あした   作:雄良 景

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 幸村聖子はテニスが好きだ。

 コートに響くインパクト音、踏み込んだ靴底のこすれる音。

 それがたまらなく愛おしい。

 幸村聖子には類稀なる才能がある。

 それはテニスが(・・・・)幸村をたいそう愛した証左。

 ―――――けれど、天上から与えられる愛は平等でなければ、次第に不満が出るものなのだ。

 それでも幸村はテニスが好きだ。

 大好き。愛している。魂のかたち、我が人生。

 けれど指さし、誰かが言う。


「お前なんか―――――」


 ―――――それでも幸村は、テニスが好きだから。






五つ目の黒

 

 

 

かいだんばなし(・・・・・・・)?」

「そうそう!今日の放課後みんなでやろーと思ってるんだけどさ、幸村さんも、どうかな?」

かいだん(・・・・)って、怪談(こわいはなし)のことだよね?ミチルちゃんたちが構わないのなら、是非」

「やった!」

 

 

 春うららかな4月の某日、ゆっくりと流れ始めた新しい日常に、舞う桜を楽しんでいたその日。入学当初から何度か話しかけてくれていた子に怖い話をしようと誘われたので、喜んで応じることにした。

 頷けばその子、ミチルちゃんが嬉しそうににっこりと笑うから、つられてこちらも笑ってしまう。

 

 中学を卒業し、私は東京某所にある私立校に入学した。理由としては、完治したとされている例の悪夢(びょうき)の経過観察。というのも、私が罹患したあの病気はギランバレー症候群によく似た(・・・・)免疫系の病気―――――つまり、正確な病名のない(・・・・・・・・)、研究の進んでいない病だ。現状完治したと診断されようと、その後どうなるかがかなり不透明なため、しっかりとした検査を続ける必要がある。

 

 ―――――そして裏の理由が、準優勝の汚名(・・・・・・)へ向けられるヘイトを後輩たちから逸らすこと、である。

 

 私があの大会の後にどれほど功績を挙げようと、あの大会の決勝戦で敗北し、結果として立海が優勝(さんれんぱ)を逃したという事実は変わらない。

 多くのテニスファンはそうではなくとも、準優勝(・・・)という一点で心無い言葉をかけてくる訳知り顔の他人は腐るほどいるもので。

 ましては、決定打となった敗北をもたらしたのが、女の部長(・・・・)だという事実は、そんな有象無象が石を投げるにはもってこいの的となる。

 病み上がりで、女で、なのに部長で。詳しくもない声の大きいだけの愚か者は、やれああだこうだと騒ぎ立てる。同情?忖度?そんな生ぬるい実力で国際ライセンス(さんかしかく)を取れるわけがないのに―――――なんて、そんな正論は彼らには通用しないのだ。耳が詰まっているのかな。

 だから通院はいいきっかけでもあった。理由はどうあれ私が立海から離れれば、その裏事情を推察したくなるものだ。そうすれば、少なくとも視線は後輩たちから離れ、ほとんどが私、そして私と同年代の部員たちに移るだろう。

 それが、最後に私たちが後輩たちへしてやれることだと、みんなで決めた。

 

 さて、そんな覚悟を決め愛すべき友人たち、そして家族と離れ新天地へ来たはいいものの、その新生活において実は重大な悩みができた。

 それは、クラスメイト達にどこか遠巻きにされているということ。つまり―――――友人が、できない。

 

 この学校が中高一貫校なため高校からの入学者は少なく浮いてしまう……というのは想定していたが、ここまでとはさすがに。

 おかしいな……コミュニケーションが下手な方ではなかったと思っていたのだけど……と思ったが、よく考えてみれば中学時代に関わっていたのは部活仲間か委員会仲間ばかりだった気がする。事務連絡とかも、基本的には同じクラスのテニス部が教えてくれたし……こっちから話しかける話題も特にないから話しかけられないと関わることも少なかった……?

 もしかして私、普通の友達が、少ない?―――――気づいた事実に愕然としてしまったのは仕方がないはずだ。

 かといって改善しようとアクションを起こそうにも、なぜか話しかけただけで畏縮されてしまうのでそれ以上声をかけるのが難しい。恥を忍んで仲間たちに電話で相談をしてみたが「時間が解決してくれるだろうから、お前が何か変わったり無理をする必要はない」と言われるばかりで、困り果ててしまった。みんなのことは信頼しているが変に過保護なところがあるので、鵜吞みにはできないのだ。一緒に悩んでくれたの玉川とジャッカルだけだったし。

 

 そんなことで今までにない悩みに途方に暮れていた私に、比較的積極的に話しかけてくれていたのがこのミチルちゃんである。これがほんとうにありがたかった。当たり障りのない会話しかしてなくとも好感度がぐんぐん上昇した。

 だからこそ、この怪談はチャンスだ。メンバーは恵子ちゃんと仲のいい女の子ふたりを交えた4人。これを機に友達になれるかもしれない。

 

 ―――――友達、作るぞ!

