「いいんちょー」
放課後の夕暮れに照らされた教室の中で、委員長と呼ばれた女子が「なに」と無感情に応える。
対して赤坂は、特に気にする様子もなく、気安い足取りで委員長へ近寄って、
「この前は勉強を教えてくれて、ホントにありがとな。面倒をかけた」
「別に」
委員長が、眼鏡を淡々と整えて、
「幼馴染のよしみってやつよ」
「それでもだよ。……いやしかしまあ、こんな時間になっても教室で勉強とは流石だよな」
「引き締まるのよ」
そういうものかと、赤坂は小さく唸る。
まあいいやと、ひとまずは教室を見渡す。そうして、誰もいないことを確認して、
「委員長」
「なに」
へらへらと笑いながらで、赤坂は後ろ手から箱を前に出す。
あからさまなプレゼントボックスを前に、委員長の口から「は?」が飛び出る。
「誕生日おめでとう。あと、この前のお礼ってことで」
「……いや、私は」
「受け取ってくれっ。じゃないとこう、むずむずする」
「……わかった」
しょうがないなあとばかりに、委員長がため息をつく。
プレゼントボックスを無事に手渡せたことで、赤坂は思わず胸をなでおろしてしまった。
「開けていい?」
「どうぞ」
そうして委員長は、ガラス細工を扱うかのような手つきで包装紙を解いていく。
丁寧だなあと赤坂は思う。気の短い自分だったら、思わずべりべり破いてしまっているところだ。
――そうして、包装紙からめろんと飛び出してきたのは、
「これ」
委員長が、眼鏡をあわてて整え直す。
そうしてほんの少しの間を置いて、委員長は机の上に置かれた「これ」をじっと見つめていた。
「どうかな?」
「どうって、これ……」
「あざらしのぬいぐるみだよ。ほら子供の頃さ、一緒に水族館に行った時さ、あざらしのことを可愛い可愛いって言ってたじゃないか」
「……よく覚えてるわね」
「いいだろ、別に」
へらへら返事をする。実際は、笑顔に満ちた委員長の横顔が未だ忘れられないくせに。
――もちろん、いまの委員長のことも好きだ。たぶん、委員長だったら何でも良いのだと思う。
「……ぬいぐるみ、か」
「あ、あー……趣味に合わなかった? なら、返品しても」
「いい」
委員長の手のひらが、ぬいぐるみの頭の上にぽんと置かれる。
「大切にするわ」
「そうか、それはよかった」
「……じゃ、そろそろ帰ろうかしら」
委員長の言葉通り、机の上の勉強道具が次々としまわれていく。
生徒会の仕事もあるだろうに、よくぞここまで精力的に活動出来るなあと思う。
「じゃ、あなたもそろそろ帰りなさい。車に気をつけるのよ」
「へいよ」
「じゃ」
ぬいぐるみを抱え、学生鞄を片手に――委員長は、ひとっ走りで教室から出ていってしまった。
誰もいなくなった教室の中で、赤坂の口から「え」が漏れる。あまりの唐突さを目にしたせいで。
しばらくはそのまま突っ立ったまま。やがてチャイムが鳴り響いて、赤坂の意識をぴくりと震わせた。
両肩で、大きく息をする。
気に入ってくれたかな、あれ。
気に入ってくれると、いいんだけれど。
そうして赤坂も、学生鞄を片手にしながらで教室を後にする。窓から、金属バットの反響がよく伝わってきた。
―――
大急ぎで帰宅した私は、学生鞄を机の上に放って、ベッドの上に飛び込んで、あざらしのぬいぐるみを強くぎゅうっと抱きしめた。
――覚えていて、くれたんだね
そういうところがずるいなあと、苦笑いをしながら思う。
そうして、ぬいぐるみを抱きしめたままで仰向けになる。
生徒会員らしからぬ姿だ。
けれど、いまはこれでいい。こうでもしないと、幼馴染のあいつのことをじっくり考えられないから。
――あいつはいつも、あんな感じだ。
私はみんなから頼られて、私は勉強ができて、私は決して弱音を吐かないつもりでいるのに。それなのに赤坂は、いつだって本当に困った時というやつを見抜いてくる。そして、あの手この手でぎこちなく尽くしてくれるのだ。
幼馴染だからこそ、本当の顔というやつがわかるのだろうか。
そんなの、
「……ずるいよね」
「好き」を、きゅっと抱きしめた。
――
「おはよう」
「え」
登校中に声をかけられて、心底驚いた。
朝から委員長と一緒だなんて、ずいぶん久しかったから。
「? どうしたの?」
「い、いやなんでも。それよか、あー、えっと」
真っ先に聞きたいことほど、口に出しづらいものだ。
赤坂はらしくなく、頭を掻きながらでテレる。委員長は相変わらずの無表情のまま、まばたきを繰り返す。
「なに? 何か聞きたいことでも?」
「い、いやそれは」
「言ってみて」
ぐい、と気圧された。
優等生である委員長だが、何だかんだで押しは強い。だからこそ、クラス内におけるヒエラルキーも高い。
そんじょそこらの男でしかない自分なんて、
「えっと……どうだった? ぬいぐるみ」
「あ――」
そうして、委員長は目をそらしてうつむいてしまった。
え。
何か、まずいことでも聞いてしまったのだろうか。
足は学校へ向けたまま、気が利く言葉を思いつけずに数分が経つ。やがて、顔なじみの赤信号が行く手を一時的に遮った。
「……あの」
「うん」
「その……うれし、かった」
委員長は、顔を下げたままだった。
だからこそ、リアリティが強く伝わった。
「そ、そうか。それは、よかった」
「うん」
その言葉だけで、十分だった。
だから赤坂は、これ以上のことは何もしない。だって、委員長のことが好きだから。
「ねえ」
「うん?」
赤信号が、長い。
「えっと、あの」
「うん」
赤信号が、長い。
「赤坂はさ、その、今週の休みは、」
「え」
赤信号が、長い。
「その――暇、かな? よ、よかったらその、水族館に行かない?」
「……どうして、急に?」
そのとき、委員長と目が合った。
相変わらずの無表情だった。眼鏡が、朝日に照り返されている。すこし長めの髪が、羽根のように揺れていた。
「――赤坂がくれたぬいぐるみを見ていたら、その、本物のあざらしを目にしたくなって」
信号機が、ようやく点滅した。
委員長の、人を射抜くような瞳はどこか怯えるように揺れている。
――そうか。
俺は委員長の、桜庭の言葉に対して、はっきりとこう返した。
「当たり前だろ。桜庭となら、いつでも」
いま、青信号になった。
俺たちを遮るものなんて、もうなにもない。
あるのは、桜庭のぎこちない微笑みだけ。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。