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日本連邦統合軍は日本国自衛隊を基幹とし、日本連邦に参加する7つの邦国軍で構成されている。
統括管理するのは日本連邦防衛総省である。
とは言え各邦国が予算と人を出すだけで各邦国軍に関与できないかと言えば、そうではない。
逆に、日本連邦統合軍へと供出した部隊にせよ、していない部隊にせよ、各邦国軍はその帰属する邦国政府の意向を強く受ける事となる。
改正された日本連邦の規約に於いて、そう定められてるのだ。
日本は、法治と言うものを厳格に運用する所があるのだ。
或はそれは官僚的な考えであるとも言えた。
自らの力の泉源である法。その法の権威を非常事態だからの一言で蔑ろにする、
アメリカとチャイナとの戦争に於いて言えば、日本政府はその憲法の制約故にアメリカに対して、参戦要請を受けても日本連邦統合軍の投入は不可能であるとG4の連絡部会で通達していたが、同時に、シベリア共和国がフロンティア共和国との安全保障条約に基づいて参戦する事を止める事が無かったのが範例と言えるだろう。
日本連邦は日本政府の方針とは離れ、アメリカとチャイナの戦争と言う沼にずっぽりと首まで浸かる事となる。
――グアム
SMS社が統括する
これはアメリカの強い意向によって移動を最優先で行った事が理由だった。
しかも、只でさえてんやわんやと云った状況であった上に、政治的な理由から第501偵察大隊を南モンゴル西方域への緊急展開を命じられたのだ。
第501機械化師団総体としての戦争準備が滅茶苦茶になったのも、ある意味で当然であった。
米国の力の切っ先として非常時ともなれば世界中に真っ先に派遣される第3海兵師団を前身とした第501機械化師団であったが、既にその頃から数えて20年近くが経過しており、特に兵卒は完全に入れ替わっている事もあって、即応能力は極めて低下していた。
シベリア独立戦争にも派遣されず、それ以外の細かい紛争にも投入される事が無かったのだから、ある意味で当然であった。
日本連邦統合軍で随一の実戦経験を持つ第501機械化師団が出動を命じられる事の無かった理由は、日本と在日米軍との間での微妙な、ある意味で政治的な問題があった為である。
タイムスリップ以来、日本とアメリカの鎹であり、同時に日本への武力支援を担ってきた在日米軍であったが、それは航空及び海上部隊に限られてきていた。
陸上部隊は陸上自衛隊の、後には日本連邦統合軍の総予備と指定され、常に
戦闘を行えば確実に消耗する
グアム共和国の総人口は在日米軍や日本滞在中であった米国人の移住者を含めても300,000人に満たない程度であるのだから仕方が無い。
労働人口に占める軍人の割合から考えれば、総兵力で50,000人近い規模を維持している事が非難される状況ですらあった。*1
同時に、自衛隊による在日米軍との友諠に基づいた配慮が原因でもあった。
日米安全保障条約以来の友軍として、日本連邦統合軍にあってグアム共和国軍は別格とされていた。*2
又、友軍としての歴史以上に重要視されている事があった。
世界最強を誇り、様々な戦訓を重ねた米軍としての知見だ。
米軍の高等教育を受けて来た在日米軍の将校団は、その智を以って日本連邦統合軍を支える
とは言え、1930年代に入ってからはアメリカ陸軍との交流の積極化と共に、将兵の
これに併せて第501機械化師団は部隊を再編する事と成る。
元々の第3海兵師団が2個歩兵連隊を基幹とし、戦車部隊も保有しない
第501機械化師団は、戦車こそ31式戦車であったが、それ以外は陸上自衛隊と同じ最新鋭装備を持った打撃師団へと生まれ変わったのだ。*4
――第501機械化師団 第1戦車大隊
装備練度共に精鋭と言って良い第501機械化師団の将兵は初陣を前に程よい緊張感と興奮に包まれていた。
第501戦車大隊の将兵を除いて。
此方は、ほぼ全員がチャイナとの戦争が後1年遅ければと呪詛を吐いていた。
それはその理由は、今、本土*5で試験中の次期主力戦車が原因であった。
42式戦車、乃至は43式戦車と呼ばれるであろう
