タイムスリップ令和ジャパン   作:◆QgkJwfXtqk

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102 チャイナ動乱-20

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 第1次世界大戦以来の、800,000を超える将兵がぶつかる大会戦が始まった。

 チャイナは必勝の念を込めて。

 アメリカは不敗を誓って。

 

 

【挿絵表示】

 

 

アメリカ / 東ユーラシア総軍

○第1軍

第1軍団

 第11機械化師団(US)

 第1機械化師団(Fr)

 第3機械化師団(Fr)

第11軍団

 第2機械化師団(Fr)

 第21自動化師団(Fr)

 第501増強偵察旅団(戦闘団)(Gs)

第12軍団

 第4機甲師団(Fr)

 第501機械化師団(Gs)

 第701機械化師団(Sr)

○第2軍

第2軍団

 第101義勇師団(kr)

 第102義勇師団(Kr)

 第103義勇師団(kr)

 第202自動化師団(kr)

 第204自動化師団(kr)

第21軍団

 第7機械化旅団(Bc)

 第101義勇自動化師団(Nj)

第23軍団

 第707自動化師団(Cr)

 第3自動化旅団(Bc)

 第24予備師団(Fr)

 

チャイナ / 北伐総軍

○第1北伐軍集団

3軍

 歩兵師団:8個

5軍

 歩兵師団:8個

11軍

 歩兵師団:8個

北京鎮護軍

 歩兵師団:4個

 機械化師団

 嚮導団

 第3騎兵師団

○第2北伐軍集団

21軍

 機械化歩兵師団:2個

 自動化歩兵師団:2個

22軍

 戦車師団:2個

 機械化歩兵師団:2個

 

 

――東部戦線(D-Day+69~83)

 アメリカ側の航空偵察を掻い潜り、夜間の移動によって攻勢準備を整えた第1北伐軍集団に属する3個軍24個師団は、払暁に動き出す。

 対してアメリカ側も戦闘準備を万全に整えていた。

 前線で備えていたのは東ユーラシア総軍第2軍第2軍団の5個師団だけであったが、地雷原と火点で武装した強固な塹壕と十分な弾薬を持ち込んでいた野砲があったのだ。

 又、2個の自動化師団は火力の乏しい義勇師団に、朝鮮(コリア)共和国で保管されていた予備装備*1を持って来ていたのだ。

 ボルトアクション式小銃が装備の主体であるチャイナ歩兵部隊に対し、火力に於いて圧倒する事となる。

 しかも陣地は後方に幾つも用意しており、適時、使用する許可が出ているのだ。

 第2軍団は司令部から一兵卒に至るまで、自軍の一桁上の規模を相手にした悲壮感、或は負ける積りは一切無かった。

 その自負を示す通り、第1北伐軍集団は初日の攻勢で第2軍団の陣地を突破する事は叶わなかった。

 それは2日目、3日目と変わらず、ただ死屍累々とした結果があるのみであった。

 一部では、陣地に取り付く事も成功したが、逆襲によって撃退されていた。

 とは言え、全てが第2軍団の思惑通りに展開していた訳では無い。

 第2軍団が展開し、守備するべき範囲は広過ぎるのだ。

 第1北伐軍集団は、その数的優位を活かす様に陣地の無い個所から南モンゴルへの侵入を図り、成功していく事となる。

 第1北伐軍集団による陣地への攻撃はある種、囮であった。

 運動戦による包囲を狙っていたのだ。

 とは言え、歩兵が文字通りに()()()であったが為、第2軍団は包囲される前に陣地を放棄し後退していた。

 多少の出血は強いられたものの当初の予定通りの戦況推移に、チャイナ政府軍参謀団の血気に逸った若い者などは満州回復(フロンティア共和国撃滅)とまで言い出す程であった。

 

 

――航空戦(D-Day+69~83)

 第1北伐軍集団が動き出した事で、チャイナ側の物資の集積状況が把握出来たアメリカ空軍は全力で爆撃に出る事となった。

 又、前線への近接航空支援も行おうとした。

 だがそれは、言葉にする程に簡単な事では無かった。

 この時点で、アメリカがフロンティア共和国に配置していた爆撃機は大小合わせて200機余りでしかなく、爆装できる戦闘機を含めても500機に届かないのだ。

 この規模の戦力で、連日10,00km2からと言う広大な戦線全てに手を回そうと言うのは些かもって無理があった。

 中隊規模で爆撃機を投入しても、チャイナ側も迎撃を図ってくる。

 護衛に戦闘機を付けるが、それ以上の数で迫られては被害が少なからず出る。

 圧倒的な性能を誇るF-1戦闘機(セイバー)であったが、チャイナのFJ-2戦闘機(ヴィーダシュタント・イエーガー)対策として全てを投入出来る訳では無い事も大きな原因であった。*2

