カードキャプターさくらSS「魔法の終わる日」 作:三流FLASH職人
8月30日朝、さくらは鏡の前で身だしなみを整える。
今日は小狼とお出かけ。ただし遊びではない、小狼と話をするのが目的だ。
とりあえず話したいことがいっぱいある、楽しくなくてもいい、知りたい、お互いをもっと。
そのための一日、さくらが考えに考えた末のスケジュール。
そして出発前の最後の準備、さくらは引き出しからふたつの髪飾り付きの
髪留めゴムを取り出す、片方に2コ、左右で4コの赤い玉のついたそれを頭に結ぶ。
そして鏡をたたみ、振り返ってドアへ向かう。途中、ケロに出発を告げる。
「じゃあ、いってきます。」
おお!という表情のケロを尻目にさくらが出ていく。久々に見るさくらのあの姿。
「おー、気合い入っとるなぁ。」
小狼は待ち合わせ場所のバス停で、落ち着き無くさくらを待つ。
あの一件の後、二人で会うのは久しぶりだ。彼女を泣かせてからしばらく会わず、
ここにきて彼女からの呼び出し、絶交を宣言されるのでは、という不安も頭をよぎる。
例えそうなっても、自分がさくらを魔力の呪詛から守る決意は変わらないだろう、
しかし、やはりさくらに嫌われるのは身を切るように辛い、それも自業自得ではある。
ただ、その未来を受け入れるには、小狼はさくらを好きになりすぎてしまっていた。
今日、さくらは自分に笑顔を見せてくれるだろうか、それとも・・・
「小狼君、お待たせ。」
そのさくらを見た小狼は、鼓動の高鳴りを抑えられなかった。いつも見てたのに、いつもと違う。
以前、自分がさくらを好きになった時を思い出す、なつかしいさくらのその姿。
さくらは髪型をハーフツインにして、懐かしい赤玉の髪留めで止めていた。
そう、小学生の時に、いつもしていたあの髪型、髪飾り。
中学生になってからは見なくなったその姿、小狼が恋をしたその髪型で、笑顔を向ける。
「ど、どう、似合うかな・・・久しぶりに使ってみたけど、やっぱ子供っぽい、かな?」
固まる小狼に、困り笑顔で問うさくら。小狼は首をぶんぶんと振り、赤面しつつ
向き直って言う。
「いい、似合ってる、本当に。」
「ホント、良かった~」
花が咲くような笑顔を向ける。小狼が耐えきれずが視線を外した時、ちょうどバスがやって来る。
「じゃあ、行こっか。」
「え・・・どこへ?」
「行ってからのお楽しみ♪」
そう言って小狼の背中を押し、バスに押し込む。中に客はまばらで、二人は一番後ろに並んで座る。
バスの中では、とりとめもない話をした。こないだのマーチングの、なでしこ祭の話、
今日は知世が尾行してないかとか、こないだのラクロスの試合の山崎の活躍に小躍りして喜んだ
千春の話とか、一足先に帰国した苺鈴、ステラ、林杏の話など。
そうこうしているうちに、バスが目的地に到着する、潮の匂い、どこかの海岸線だ。
バスから降り、その海を見て既視感を感じる小狼。この海岸、その向こうの大きな宿舎、
そしてその先にある岩場、それを知っている。
「さくら、ここって・・・」
「覚えてた?そうだよ、林間学校で来たところ。」
さくらがにっこりと笑って、そして付け足す。
「私が初めて、小狼君とお話した場所だよ。」
記憶が巡る。そう、ここは確かにさくらと小狼が初めてカード以外で話した場所。
奈緒子の怪談話で寝られなくなったさくらが起き出し、外をウロついていて小狼と出会う。
そこで彼と彼の家族の話をした場所だった。
「確かその後、イレイズ(消)のカードを封印したんだったな、あの洞窟で。」
「うん、あの時も助けられたよね、いっぱい。」
そんなことはない、と言おうとして止まる。確かにさくらはあの時、皆が消えたことと
幽霊を恐れてパニックになっていた。当時はこんな娘が継承者候補かと思ったものだが
今思えば、苦手なものや困難にも泣きながらでも立ち向かっていくさくらの強さの
一端を見た出来事だった。
「今日はね、小狼君とお話ししたくてここに来たの。」
両手を広げてそう小狼に告げる。確かにもう夏も終わりで海水浴客はおらず、
宿舎を利用する団体もない。たまに海岸線を通る車のほかはほぼ無人、ふたりきりで
話をするにはもってこいのロケーションだ。
二人は海岸を歩いて宿舎の前、かつて話をした階段へ向かう。そこにビニールシートを
長く敷いて並んで座る。夏の終わりの日差しを木の葉が程よく遮り、風はわずかに秋の気配。
心地よい環境にしばし浸る二人。
少しの時を置いて、さくらが話かける。
「ね、小狼君って前に私を・・・す、好きだ、って、言ってくれたよね。」
「え!?あ、ああ・・・。」
突然のヘビーな質問に赤面する両者。
「・・・それって、いつ頃から、なのかな?」
「・・・分からない。」
確かに、小狼はさくらを『この時』好きになった、という明確な自覚は無かった。
張り合ってカードを集め、授業の体育で競い合い、一緒に雪兎に魅かれて・・・あ!
