明日奈の葬儀から一月が経った...
未だ、夫との家庭内別居は続いている...。
私は、明日奈の事を何も知らない...
あの時感じた気持ちから目を背ける為、また、家族と会わない寂しさを忘れる為に、私はそれまで以上に仕事に傾倒していった...
今や、自宅には寝るために帰っているような状態だった。
夫の方も、同じように仕事にのめり込んでいるようだ。
息子は、相変わらず中立を貫いているが、息子も息子で仕事が忙しく、この一月の間、ほとんど話をしていない。
そして、私は...
仕事をしながらも、最近ふとした拍子に考える事があった。
幸せとは、なんだろうか...
私は、自分で言うのもなんだが、仕事においては努力の末に大学で教鞭を取ると言う成功を納めている。
家庭においても、結城家と言う由緒ある家に嫁ぎ、周りが羨むような環境を手にしている。
では、私は幸せなのだろうか?
その問いに、即答出来ない自分がいる...
そんな時、決まって思い出す事があった。
あれは、明日奈がナーヴギアから開放されて、まだ入院している頃の事だった。
一度だけ、桐ヶ谷君が明日奈に面会している所に遭遇したのだ。
あの時の明日奈は、楽しそうに...嬉しそうに...とても輝いた笑顔を桐ヶ谷君に見せていた。
私は、その時、明日奈のその表情にとても苦々しい思いをしていた。
こんな子に思いを寄せていたら、只でさえ周りから遅れてしまっているのに、手後れにになってしまう。
このままでは、明日奈の将来に響く...そう思ったのだ。
でも、今、あの時の明日奈の表情を思い出すと思うのだ。
人は、あれほど幸せそうな、輝く笑顔が出来るものなのかと...
明日奈は、家であんな笑顔を見せてくれたことがあっただろうか...
私は、あんな笑顔をした事があっただろうか...
「...い...んせい...結城先生!」
「!?はい。なんですか?」
気が付くと、一人の女学生が私の前に立っていた。
また、やってしまった...
ここ最近、幸せについて考える事が多くなって、注意力が散漫になっている。
「ごめんなさいね。ちょっと考え事をしていたもので。何か用かしら?」
「えっと...大丈夫なんですか?もし調子が悪いようでしたら、後でも構いませんので...」
その女学生は、私を心配してそう言ってくれたけど、体調に問題があるわけでも無いし、何よりも私が、無視をしてしまった形だ。
あきらかに私が、悪い。
「大丈夫よ。それで...なんのご用かしら。講義の内容に対する質問ですか?」
私の問いに、その女学生は、
「いえ、質問じゃないんです。実は、来年度、進級したら、私...先生のゼミに入りたいと考えてまして。今から、勉強をしておいた方が良いことがあれば、教えてほしいと思って声を掛けさせて貰いました。」
私は、感心してしまった。最近の学生は、ほとんどが大学を、中学や高校と同じに考えて、与えられた事をこなす事しかしない子が多い。
しかし本来、大学という場所は、自分のやりたい勉強を教授から講義として聞いた上で、自分で研究して行くための場なのだ。
そんな中で、この女学生は自分から、今後に必要なものを聞いてきた。
とても意欲的な学生なのだろう。
私は、久しぶりに嬉しくなり、その女学生の質問に詳しく答えた。
「ありがとうございました。」
答えを聞いて納得したのだろう。女学生はそう言って頭を下げた。
「随分と、熱心だけど何か目標でもあるのかしら?」
私は、何気なく思った事を口に出した。
すると、その女学生は輝く笑顔で答えた。
「はい。実は私...実家を出て、ある男性と結婚してるんです。でも、お互い若いし収入も少なくて...今は奨学金制度を使って、この大学に入ってるんです。だから、ここで頑張って良い就職先を見つけたくて...何よりも夫を支えて挙げたいんです。」
その笑顔に、私は明日奈の顔がダブって見えた。
決して、明日奈に似ている訳ではない。
こう言っては失礼だが、この女学生は平凡な顔をしている。
でも、同じだった...
桐ヶ谷君に向けた、明日奈の笑顔と...
詳しく聞くと、この娘はかなり裕福な家の出なのだそうだが、今の旦那との交際を反対されて、なかば家出に近い形で、その男性の家に上がり込んだのだそうだ。
その男性も、まだ働き始めたばかりで、大変だったそうだが、二人でなんとかやって来て、つい最近結婚したのだと言う。
「そう。そんなに大変で...貴方は本当に幸せなの?」
私は、どうしても知りたかった。彼女の答えこそが、私の最近の悩みの答えなのだと...そう思った。
「確かに、大変ですけど...」
その娘は、そこで一旦切ると、いっそう輝いた笑顔で、
「彼といられるだけで、私は幸せです。」
そう答えたのだった。
「ありがとう...」
私は、答えてくれた彼女に感謝の言葉を伝えた。
「あの...結城先生...大丈夫ですか?」
「え?」
「その...泣いていらっしゃる様ですけど...」
自分の頬に手を触れると、涙の雫が手に付いた。
そう...私は泣いているのね...
でも、不快な涙じゃない。だから...止める気になれなかった。
「大丈夫よ。本当にありがとう。」
私は、改めて感謝の言葉を伝えると、ふと、この子の名前を聞いていなかった事に気付いた。
「そう言えば、まだ名前を聞いていなかったわね。」
私の問い掛けに、
「あ、私の名前は...桐谷明日菜って言います。」
明日菜...そう...貴方もアスナなのね...
私は、何か運命のような物を感じた...
私の悩みに、アスナが答えをくれた...
「そう...明日菜さん。来年度、私は貴女を歓迎します。頑張って下さいね。」
私は決めた...この明日菜さんの卒業を見届けたら、大学を辞めよう。
そして、夫や息子に謝って、家庭を支える妻として、母として、もう一度やり直すのだ。
その日、珍しく夫も息子も早く帰宅した。
私は早速、これまでの事を謝り、また、これからの事を二人に話した。
私の話を聞いた夫は、
「京子...すまなかった。私はあの時、明日奈の死に動揺してお前を責めたが...私にも悪いところはあったんだ。」
「明日奈があれほど桐ヶ谷君に傾倒してしまったのは、私がナーヴギアから開放されたあの娘のメンタルケアから何から、すべて桐ヶ谷君に任せてしまったからだ。本来なら私たち家族がしなければならないことを、仕事を理由に、桐ヶ谷君に任せてしまった...私は...あの子の父親失格だ...」
知らなかった...夫がそんな風に悩んでいたなんて...
「父さん。母さん。僕も同じです。明日奈の兄として、至らなかった...」
「私たち...皆間違えたんですね...もう一度...やり直せるかしら...明日奈はもういないけれど...彰三さんと...浩一郎と...私と...三人で...」
「ああ。もちろんだとも。」
「父さん、母さん、よろしくお願いします。」
私たちは、今日。本当の家族になれた。
ありがとう明日菜さん...あなたのお陰よ。
そして、ごめんなさい。明日奈...私が、もっと早く気付けたら、ここに貴方もいられたのに...
でも、お母さん頑張るからね...見守っていてちょうだい...明日奈...