展開が遅いのは許して下さい
歌いながらピアノを弾いてから、2時間が経過した。案の定、天気は崩れた。雨が降ってきたとはいえ、油断は禁物だ。燐子先輩が俺の家に泊まるという、最大の壁が立ちはだかっているんだ。だから、安心はしてはいけない。
「ちょっと風呂沸かしてきますね」
「うん……待ってるね」
部屋の扉を開け、俺は浴室に向かった。風呂は先に先輩に入ってもらうか。俺はシャワーで済ませよう。燐子先輩が入った後に風呂に入るのは気が引ける。そもそも、女性が入った風呂に男が入るのはタブーだ。家族や恋人はまだいい。世話になっている人や知り合いってなると、話は変わる。
「燐子先輩の入った風呂に俺が入る……何を考えてるんだ俺は!?」
燐子先輩がいるのに、何を考えてるんだ!?こんなことを考えるのは先輩に失礼だ。燐子先輩を卑しい目で見たくない。それは好きな人を裏切るのと同じ、もしバレたら人生が終わる。
浴槽を洗い、栓をして自動ボタンを押す。風呂が出来るまで10分くらい掛かる。それまで何をするか……。夕飯を作るか、燐子先輩と話をして時間を潰すか、どっちにするか。
考えても仕方ない。浴室を後にし、部屋に戻ることにした。とりあえず、先輩と話をするか。後、先輩が風呂に入ってる間に着替えも用意しないといけないな。忙しくなるが、燐子先輩のためだ。
「お待たせしました燐子先輩」
「そんなに待ってないよ。お風呂……どのくらいで出来そう?」
「10分くらいですね。風呂はお先にどうぞ、俺はシャワ―で済ませますので」
「私が先で……いいの?千景君が先でいいよ。私は……後で入るから……」
「いえ、俺は後でで大丈夫です」
俺は先輩と言い合った。どっちが先に入るかということで言い合った。俺は後輩で、燐子先輩は先輩だ。だから、俺は後でいい。俺が先に入ると、色んな意味で危ない。そうなる前に、先輩に譲らないと駄目だ。
「分かった……千景君がそういうなら……先に入るね」
「お先にどうぞ。俺は着替え探しますね」
「頼りにしてるよ……千景君……」
「え、ええ。バスタオルは洗面所にありますので……何かあったら言って下さいね。呼び出しボタンがありますので、それで呼んでください」
先輩はそう言いながら片目を閉じ、部屋を出た。所謂、ウィンクだ。あの燐子先輩がウィンクをするなんて予想してなかった。された瞬間にドキッとしたが、威力がデカすぎる。あんなのされたら、気まずくなるだろ。
▼▼▼▼
恥ずかしい。私、何で千景君にウィンクしちゃったんだろ……。無意識にやっちゃったけど、千景君大丈夫かな?
「私……何やってるんだろ。千景君の家に泊まるって決まってからおかしくなっちゃったのかな?」
あのウィンクは本当に無意識だ。狙ったり、意識してやった訳でもない。こんなことを思ってても説得力は無い。今は忘れよう、お風呂に入って無心になろう。それで、出たら千景君とまたお話をしよう。せっかくのお泊りなんだ、楽しくしたい。
下着を脱ぎ、浴室に入る。自分でも大きいと感じる胸とお尻、何でこんな身体に成長したんだろう。周りからは身体目当てのように視線を感じる。本当に怖い。でも、千景君だけは違う。彼は私に普通に接してくれてる。私のことを卑しく見ていない。ちゃんと見てくれてる。
「千景君は私のこと……どう思ってるんだろ」
気になるけど、聞いてもいいのかな?何か言われたらどうしよう、拒絶されたらどうしよう。そう思うと聞くのが怖い。そのせいで、私は勇気を出せない。一歩を踏み出せない。これじゃあ、千景君の隣に立つのは相応しくない。
「こんなことを思ってても駄目だよね……。友希那さんや今井さん、氷川さんやあこちゃん、皆応援してくれてるんだ」
いつまでも怖気づいてちゃ駄目だ。こんな私は私じゃない。白金燐子はそんな女の子じゃない。私は……変わるって決めたんだ。変わって、千景君の隣に立つって決めたんだ。
あの後、私は気持ちを切り替えることにした。このままお風呂に入り続けてるとのぼせちゃう。のぼせたら、千景君にまた迷惑を掛けちゃうし、私の裸まで見られちゃう。それは恥ずかしいし、避けたい。
身体を洗い終え、私は浴室を出ることにした。千景君、着替え持ってきてくれたかな?置いていってくれてるかもしれないし、大丈夫かな。
「千景君、何してるかな……。気になるけど、服着なきゃだね」
着替えは置いてあった。千景君、ちゃんと置いてくれたんだ。置いてあったのは、ジャージだった。このジャージ、花咲川のジャージだよね?サイズ、合うかな?