「多分、最初はあの時、だったと思う。」
「あの時?」
「ほら、リターン(戻)のカードを封印した時だ、月峯神社で。」
「あ、あったねー。あれ?でもあの時は小狼君、雪兎さんのことが好きなんじゃなかったっけ?」
はっ、として考え込む、そして現実問題に引き戻される小狼。かつて彼は雪兎の持つ
『月の魔力』に魅かれ、彼に恋心のような感情を抱いていた。
そしてそれは今現在、さくらが抱えている問題『魔力による他人の魅了』とほぼ同じ状態ではないか。
深刻そうな顔をして黙り込む小狼を見て、さくらが状況を動かす。
「私が小狼君を好きになったのは、小狼君が『好きだ』って言ってくれて、しばらくしてから、かな。」
「そ、そうなのか・・・」
少し残念そうな顔をする小狼、だが無理もない。さくらは雪兎に告白し、そして失恋するまで
さくらの『一番』は雪兎であり、小狼ではなかったのだから。
「私ね、最初に小狼君と会った時、イジワルされるかと思ってた。」
「え?」
「だって、いきなり『俺にカードをよこせ』だもん。」
「あ!す、すまない、あの時は。本当に悪かった、ごめん。」
律義に頭を下げる小狼にさくらが返す。
「でも、小狼君はイジワルどころか、何度も助けてくれたよね。ここでも、月峯神社でも、
ペンギン公園、図書館、東京タワー、劇の練習の時も、いっぱいいっぱい助けてくれた。」
ひと呼吸置いてさくらは続ける。
「だからね、小狼君は私よりずっと凄い人だって、立派な人だって思ってた。」
「そ、そんなことは」
「聞いて。だから私は小狼君がその、なんていうか、私のナイト様みたいに思ってた。
私より立派で、いつも私を助けてくれる、頼りになる、でも同い年の、特別な男の子。」
そんないいもんじゃない、と思いながらも、さくらの話を中断させまいと聞くに徹する。
「だからね、『お前が好きだ』っていってくれたあの時、それが全部無くなっちゃったの。」
さくらは小狼に告白されて、それまでの世界が全然違う世界にさえ見えていた。
あの小狼が自分を好き?その意味が分からない。今までの小狼像が霞に消えていく。
「いっぱいいっぱい考えたよ、私。私の気持ち、小狼君の気持ち、考えて考えて、
でも、答えは出なかった。
だけど知世ちゃんに連絡貰って、小狼君が香港に帰るって聞いた時、やっと分かった。
私は小狼君が好きなんだ、って。」
「そ、そうか・・・」
大事なもの、それは失って、または失いかけて初めてその大切さに気づくもの。
さくらは小狼と一緒に居たかった、だが一緒にいてはその気持ちに気づけない、
小狼の『好きだ』をきっかけに、さくらはそれを失うことの悲しさを悟った、
ああ、木之本さくらは李小狼を好きなんだ、と。
「私が、雪兎さんに『好きです』って言った時の事、覚えてる?」
「あ、ああ。」
さくらはかつて恋をして、告白し、失恋した。そして小狼の胸で泣いたことがあった。
「雪兎さんは、雪兎さんへの『好き』と、お父さんへの『好き』が同じものだって言ってた。
実際にそれは似てたけど、あの時はそのワケまでは分からなかった、でも今は分かる気がするの。」
「ワケ?」
うつむいていたさくらが顔を上げ、続きの言葉を絞り出す。
「だって・・・私は雪兎さんに甘えられるけど、雪兎さんは私に甘えられないもん。」
「雪兎さんだって人間だよ、きっと怒る時だって、悲しむときだってあるよ、
でも私はそんなとき、雪兎さんを慰めてあげられない、元気づけてあげることが出来ない。
きっと雪兎さんは私の前じゃ我慢して、辛いことも悲しいことも隠して笑っちゃうよ、
私は雪兎さんにいくらでも甘えることが出来るのに。・・・これって本当、私とお父さんの
関係みたいだもん。」
確かにそうだ。本来、人間ではない雪兎に失意の感情があるかどうかは分からない。
だがもしあるなら、それはさくらにも、そして小狼にも、癒してあげることは出来ないだろう、
そもそも雪兎がさくらに弱い所を見せるなどまず無い。そういう人だ、月城雪兎という人は。
「好き、っていう事はきっとそういう事なんだと思うの。その人が何かをしてくれる、
そして何かをしてあげられる、だから一緒にいたいと思うんだよ、きっと。」
そこまで言ってさくらは立ち上がる。そして階段をひとつ降りて、小狼の正面に立ち、
顔を近づけて小狼に告げる。
「・・・だから小狼君、私も小狼君に何かをしてあげたい、小狼君の役に立ちたい!
