魔法科転生NOCTURNE SS置き場   作:人ちゅら

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HP#002 霧中の行進(3) 軍団

 鳴り響く銃声の中。

 あなたの声は、確かに()()へと届いたようだ。

 

*   *   *

 

 銃弾が迫る。

 避難民たちは思わず目を閉じた。

 

 次の瞬間。

 あなたの前の空間が、大きく歪む。

 陽炎。

 否。

 空間そのものへ亀裂が走ったかのように、景色が(きし)む。

 

 あなたの前に、何かが現れた。

 

 人の形をしている。

 だが、人ではない。

 

 半透明の身体。

 歪んだ顔。

 いくつもの人面が重なったような輪郭。

 

 傭兵たちが感じている恐怖そのものが、形を得たようだった。

 

──スペクター。

 

 あなたは、その名を知っていた。

 

 アマラ経絡で幾度となく遭遇した悪魔。

 恐怖を喰らい、恐怖を撒き散らす怨霊。

 

 その姿は半透明で、輪郭すら定まらない。

 それぞれの顔が、別々に呻き、笑い、泣いている。

 

 老人が息を呑む。

 

「……っ!」

 

 母親は咄嗟に子供の目を覆った。

 青年は、その場へ尻餅をつく。

 誰も言葉を失った。

 

 その異形は、およそ世界そのものが拒絶するような存在だった。

 

*   *   *

 

 傭兵たちもまた凍り付く。

 

「な……」

「何だ、あれ……」

 

 構えた銃口が震える。

 あらゆる非合法的な戦場を渡り歩いた傭兵と言えども、これほどの異形を相手にしたことはあるまい。

 その実在を否定したいものたちは銃を構えたまま、視界にそれが収まらないよう、顔を背けた。

 

 しかし中央の法衣の男だけは違った。

 その瞳が歓喜に染まる。

 

「見よ!」

 

 銀の聖印を高く掲げる。

 

「やはり悪魔ではないか!」

 

 高らかに歓喜の声を振りまいた。

 まるで長年探し求めた証拠を見つけた子供のように。

 

「見たか! これが奴らの正体だ!

 主は我らを見捨てなかった! 私は間違っていなかった!」

 

 男は天を仰ぐ。

 

「主よ! あなたは正しかった!」

 

 

 あなたは静かに、二つの存在を視野に収めた。

 

 アマラ経絡で幾度となく遭遇した悪魔。

 恐怖を喰らい、恐怖を撒き散らす怨霊。

 スペクター。

 

 だが。

 今この場に満ちているものは、ただの恐怖ではない。

 

 神と己とを一体化し、己を正当化し他者を裁きたい法衣の男の、狂気。

 銃器を構え、一方的な虐殺を予感し昂ぶる兵士たちの、殺意。

 自分たちをこんな目に合わせた狂人どもを睨む魔道士たちの、憎悪。

 

 そして今の状況。

 一歩間違えば誰もが死の川を渡るだろうという、恐怖。

 

 あなたは小さく目を細めた。

 

──この場この時、お前もただの恐怖心(スペクター)とは呼べないか。

 

 自身の顎に触れ、意識を定める。

 そうしてあなたは、その存在へ新たな名を与えた。

 

──レギオン。

 

 あなたの声が、波となって悪霊を染め上げる。

 透けていた身が赤黒く変わり、影を差して実体を得る。

 怨嗟に歪んだ顔は、歓喜と狂気を表して膨れ上がった。

 

 無数の人間が無理やり繋ぎ合わされたような醜悪な身体。

 

 幾つもの口。

 幾つもの目。

 幾つもの腕。

 

 目から口から腕から爛れ腐った肉汁を垂らし、巨大な肉塊は喜びとも恨みともつかぬ声を上げる。

 

 無数の眼が、一斉にあなたを見ていた。

 その全てが期待と歓喜を示していた。

 

*   *   *

 

 法衣の男は、勝ち誇ったように十字架を突き付ける。

 

「主の御名において命じる! 退け!」

 

 異形は動かない。

 そもそも彼の存在になど気付いていないのかも知れない。

 世界の何もかもを嘲笑するように、ケラケラと(いや)らしい笑いを浮かべ、ボコボコと泡立つように膨れては弾け、腐れた液体を撒き散らしている。

 

「退けと言っている!」

 

 男は一歩前へ出る。

 聖印を高く掲げた。

 

「主は悪魔を裁く!」

 

 その叫びだけが山へ響く。

 魔術でも祈祷でもない、ただの狂気から生み出された、ただの言葉だ。

 激情に漏れ出したマガツヒも、行先もなく大気に還ってゆく。

 

 あなたは小さく息を吐いた。

 それから一歩だけ前へと踏み出した。

 

 いまや喚き立てるだけとなった、狂った男を見やる。

 その手の中にある十字の聖印を見る。

 静かに口を開いた。

 

──象徴(それ)を掲げるなら。

 

 溜息ひとつ。

 