▼▼▼▼
燐子先輩が風呂から出た後、俺達は夕飯を済ませた。先輩には俺のジャージを貸すことにした。着替えを置いたのはいい。だが、俺はある物を見てしまった。
ーーそのある物とは、燐子先輩の下着だ。
先輩は替えの下着を持っていない。だから、置いてあったのは仕方ないんだ。燐子先輩の下着は黒だった。せめて見えないようにしてほしかった。無防備過ぎにも程がある。俺じゃなかったら襲われてただろ。
先輩はもうちょっと気を付けた方がいい。やっぱり、側にいた方がいいか?
「ありがと千景君。夕飯まで……作ってくれて」
「俺の方こそ、手伝って頂いてありがとうございます。シチューの味はどうでしたか?」
「美味しかったよ。千景君が作ってくれたんだから……美味しいに決まってるよ」
「そこまで言われると照れますね。美味しかったのなら作った甲斐がありました」
よかった、美味しいって言ってくれた。好きな人に直接的言われると凄く嬉しいな。燐子先輩に言われる、それだけでも作ってよかったって思える。
しかし、サイズでかかったか?燐子先輩は俺のジャージを着てるが、ちょっとダボダボになってる。袖は手がちょっと出てるくらいだし、胸元は見えそうだし、問題だらけだ。下は下手に歩けば踏み外すかもしれない。
「燐子先輩、ジャージ大きいですけど、着れてます?」
「一応……着れてるかな」
「微妙といったところか。俺が隣にいますから、部屋に行くときは一緒に行きましょ」
「そうだね。何かあったらマズイよね……お願いしてもいい?」
もちろんです、俺は燐子先輩の手を取りながら言った。当たり前だ、貴女に頼まれなくても俺はそうする。踏み外したらちゃんと抱き止めよう。
俺は燐子先輩が足を踏み外さないように手を繋ぐことにした。恥ずかしいが、やった方がいい。先輩に怪我をされたら俺の身が持たない。それにしても、手を繋いだ瞬間に先輩の表情が明るくなったが、何かあったのか?
手を繋ぎながら部屋に向かうまでの間、二人共無言だった。先輩は明るい表情、俺は顔を赤くしていることを隠しながらという奇妙な状況が続いただけだった。
「歩きにくくないですか?」
「千景君が手を繋いでくれてるから……大丈夫だよ」
「よかった。部屋に着いたら風呂入ってきますね」
部屋に入り、俺は先輩の手を離した。名残惜しいけど、風呂に入らないといけない。繋ぎ続けていると時間が無くなっていく。だから、今は離そう。
俺は寝間着を持ち、浴室に向かった。燐子先輩、手を離した瞬間にまた手を繋いでほしそうに見てたけど、大丈夫かあの人?後が不安だけど、聞いてみるか。いや、聞くの恥ずかしいな。
「時間は……7時半か。寝るまで時間はあるけど、シャワー浴びたら何するか」
正直不安しかない。家にいるのは俺と燐子先輩、二人だけだ。そう、二人きりだ。母さんと父さんがいたら大惨事になっていた。それに、寝る時のこともある。その時はどうするか。
ーー考えるのはやめよう。その時は……その時だ。
地獄という名の天国まで、もう少し