『目が離せない』という意味を、ようやく体感で理解した。
跳ねるボール。打ち返すラケット。靴底がすり減って、藍色の髪が揺れる。
「ゲーム・セット・マッチ!」
息ひとつ乱れぬ蹂躙。何もかもを奪うほどの恐怖。
けれど恐ろしさの先に、仰ぎ見る光がある。
「ウォン・バイ、幸村。
その姿を見ることは、
後光に焼かれた者たちが彼女を呼ぶ―――――神の子、と。
あの日、私の世界に、かみさまがうまれた。
ベースを出てどれくらいか。まずは2階へ機材を設置した。荷物を担ぎながら階段を登っていたら松崎さんに理解できないものを見る目で見られたが、別にそこまで重くないのに。
次は1階の教室のために再度機材を調達し、移動したあたりで、松崎さんに話しかけられた。
特に手伝うでもなく、きょろきょろしたり建物の埃っぽさに文句を言ったり、こちらをじっと見つめてきたり、って感じだったから気にせず放置していたんだけど。
「ねえ、アンタここの生徒なんでしょ」
「そうですよ」
「なんでこんなバイトしてんのよ」
―――――おや?
「うーん、ご縁があって渋谷さんと知り合って、今回の仕事を手伝わないかと声をかけられたので?」
うん、嘘は言ってない。当たり障りのない内容だ。しかし松崎さんの眉間には立派な富士山が。
「アンタね、―――――はぁ、いいわ。言ったって仕方ないわね」
「というと?」
「だから、……あーもう! いい? よく聞きなさいよ!」
ふん、と顔を反らした松崎さんに、気になったので続きを促せば、釣られてキレ気味にくちを開いてくれた。
キィン、と高めの声が教室内に響く。
「アンタみたいな素人には考えつかないかもしれないでしょうけど、こういった仕事は子供のお遊びと違って危険な
「危険、ですか」
―――――危険だと思っていない、というわけではないが、周りから見れば若輩者がものも知らず首を突っ込んでいるように見えるのは、理解できる。
しかし確かに、渋谷さんにも「よく調査されていない幽霊屋敷に入るのは危険」と言われていたが、「どう危険なのか」については知らないな。
「タチの悪い幽霊に攻撃されることもあるの。聞いたことあるでしょ?ポルターガイストとかくらい。
普通の人間じゃ対処できないパワーでこっちに害をなしてくるのよ。下手すりゃ死ぬわ。」
「ああ、それはそれは……」
「それに霊能力者には詐欺師が多いもんなのよ。そういう馬鹿ができもしない除霊だのに手を出すと、だいたいは全く効果はないけど、たまに小石をぶつける程度には霊を刺激しちゃう場合もあるの。
そうしたら
「そういうパターンもあるんですね」
やはり専門知識がないと想像できない危険というものはあるものだ。特に、カウンターについて。
―――――私は黒田さんに、除霊ができるならやればいいと言った。それは、正直、できるはずもないだろうという嘲りだった。
しかし追い詰められた様子で、単身旧校舎まで来れる行動力のある彼女が、実際に
それが
漏れそうになったため息を飲み込む。やはりあの時の言動は短慮だった。……念のため、今後の彼女の行動にはよく目を光らせておく必要があるな。
そうやって憂慮していれば、ふと、松崎さんが言いよどんだ。少し視線がぶれて、それからジッとこっちを睨みつける。
それは黒田さんと違い、どこか温かさを感じる視線だった。
「運良く霊からの攻撃がなくても、……言った通り、詐欺師の多い界隈よ。除霊だって言ってバカみたいなことをしようとするやつもいるわ。
世間知らずの若い子なんて特に被害にあいやすい。しかもアンタみたいな見た目のいい若い娘なんて格好の獲物よ」
「―――――ああ、そういう」
「悪いことは言わないわ。手を引きなさい。取り返しのつかない傷を負う前に。」