次期主力戦車の
31式戦車が使えない戦車である訳では無い。
だが、シベリアの広大な大地での運用を前提に設計された
主砲こそ10式戦車と同じ44口径120㎜滑腔砲であったが、装甲には複合装甲と共に実用化されたばかりの通電式電磁装甲が空間装甲を兼ねて採用されていた。
エンジン出力は1800馬力。
泥濘地帯であろうとも、飛ぶように駆け抜ける機動力を持っていた。
だが一番の特徴は、
その能力は、非常時には
後数年、戦争が起きるのが遅ければ、その様な戦車で実戦に挑める可能性があったのだ。
第501戦車大隊の将兵が微妙な気持ちになるのも当然であった。
尤も、彼らが保有する31式戦車自体も日本連邦統合軍以外にとっては垂涎の超戦車であり、近くで慣熟訓練中であったバルデス国第7機械化旅団やフロンティア共和国第21自動化師団の戦車部隊将兵は暇を作っては見学に来ていた。
そして衝撃を受けていた。
両国の戦車部隊に対してアメリカが支給しているのはシベリア独立戦争時に主力であったM2中戦車と、その運用実績と戦訓を基に開発したM3中戦車である。
些か古臭いM2中戦車は兎も角、新鋭として渡されたM3中戦車であっても31式戦車と比べれば見劣りがしていたのだ。
ソ連の誇るKV-1重戦車などとも戦える様にと、30t級の車体に無理矢理に90㎜砲を搭載した結果、些か車体に比べて砲塔が
同行していたアメリカ軍戦車将校は、余りにも31式戦車を羨ましがる両国の戦車兵に面白くないモノを感じ、上層部に対して31式戦車に対抗して新鋭の戦車 ―― フロンティア工廠製の40t級のM24重戦車を持ち込む事を上申した。
それどころか、東ユーラシア総軍司令官も見物に訪れる程に積極的であった。
運用の際の能力比較確認と言う
目の前でM24E3重戦車と
――
開戦して2ヶ月が経過した戦争の状況は
送り出した3個師団分、優に60,000名余りの将兵の約2割が死傷したと言う報告が上がって来たのだから冷静で居られる筈も無かった。
無論、戦死者にせよ負傷者にせよ十分な手当てが遺族、当人、政府にも入ってはいるのだが、それはそれ、これはこれである。
アメリカ軍が当初説明していた部隊運用は、
だから砲兵部隊も付けられていない自動車化された軽歩兵師団だったのだ。
にも関わらず、第1次河北会戦ではチャイナ北京鎮護軍の猛攻を正面から受け止める事となり、大損害を被ったのだ。
機甲戦力すら含んだ北京鎮護軍の攻勢を受け止めてみせた義勇師団は美事であったが、それはそれ、これはこれである。
併せて、日本に対しては国連決議に基づいて
その理由は金、ではない。
劣悪な装備のまま、再度のチャイナの攻勢を受けるであろう義勇師団への支援であった。
シベリア総軍に派遣している部隊を転用させろと言う訳では無い。
只、朝鮮方面隊隷下の2個師団、
併せて、チャイナから万が一の渡洋攻撃を想定して第214警備師団の動員が行われる事とされた。
警備師団は
派遣許可の要請を受けた日本政府は、状況を勘案した上でこれを了承する事となる。
同時に、日本総軍西部方面隊第4機械化師団から1個連隊戦闘団を編成し朝鮮半島へ派遣して、動員される軽装備の第214警備師団の支援を行う事を決定した。
日本政府は防衛総省からの報告を基に、チャイナ側が渡洋作戦を行う可能性は低いと判断していたが、同時に
兎も角、派遣の許可を得た
要請を受けた東ユーラシア総軍参謀団の反応は芳しいものでは無かった。
政治的要求もあって広域に展開する事となった第1軍は、チャイナの反攻作戦を受ければ
総司令官の強い要請を受けて、アメリカ政府が
これに
2個の増派する自動化師団は、コリア系日本人の若者の血が無為に流れない為のものであると強く要求する事となった。
本来、
何故なら、義勇師団が大きな被害を受けた理由が、東ユーラシア総軍参謀団による事前の戦争計画の杜撰さと、開戦後の戦争指導の誤りが大きかったからである。
政治的な理由があったとは言え、それで全てが許される訳では無いのだ。
――
日本連邦成立後は友邦国に囲まれる形となって居たが故に、平穏のままに日々を過ごし実に影の薄かった
