名無しの狸 作:タヌ・タヌオ
・人間はいませんが、キャラクターを指し示す際に「あの人」や「幾人」という呼び方をします。
ぷぅと浮かべる白煙が輪っかを作り、青空へと昇っていく。
天を彷徨う雲に混ざらんとして、その道中で消えてしまう。
まるで拙僧のようだと、もう一つ煙を吐いてから独り言ちる。
「おんやおんや、これは立派な尻尾を持った狸のお侍さんだこと。相席よろしいかね?」
「拙僧の横でよいのであれば」
「んじゃ失礼しますよ」
団子屋の店前。
恐らく商人だろう、背の低い狐との相席は、変化の前触れだろうか。
「お侍さんは、この
「そうであるが、どこでそれを?」
「なぁに、格好でわかるってぇもんだよ。ほら、この国のお侍さんはみぃんな狗の紋を背負っているだろう? あれはこの吏の国を治める狗の将軍様の統治の証なのさ」
けらけらと笑う狐の商人。
今の話題のどこに笑いのツボがあったのかは理解し損ねるが、異種族との会話故だろう。狐にしか響かぬオチがあるのであろう。
「それで、商人。困りごとであるか?」
「へっへっへ、お目が高い。
お侍さん。どうかあたしと……国盗りに、挑んじゃあくれませんかね?」
*
いえなに、難しいことをしろってぇわけじゃ、ねえんですよ。ただ、お侍さんはあの城に入り込んで、滅法に暴れてくれればいいんでさぁ。そしたらあたしらが、狗の将軍様の持ってぇる印籠を盗み出しますからね、そうすれば狗の将軍様の権力はガタ落ち、どころかお上様からカンカンに怒られて追放、なんてこともあるわけだ。
あたしらかい? あたしらは狗の将軍様の統治に飽き飽きした、決起軍という奴だよ。とはいえ腐っても狗の将軍様だ。腕っぷしは強く、護衛も多い。そこで狸のお侍さんの登場ってぇ、わけ。
どうだい? 乗らないのなら、聞かなかったことにしてこの吏の国を去ってくれると助かるよ。乗ってくれるなら、そうさねぇ。報酬はたんと弾もうじゃあないか。
以上が、あの狐の商人の言葉である。
時刻は三つ。
煙管をぷぅぷぅやって、合図を待つ。
「……奴さんや。奴さんの言う人助けってのは、どうにも難しい。拙僧のやっていることは、人助けであろうか? ……理解は、一生を費やしても出来ぬだろう。で、あれば……だ」
しゃん、と音を響かせ、一刀を抜く。
遠くの方で一筋の煙が昇るのを視界に収めて――そこへ降りる。
「――何奴!」
「名を名乗れ、タヌキ!」
狗が些か多いが、それ以外の種族も混じる衛兵。
さて、数だけは骨の折れる仕事であるが。
「目の前の事に尽力しよう……さすれば、奴さんも認めてくれるだろうか?」
切っ先を衛兵に向ける。
それは威嚇行為であり、敵意表明。
「ッ、者ども、出会えい、出会えい! 曲者じゃあ、ご」
喉を一突き。……持ち手の柄で。
拙僧の歩みに気付かぬ程度の者は、刃を向ける価値を見出せぬ。
「何も、」
「去ね、」
「狸がぁ!」
最も――この国に幾人、拙僧の歩みに気付くモノがいるのかは、拙僧も知らぬところであるのだが。
*
そうして歩いている内に、いつの間にか……将軍の間へ行き着く。
「狸。貴様何者だ。名を名乗れ」
流石に、というべきか。
将軍という地位に負けぬ強者。狗の将軍様。
この相手であれば、刃を向けるにふさわしい。
「拙僧――死と申す」
「なに、」
一つで懐へ張り込み、逆袈裟に得物を振り抜く。
しかし肉を滑る感覚の前に、硬質で、よく砥がれているのだろう金属とぶつかり合う音が響く。
「珍妙な名だが、成程! 儂の前に死が現れたというのならば、面白い!