―――――ずいぶんと、まっすぐな目だった。
さっきまでの小馬鹿にしたような態度とは違う、あまりに真摯な色だった。
……なんだ、やっぱり二番煎じじゃないですか。
「……なにニヤニヤしてんのよ」
「うーん」
きっとよほどひねくれていない限り、今の松崎さんの言葉の意味は誰だって理解できるだろう。
松崎さんは私のことを心配して、渋谷さんを警戒している。
出会い頭でイヤミを言って、ベースまでついてきてイヤミを言って、小馬鹿にして鼻で笑って、その実世間知らずの小娘を心配して、あれだけの設備を用意できる渋谷さんを警戒している。
そこにあるのは秩序かもしれない。そしてきっと、やさしさだった。
まあだからといって最初からあの態度というのは如何なものかと思うけど。……もしかして遠ざけるためにわざとああいう態度をとってるのかな。
黒田さんをボコボコにしてたのも、あそこまで言えば近づいてこなくなるだろうと思ってだったのかも。
「ご心配ありがとうございます。でもまあ……渋谷さんは大丈夫ですよ。多分ね。」
「多分ってアンタね!」
「私は今回限りのアルバイトですし、程よく雑用をこなしてお給料をいただくだけですから。松崎さんからご忠告もいただいたので、まあ警戒しておきますし。」
「……あーっ! もう、これだから小娘の相手は嫌なのよ!」
「ええ、ひどいなあ」
苛立った様子で頭を掻きむしる松崎さんに笑いかければ、フン!と勢いよく顔をそらされてしまった。
松崎さんの言っていることはもっともだし、心配はありがたいけど、まあ渋谷さん相手なら本当に大丈夫だろうという確信があるので、雑なあしらいのようになってしまうのは仕方ない。
「本当にちゃんと警戒しておきますって―――――……? 松崎さん?」
仕方がないので重ねるように笑いかけようとして、ふと、いつの間にか松崎さんがすっかり黙り込んでしまっていることに気が付いた。
それほど気を悪くさせてしまっただろうかと窺うと、こちらから逸らされた顔が強張り、青ざめていた。
一瞬の変容。異様な雰囲気にこちらも息をのむ。
「―――――ねえ、…さっきまで、ドア、開いてたわよ、ね?」
―――――まさか。
まるで氷水をかけられたかのような、震えた声。ドア、と言われれば、それはこの部屋の出入り口のドアのことだろうと分かる。
言葉の意味にゾッとする。まさかそんなと、頭の中で正常性バイアスがかかる。しかし同時に、その認識が正しくないことも理解できている。
ぎこちない自覚のある動きで、松崎さんの視線の先を確認すれば―――――
「……常に退路は確保、を心がけていたはずなんですけどね」
ピッタリと閉じた、教室のドア。
■
「な、―――――なんでよ!」
それは恐怖を振り払おうとする声だった。カツカツとヒールを鳴らしてドアに向かっていく松崎さん。その足音はあからさまに大きく、意図的に音を鳴らしているように思えた。
まずいな。少し錯乱しているか?念のため小走りで後を追う。
―――――ドアが開いていたはず、というのは松崎さんの勘違いではない。
私は必ず退路を確保することに気を付けながら行動していたから、室内に入るときはドアは必ず開けたままにしていた。特にこの学校は、横スライド式ではない、窓のない外開きのドア―――生憎にもこの教室もそのタイプだった―――の教室がいくつもあるため、閉じてしまうと周囲の状況もわからなくなるからだ。
そして、松崎さんがこの教室のドアを閉めたような姿も見ていない。
―――――私たち以外の誰かが閉めた?でも、なぜ、誰が。旧校舎に居るのは渋谷さんと、滝川さんやジョンだけのはずだ。その人たちにしたって、わざわざ声もかけずにドアだけ閉めていくなんてことするか?