──(しず)めてみせるがいい。

 

 男は一瞬だけ言葉を失う。

 次いで怒りに顔を歪め、唾を散らして大声で喚いた。

 

「撃て!」

 

*   *   *

 

 銃声が幾度となく鳴り響き、無数の銃弾が異形へと降り注ぐ。

 

 肉が裂け、骨が砕ける。

 血とも膿ともつかぬ液体が飛び散る。

 

 避難民たちは悲鳴を上げた。

 しかし異形は倒れない。

 

 無数の口が嗤う。

 無数の喉が叫ぶ。

 

 その絶叫は、一つではなかった。

 

 何百。

 何千。

 幾つもの声が折り重なり、一つの咆哮となって山を震わせる。

 

 次の瞬間。

 裂けた肉が動いた。

 腕が千切れる。

 胴が裂ける。

 頭が転がる。

 

 傭兵の一人が叫ぶ。

 

「やったぞ!」

 

 残念。

 あれは倒れたのではない。

 

 ()()()のだ。

 

 転がった頭が起き上がる。

 千切れた腕が肉を纏う。

 裂けた胴が、新たな身体を作る。

 

 一体だったものが。

 

 二体になる。

 

 三体。

 四体。

 

 八体。

 十六。

 三十二。

 

 撃てば撃つほど。

 傷を負わされれば負わされるほど、軍団は増えていく。

 

「な……」

「何だこれは!」

 

 傭兵たちの射撃が乱れ、流れ弾が飛んでくる。

 だがそのすべては増えた肉塊が受け止め、そして更に増えた。

 

 法衣の男も後ずさる。

 

「違う……こんな……」

 

 十字架を握る手が震える。

 

 異形たちは嗤っていた。

 狂ったように。

 歓喜するように。

 

 そして。

 

 無数の眼がもう一度、あなたを見た。

 

*   *   *

 

 あなたは静かに立っている。

 

 風が吹く。

 足元を霧が流れる。

 それは昨夜まで、この一団を守ってくれた霧だった。

 

 その向こうで、狂気の軍団はなおも増殖を続ける。

 

 一体が二体に。

 二体が四体に。

 四体が八体に。

 

 とっくに撃ち尽くした銃を捨て、大ぶりのナイフを振り回す傭兵どもの面先に、やつらは異形の面貌を突き付け、ゲラゲラと嘲笑っている。そうして刃傷を受ける度、膨れて増えては楽しげに嗤う。

 いつしか赤黒い腐肉の群れは、傭兵どもを包囲するように満ちてゆき、山麓を赤黒く染め始めていた。

 

 だが、それだけだ。

 ただ増えただけ。

 地を埋め尽くしただけ。

 それでは足りない。

 

 あなたは右手を静かに下ろす。

 

 かの軍団は理解していた。

 自分が何のために呼ばれたのかを。

 

 次の瞬間。

 

 軍団は一斉に笑った。

 その声は、まるで戦場そのものが哄笑しているようだった。

 

*   *   *

 

 笑っている。

 山を埋め尽くした軍団が。

 

 狂ったように。

 歓喜するように。

 泣き叫びながら。

 

 笑っていた。

 

*   *   *

 

 傭兵たちの隊列は、完全に崩壊していた。

 

「撃て!」

「撃ち続けろ!」

 

 怒号が飛ぶ。

 しかし、その命令に従う者はもういない。

 

 撃てば増える。

 切れば増える。

 それを全員が見てしまった。

 

 一人が逃げようと陣を乱す。

 それを見て、また一人。

 やがて雪崩を打つように隊列が崩れ始める。

 

「逃げろ!」

「化け物だ!」

「神よ……!」

「母さん……」

 

 誰かが祈る。

 誰かが泣く。

 誰かが武器を捨てる。

 

 しかし今や肉の林、肉の森となった軍団は佇むばかり。

 ただその場で笑っているばかりだった。

 

*   *   *

 

 法衣の男だけは、その場を動かなかった。

 

 震える手で十字架を握り締める。

 

「主よ……」

 

 汗が額を流れる。

 

「何故です……!」

 

 軍団は笑う。

 男は十字印を突き付ける。

 

「退け! 主の御名において命じる!」

 

 何も起こらない。

 

「退け!」

 

 叫ぶ。

 

「退け!」

 

 声が裏返る。

 

「退けぇぇぇぇぇッ!!」

 

 返事はない。

 あるのはただ、幾千もの哄笑だけだった。

 

 男は膝をつく。

 

「そんな……そんなはずは……」

 

 信じていたものが、音を立てて崩れていた。

 

*   *   *

 

 あなたは、その姿を静かに見つめる。

 

 この男は何も知らない。

 神とは何か。

 悪魔とは何か。

 

 ただ自身に都合の良い言葉を信じていただけだ。

 

 故にあなたは何も言わない。

 説教もしない。言うこともない。

 否定もしない。言う必要もない。

 

 ただ静かに、右手を掲げた。

 