ジャパン帝国の末裔として、武名を世界に響かせる好機であると。
極端に血の気の多い名誉乞食の類は軍や政府などの公職から追放されて久しいが、残っていたジャパン系日本人が名誉も要らぬ木石に類される人間では無いのだから。
更には、ジャパン帝国の末裔として
戦場が欲しい。
日本ソ連戦争に於いて、一部の過激な人間の愚行によって背負う事となった
又、
此方は経済、産業的な意味である。
無論、お披露目の目的は海外への積極的な売却である。
日本政府はこの
国際連盟安全保障理事会の決議に基づいての派遣であるので大義名分はあり、派遣に掛かる費用もアメリカ持ちであるのだ。
派遣する戦力も前線 ―― シベリア総軍に派遣している部隊は動かさない為、戦力として考えれば特に問題は無く、反対する理由が乏しいと言うのが実状であった。
とは言え、戦場で死傷した将兵への見舞金その他や、損耗した装備の補充の費用に関しては
日本は日本連邦の
いくつかの、義勇軍派遣に関わる取り決めを行った上で、日本政府は
第101義勇自動化師団は、その戦意を表すような恐ろしい速さで派遣準備を整え、SMS社の手で海を渡るのであった。
到着は、奇しくもチャイナ北伐総軍が攻勢に出る前日であった。
グアム共和国軍の規模が認められている背景の1つには、独立当初のグアム共和国経済に於ける軍に関連する雇用の大きさがあった。
タイムスリップ以前のグアム島の産業が、観光を柱としていたが故の事であった。
有り体に言って、日本の地方経済が
とは言えそれで全てが解決する訳では無い。
在日米軍でグアムの経済が維持されるとして、その在日米軍を維持する金は誰が出すのかと言う問題が残っていたからだ。
この時点でアメリカはグアムと在日米軍を維持するコストの余りの高額さと、その支えるべき在日米軍とその関係者の大半が非白人層であった為、積極的な支援に及び腰であった。
純然たる白人国家であるアメリカにとって、
例え、100年先の科学技術を収集できるとは言え、それが直近の選挙へ好意的な影響を与えるとは考え辛いのが現実であった。
民主主義国家の弱みと言えるかもしれない。
グアムと在日米軍としても、1920年代のアメリカの事情は把握していたし、理解もしていたが、今日明日の生活を、食事を必要としていたのだ。
故に、グアムと在日米軍は日本を頼り、日本も又、グアムの不安定化を避ける為に莫大な
グアム共和国として日本連邦にグアムと在日米軍が参加する事となった背景には、この様な生臭い現実があった。
日本と
日本連邦が成立してまだ間もない頃は特に顕著であり、統合連邦軍の
尚、その後、酔っ払い共の小競り合いになって、最後は日本も邦国も入り乱れての大乱闘と言う酷い事になってしまった為、
とは言え日本連邦統合軍としての体裁が整って10年以上が経過し、シベリアで行われる大規模演習などで
但し、嫉妬は消えなかった。
16式機動戦闘車を筆頭に、
高度な装備への習熟度合いとの兼ね合いと言う理由もあったのだが、人間、そう易々と妬心を消せる筈も無かった。
大国軍の末裔と言う意味に於いては、ロシア極東軍の流れを汲むオホーツク共和国軍も同様であったのだが、此方はタイムスリップに巻き込まれたのが千島列島に駐屯していた小規模部隊であり、最上級将校が中佐であった事もあって、歴史的経緯を抜きにしても日本連邦統合軍内に於いて強い影響力を持てる筈も無かった。
露国軍経験者はグアム共和国軍への対抗意識から、ソ連軍亡命者を組織して邦国軍随一の陸軍を建軍しようと試みたが、オホーツク共和国の人口がソ連からの亡命者などを含めても500,000人にも及ばない為、50,000人規模の陸軍を維持するだけで精一杯であった。
この状況に切歯扼腕していたオホーツク共和国軍上級将官の一部過激派は、シベリア共和国が独立するや否や、ロシア人連帯としての合併を検討した。
無論、狙ったのは軍の拡大に必要な
シベリア共和国を
とは言え、その検討を知ったオホーツク共和国政府は大いに慌てる事となる。
それはロシア復活への志向であると見られ兼ねない行為であり、日本政府の勘気に触れる行為であると危惧されたからだ。