不可解な現象に顔をしかめていると、ドアノブをつかんだ松崎さんがドアを開こうとしていた。
―――――しかしドアは、ガタッと揺れるだけで、開かない。
「…ちょっと、」
ガタ、ガタガタ、繰り返す。
「何よ!」
「松崎さん、」
まずい、と思った。しかし止めるより早く、恐慌状態になった松崎さんに、ガタガタガタガタ!!とドアが揺さぶられる。
「なんっ、なんで開かないの!?」
「松崎さん落ち着いてください!」
顔色を失った松崎さんが必死にドアを揺すっても、ドアは開かない。
嫌な流れだ。いつの間にかドアが閉まっていて、開けようとしても開かない? 明らかに不自然な現象。舞台はいわくつきの旧校舎。ああ、
「開けて!! 開けてよ!!」
「松崎さん、落ち着いて」
こっちだって恐怖心はあるが、パニックになりかけてる松崎さんの
ドアノブを握りしめている松崎さんの手にできるだけ優しく手を添え、ちょっとちからを込めて引きはがす。
「松崎さん、大丈夫ですよ。古い校舎だから建て付けが悪くなってるのか……どこかに引っかかっているだけかもしれないですから。大丈夫、ちゃんと開きますよ」
「―――――あ、……え、ええ……そうね、そう……悪かったわ、冷静じゃなかった……」
松崎さんの両手を握り締め、しっかり目を見て静かに語りかければ、ハッとしたように謝られた。どうやら落ち着いてくれたらしい。
まずは一安心する。あんまり暴れられたら実力行使に出るしかなかったかもしれないから、よかった。
……まあ、まだ何も解決したわけではないけれど。
「ドア、確認してみるので少し離れてもらっていいですか?」
「え、ええ……」
ゆっくり松崎さんの手を放し、ドアと向き合ってみる。……うん、閉まってるなぁ。絶対閉めてなかったのに、ぴったりしっかり閉まってる。
とりあえずドアノブに手をかけて、押し開こうとちからを込める。
ドアはガタッと揺れた。
もう一度、今度はもっと力を籠める。ドアはまた、ガタガタッと揺れるだけだった。
なるほど開かない。問題はこれがなぜ開かないかなんだけど。
鍵も閉まっていない。こちら側から見た限りではドアに異常もない。
となると、原因は目視できないものになる。
少しでも情報が欲しくて、繰り返し何度もドアを揺らしてみれば―――――何か、違和感、が?
「ね、ねえやっぱ―――――、」
「オイどうした!?」
いっときは冷静になったものの、やはり開かないドアに顔を曇らせていく松崎さんが何かを言おうとしたのと同時に、ドアの向こうの廊下を走る足音と滝川さんの声が聞こえた。
足音からしてベースにいた全員が来てくれたのだろうか。カメラか、松崎さんの声か、帰りが遅い雑用係か。何かしらから異常を検知し総出で対処しに来てくれたようだった。
「何が―――――まさか開かねえのか!?」
「Are you okay!? 怪我はしてはりませんか!?」
閉じた扉に、素晴らしい察しの良さでドアが開かない可能性に気づいてくれた滝川さんが、焦った声でドアを揺らす。ジョンの慌てた声も聞こえる。ガッタガッタと揺れるドアの動きを見ていれば―――――ああうん、やっぱり。
「……滝川さん、ジョン、少し静かにしてもらえますか」
「はあ? 静かにって、」
「セイ、状況の説明を」
さっき抱いた違和感がはっきりと知覚でき、努めて冷静な渋谷さん―――このシチュエーションでそのテンションは流石としか言いようがない―――の声に確信をもって答えることができた。
「ドアが開かなくなってしまったんですけど、下の方を確認してもらっていいですか? 何か引っかかってるみたいなので」
「下? ちょっと待ってろ!」
パッとドアの前の気配がしゃがみ込む。これは滝川さんだな、とすぐ分かった。あるいはジョン。
間違っても渋谷さんではないのは確かだ。いやまあ、性格的に?