 これらの大本は、攻勢と守勢と言う機先を制されている(イニシアチブを握られている)事が、投入できる航空機を縛っているのだった。

 とは言え、何の対応も採らないと言う選択肢はアメリカに無かった。

 予備として東シナ海に待機していた空母部隊、太平洋艦隊第3任務部隊(TF-1.3)*3による北京近在の航空基地攻撃が決定した。

 爆撃機部隊の攻撃に合わせて、空母2隻による全力攻撃である。

 先の渤海のチャイナ海軍基地撃滅で自信を持っていたTF-1.3の首脳陣であったが、この北京航空基地攻撃に関しては失敗に終わった。

 100機からの航空機が集中して投入されたのだが、チャイナ側も予備の戦闘機まで根こそぎに投入して迎撃したのだ。

 その数、約150機余り。

 その多くはレシプロ機であり複葉機すら含まれて居た。

 アメリカ海軍のレシプロ艦載戦闘機に比べて見劣りのする機体ばかりであったが、それでも数の優位と言うものはバカに出来ぬ力があった。

 倍とは言わぬ戦闘機に囲まれた艦載戦闘機隊は抵抗するだけで必死となり、艦攻/艦爆を守り抜く事が出来なくなったからだ。

 四方八方から好き放題に攻撃を受け、北京市の50㎞手前の空域で艦攻隊指揮官は攻撃の中止を宣言、部隊を撤退させた。

 最終的に、空母まで帰還出来たのは6割以下、54機だけと言う惨状であった。

 さながら北京市は航空要塞の如き状況であった。

 全般的に苦戦気味のアメリカ航空部隊であったが、唯一活躍していたのがF/A-3戦闘攻撃機(アーチャー)であった。

 前線への空爆を行いつつ、爆撃後は攻撃を仕掛けて来るチャイナ戦闘機部隊を排除すると言う八面六臂の活躍を見せていた。

 特に、日本から有償軍事援助(FMS)形式で提供されていた近距離空対空ミサイル(AAM-7)が威力を発揮していた。

 その高額さ故に銀の弾丸(シルバー・ブレット)などとも揶揄されるAAM-7であるが、1発必中で確実に相手を叩き落とすのだ。

 この為、東ユーラシア総軍司令部はF/A-3戦闘攻撃機を航空優勢掌握に転用すると共に、日本に対しては更なるAAM-7の売却を要請する事となる。*4

 

 

――西部戦線(D-Day+69~90)

 東部戦線とは異なり、此方の戦いは一進一退の状況を呈していた。

 数で差が少なく、質では圧倒されている東ユーラシア総軍第1軍を前に、北伐総軍第2北伐軍集団は攻めあぐねていた。

 少しでも前に出ようとすれば野砲が、その圧倒的な射程距離の差で一方的に叩いてくる状況にある為、助攻である第2北伐軍集団としては、無理な攻撃を行って貴重な戦車を無為に失う訳には行かないと言う事情があった。

 航空部隊は両軍共に東部戦線に軸足がある為、此方の上空での戦いは比較的のんびりとしていた。

 そもそもシベリア共和国空軍(日本連邦統合軍航空部隊)が展開しているのだ。

 アメリカの出番は小さく、そしてチャイナの活動する余地など少なかった。*5

 第1軍にとって問題は正面の第2北伐軍集団よりも、後方に侵入しつつある第1北伐軍集団であった。

 補給線がそう遠くない時間に寸断されるであろう事が見て取れたからだ。

 想定される状況であった為、武器弾薬燃料と食料、出来る限りの備蓄を進めては居たのだが、第2北伐軍集団との戦いでかなりの勢いで消費する羽目になっており、とてもではないが安心できる状況には無かった。

 

 

――第1騎兵師団(D-Day+69~74)