小狼君に助けられる『だけ』の私でいたくないの!」
さくらは知っている、小狼がさくらに何かを隠して、一人で苦労していること。
それがさくらの為であること、そしてさくらにそれを語らないことも。
「私にできることがあったら言ってね、私も小狼君が『大好き』だから。」
胸に手を当て、小狼の目の前でさくらはそう宣言する。
「あ・・・」
頬を赤らめながらも、それ以上にさくらの『決意』を感じ、目線をそらさずさくらを見る。
彼は嬉しかった。自分の好きな人が、自分の力になりたいと言ってくれる。
それは何より力強く、そして頼りになる言葉だった。ひとりで悩まなくてもいいんだ、
小狼はその時、今までよりまた一歩、さくらとの距離が近くなった気がした。
「ありがとう。」
俯いて答える小狼、しばし間を置き、顔を上げてさくらに向き直る。
「じゃあ、ひとつだけ言っておきたい。」
「うん!」
真剣な小狼の眼差しに、頼られることの嬉しさを感じてさくらは笑顔で答える。
「・・・俺は、お前が好きだ。」
「ほぇっ!?」
予想外の答えに戸惑い、赤面して困惑するさくら、構わず続ける小狼。
「聞いてくれ。その気持ちは、俺の『本当の気持ち』だ。誰にそうさせられたわけでも
強要されたわけでもない、俺自身が、さくらを好きなんだ。」
一度区切って、言葉を紡ぐ。
「今は、それだけを心に止めておいてくれれば、嬉しい。」
さくらは知る由もない。それは小狼のさくらへの好意が、さくらの魔力に
よるものではなく、純粋に李小狼という人物の本心であるという意図を。
いつかさくらが自分の魔力の暴走に気づいた時、少なくともここに一人、純粋な
「なかよし」がいることを知ってもらう為の言葉だった。
が、それを理解しないさくらは混乱する。いきなり面と向かってそう言われると
顔が熱をもってしょうがない。小狼君の役に立ちたいと思って言ったのに、帰ってきた返事が
告白だったのだから。
でも、嬉しい。それは事実だ。少し落ち着くとさくらは、その思いに応えたい、という
感情が沸いてくる。そうだ、私は小狼君が好きだ。そして小狼君も私を好きだと言ってくれた。
そんな思いに応える方法は・・・
さくらは自然に体を、顔を、小狼に近づける。『行為』を意識したわけではない。
ただ小狼への思いが、もっと近づきたい、近くにいたいと彼との距離を詰める。
顔と顔が10センチまで近づいた時、真っ赤になった小狼が声を出す。
「お、おい・・・」
「あ・・・」
小狼の指摘でさくらも気付く、このシチュエーションが意味することを。
ああ、こういう気持ちなんだな、好きな人同士が、キスをするというのは。
さくらはその流れに、感情に逆らわず、すっと目を閉じ、口を紡ぐ。あとは・・・
どちらからともなく交わされる、初めてのキス。
唇が軽く触れるだけの、ささやかなものであったが、それでも最初の一歩、初めての
愛のスキンシップ。
数分後、恥ずかしさにのたうち回るさくらと、全身真っ赤なまま像のように動かない小狼の
姿だけが木漏れ日の中にあった、知世がいたら恰好の被写体になっていただろう。
さくらの作ってきたお弁当を二人で食べ、その後は宿舎や洞窟を散策する。
一通り回って後、海岸線を散歩しながら、さくらは小狼に問う。
「でもでも、雪兎さんもだけど、小狼君が困ってたり怒ってたりするのって、
なんか想像できないよね。」
普段からおこりんぼな印象はあるが、本気で怒りをあらわにしたり、悩みに潰されて鬱になる
イメージは無かった。
「そんなことはない!」
強い調子で小狼は返す。
「俺だって、嘆いたり、怒ったり、憂鬱になったりは・・・する。」
さくらにとってそれは意外な言葉だった。さくらくらいの年齢なら誰でも精神的にナーバスに
なることがあって当然だ。しかし李小狼という人物に、それを当てはめるのは難しかった。
「覚えているか?2年前、クロウカードの最後の審判の後の、夏休み。」
「ほぇ?」