「ああ? 何だこれ…」
ガタガタ、ゴトゴトとドアを揺らしながら何かを見つけたらしい滝川さんの怪訝な声が聞こえる。……なんか、ヤな予感がしてきたな。
少ししてギイ、と開かれた扉の先には、心配そうな顔をしたジョンと、ため息を吐く滝川さんと、何かを触っている渋谷さんと、……あれ、知らない女の子がいる。
「な、なにが挟まってたのよ?」
「釘だよくーぎ! ったく、これくらいで騒ぎやがって」
「はあ!? 仕方ないじゃない開いてたドアがいつの間にか閉まってて、しかも開かなかったんだから!!」
ギャン! と松崎さんが滝川さんに噛みつく。一周回って仲良いなあのふたり。滝川さんのリアクションは心配してた分拍子抜けしただけだと思うけど、松崎さんからすればバカにされたと思ったのだろう。何にでも噛みつくその反射神経……反骨精神?は素晴らしいと思う。
「渋谷さん、その釘見せてもらってもいいですか?」
「……ああ」
受け取った釘はほどほどに錆びていて、おそらく旧校舎に置き去りにされてた資材のひとつだろう。……けど、この教室の周囲には資材が置かれていないので、こんなところに釘が落ちているのは少しおかしい。
いや、たとえ偶然落ちていたとしても、何故それが急にドアの隙間に挟まったりしたのか。そもそも、どうしてドアが閉まっていたのか。
「この釘、どうなってました?」
「……ドアと床の合間に刺さっていた」
渋谷さんのリアクションは相変わらず淡泊だ。興味もなさそうで、とるにたらないことだと思っているかのよう。
―――――ああやっぱりこの人、何かに気づいて黙ってるんだな。
それは妙な確信だった。
「絶対ここ、なんかいるのよ!」
いくらか回復したらしい松崎さんが唸るように声を荒げる。「ドアが開かねえのは釘だっただろうが」と滝川さんが言えば、「じゃあドアが勝手に閉まって隙間に偶然ドアが開かなくなるくらい釘がめり込んだっていうの!?」と松崎さんが返す。
もっともな意見だ。確かに説明がつかないそれに、滝川さんがう、と押し黙る。
■
「―――――気のせいではなくて?」
■
「―――――なんですって?」
けれど、鈴を転がすような声がたたっ切った。ギロリ、と松崎さんがその声の主である少女を睨みつける。
いつの間にかいた、知らない子。校長はまた業者―――あるいは霊能力者―――を増やしたのだろうか。見境がないなあ。
「ここに霊は居ませんわ」
松崎さんの圧に屈しない、凛とした声に思わず感心する。
ああそうだ、他者評価に揺らがない自分を持つ、気高い人とは、こういう声をしていたと。
「……渋谷さん、彼女は?」
「霊媒師の原真砂子だ。口寄せが上手く……日本では一流の霊媒師だろう」
―――――思わず目を見開いてしまった。
「? ……口寄せとは霊を呼び出すことだが」
「ああいえ、はい」
いや、それを疑問に思ったわけではなく。―――――驚いたのは、あの手厳しい渋谷さんが、皮肉でもなんでもなく本物の霊能力者だと断言し一流とまで評価するなんて。
前々から知っている人だったのだろうか。
いや、でも、そうか、原真砂子といえば、テレビでもよく聞く名だ。顔はよく覚えていなかったが、そうか彼女が。
テレビに出る霊能力者ってほとんどやらせかと思っていたんだが、渋谷さんのリアクションからして、彼女は本物なのかも。
「アタシは顔で売ってるエセ霊能力者とは違うのよ!!」
「容姿をお褒め戴いて光栄ですわ」
お見事。思わず笑いそうになったのを咳払いで誤魔化せば、こちらまで松崎さんに睨まれてしまった。ついでに渋谷さんから『この場に居るのがめんどくさい』と言うかのような視線を送られているので、そろそろ状況を動かすべきか。
「うーん」と呟けば、いつの間にか全員の視線が私に集まっていた。
「うん、まず、駆けつけていただきありがとうございました」
「えっ、ああ、おう」
「ご無事ならよかったです」
「で、とりあえず、移動しませんか? 霊がいるいないにかかわらず、詳しい話は―――――」
ちらり、と渋谷さんを見ればため息をひとつ。うん、許可は下りたな。
「―――――私たちのベースで」
■
「ぜーったいここにいる
「地霊?」
移動したベースにて、カシュ、と缶ビールの蓋を切った松崎さんが断言する。地霊、とは。地縛霊のことだろうか。―――――いやそれより、
「松崎さん、ビールはちょっと…」
「何よ! アタシの勝手でしょ!?」