 

 グッと意気込んでみたものの、まあ内容が内容なので少し間抜けである。気持ちはでっかいけど。

 それにしても、怪談。何度かやったことはあるけれど、相手は基本男子中学生だったので、同性の子たちとやるのは未知数だ。……女子高生ってなんか特別なルールとかあるのかな。

 

 

 

 

 

 

 ―――――そうやって悩む幸村は気づかない。

 

 

「うひゃ~やっぱ幸村さん超美人。いいにおいする……」

「あれで勉強も運動もできるんだからヤバいよね……」

「同じ女なことが我ながら信じられなくなってきた」

「むしろ同じ人類というくくりに収まってすみませんみたいな」

 

 

 ―――――そんな声は聞こえていない。

 

 

 

 

 

 

「でね、女の人はおまわりさんを連れて公衆トイレに戻ったんだって……」

 

 

 ―――――小さな声で話す恵子ちゃんの声が暗い視聴覚室に響く。

 照明はすべて落とされ、遮光カーテンで日の光を失った視聴覚室はずいぶんと暗く、ふと気を抜くと雰囲気も相まって自分が今右を向いているのか左を向いているのか分からなくなりそうだった。

 なんとなく、私にイップスで視覚を奪われた相手のことを思い出したけど……比べるものではないなと首を振る。

 

 室内にある唯一の光源はミチルちゃんが用意してくれた小さなペンライトのみ。それも手元を鈍く薄ぼんやり照らすほのかなもので、非常事態にはあまり役に立ちそうもないけれど怪談をするにはぴったりだった。

 

 ひとり、ふたりと語っていく内容を聞きながら、よく聞く都市伝説だな、と感想を抱く。特別何かを期待したわけではないので不満があるわけではない。むしろ上手くやれるか不安だったので、こんなものでいいのかと安心したのだ。

 話の内容は迫力がないけどドキドキと緊張しながら怯えている皆がかわいらしく、つい微笑ましい気持ちになれる。

 うん、男たちの野太い悲鳴よりずっといい。

 これが俗にいう女子会ってやつなのかもしれない。なんだか妹が増えた気分だ。せっかくだからこの子たちと友達になりたいな。……でも正直、友達ってどうやったら「成る」んだろう。改めて考えたことなかったな。「友達になろう」って言うの?

 

 

「ひゃーっ、やっぱ暗いと雰囲気あるよね……じゃあ次、幸村さんね」

「ん? ああ、私の番だね」

 

 

 ひとりで考え込みすぎていたようで、ミチルちゃんに声をかけられてハッとする。いつの間にか、最初に「怪談を話すごとにライトを消す」と言われていた通り、恵子ちゃんがライトを消していた。

 さて、3番目は私の番。話す怪談はもうすでに決めていた。地方紙にも載ったらしく柳が気にしていて、仁王がネットから拾ってきた話。

 仲良くなれるかの瀬戸際だ。ここはひとつ気合を入れて頑張ろう。

 

 

「うん、ちょうどいいのがあるよ。ああ、私の体験談じゃなくて、拾った話……そう、『これは友達から聞いたのだけど』ってこと。―――――それじゃあ、『十九地蔵』」

 

 

 それはとあるふたつの村のお話。語り継がれる奇妙な言い伝え、川へ行ったとある兄弟。

 ―――――そうして真実は明るみに。

 それは染みついた怨恨の業。地蔵がたてられ月日が流れ、隠されていた古い記録しか残らないまでになったとしても、消えぬ遺恨は手を伸ばす。この恨みを晴らさずにいられるか、なぜ許せようかと嘆いて呪う。

 

 

「ほんとう……恨みなんて買うものじゃあないね。」

 

 

 ―――――よし。これは、なかなかうまく語れたんじゃないだろうか。

 思わず心の中で渾身のドヤ顔を決めてみたところで、三人からのリアクションがないことに気が付いた。暗闇にライトがふたつだけ浮かび、シーンと静まり返っている。

 あ、ライト消してない。思い出して自分の分のライトを消せば、息を飲む音が三つ聞こえた。……え?

 

 

「う、うっわあああコッワ……いや内容も怖いけど幸村さんの語り方が怖い!雰囲気すごすぎ!」

「す、すごい、背筋がぞわぞわする……」

「あー待って無理怖いって……人に優しく生きていきます……」

 

 

 大ウケ?だった。

 一瞬安堵のため息を吐きそうになって、ぎりぎり飲み込む。静まり返った雰囲気にもしかしてスベッたのかと冷や汗が出ていたのはプライドにかけて秘密にしよう。怪談話より怖かった。

 

 

「頑張った甲斐があったよ。じゃあミチルちゃん。どうぞ、最後」

「こ、この後に話すのハードル高くない?……んんっ、じゃあえっと、旧校舎の話にするね」

「旧校舎?旧校舎って、グラウンド横にある、あの半分崩れてる木造のやつだよね。存在は知ってたけど……そんないわく(・・・)付きだったんだ」

 

 

 ミチルちゃんが少し青い顔で出した「旧校舎」に、思わず声を出してしまった。アレが旧校舎だということは知っていたけど、こんな状況で名前を聞くとは。先生方から『危ないから近づかないように』と言われていたのもあって、背景みたいなものだと気にしていなかった。

 でも旧校舎って、たしかに怪談話の、特に学校の怪談系では定番かも?古びた建物なんだから本当に居ようが居まいが噂にはなりそうだし。あるあるってわけか。

 

 ―――――なんて甘く見ていたこともありました。

 

 旧校舎のいわく(・・・)は思ったよりヤバかった。家鳴りを足音と勘違いしたり、なんてレベルじゃない。端的に言って死にすぎ(・・・・)だ。過去のものは知らずとも、去年の事故あたりは進学前に調べていたので知っている。真偽不明の中に真実が混ざると信憑性がグッと上がるのか、妙にうすら寒い気分になった。いったいどうなってるんだ?呪われてでもいるのだろうか。どういうことだよ蓮二……。

 まさか今まで気にしていなかったあの旧校舎は、誘拐自殺死亡事故……地域では有名な、いろんな意味での事故物件、というものだったとは。聞いてないぞ蓮二!