この時点でのオホーツク共和国の経済は、石油資源の使用が国家統制から外れた事によって漁業と水産加工を中心とした産業が隆盛しつつあったが、それでもまだまだグアム共和国と同様に日本の
又、医療システムを筆頭に、様々な生活インフラが、日本からの支援あればこそ成り立っていたのだ。
この状況下で日本の怒りに触れる事はオホーツク共和国の経済的破滅に繋がりかねない狂気の沙汰としか言いようの無い危険行為だったのだ。
オホーツク共和国政府が慌てるのも当然であった。
慌ててオホーツク共和国は軍に対して検討の中止と、検討資料の廃棄を命令する事となる。
当然、オホーツク共和国軍首脳部は上級将官を含む過激派も、身内であると庇おうとしたが、オホーツク共和国政府はそれを許さなかった。
ここで、オホーツク共和国軍が軍事クーデターなどを考えなかったのは、10年を超えて繰り返された日本式の民主主義と法治主義の教育の賜物と言えた。
そして何より、軍事クーデターを起こした場合、即座に日本が鎮圧に走ると言うのが目に見えていたと言うのが大きい。
オホーツク共和国軍は忘れていなかった。
日本ソ連戦争の際、日本に民族的な意味で最も近い
統治者としては基本的に緩い日本であるが、事、軍の暴走に関してはどの様な規模であれ、その一切を許す積りが無いと行動で示していたのだから。
オホーツク共和国政府に恭順した軍の過激派には、その潔さから責任者の公職追放こそ行われ無かったが、責任者から末端の士官まで降格や減給などの厳しい処分を受ける事となる。
尚、日本政府は、個別の邦国連絡会議の場でオホーツク共和国政府による処罰を了承する旨を
雑談の中で何気なく行われた通達に、オホーツク共和国政府は恐怖した。
通達は、シベリア共和国軍での検討が筒抜けであった事を示していたのだから。
兎も角。
この様に、日本連邦として1つの国として纏まってはいたが、建国当初の日本とオホーツク共和国との間には一定の緊張感があった。
しかしそんな2国関係も、日本連邦建国から10年を経た頃には、すっかり弛緩したものになっていた。
オホーツク共和国が、政府も軍も周辺が
男衆は日本製の最新漁船でベーリング海峡でカニ漁をし、
女衆は日本製の服やら化粧品やら電気家具やらに心を打ち抜かれていた。
子どもたちは奔流となった
気が付けばオホーツク共和国は、日本連邦7邦国のなかで一番に日本化が進む国となっていた。
○オホーツク共和国軍(1942年編制)
第601機械化師団 (完全充足)
第602機械化師団 (完全充足)
第603自動化師団 (未充足/ローテーション用の予備部隊)
第604海上機動旅団(未充足/千島列島全域の警備と災害対応部隊を兼ねる)
10式戦車が配備されなかった理由は、その運用コストと後方への負担の重さもあったが、何よりも車内空間が手狭過ぎて、大きい身体をした米系日本人が長時間乗り続けるのは辛かったと言うのが大きかった。
米軍で
この状況で他に選択肢が無ければ10式戦車を受け入れていたのだが、この時点で邦国軍向けとしてやや大柄な31式戦車が実用化されていた為、第501戦車大隊は31式戦車を採用する事としたのだ。
31式戦車は10式戦車に比べて
尚、性能に関してだけ言えば、
1940年代に入ると生粋の米国人であった
これは、日本連邦への参加後に拡大化した交流によって、いつの間にか
流れ込んで来る豊富な物資と情報が日本語の習得への後押しをした結果とも言えた。
それは軍人であるが故に、米国への強い帰属意識を持っている
それどころか、グアム共和国軍へ派遣されていた自衛官や、英語の習得や米国文化への憧れなどからグアム共和国軍へ
そもそも在日米軍、日本駐留部隊であった為、
正規部隊は最低でも自動車化されており、国家と経済規模から考えれば過大とも言える戦力であったが、その殆どがシベリア総軍に供出されており、その維持運用費用は全額日本が負担していた。
日本陸上自衛隊や
尚、
その戦闘力は機械化師団に準じるものがあると判定されていた。
○
第201機械化師団(完全充足)