いきなりそう言われても記憶にない。カード集めがすべて終わり、普通に夏休みを
過ごしていたはずだ。そして、そこに小狼との思い出は・・・無かった。
「俺は、さくらとずっと会わなかっただろう、実はあのとき俺、すごくダメになってたんだ。」
小狼が日本に来た目的、それはクロウ・カードの起こす、この世の災いを阻止するため。
しかし本音の部分では、自分がカードの主となって、より強い魔力を手に入れたいと思っていた。
またそうすることで、李家の次期当主としての力量を示すことになると信じていた。
しかし現実は非情だった。審判でユエに手もなく破れ、カードの主の座を女の子に奪われた。
「でもでも、あの時は、観月先生が私にもういちどチャンスをくれたから・・・」
「そう、『さくらに』チャンスをくれたんだ・・・俺じゃなかった。」
言葉に詰まるさくら。同じカード集めをしていながらも、確かに自分が優遇されていることを
今更ながらに感じ、気持ちが沈むのを自覚する。
「ユエに負け、さくらに負け、観月先生やクロウ・リードに『お前じゃない』って
言われた気がした。悔しかったよ、暴れたり、物に当たったり、大声でわめいたりしてた。
とてもあの時の俺は、さくらに見せられるものじゃなかったよ。」
「そうなんだ・・・」
それだけを言う、それ以上はかける言葉が見つからなかったから。
「だけどそんな時、ウェイにこう言われたんだ。」
-おやおや、李家の跡取りともあろうお方が、人様の作ったカードで簡単に強くなる
おつもりでしたか?-
-そんな便利なものは、女の子に、さくらさんに差し上げてしまえばよいのですよ
男子たるもの、己の力でこそ強くあらねばなりませんー
「俺は、そのウェイの言葉に救われた。」
その話を聞いたさくらは、心にじわっ、と染み渡る感情があった。
私とは違う葛藤。そう、男の子だ。男の子の世界のお話だ。小狼とウェイの男の世界、考え方。
好きになった人の、自分の知らない心の世界に感動するさくら。
「で、夏休み中ずっと、ウェイに修行をしてもらってたんだ。」
「・・・素敵な話、だね。」
「いや、恥ずかしい話だよ。」
そんな話も、今のさくらにはためらわずに話せる。これからもこういう話を聞いてほしいと思う。
「そういえばウェイさんって、小狼君と苺鈴ちゃんの格闘技の先生なんだよね、やっぱり強いの?」
その言葉を聞いた小狼がさーっ、と青い顔になる。
「強いなんてもんじゃない・・・魔力は俺のほうが強いけど、実際に戦うとなると俺や苺鈴はもちろん、
母上やユエや、カードを使ったさくらでも・・・下手すると柊沢より強いかも。」
「ほぇー・・・」
いつもにこやかな顔を絶やさない初老の紳士、そんなイメージだったウェイがあのエリオル君より?
ちょっと想像できない世界である。
「でもな、立ち直ったとはいえ、やっぱりさくらにどんな顔をして会えばいいのかは
分からなかった。」
勝者と敗者、得た者と失った者、そんな二人が今まで通りの関係を続けるのは困難かもしれない。
「え?でもでも、小狼君と2学期に会った時は全然普通だったと思うけど・・・」
その言葉に、えっ!?と言う表情で引く小狼。
「お前・・・覚えてないのか?」
さくら、ではなく、お前、と言うほど動揺する。
「何が?」
「おま・・・さくらと俺は新学期の始業式、日直だったんだよ。」
「あ!そうだったそうだった、覚えてる覚えてる。それで?」
「やっぱり覚えてないのか・・・」
頭を抱える小狼。さくらは頭の上にハテナマークを浮かべている。
「あの日、俺が先に教室にいてさ、さくらは歌を歌いながら入ってきたんだ。」
その能天気な歌を聞いた時、小狼は自分の不安の馬鹿馬鹿しさに気が付いた。
勝者とかカードの主とかは関係なく、彼女は普通の女の子なのだから。
「え、歌?そうなんだ・・・」
うーん、と考えるさくら。あのとき私、歌なんて歌ってたっけ、どんな歌だったかなぁ。
流行りの曲はあまり聞かなかったし・・・知世ちゃんの歌だったのかな?