 

 

「ど、どうだった?」

「……うん、すごく怖かったよ。ミチルちゃん、話すの上手だね」

 

 

 本当に結構怖かった。

 

 

 

 

 

 

 さて、語り終わったミチルちゃんがライトを消せば、この場は本当に闇に飲まれる。真っ暗闇の中から三人の強い緊張が伝わってきて、今日の怪談のメインの時間だと、旧校舎の話でちょっと崩れたメンタルを整えなおした。

 

 始まる前にミチルちゃんから説明されたのは、今回の怪談のメインは話終わった後(・・・・・・)、ということ。

 まず、ひとりひとつライトを持つ。それを怪談を語ったごとに消していく。そしてすべて消えた暗闇で参加者の点呼をとる。―――――そうすると、その場には誰も知らない『誰か』がひとり、増えているらしい。

 つまりかの有名な百物語の簡易版だ。いや、本物の百物語は確か『百語れば本物の“怪”が現れる』というものだったはずなので、どちらかというとオマージュ、かな?多分どこかで聞きかじったか信憑性のないネットの記事から拾って来たんだろう。

 けれどいいのだ。ここにいる子たちが求めているのは、ほんのちょっとのスリル。ささやかな肝試し。リスクのない非日常。「おもしろかったね」「怖かったね」と笑い合える思い出になればそれでいい。

 

 ―――――話を戻すと、まあつまり、すべてのライトが消えたということは点呼の時間というわけで。

 

 

 

 

 

 

 「いち」祐梨ちゃんが言う。点呼の始まりだった。

 

 「…にぃ」恵子ちゃんが遅れて続く。少し緊張しているらしい。声が強張っている。

 

 「さん」私の番。子供遊びながら雰囲気があるためか、楽しさの中に混じった恐ろしさでドキドキと心拍数が上がった。何かが起こるとは思っていないけれど、独特の空気感がこの時間を楽しませてくれる。

 

 最後のミチルちゃんはかなり緊張した様子で生唾を飲み込んでいた。ひどく怯えている、というより、最後という緊張と興奮がせめぎ合っている感じかな。つまりはそう、楽しんでいる。

 震えた唇が最後のカウントを終える。「し」

 

 

 もちろん何も起こらない―――――

 

 

 

 

 

 

「ご」

 

 

 

 

 

 

「―――――………え?」

 

 

 

 

 

 

「 いやぁぁあああッッ!!! 」

 

 

 ―――――起こらない、はずだろう!?

 

 

 真っ暗闇に3人分の悲鳴が響く。待て―――――待て、待て待て待てありえない、4人しかいない部屋でどうして5人目が?ミチルちゃんたちのイタズラじゃない。女の子の声じゃない(・・・・・・・・・)。嘘だろう本当に何か(・・)が出たっていうのか?何故、誰?誰が、何で!

 

 混乱する頭の中でかろうじて冷静な部分が、怯えて飛びついてきた祐梨ちゃんごと左右にいたふたりを引っ張って背中に隠す。手荒になってしまったせいでガタガタと机にぶつかった音がしたけど許してほしい。だって声は私の正面(いりぐち)から聞こえてきたから。

 

 点呼を取っていた時とは比べものにならないくらい心拍数が上がり息が荒くなる。3人の悲鳴と暗さで相手の動向がつかめなくて、必死に意識を研ぎ澄ませる。

 試合中は声援だって気にならない。なら大丈夫だと自分に言い聞かせて、この間およそ3秒。冷や汗が垂れる中、必死に冷静な思考力をかき集め気配を感じる方を睨み付ければ、その気配が少し揺れ―――――

 

 

「っうわ、」

 

 

 部屋が一気に明るくなった。

 それは消していた部屋の照明だ。暗闇に慣れ切っていた眼には眩しすぎて、とっさに目をつむって…………うん?

 

 待てよ、何か(・・)……おばけが、自分で明かりをつけたってこと?

 

 沸いた疑問に、まだ明るさに慣れない目を無理やり開いて照明スイッチのある出入口へ視線を向ければ、そこには同い年くらいの男の子がスイッチに手をかけながらこっちを向いて立っていた。

 

 

 ………足、あるよなあ。

 

 

 

 

 

 

 男の子は黒髪、真っ白な肌、真っ黒なスーツでシャツまで黒い、という重たくて浮世離れした風貌だったが、どこからどう見ても生きている人間、に思えた。そうにしか見えない。

 

 

「…失礼。今最後に『ご』って言ったのは、あなたですか?」

「そう。…悪かった?」

 

 

 いまだ混乱している3人を庇いながら一応確認してみれば、男の子はそっけない表情と悪気のなさそうな声で肯定する。4人分の悲鳴を背負ったとは思えないそしらぬ顔である。

 ああうん、悪くはないけど、いや、正直悪い、と言ってやりたくなるくらいの事をされたのだけれど……趣味は悪いな、と幸村は思わずため息を吐いた。

 

 

「なーんだぁ!腰が抜けるかと思ったあ」

「あ、みんなごめんねいきなり引っ張って……机にぶつけたよね?痛くない?」

「あっ!ううん、大丈夫!」

「うん、庇ってくれてありがとう……」

「心臓は止まるかと思ったけど……」

 

 

 吐き出すように大きな声を出したミチルちゃんにハッとして手荒な真似をしたことを謝れば、3人とも優しく許してくれた。よかった……。

 ただ、流石に、というか思わずため息を吐いた祐梨ちゃんのセリフに、男の子は反応したらしい。

 