「はいはい、落ち着いて……まだ何が起こったかも分かっていないのに、アルコールで頭が回らなくなっちゃったら困るじゃないですか。からだの動きにも支障が出るし……
あと、ここは旧校舎ですけど一応学校の敷地内なので」
「……んもう、分かったわよ。止めればいいんでしょ止めればっ」
ふんっ! とそっぽを向くけど缶ビールは置いてくれた松崎さんに簡単にお礼を言って、「それで、地霊って言うのは地縛霊のことですか?」と聞いてみた。
「ちょっと違うわ。地縛霊は何らかの未練があってその場に縛られてるタイプの霊で、地霊っていうのはそこに住んでんのよ。土地そのものの……精霊のこと」
「つまり何かがあってそこに居る霊と、場所ないし概念に生命が宿って生まれた霊ってことですか?
一般的な幽霊―――死んだ人間という意味ではなく。」
「……そうね、大体そんな感じかしら」
なるほど。幽霊社会も奥が深いな。
「俺はむしろ地縛霊だと思うけどな。ここ昔なんかあったんじゃねえの?」
「……まあ、あったと言えば、ありますね」
「だろ? だから地縛霊が棲み家がなくなるのを恐れて工事を妨害している……どうだ?」
「あー……」
ふと思ったんだけど、このふたりって旧校舎の噂とかを知らないのだろうか。校長からは何も連絡を受けてない? 原さんは「霊は居ない」と断言してるから興味なさそうだけど、松崎さんたちはこれからの調査を考えたら―――別に協力しなくても現場がブッキングしてるんだし―――情報共有しておいた方がいいんだろうか。
ちらりと渋谷さんを見てみれば、さっきの釘を手に何かを考えこんでいるようだった。けれど私の視線に気づいたのか顔を上げ、好きにしろ、とばかりに視線をそらされた。
……はいはい。
「じゃあまあとりあえず、参考資料の一つとして、この旧校舎の噂などを説明しますね」
上司さまからのオッケーが出たので、簡単にだがこの旧校舎の来歴を説明すれば、彼らは少し悩んでいるようだった。
あまりに問題が起きすぎている=土地に問題がある、なのか、死人が居座っている=問題が起きる、なのかの判断をしている、ということだろうか。
土地に問題があるのなら、この土地を『
対して死人が原因だというのなら、例えば誘拐された子なら『引き離された家族』や『自分を攫った犯人』ではなく『閉じ込められ殺された旧校舎』が一番印象に残った、もしくは『縁』ができてしまって、旧校舎が
けれどなら、なぜ出入りする人間を襲う? 気づいて助けてくれないから? 出入りする人間と誘拐犯を混同して考えてしまっているから? それとも、手当たり次第に攻撃をしているだけか、なぜ自分が旧校舎に執着しているのかも分からなくなっているのか……まあとにかく、考察が複雑化してしまう。
しかも、死んだ人間は大勢いるのだ。それだけで考える幅が広くなる。さしあたっては、
これだけだと『原因は死人』の方がめんどくさそうに思うが、『何か』が原因の場合も楽な話じゃないだろう。それこそ松崎さんの言う地霊であったなら、祓って終了、ともなるまい。継続した対応が必要だとか、そもそもどうにかできる相手でないとか、そういう話になればことさら厄介だ。
……ところで、松崎さんと滝川さんの中では『居る』ことが決定なんだろうか。話してる内容が『居る』こと前提だし。
「―――――ジョン、君はどう思う?」
あれこれと話す松崎さんや滝川さんの会話を切るように、不意に黙っていた渋谷さんが、同じく黙っていたジョンに聞く。
ここでジョンに話を振るのはより多くの見解を集めたいのか、ジョンをある程度信用できていると判断しているのか、信用できるかどうか判断するためのサンプル集めか……なんにせよ、渋谷さんにとってジョンの意見は聞くに値するものなのか。いいことだ。
そしていきなり話を振られたジョンはといえば、ぱちくりと瞬きをして、困ったように眉を下げた。
「わかりまへんです。ふつう、
ここが地霊ゆかりの土地やったり、ここで悪魔を呼びだしたりしてはるんなら原因は『
ううん、とジョンが唸る。へえ、悪魔召喚。それは考えなかったなあ。
……不思議だ。悪魔と言われただけで眉唾物に聞こえる。「これは妖怪の仕業かもしれない」と言われたらまだ―――それでも現実味はないけど―――すんなり入るけど、悪魔って言われると一気に引っかかる。日本じゃあんまり馴染みないからかな。これが文化の違い?