ふと小狼を見上げ、さくらの頭上に電球がぱぁっ、と輝く。
「そうだ小狼君!歌ってくれない?そのときの歌!!」
「え”!」
「前の約束!一緒に劇の練習してたとき、香港の学芸会で歌を歌ったって。
確かあの時、いつか小狼君の歌を聞かせてね、って約束したよ!」
記憶を辿る。白樺の木の上と下で、確かにそんな話をしていたのを思い出す。
「だから歌って!その時の歌。私もどんな歌を歌ってたか忘れっちゃってるから
是非歌って思い出させてほしいな。」
子供のような笑顔でおねだりするさくら。本音を言えば歌の内容はどうでもいい。
小狼の歌を初めて聞けることがさくらにとって重要だった、このチャンスは逃さない、
とばかりに小狼にかぶりつくさくら。
「い、いいんだな!」
「うん♪」
「じゃ、じゃあ歌うぞ・・・」
「わーい。」
ぱちぱちと拍手をして待つさくら。小狼はすぅっ、と息を吸い込み、右手でマイクを
持つ仕草をして歌い出す、『あの歌』を。
「日直日直にっちょくちょく!夏休み~の~宿題も~何とか終わったし~♪」
歌い出してすぐ、笑顔のままさくらの目が点になる。やがて黒歴史の記憶が、さくらの意識を
真っ黒に染め上げていく。
「ほ、ほえぇぇぇ~~~~」
「日誌を付け~て~、お花~変えて~みんなの机をキレイにしよう♪日直日直わたしの・・・」
「ストップ!ストーップ!!もういい、もういいよ~」
小狼にしがみついて歌を止めるさくら。
「ああああ・・・小狼君の初めて歌ってくれた歌が・・・」
頭を抱えて後悔するさくら。はじめての歌がよりによってコレとは。黒歴史を黒歴史で
上塗りしてしまったことを後悔する。ああ、記憶を消して違う歌を歌ってほしい・・・
「くっくっく・・・あはははははは。」
そんなさくらのリアクションと、その原因である自滅との可笑しさに思わす笑う小狼。
「笑うなんてひっどーい、もう、小狼君!」
ぷぅっ、と膨れて怒るさくら。しかし自業自得である以上それ以上強くも言えない。
「あはは・・・すまない。でもやっぱ可笑しくって、クックックッ」
ふと、さくらは膨れながら思う。こんなに屈託のない笑い顔の小狼君を見るのは初めてだ。
どこか大人びた印象のある彼の、まるで子供のような笑顔、それを見ていると黒歴史はどこへやら
こっちまで楽しくなってくるのがわかる。なんか当時の私の滑稽さが、自分にも面白おかしく
感じられてきた。
「あははははははははは・・・」
「はっはっはっはっは・・・」
海岸線で大笑いする二人、日は西に落ちていき、海と空と砂浜を、紅に染め上げていく。
「そろそろ帰ろうか。」
「うん。」
自然に手を出す小狼、自然にその手を掴むさくら。ふたりは気持ちも一つに砂浜から
道路に上がり、そのままバス停に向かう。
と、さくらの提案。
「ねぇ、バス停まで一緒に歌お。」
「いいけど、・・・何の歌を?」
「さっきの歌。」
言ってにっこりと笑うさくら。海の波は夕日を反射し、二人をまばゆく、優しく包む。
潮騒も、夕日が落とす二人の影も、すべてがこの二人を見守っている。
手を振って、大仰に行進しながら高らかに歌う二人。
「「日直日直にっちょくちょく!夏休み~の~宿題も~何とか終わったし~♪」」
通りの少ない海岸線道路、その先、ずっと先まで、二人は歩いていく、未来へ。
「日誌を付け~て~、お花~変えて~♪・・・ん、どうした?」
突然歌を止めるさくら。爽やかだった顔がみるみるギャグ的に青くなっていく。
「ほ、ほえぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!!夏休みの宿題まだ残ってたあぁぁぁっ!!!」
「何だって!?もう明後日は始業式だぞ!!」
「お願い!小狼君、手伝って~!」
「宿題は自分の力でやらなきゃダメだろう!」
「でもでも、私ひとりじゃとても無理~」
バス亭にダッシュする二人。日は暮れ、夜になり、
そして、秋が来る-