 

「驚かせて申し訳ない。明かりがないんで誰もいないと思ったんだ。そしたら声がしたから、つい……」

「えっ、そんなぁ!いいんです♡転校生ですか?」

 

 

 謝罪を向けられた祐梨ちゃんは改めて男の子の顔を認識して、一気に回復したらしい。確かに彼の顔はとても整っていて、そんな異性から優しげな薄微笑みを向けられたとあれば、彼女たちが浮足立つのも分からなくはない。

 

 ―――――いやでも、みんなすごいな。祐梨ちゃんだけじゃなくて他ふたりもうっとりした顔になっている。特に祐梨ちゃんとミチルちゃんはさっきまで怯えていたのになんか、目が……虎視眈々って感じになって……チャンスを逃さない感じ。

 

 怪談話より謎の美形の方が、よっぽど魅力的な非日常、か。まあ怯えてすり減った精神を回復できたみたいだからまだいいのかもしれない。少なくとも、泣きっ面に蜂になるよりは。

 

 

「え~♡何年生ですかぁ?」

「……今年で17」

「じゃ、あたしたちより1年生先輩ですね!」

 

 

 いつの間にかミチルちゃんが会話に混ざり、はしゃぐふたりの質問に答える男の子は一見温和そうに受け答えをしている。

 

 

「こんなところで、君たちは何を?」

「あたしたち怪談してたんです!怖い話!」

「ふうん……仲間に入れてもらえるかな」

 

 

 祐梨ちゃんは嬉しそうに快諾した。だろうね。

 渋谷、と名乗った男の子に様子見をしていた恵子ちゃんも「渋谷先輩も、怪談好きなんですか?」と話しかけにいく。それに対して彼が「……まあ」と微笑めば、黄色い悲鳴が追加で上がった。

 ―――――うん、うん。なるほど。

 

 

「……渋谷さん、そういえば、わざわざ視聴覚室までいったい何のご用事だったんです?」

「……ああ。少し、……テープのダビングをしたかったんだ」

 

 

 3人はきゃっきゃと手伝いを申し出るが渋谷さんは当たり障りなく断り、それより怪談をしてほしいと言うので、ミチルちゃんが「それなら……」と席に着こうとした。が、それをストップさせてもらった。

 

 

「うーん、楽しそうなところ申し訳ないけど、そろそろ帰らないと先生に怒られるんじゃないかな」

「えっもうそんな時間!?」

「うっそお」

「ほんとだ、あ、あのうセンパイ……」

 

 

 時計を確認してもらえば、すでに怪談を始めて1時間ほど経過したことが分かる。さすがにちゃんとした理由もなく下校時間後に長居しすぎるのは許されないだろう。ここら辺が最終ラインだ。

 ショックを受けた顔をした3人はしかしめげずに、代わりに明日の放課後に約束を取り付けていた。すごいな。

 

 渋谷さんは本来の用事(・・・・・)を済ませるためにこのまま視聴覚室に残るそうなので、私たちは廊下に出る。といっても3人はそのまま玄関に向かい、私は職員室に向かうのでその場でさらに別れるのだが。

 ―――――ああ、そうだ。

 

 

「渋谷さん。まだ校内に残るなら来校者カードを貰って付けていた方がいいですよ」

 

 

 そしたら私もここまで悩まなくて済むので。

 

 

 

 

 

 渋谷は、ひとりだけ違う方向に向かって行った少女を見送った後、また近くでこちらをうかがっていた他の3人に近づいた。

 

 

「……ねえ、彼女は?」

「へ?ああ、幸村さんですか?」

「へぇ、幸村さんって言うんだ。」

 

 

 さきほどより少しぶっきらぼうになった渋谷に、しかし気にした様子もなく答えたのは恵子。そして渋谷の反応にハッとした顔をしたのはミチルと祐梨である。

 

 

「……あのぉ、もしかして、幸村さんのこと気になります?」

「………ああ、そうだね。少し気になるかな」

 

 

 探りを入れるようなミチルの問いかけに、渋谷は気づいていないのか幸村が去って行った方へ視線を向けたまま答える。

 その答えに3人はパッと顔を見合わせた。

 

 

「イケメンと美人とか最高じゃん」

「ひゃーっ美形カップル?」

「えーっ、す、すごい、ドラマみたい!」

 

 

「あのっ私たち応援します!!」

「え?」

「幸村さんって幸村聖子(せいこ)さんって言うんですけど!」

「頭良いし運動できるし、美人だし優しいし!」

「えーっとえーっと、あっ、あとバイト探してるって言ってました!」

「「「 絶対いいと思います!! 」」」

「あ、ああ、そう。ありがとう。」

「はい!!」

「また明日! 明日もちゃんと幸村さん誘いますから!!」

 

 

 考え込むように思考を飛ばしていた渋谷は、いきなり爆発したようにテンションを上げた女子高生3人組に思わず怯む。

 渋谷が幸村を気にしているのは、彼女がずっと渋谷のことを警戒していた(・・・・・・・・・・・・・・・)からなのだが、そんなことを知らない女子高生の思考は少女コミック(れんあい)方面へ飛んでしまった。

 次々に幸村の情報を押し付け、謎の応援をして去っていった3人に、渋谷は思わず呆然とした表情で黙り込む。なんだったんだ、いったい。

 

 

 

 

 

 