―――――というかジョンは『
……あれ、『悪魔=
『人じゃないもの』なら『
あるいはその定義は『人知を超えたもの』、という限定だろうか。神様とか悪魔とか、そういうタイプの……もしくは『
でもそれだと、土地とかは実体があることになる気が……? 悪魔とかは実体がない扱いになる、のか……?
どうなんだろう、と聞いてみれば、ジョンは少し困った顔になった。
「ええと、僕らんところでは、肉体を持たない知的存在を総じて
「基本的に、キリスト教において、地霊や地縛霊というものは存在を認められていない」
もちょ、と言葉を選ぶジョンの代わりに、くちを開いたのは意外にも渋谷さんだった。
「簡略化した意訳になるが、地霊という概念は
そして地縛霊について。キリスト教では『死後魂は神によって天国または地獄に連れていかれる』とされている。つまり、どれだけこの世に未練があろうが、人間の魂が自力で現世にとどまること―――地縛霊になることはシステム上不可能、となる。
だから現世で目撃される地縛霊などについては、人間の幽霊に擬態した悪魔やその配下たちである、と考えられている。」
奥が深いな、と感嘆の息を吐く。
宗教によって考え方が違うのは理解していたが、なんというか、想定以上というか。
しかしこれをジョンに直接聞くのはよくなかったと思った。つまり、土着信仰などが強い日本の各地の
だから渋谷さんも代わりに答えてくれたのかな。
「―――――じゃあ、普段説明するときとかは、あえてこちらにも通じるように言葉を選んでくれているんだね」
「うん、そう、……日本の皆さんには、日本の皆さんの考え方に合うように伝えるんが、一番やと思うたんよ」
「そう、優しいね」
「―――――セイも、僕たちの教えに興味を持ってくれて、おおきに」
―――――先手を打たれたと思った。
質問したことに謝らなくていいと、許されたのだと理解した。……まったく友達甲斐のある紳士だなあ。
「とにかく! アタシは明日除霊するわ。こんな埃っぽくて気味の悪い場所に長居なんてしたくないものっ」
悶々と考え込んでいれば、いつの間にか話がまとまったのか、松崎さんがふん! と息荒く(苛立ちか、あるいは気合を入れて)ベースを出て行く。
そんな彼女の背に、原さんが冷ややかに「……無駄なことを。霊は居ないのですから除霊なんて無意味だというのに」と溜息を吐く。どうやら霊はいないという彼女の主張は変わらないらしい。
「―――――そう言えば、自己紹介がまだでしたね。この学校の生徒で、そこの渋谷一也率いる『渋谷サイキックリサーチ』でアルバイトをしている幸村聖子です」
「……あら。ご丁寧にどうも、原真砂子と申します。ご存知かと思いますけれど、霊媒師ですわ」
そういえばと思ってちゃんと自己紹介をしてみれば、案外丁寧に応えてもらった。でも壁は感じる距離感だ。いや別にいいんだけど。興味のなさそうな目がこちらを見る。
「霊媒、というのは霊とのコミュニケーションが取れる方だという認識でいいですか? 口寄せがお上手だと聞きましたが……」
「そのような認識で結構です。あたくしは霊を見、感じとり、彼らを知ることでその思いを外界へ伝える者ですわ」
「なるほど。原さんが見える『霊』はどこまでが該当するんですか? 例えば地縛霊とか、浮遊霊とか……そういう違いは影響しますか?」
