
転がった頭が起き上がる。
千切れた腕が肉を纏う。
裂けた胴が、新たな身体を作る。
一体だったものが。
二体になる。
三体。
四体。
八体。
十六。
三十二。
撃てば撃つほど。
傷を負わされれば負わされるほど、軍団は増えていく。
「な……」
「何だこれは!」
傭兵たちの射撃が乱れ、流れ弾が飛んでくる。
だがそのすべては増えた肉塊が受け止め、そして更に増えた。
法衣の男も後ずさる。
「違う……こんな……」
十字架を握る手が震える。
異形たちは嗤っていた。
狂ったように。
歓喜するように。
そして。
無数の眼がもう一度、あなたを見た。
* * *
あなたは静かに立っている。
風が吹く。
足元を霧が流れる。
それは昨夜まで、この一団を守ってくれた霧だった。
その向こうで、狂気の軍団はなおも増殖を続ける。
一体が二体に。
二体が四体に。
四体が八体に。
とっくに撃ち尽くした銃を捨て、大ぶりのナイフを振り回す傭兵どもの面先に、やつらは異形の面貌を突き付け、ゲラゲラと嘲笑っている。そうして刃傷を受ける度、膨れて増えては楽しげに嗤う。
いつしか赤黒い腐肉の群れは、傭兵どもを包囲するように満ちてゆき、山麓を赤黒く染め始めていた。
だが、それだけだ。
ただ増えただけ。
地を埋め尽くしただけ。
それでは足りない。
あなたは右手を静かに下ろす。
かの軍団は理解していた。
自分が何のために呼ばれたのかを。
次の瞬間。
軍団は一斉に笑った。
その声は、まるで戦場そのものが哄笑しているようだった。
* * *
笑っている。
山を埋め尽くした軍団が。
狂ったように。
歓喜するように。
泣き叫びながら。
笑っていた。
* * *
傭兵たちの隊列は、完全に崩壊していた。
「撃て!」
「撃ち続けろ!」
怒号が飛ぶ。
しかし、その命令に従う者はもういない。
撃てば増える。
切れば増える。
それを全員が見てしまった。
一人が逃げようと陣を乱す。
それを見て、また一人。
やがて雪崩を打つように隊列が崩れ始める。
「逃げろ!」
「化け物だ!」
「神よ……!」
「母さん……」
誰かが祈る。
誰かが泣く。
誰かが武器を捨てる。
しかし今や肉の林、肉の森となった軍団は佇むばかり。
ただその場で笑っているばかりだった。
* * *
法衣の男だけは、その場を動かなかった。
震える手で十字架を握り締める。
「主よ……」
汗が額を流れる。
「何故です……!」
軍団は笑う。
男は十字印を突き付ける。
「退け! 主の御名において命じる!」
何も起こらない。
「退け!」
叫ぶ。
「退け!」
声が裏返る。
「退けぇぇぇぇぇッ!!」
返事はない。
あるのはただ、幾千もの哄笑だけだった。
男は膝をつく。
「そんな……そんなはずは……」
信じていたものが、音を立てて崩れていた。
* * *
あなたは、その姿を静かに見つめる。
この男は何も知らない。
神とは何か。
悪魔とは何か。
ただ自身に都合の良い言葉を信じていただけだ。
故にあなたは何も言わない。
説教もしない。言うこともない。
否定もしない。言う必要もない。
ただ静かに、右手を掲げた。
軍団が、一斉にこちらを見る。
幾千。
幾万。
その全ての眼が、あなた一人だけを映していた。
命令は一つ。
それだけで十分だった。
あなたは小さく口を開く。
──レギオン。
肺腑の空気を入れ替える。
──
* * *
軍団は高らかに嗤う。
歓喜するように。
祝福するように。
そして一体が弾けた。
爆音。
法衣の男が顔を上げる。
「な……?」
続いて二体。
三体。
十体。
二十。
五十。
百。
次の瞬間。
山肌を埋め尽くした全てのレギオンが──
同時に爆ぜた。
* * *
世界が白く染まる。
轟音。
衝撃。
爆風。
空気そのものが震え、山全体が唸り声を上げた。
木々が倒れる。
岩が砕ける。
土砂が舞い上がる。
爆炎は互いを喰らい合い──
連鎖し。
増幅し。
やがて一つの巨大な爆発へ変わっていく。
避難民たちは地面へ伏せた。
女は子供を抱き締め、老人は覆いかぶさるようにそれを守る。
青年は耳を塞ぎ、ただ震えていた。
誰もその光景を理解できない。
山が燃えていた。
大地が震えていた。
世界が砕け散った。
そう見えた。
* * *
やがて静寂が訪れる。
煙。
土埃。
焦げた木々。
風だけが吹いていた。
あなたは静かに歩き出す。
不思議と傷ひとつ無かった避難民たちも、おそるおそる顔を上げた。
誰も言葉を発しない。
そこにあったはずの傭兵部隊は消えていた。
道路も。
車両も。
検問も。
まるで最初から存在しなかったかのように。
ただ巨大な爆裂痕だけが、黒く大地へ刻まれている。
* * *
老人が震える声で呟く。
「……終わったのですか」
あなたは頷く。
青年は崩れ落ちたまま、爆心地を見つめている。
「あれは……」
長い沈黙。
誰もがあなたを見る。
あなたは少しだけ考えた。
はて、何と答えるべきだろうか。
やがてひとつだけ思い当たったそれを、短く告げる。
──悪魔だ。
それだけだった。
老人は静かに目を閉じる。
「そうですか」
問い返さない。
理解したわけではない。
ただ、理解する必要もないと悟ったのだ。
* * *
あなたは再び歩き始める。
港までは、もう僅かだった。
爆煙の向こう。
黒海は何事もなかったかのように、静かに朝の光を受けていた。
その海風が吹き抜ける中、一人だけ。
遠く離れた丘の上、白衣の男が双眼鏡を下ろした。
「なるほど、あれが──」
小さく呟く。
その眼には驚愕よりも、純粋な知的好奇心が宿っていた。
「爆発現象の並列展開。
しかも自己増殖を伴う連鎖反応か」
男は静かに手帳を閉じる。
書き留めていたのは爆発半径や衝撃波の伝播範囲、そして爆発間隔。
双眼鏡による単純な光学情報と地図情報。
その二つだけで求められた値は、概算ながらそれなりの精度であった。
それからただ一つ、大きく丸で囲まれた文字。
“複製”
男の振り返るその先には、軍用車両が待っていた。
「十分だ。帰還する」
助手が尋ねる。
「あれが
「──らしいな。なんとか間に合ったが……
周辺調査も指示しておけ。他にも拾えるものがあるかもしれん」
「再現できそうですか?」
男は少しだけ笑った。
「時間は掛かるだろう。一人の手に負えるかもわからん。だが──
不可能ではあるまい」
車両が走り去る。
その背中を、あなたが振り返ることはなかった。
感想、評価、お気に入り、ここすき、いつもありがとうございます。
作中に登場する「Бич Мира(ビーチ・ミーラ)」は「世界を打つ鞭」転じて「大災厄」というニュアンス。
人修羅さん、もはや自然災害扱いです。
感想の方でスペクターを予想されてる方、正解でした。
なので「仲魔」ではなく、戦場となった港町に溢れる“恐怖心”を土台に召喚。「聖者と悪霊」の因果(この場にいるのは聖者ではなく狂信者ですが)をベースに「レギオン」の名を冠することで、悪魔としての性質を上書き、変質させています。撃たれてすぐ自爆せず、増殖しているのはそのためです。