 ―――――最初に感じた違和感は、浮かべている微笑みが張り付けたようでうすら寒いな、と感じたこと。

 転校生かと聞かれて「そんなもの」と濁し、学年を聞かれて「今年で17」と歳を答えるという妙な曖昧さ。

 

 学校なのに制服を着ていなくて、スーツを着ているが教師ではない。年齢を考えれば教育実習生ではなく、なのに転校生でもない。

 そんな人がなぜ校内にいるのか、疑問に思うのは当然だろう。

 無理やり考えれば先生や生徒の関係者、という可能性もあるが、それでもダビングのために視聴覚室へひとりで来ているのは変だ。多分あれは嘘。

 

 何より変だったのは、怪談に参加したがったこと。―――――だって彼、祐梨ちゃんたちに話しかけられるのを面倒くさがっていたのに。

 

 張り付けた微笑みは適当に誤魔化して躱すため。一見温和そうに対応していたがよく聞けば返答自体は淡白だ。悪人が猫をかぶっているというより、人付き合いを好んでしないタイプが無理をしているようだと感じたのはあながち外れていないと思う。

 そんな人がわざわざ怪談に参加を?まあ怪談に参加したい理由なんて聞きたい(・・・・)、あるいは話したい(・・・・)以外に思い付かないので、無理してでも参加したいくらいに怪談が大好き、という可能性はなくもないが。

 本当の目的のために私たち、あるいはこの学校の生徒と親交を深める必要があって、怪談参加はその口実……とかだともう分らなくなる。

 

 しかし不審者にお熱な3人をひとりで守らなくちゃいけない状況じゃ思考を止めるわけにはいかず。

 あそこで私が「怪しい」と言っても受け入れてもらえなさそうなところが厄介だったなあ。多分あの状態の女子高生にはパッションで負けるもの。

 

 だから観察して、考えて、考えて、警戒した。

 

 なんとなく推察できる性格的に、多分素は不愛想な人っぽかったから、微笑みは処世術、ぼかした物言いは会話が広がるのを面倒くさがっただけ……といえば違和感はない。

 けれど、登場時のおちゃめ(・・・・)となぜか積極的に怪談に参加したがる謎がノイズで結論を出せない。

 これで渋谷さんが普通の男子高校生ならナンパの口実かな?って思えるのに、そうじゃないから面倒だ。実はすました顔の下ではしゃいでたりしないかな。あるいは何も考えてなさそうな無責任っぽさがあれば好奇心なだけかなと警戒値を下げられるのに、どう見たって真逆だし。

 

 個人の感想として悪い人ではなさそうだ、とは思ったものの、不審者ポイントが高すぎて困る。だから1回渋谷さんから離れて先生に確認するのが最善だろうと判断した。最低限素性さえ分かれば何か分かるかもしれないし、それでもそもそも先生も知らない人だったなら校内に侵入した不審者として先生に対応してもらえばいい。

 

 だから第2ラウンドを始めようとしていた空気に水を差して、解散を促した。時間が時間だったのは事実だから違和感もなかっただろう。だってまだ渋谷さんがどこまで安全か確信が持てない状況で、3人と彼を残して離脱するわけにはいかなかったし。かといって追いかけてきて危害を加えてくっぽくもなかったから、3人とはすぐ解散したけれど。

 あーあ、せっかくミチルちゃんたちともっと仲良くなれると思ったに、とんだイレギュラーだったよ。

 

 

「―――――失礼します、1年F組の幸村聖子です」

 

 

 

 

 

 

 ガタンゴトンと電車に揺られ、ほんのちょっと寄り道をした先にたどり着いた居候先。

 石造りの階段を登れば、大きなお寺の全貌が見えてくる。少し遅くなったなと考えていれば、入り口、門の前に人影がひとつあることに気づいた。

 

 

「―――――遅かったじゃん」

 

 

 おや、と少し驚く。門の前に居たのは居候先の家主の息子―――――越前リョーマ(・・・・・・)だった。

 時計を見てみると、確かに普段より一時間半ほど遅い帰宅になったけど、家主でありリョーマの父である南次郎には連絡を入れているし、そもそもまだ日の落ちる前なので、咎められるほどではない。というか、

 

 

「逆に、君はずいぶんと早いじゃないか、ボウヤ」

 

 

 まだ部活をやっている時間帯だろうに、なぜこの子がもう家に帰っているのか。この子に限ってテニスをサボるということは多分ないだろうけど……というか、リョーマはテニスウェアを着ていて、ラケットもある。完全にテニスをする準備がバッチリ、といった感じだった。

 その格好に加えて、先のセリフ。今日は何か約束をしていたっけと幸村は少し悩んだが。私がテニス関連の約束を忘れるだろうか。

 

 ラケットを、トントンと肩にあてながら、ふくれっ面のリョーマが話す。

 

 

「今日、コート整備で部活なかったから。どうせならさっさと帰ってあんたと昨日の試合の続きしようと思ったのに、あんた全然帰ってこないし。親父に聞いたら遅くなるって連絡来たっていうし。正確な時間は分からないって言うから出かけたら入違いそうでどこにも行けないし。何のために早く帰ってきたのさ。最悪。」

「………ふ、ふふふ、」

「………なに笑ってんの」

 

 

 なんと、まあ。この王子様は勝手に決めて勝手に怒っていただけらしい。

 ここまで自己中なふくれっ面をさらされると…これだから東の生意気ルーキー君は、と思わず笑いがこぼれてしまう。

 ―――――ねえ君、そんなに私とのテニスが楽しみだったの。

 

 