「……あいにく、浮遊霊の類とは相性がよくありませんわね」
「じゃあ話題に出た『悪魔』や『精霊』といった類は」
「そういったものが見える才能というのは、あたくしの『霊視』とは扱いが違いますの。―――――さきほどから、一体何かしら」
すう、と原さんが目を細める。―――――ああ、失敗。あれこれと聞きすぎてしまったのか、原さんの声が冷たくなった。
「失礼でしたね、すみません。侮辱する意図はありませんが……」
「あたくしの霊視があてにならないと?」
「可能性の話ですよ。例えば何も知らずにあなたの『霊は居ない』という意見を聞くのと、あなたの霊視のパターンを把握して『霊は居ない』という意見を聞くのでは思考の幅が変わりますから」
「……そうですか」
ちょっと言い訳じみて聞こえてしまったかもしれないな。まあ原さんに言った理由のほかに、知識を得るのが楽しい気持ちがあって多く質問をしてしまったけど、渋谷さんの様子からして彼女の情報は把握していたかもしれないから、余計なことだったかな。
―――――いや、余計な事だったな。私はただの今回限りの雑用だし、調査の要は渋谷さんだ。私は最低限の応用ができればいい。それ以外は言われたことができればいい。そういう立場でここに居る。
大義名分のない質問はただの好奇心だ。……だめだ、黒田さんを受け流せなくて迷惑をかけてしまったばかりだったのにな。自重を意識するべきだ。今の私は
判断誤って原さんを不愉快にさせてしまったのは申し訳ない。
ただでさえ『霊視』という能力はインチキ扱いをされやすいものだろう。そんな周囲の目を知っている子ならこういった暴くような質問は不躾だった。
「―――――ところで、渋谷さん、でしたかしら」
「……何か?」
「先ほどから気になっていたのですけれど、あたくし以前あなたにお会いしたことがあったかしら?」
「……いいえ、お初にお目にかかると思いますよ」
「そう……?」
……意味深な間だ。ふい、と私から視線を逸らした原さんのナンパみたいな文句にちょっと驚いて、それ以上に渋谷さんの返事の間が気になった。
あんなこと言ってるけど、初対面にしては渋谷さんから原さんへ信用のようなものが見える。少なくとも、やすやすと信用を向ける人ではないし、それに彼女を『一流』と紹介したのだ。どう考えても『渋谷さんは原さんのことを知っている』と思うのが妥当だと思うけど……
このリアクションからして、渋谷さんがすっとぼけてるのか、あるいは『実際に会ったわけではない』のか。……いや、まあいいか。自重自重。
「渋谷さん、そろそろ日が暮れますが、今日はどうしますか?」
「ああ―――――今日はもういい。僕らも引き上げる」
「お、ボウヤは泊まり込みしねーの?」
「今日はまだ……幸村、明日は泊まり込む予定で準備してこい」
「え」
さらりと告げられた業務命令に思わず固まってしまった。待って、泊まりだって?
「質問」
「どうぞ」
「メンバーは……」
「僕とお前だが、何か問題が?」
こちらをまっすぐと見る渋谷さんの視線には疚しさはない。いや、そんな下心をもっての提案とは思ってないけど。というかリンさんっていつ帰ってくるんだ。
……うーん、これ本気で分かってない感じか…?