第202自動化師団(完全充足)
第203機甲旅団 (完全充足)
第204自動化師団(完全充足)
第205機械化師団(完全充足)
第211警備師団 (予備部隊/海外派遣要員の所属部隊を兼ねる)
第212警備師団 (予備部隊/海外派遣用意の所属部隊を兼ねる)
第213警備師団 (予算上の都合から師団司令部以外は存在しない帳簿上の部隊)
第214警備師団 (予備部隊)
※
>普通化連隊(自動車化)
>普通化連隊(自動車化)
>普通化連隊(自動車化)
>戦車大隊
>偵察大隊
>特科連隊
厳冬の大地と言う、環境的に工業化の難しい中で
軍装備の
その努力あればこそ、40年代に入ってから行われた日本の国策 ――
日本政府の方針があるとは言え、企業は条件が悪ければ唯々諾々と従う事はないのだから。
航空機製造工場が出来た後は、その取引によって地場のメーカーは技術力を蓄える事が出来ていた。
この事が
北日本崎神重工業、略して北崎重工であった。
41式駆逐戦車は、北崎と
重量が20tを切る車体に300馬力級の日本製ディーゼルエンジンとトランスミッションを搭載している為、高い信頼性と共に軽快な機動力を誇る。
火力は、砲塔の無い固定式の戦闘室にブリテン製6lb.砲を採用している。
装甲 ―― 鋼材は全て日本からの輸入品となっており、同一厚の諸外国製よりも高い性能を誇っていた。
射撃指揮システムなど
同一任務向けの車両としては、
にも拘らず、北崎と
1つは、38式戦闘装甲車が大柄であると言うのが理由であった。
生産コスト削減の為、
3mと言う数値は並の戦車よりも遥かに高く、
対して41式駆逐戦車は砲塔を採用しなかった事もあって2.2mを切る車高となっており、通常の移動時の被発見率が低く、
2つ目は値段である。
輸出を前提に開発された38式装軌装甲車であったが、割り切りが甘く、陸上自衛隊向けに開発された
しかも、製造は日本国内で行われている為、人件費も高い。
これに対して41式駆逐戦車は、必要最低限度の装備以外は全て省かれており、人件費の安い
如何に基本コンポーネントを輸入に頼っているとは言え、値段の差が歴然と出るのも当然であった。
尚、3つ目は、日本連邦邦国初の戦闘車両開発と言う名誉が欲しかったと言うものである。
かの様に様々な理由の下で開発された41式駆逐戦車は、防衛装備庁による審査と試験を終え、日本連邦統合軍の正式駆逐戦車として承認されていた。
エンジン、主砲、装甲と重要なコンポーネントは全て日本他から輸入し、設計と組み立てだけを北崎が行う、ノックダウン生産の様な車両であったが、この41式駆逐戦車があればこそ、北崎重工業は
東ユーラシア総軍派遣部隊は、日本連邦統合軍シベリア総軍からの抽出を認めないと定められていた。
ここで
第102軽機動旅団から歩兵連隊を1個を引っこ抜いて第101軽機動旅団に編入、第101義勇自動化師団へと改編改称したのだ。
ローテーション用部隊を解体すると言う荒業に、日本の防衛総省は唖然としたのだった。
部隊のローテーション自体は、各邦国軍が担当するものであり、特に規定がある訳では無いのだが、前線に配備された部隊の士気は下がる ―― そう危惧したのだが、その前線部隊である第103機甲旅団の将兵は溢れんばかりの情熱を持って第101義勇自動化師団を激励し、それを支える為、ソ連との前線で奮闘する事を誓っていた。
○
第101義勇自動化師団 (完全充足)
第102自動化旅団 (未充足/1個歩兵連隊のみ所属)
第103機甲旅団 (完全充足)
※第101義勇自動化師団 臨時編成 (主要部隊のみ列挙)
第1011普通科連隊 (自動化)
第1012普通科連隊 (自動化)
第1022普通科連隊 (自動化)
第101駆逐戦車大隊(臨時編成)
第101重迫撃砲大隊(臨時編成)
読んで下さる皆様のお蔭をもちまして、第100話まで到達いたしました。
戴いている感想も励みとなっております。
ここに厚く御礼申し上げます。
これからもご笑覧頂ける様な作品作りに邁進いたします。
2020/04/30 文章修正
2020/05/04 文章修正