「それは悪かったよ。実は今日は、クラスの子が誘ってくれて怖い話を一緒にしてきたんだ。案外面白かったよ。」

「へえ、アンタも意外とそーゆーのやるんだ」

「いつも思うんだけど、君や周りの彼らは私のことを何だと思ってるのかな」

 

 

 演技でもなく心底意外だ、という顔をされればさすがの幸村もムッとする。

 まったく、女の子ひとり捕まえてやれ魔王だなんだと言っているのを実は知っているんだぞ、と言ってやれば彼らはどんな顔をするだろうか。君たちのところの不二ならともかく、私はあんまりそんな要素ないだろう。

 「私だってただの女の子らしく女子会に興じることだってあるさ」と(まあ怪談が女子会に分類されるかは微妙だけど)幸村が言えば、キョトンとしていたリョーマの顔がイタズラっぽい笑顔に変わった。

 

 

「ふぅん、じゃあ『女の子らしく』怖がったりしたの?」

「怖がるに男も女もないだろう。……まあどうだったかは、君の目で確認してもらおうかな?」

 

 

 私をからかうなんて10年早い、と幸村がカバンから某レンタルショップのロゴが入ったケースを出せば、会話の流れから中身が何かは察したのだろう。リョーマの顔が渋柿を食べたように苦いものになる。

 

 

「―――――もちろん、テニスの後にね」

 

 

 ただしそれは、それよりテニスがしたいという意思表示だということは知っているの。

 

 

 

 

 

 

 テニスでかいた汗を流して夕飯もろもろを済ませ、集合したのは私の部屋。流石に居候の身で夜遅くにリビングのテレビを拝借するのははばかれたので、使うのは幸村の私物のノートパソコンでである。ちなみに『居候云々』については南次郎さんたちから「気にするな」とは言われているものの、まあ気になるものは仕方ない。そんな幸村をリョーマは「アタマ()った」と呆れたように見たため、頬をつねられた。

 

 

「ボウヤ、怖くなったら縋り付いてきてもいいよ。抱きしめてあげようか」

「冗談」

 

 

 そういえばこの子はアメリカ育ちらしいけど、日本のホラーに耐性はあるのかな。ふと幸村は、ホラーのタイプが違いすぎて怖がられる、という話を聞いたことがあったような気がして少し心配になった。でも怯えてるこの子とか面白そうだから見てみたいかもしれない。

 まあとは思っても、リョーマは気負いない様子で幸村の横に座ったので、案外平気なのかな?と気にしないことにした。

 

 

 

 

 

 

 ―――――平気じゃなかったらしい。

 

 ふたりの目の前では日本ホラーらしいにじり寄る恐怖が再生されている。流石大ヒットホラー作品。かなりの恐怖だ。

 幸村が横に視線を向ければ、少し青ざめた顔のリョーマが頬をひきつらせて固まっていた。……やっぱり日本製はちょっと辛いらしかった。肝試しとかは平気そうだったのになあ。

 

 正直怯えてると気づいた当初は「いつまで強がりが続くかな~」みたいなイタズラ心があった幸村だったが、ここまで必死にこらえられると、ちょっとかわいそうというか、心配というか。だってまったく、私が虐めているみたいじゃないか。

 なんでこう、私の周りには手のかかる子が多いかなあ。

 

 

「ボウヤ」

「! ……なに、幸村サン。もしかして怖くなっちゃった?」

「―――――ああ、そうだね、実は少し」

「は?」

 

 

 強がる軽口に便乗してやれば、とんだ間抜け面に。数時間前に門前で見た顔だった。幸村は追及することなく、冷えないようにと羽織っていたブランケットの片側、リョーマの方を広げてみせる。

 

 

「少し怖くて、ちょっと寒いんだ。君が良ければこっちに来てくれないか」

「………まあ、それくらいなら、別に?」

 

 

 もにもにと言いながら、もそもそと入ってきたリョーマの肩を抱くようにブランケットを羽織りなおして、ふたりは再び画面に目を戻す。幸村は、なんだかんだ言ってもナマイキで手のかかるところって可愛くて仕方なかったりしちゃうんだよなあ、とこっそり考えた。

 画面の中で女性が悲鳴を上げる。隣のボウヤとの距離が少し縮まる。

 

 

「うーん。実はこういうのを見るの、久しぶりなんだよね」

「へえ」

 

 

 ぽつりとつぶやいた幸村への返答はそっけない。まあ特に意味のある呟きじゃなかったけどさ。

 ―――――実を言うと、幸村の言った「怖い」というのはまんざら嘘ではない。幸村だって人並みにこういった類のものに恐怖を感じたりするのだ。……いや、他人よりもう少し、怖がりかもしれない。

 ただ、立海では主に赤也が、ここではリョーマが、幸村より怯えているから逆に冷静になれるだけで。あと、あんまり人に弱点になるようなところを見せたくないから素知らぬ顔をしてみたりしているだけで。

 怖がりなのを知られるのは別にいい。ただ、怖がっているところを見られるのは嫌なのだ。さらに言えば、それに対して過剰に気を使われるのも好きじゃない。めんどくさいと言われればその通りなのだが、まあ幸村にもプライドがあるので。

 今日の怪談も、女子高生のオアソビ程度だったから余裕があった。もし本格的なものだったらダメだっただろう。だから渋谷が来たときは、流石の流石に心臓が止まるかと思った。

 

 隣の温かい塊をもう一度見やる。まだ顔は青いけど、さっきよりは平気そう。

 視線は画面のまま、幸村は少し体重をかけて隣に寄りかかる。視線を感じたけど、気づかないふり。

 

 