 軍団が、一斉にこちらを見る。

 

 幾千。

 幾万。

 

 その全ての眼が、あなた一人だけを映していた。

 

 命令は一つ。

 それだけで十分だった。

 

 あなたは小さく口を開く。

 

──レギオン。

 

 肺腑の空気を入れ替える。

 

──(あがな)え。

 

*   *   *

 

 軍団は高らかに嗤う。

 

 歓喜するように。

 祝福するように。

 

 そして一体が弾けた。

 

 爆音。

 

 法衣の男が顔を上げる。

 

「な……?」

 

 続いて二体。

 

 三体。

 十体。

 

 二十。

 五十。

 百。

 

 次の瞬間。

 山肌を埋め尽くした全てのレギオンが──

 

 同時に爆ぜた。

 

*   *   *

 

 世界が白く染まる。

 

 轟音。

 衝撃。

 爆風。

 

 空気そのものが震え、山全体が唸り声を上げた。

 

 木々が倒れる。

 岩が砕ける。

 土砂が舞い上がる。

 

 爆炎は互いを喰らい合い──

 連鎖し。

 増幅し。

 やがて一つの巨大な爆発へ変わっていく。

 

 避難民たちは地面へ伏せた。

 女は子供を抱き締め、老人は覆いかぶさるようにそれを守る。

 青年は耳を塞ぎ、ただ震えていた。

 

 誰もその光景を理解できない。

 

 山が燃えていた。

 大地が震えていた。

 世界が砕け散った。

 

 そう見えた。

 

*   *   *

 

 やがて静寂が訪れる。

 

 煙。

 土埃。

 焦げた木々。

 

 風だけが吹いていた。

 

 あなたは静かに歩き出す。

 不思議と傷ひとつ無かった避難民たちも、おそるおそる顔を上げた。

 

 誰も言葉を発しない。

 そこにあったはずの傭兵部隊は消えていた。

 

 道路も。

 車両も。

 検問も。

 

 まるで最初から存在しなかったかのように。

 

 ただ巨大な爆裂痕だけが、黒く大地へ刻まれている。

 

*   *   *

 

 老人が震える声で呟く。

 

「……終わったのですか」

 

 あなたは頷く。

 青年は崩れ落ちたまま、爆心地を見つめている。

 

「あれは……」

 

 長い沈黙。

 誰もがあなたを見る。

 

 あなたは少しだけ考えた。

 はて、何と答えるべきだろうか。

 

 やがてひとつだけ思い当たったそれを、短く告げる。

 

──悪魔だ。

 

 それだけだった。

 老人は静かに目を閉じる。

 

「そうですか」

 

 問い返さない。

 

 理解したわけではない。

 ただ、理解する必要もないと悟ったのだ。

 

*   *   *

 

 あなたは再び歩き始める。

 

 港までは、もう僅かだった。

 爆煙の向こう。

 黒海は何事もなかったかのように、静かに朝の光を受けていた。

 

 その海風が吹き抜ける中、一人だけ。

 遠く離れた丘の上、白衣の男が双眼鏡を下ろした。

 

「なるほど、あれが──」

 

 小さく呟く。

 

 その眼には驚愕よりも、純粋な知的好奇心が宿っていた。

 

「爆発現象の並列展開。

 しかも自己増殖を伴う連鎖反応か」

 

 男は静かに手帳を閉じる。

 

 書き留めていたのは爆発半径や衝撃波の伝播範囲、そして爆発間隔。

 双眼鏡による単純な光学情報と地図情報。

 その二つだけで求められた値は、概算ながらそれなりの精度であった。

 

 それからただ一つ、大きく丸で囲まれた文字。

 

 “複製”

 

 男の振り返るその先には、軍用車両が待っていた。

 

「十分だ。帰還する」

 

 助手が尋ねる。

 

「あれがБич Мира(ビーチ・ミーラ)ですか」

「──らしいな。なんとか間に合ったが……

 周辺調査も指示しておけ。他にも拾えるものがあるかもしれん」

「再現できそうですか?」

 

 男は少しだけ笑った。

 

「時間は掛かるだろう。一人の手に負えるかもわからん。だが──

 不可能ではあるまい」

 

 車両が走り去る。

 

 その背中を、あなたが振り返ることはなかった。

 




 感想、評価、お気に入り、ここすき、いつもありがとうございます。

 作中に登場する「Бич Мира(ビーチ・ミーラ)」は「世界を打つ鞭」転じて「大災厄」というニュアンス。
 人修羅さん、もはや自然災害扱いです。

 感想の方でスペクターを予想されてる方、正解でした。
 なので「仲魔」ではなく、戦場となった港町に溢れる“恐怖心”を土台に召喚。「聖者と悪霊」の因果(この場にいるのは聖者ではなく狂信者ですが)をベースに「レギオン」の名を冠することで、悪魔としての性質を上書き、変質させています。撃たれてすぐ自爆せず、増殖しているのはそのためです。
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