つまるところ、お主を退けた時には――儂は死さえも寄せ付けぬという名誉が得られよう!」
「それは消えゆく夢である。貴様は拙僧に負けるのだから」
さらに一合、また一合。
斬り結び、斬り結ぶごとに早く、遠く。
止まる事を知らぬ独楽のように、桶のつく、持ち手の居らぬ滑車のように。
突き、回り、飛びては降ろし。
今とは久しい斬り合いを一頻り遊んだ後――二段ほど、一息に上げた速さで突きを見舞う。
「ぬ、ぐっ!?」
その突きは、一刀の腹に阻まれる事を知らず――深々と、狗の将軍の胸へと突き刺さる。
「く……参った。儂の負けだ」
その時丁度、二度目の合図が上がる。
「……いよう、お侍さん! こっちは上々……ってぇ、なにをしてんだい!?」
将軍の背後の襖から、狐の商人が顔を出す。
その顔は驚愕の一言。
「さ、騒ぎを起こせとは言ったけどねぇ、何も殺せとはいっていないだろぅ!?」
「……心の臓腑は避けている。命まで奪うつもりは」
「そりゃ医者がここにいればの話だろぅ!? その刀抜いて、あぁもう! 医者代さっぴぃて、報酬は無しだよ! あたしらは国盗りがしたくても、殺戮をしたいワケじゃあないんだから!」
「……そうか」
……どうやら、拙僧の判断は間違いのようである。
人助けとは――上手くいかぬものである。
*
ろうそくの明かりが一つ灯るだけの、小さな部屋。
目の前の誰かの顔すらろくに見えぬその場所で、二人。
狐の商人と――狗の軍人が笑いあっているのだ。
「狸は単純で助かりまさぁねぇ。国盗りをするってぇのに、人死にがでないワケがない。だってのに、焦った顔を見せればさぁどうだ? 簡単に帰っていきましたよ!」
「はっはっは、いや実に見事。重畳な結果であった。約定通り、そなたの地位は約束しましょう!」
「ありがたいねぇ。そして、これが今回盗み出した印籠さ。しっかり、上手く使ってやってくれぇよ? あの馬鹿な狸のお侍さんのためにもねぇ!」
けらけら、げらげらと笑う二人。
出費無しに国盗りが成功したのだ。楽しくて仕方がないのだろう。
ふと、ろうそくの灯が揺らいだ。
「ん……ぁ、ぇ?」
「な……印籠はどこへいった!?」
今の今まで。
確実に、偽りなく手元にあった印籠が……どこにもない。
まるで幻でも掴んでいたかのように、消え去ってしまった。
「……狐、貴様……まさか私に幻を!」
「ち、違いまさぁよぉ、狗の旦那! そ、そうだ! あの狸が幻をかけたんだ! あたしらほどじゃないにしても、タヌキだってぇ幻を使いますからね!」
胸倉を掴まれた狐の商人はそんなことを口走る。
その時だった。
「――報酬未払いだけに飽かず、冤罪まで被せようとはもう許せません。あの人が何も言わずに去るから、印籠を元の持ち主に戻すだけに留めるよう、という方針は破棄です。……私今、ぶち切れもぅど、です!」
二人の横。
そこに、一人の狸――忍び装束の狸が舞い降りる。
――その先の事はもう、語らずとも良いだろう。
その夜。
「むぅ、ゴミ掃除をしていれば以外に時間が……待っていてくださいお兄様。今追いつきますから!」
吏の国は一夜にして何者かの襲撃を受け、将軍とその副官が床に臥せた。
幸いにして将軍の方は数日を経て意識を取り戻し、統治を再開。
その際、副官を含む
のちに将軍はこう語る。
「膿を追い出すには、ちと荒療治であったなぁ」
以上が、自らを死と名乗る狸の侍の、四つ目の足取りに関する報告である。