「……で? 久しぶりのホラーの感想は?」

 

 

 気を紛らわせるためかなんなのか、時間差で話に乗ってきたリョーマ。それにただ、一言だけ返す。

 

 

「君とテニスがしたくなった」

 

 

 ねえ、君もそうだと言ってよ越前リョーマ(おうじさま)

 

 

 

 

 

 

 すっぽり、片腕に収まる小さな熱源。さっきまで、ネットを挟んで戦っていた相手。

 暖かい。……生きてる。

そう、唐突に思った。

 

 

「(―――――小さな体だ。成長期に入ったのか、初めて会った時より背は大きくなっているけれど、それでも私より20センチ前後は小さくて細い。)」

 

 

 この小さい体が、私のテニスを打ち破ったのだと噛み締める。

熱い体だ。ポカポカとしていて、春の芽吹きを与えてくれるような、夏の刺す日差しのような温かさを、この体は持っている。

 

 ―――――君は私の何だろうか。

 

 あの時感じたのは苛立ちだった。そして恐怖だった。けれどうつくしかった。

 

 この子のテニスはうつくしい。うつくしい、人を魅了するプレーだ。

 人を惹きつけてやまない、自由で、どこまでも自分に正直なテニス。

 テニスの王子様。誰もが目を離せない。

 

 うつくしい、いのちだ。この子のいのちは、こんなにも尊くて、うつくしい。

 

 ―――――誰にも言ったことはないけれど。私が神の子と呼ばれるのなら、あの試合で、この子はきっと、私の天使だった。

 負けた屈辱。忘れていない。たくさんの負の感情があった。でも、燃えるような炎があった。

 愛していたはずのものを魅せつけられた。

 目が離せない、輝きを知った。

 

 もう一度体重をかけなおす。じっと見つめてくる視線はまた無視した。ゆっくりと瞼を落として、静かに、息を吐くように話しかける。

 

 

「…せめて今度は、プロの試合映像とかを借りてくるよ。ネットで探してもいい。ねえ、テニスを見よう」

 

 

 ホラーを見るのもなかなか楽しいけど、やっぱり私たちの間にはテニスがある方がずっと『らしい』と思うんだ。

 この子といると、血が騒ぐ。『テニスがしたい』と本能が訴えてくる。

 それなのに、なんだか、とても穏やかな気分になるときがある。

 テニスという、私とボウヤの一本のつながりが生み出すこの空気が、私は存外好きだった。

 

 だから、やっぱりテニスを見よう。テニスをしよう。多分私たちの関係は、そっちの方がずっと生きてるって感じがするんだ。………なんてね。

 

 

 

 

 

 

 そっと体重をかけてくる幸村サンの顔をのぞいてみる。瞳は閉じられていて、長いまつげが影を作っていた。

 顔だけ見ればどっかのおとぎ話に幸薄いオヒメサマとして出てくるような美貌(つくり)のくせに、中身はてんでちぐはぐだ。強くて、したたか、強引で、いじわる。あと、たぶん、でも、きっと―――――うつくしい。

 

 幸村聖子の存在を初めて知った時、こんな人が恐れられているのかと拍子抜けした記憶がある。だってまるで強そうに見えない。細いし、女の子らしい女の子って感じだったから。立海の人たちがいつも守るようにそばに居たから余計かも。

 でも、対峙すれば分かる―――――彼女がなぜ恐れられるのかを。

 

 凪いでいるようで、ゾッとするほど煮えたぎる、蹂躙者の目。

 

 本能がヒエラルキーを理解した。それでも負けるつもりなんてさらさら無かった。

 けど実際試合をすれば、強いなんてもんじゃない。あれは恐怖…いや、畏怖ってやつかな。入ってはいけない領域に足を踏み入れた感覚。絶対的で神々しい『最悪(ナニカ)』の縄張りに踏み入ってしまったような絶望感。

 

 ―――――誰にも言ってないことだけど。

 うつくしい、と思った。

 

 『神の子』なんて御大層な名前で呼ばれる理由がよく分かった。あの人のテニスは、膝をつきたくなるような威圧感があって、許しを請いたくなるような絶対感があって、何より―――――うつくしいから。

 だからあんな恐ろしいのに、みんな、どこか尊いものを見るような色をもってあの人を見る。あんまりにもうつくしいから。

 だから残念だった。この人が笑っていないのが、残念だった。この人が楽しんでいないのが、たまらなく残念だった。

 

 こんなにうつくしいんだから。もっと、楽しめばいいのに。楽しそうに、笑ってテニスをすればいいのに。きっとこの人なら、がむしゃらにボールを追いかけて泥だらけになっても『楽しくてたまらない』って顔で笑っていれば、きっとどんなものよりも、うつくしいと思うのに。

 

 「次はテニスを見よう」と幸村サンは言う。

 この人は、たぶん無自覚だけど、たまにこうして俺とテニス以外のものを共有しようとしてるんだと思う。そのくせ、言い出しっぺがやっぱりテニスが良いと言う。そりゃそーじゃん。アンタ、テニスがないと生きていけない人だもん。

 

 

「いいよ。俺もそっちの方がいいし」

 

 

 うつくしいひとだ。この人は、いじわるだったり怖かったりするけど、こころも、いのちさえもうつくしい人だ。

 

 ヒトの体に体重を乗せてくる幸村サンに、こっちからも体重をかけてみる。この人の体温は俺より少し低い。乾先輩がこの人が入院していたと言っていたのを思い出した。そして、その治療の仕上げのためにあんなに大切にしていた立海から出てきたことも思い出した。