「……いやお前さん、さすがに調査とはいえ若い男女が一緒に泊まり込みってのはまずいだろ」
「僕にそんな意図はない」
「無くたって外聞ってもんがあんの! 嬢ちゃんのご両親も気が気じゃねーだろうが! というか許可もらえねーんじゃねえか?」
おそらく私と同じことを考えたであろう滝川さんがくちを出す。やっぱりこの人面倒見がいいな……
そして保護者からの許可について言及した滝川さんのセリフに、ふたりの視線がこちらに向いた。
滝川さんの言う通り、許可をもらうのはちょっと厳しいだろう。未成年の少年少女が宿泊施設でもない廃墟にアルバイトで泊まり込む、というのはあんまりにも。
特に今は居候の身で、越前家の皆さんからしてみれば私は『お預かりしているお嬢さん』ということになるから、下手に実家にいるより突破するのは厳しいかもしれない。
―――――けど、渋谷さんの視線が『無理です』と言っても聞いてくれなさそうだというのをヒシヒシと伝えてくるわけで。
かといって、ご厄介になっている越前家からのお気持ちを無下にする気だってもちろんないわけで。
「滝川さん」
「おう」
「すみませんが、お手すきでしたら明日は一緒に泊まり込みをお願いしてもいいですか? 『お坊さん』がいると言えば多少はハードルが低くなるので」
「あー……はいはい、仕方ねえな。オニーサンがひと肌脱いでやるよ。」
「服は着てください」
「おじょーちゃん???」
「で、渋谷さん」
「………」
「努力はしてみますが、許可をもらうのはちょっと難関ですよ。泊まれるかどうかの連絡は明日でも構いませんか?」
「……分かった」
うわあ不満げ。そんなに思い通りにならないのが気に入らないか。
……さて、どうやって越前家の皆さんから許可を貰おうか。下手なことをしたら大事になっちゃうだろうし……最近悩み事が多いな。
「I’ll stay with you too.(僕も一緒に泊まる)」と言ってくれるジョンの気持ちはありがたいけど、いくらジョンが聖職者でも年若い男の子なんだから余計に状況不利になるだけなんだよなあ。いやそう言ったら滝川さん参戦が本当に焼け石に水でしかないという意味にもなるけど。
―――――明日、松崎さん捕まえられるかチャレンジしてみようか。
■面倒見のいい松崎さん
この人も多分たくさん苦労したんだろうな。
■突如しまったドア
幸村は普通にビビっている。いや怖いわ。でも松崎さんがパニックになっていたから冷静。
ちな一緒に閉じ込められたのが他の人だったら、
滝川さん→あんまり心許してないから努めて冷静を装う
ナル→冷静に思考分析を始めるナルにつられて冷静になる
ジョン→普通に怖がるしジョンは慰めてくれる
■不思議な釘
いやおかしくない?とかなり警戒している。
けどなんとなくポルターガイストというより人為的なにおいを感じ取ってる。第六感が囁いているのか。
渋谷さんは何かしらの理由で何かを知って、でも黙ってるな、と表情や態度で察した。
が、決して愚かではない
■一流霊媒師
渋谷さんが初対面の子をそんなに褒めるなんてありえない(失礼)
絶対知り合いだろ、という根拠ある名推理。
まだツンツンしてる。恥じらいのない方たちですこと。ツーン。
■地霊や地縛霊やスピリットについての考察
調べると面白い。
■反省村
正直未知の知識に心躍ってるところはあった。けれど今回黒田さんと原さんの失敗でしっかり反省・学習したのでこれからは慎重になる。
かなり重たい責任を背負って戦っていた中学時代のせいで、自分の立場の認識改善がうまくいってなかった。
■お泊り
部活の合宿と違うんやぞ。どうする幸村。越前家に勝てるのか?
多分バイトでテニスする時間が目に見えて減って機嫌の悪い王子様と、幸村の容姿も相まって結構心配している南次郎パパの壁はデカい。
■明日誘われるらしい松崎さん
懐かれたわけでも心を開かれたわけでもないが、もうあまり警戒はされていない。
これは滝川さんも同じ。