 このぬるさがあの人のいのちの残りのような感じがして、バカみたいだと分かっているのに不安になった。俺の体温が移ればいいのにともう少し体重をかけることで、感じた恐怖を押し付ける。

 

 こんなに儚い。こんなに消えてしまいそう。なのに、テニスをするときはあんなに眩しくて力強い。

 

 例えば俺への敗北。例えば合宿での試合。例えばドイツ戦でのダブルス。大会後の幸村サンは少しずつ変わってきたように見える。それとも、元のありのままの姿に戻って行っているのかな。

 

 どんな理由でもいいけど、ただ、この人はテニスを楽しんでいる姿を見せるようになった。

 

 ネットを挟んでそれを見かける度に、目の前に火花が散ったみたいに視界がちかちかする。あまりの眩しさに目がくらむ。

 この人は俺のテニスを、『人を惹きつけるテニス』だと言う。

 でも、この人の方がよっぽどだと思う。この人が『楽しくてたまらない』って顔でずっとテニスをするようになったら、たぶん俺より100倍くらい厄介だ。

 

 テニスを楽しんでいないと言っていたあの試合の時はもうすでに、それでもうつくしかった。

 ならきっと、この人が『幸せで楽しくてたまらない』って笑ってテニスをする姿は、世界で一番くらいうつくしくて、みんな目が離せなくなると、思う。

 

 ―――――うつくしい人だ。うつくしい、いのちだ。

 こんなうつくしい人に初めて勝ったのは俺なんだから、このうつくしい人が一番うつくしくなった姿を始めて見るのも俺でいいはずじゃん。そのために、見つけたこの人をウチに引っ張りこんだんだから。

 

 立海の人たちや、仲良くしているらしい部長たちとか、わりと懐かれてるっぽい徳川さんとか、いろんな人がいるけどこれは譲れないよね。

 

 ウトウトとしてきた意識のまま幸村サンによしかかれば、寝るの、と声が降ってくる。いつの間にかホラー映画は気にもならなくなっていた。

 部屋に、と言ってくるこの人に、ここで寝ると言ってやれば、苦笑いしたような息遣いが聞こえてくる。

 この人が、俺みたいなわがままに実は案外優しいと最近気づいた。ストイックで厳しい癖に、なんだかんだ言って甘やかしてくれるところがある。

 

 ちろ、と一瞬だけその困ったような顔を盗み見て、そのまま睡魔に任せることにした。きっと、「さて、どうしたものか」って困ったような顔をするだろう。

 それでいい。俺は、このうつくしい人を困らせるのも実はちょっと好きだったりするから。

 

 

 

 







■病気の経過観察
祝・完治だけど立海を離れてもらうために病気を使いましたごめん幸村。

■ヘイト管理
 幸村がいくらめちゃ強だとしても、女の子になると倍目立つので、こう。
 女体化したせいですが、女体化した幸村が見たくなっちゃったんだから仕方ない。
 石を投げる的としてデカくなりすぎ、と判断しての離脱。信頼する仲間たち(どうきゅうせい)は共犯者。すべては未来(こうはい)を守るため。後輩たちはこのことを知らない。
「幸村先輩が治療?を頑張ってるんだから、俺らもがんばるぞー!」「おー!」

■友達ができない
 珍しい編入性がとんでもねえ美人だったもんだからみんなドキドキしてる。あと1週間もしたら態度が緩和されるので時間の問題というのは間違いではない。間違いではないが電話先は8割くらい「有象無象の為に幸村が自分を変える努力を……?そんなもの必要ないが……?」と思ってる。
 だって彼らにとって幸村はありのままが最も美しく魅力的な存在なので……

■怪談経験
 仲間たちとは何回かやった。毎回赤也がめっちゃでかい声でビビるのでほぼ赤也ビビらせ大会。柳生が意外と上手い。

■旧校舎と蓮二
 柳は旧校舎のいわくについて軽く知っていたが、まあ向こうで友達から初聞きするのも青春だなって教えなかった。幸村は一緒に進学先調べてくれた柳から何も聞いてなかったから蓮二!!?ってなった。

■「多分どこかで聞きかじったか信憑性のないネットの記事から拾って来たんだろう」
 ナチュラルに失礼。

■「ご」
 しぬかとおもった しんぞうとまるかとおもった
 守らなきゃいけない子たちがいたからギリなんとかなった

■渋谷さん
 イケメンだなあとは思ったし悪い人じゃなさそうだけどそれ以上に不審すぎるん。マジで3人に近づかないでほしいのに3人はメロメロだし渋谷さん(ふしんしゃ)は距離詰めて来るし結構困ってた。も~~~~~おともだちチャレンジしてたのにも~~~~~!!
 渋谷さんも目的(・・)のために表情筋ムキムキさせてにこってしてたのに、なぜかすればするほど警戒してくる美人が居て困ってた。

■君とテニスがしたくなった
 仲間とも違う、ある種絶対切れない繋がり。君はちゃんとネットの向こう側(そこ)に居て。

■生意気なおうじさま
 へ~強豪校の部長女の子なんだ→あれが?強そうに見えない……→とんでもねえバケモノじゃん
 病気のことも軽く聞いてるのでたまにちょっと心配にはなる。幸村が100%全力でテニスを楽しんでる状態で試合がしたい。ぜったい楽しいし、きっとめちゃくちゃきれいだと思う。
 恋ではないけど、テニスの女神さまは幸村と瓜二つだったりして、と思ったりはする。

■頂上組
 健全に良好


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