 東ユーラシア総軍の後方で暴れ続けていた第1騎兵師団であったが、第12軍団と第23軍団の都合5個師団から包囲されてしまっては、どうにも出来る事は無かった。

 隙を見て、モンゴル国への脱出も試みようとしたが、モンゴル国も軍を展開しだしているのが確認されており、南モンゴルを脱したとしても状況に違いは無かった。

 この時点で総兵力は1000名を切っており、武器弾薬食料、その全てが枯渇しつつあった為、第1騎兵師団師団長は1つの決断を下した。

 降伏である。

 今までの活躍 ―― (野盗)働きから、師団長は自身にせよ配下の兵にせよ降伏後の扱われ方に思う所はあったが、それでも全滅まで戦うよりも、幾ばくかの兵はチャイナに帰れるであろうと判断しての事であった。

 実際、戦争が終わった後にチャイナの地を踏めた人間は412名。

 降伏時の将兵の半分以下であり、そこに師団長以下第1騎兵師団幹部は誰も含まれていなかった。

 

 

 

 

 

 

*1

 日本で既に退役済みであり、各邦国軍の訓練用として配られた陸上自衛隊の旧装備 ―― 89式5.56㎜小銃や5.56mm機関銃MINIMI、果ては84㎜無反動砲等であった。

 訓練用と言う事で、多かれ少なかれガタは来ていたが、十分に実用に足る武器であった。

 本来、この様な急場で性能は良くとも()()()へと変える事は良くないのだが、そもそも、義勇師団の将兵は、この装備で育てられているのだ。

 その操作に悩む事も迷う事も無かった。

 弾薬の補給に関しても、2個の自動化師団の後方が受け持つ事とされ、万全と言って良い状況であった。

 

 

*2

 F-1戦闘機とFJ-2戦闘機が正面から同数で戦った場合、圧倒的にF-1戦闘機が有利であった。

 ドイツとチャイナの技術と努力の結晶であるFJ-2戦闘機であるが、対するF-1戦闘機は200㎞/毎時近い程に優速であり、簡易ながらもレーダーを搭載しているのだ。

 同じジェット戦闘機とは言え、世代が違っていた。

 言わばFJ-2戦闘機が、手探りで開発された黎明期のジェット戦闘機であるならば、F-1戦闘機は確たるコンセプトの下で開発された実用のジェット戦闘機なのだ。

 生産性や整備性その他の部分まで含めて、隔絶していると言って良いだろう。

 だが、それでも、最高速度900㎞/毎時と言う速度を持つと言う点に於いて、油断の出来ない相手であった。

 又、チャイナはレーダー網こそ作り上げてはいなかったが、軍民を問わぬ対空監視網を構築し、アメリカの航空部隊に対して組織的に対抗していた。

 

 

*3

 チャイナとの戦争勃発と共に投入された東洋艦隊隷下の東シナ海分艦隊であったが、開戦劈頭の渤海撃滅戦以後、消耗した航空機や弾薬の補充にハワイまで後退していた。

 その際に、チャイナの充実した航空戦力に備えて巡洋艦や駆逐艦などの護衛戦力を増強し、太平洋艦隊に移管した上で第3任務部隊として再編されていた。

 当初は、更なる空母の増派、大西洋艦隊からの派遣も検討されていたのだが、チャイナの()()()()()鄭和がスウェーデンを出港して以降の所在が不明であった為、不可能となっていた。

 一応、アメリカとチャイナは直接的な戦争状態に無い ―― 建前として、アメリカはフロンティア共和国への支援を行っているだけとされていた。チャイナも、アメリカとの全面戦争状態を避ける為、アメリカの建前を受け入れていた。

 だが、チャイナの通商破壊艦が大西洋で所在不明で存在していると言う事は、非常に大きなプレッシャーとなっていたのだ。

 

 

*4

 AAM-7の値段は戦闘機1機よりも高額である為、アメリカは1,000発単位での購入を打診して値引きを要求する。

 これに対して日本は、この時代の戦闘機を相手にするのであれば威力にせよ射程にせよオーバースペックなAAM-7よりも、日本がF-5戦闘機やF-9戦闘機で自衛用として使用している短距離空対空ミサイル(AAM-6)を提案した。

 AAM-6は陸上部隊向けの携帯地対空誘導弾(PSAM-2)と弾体が共通である為、大量生産されており値段がAAM-7に比べて1桁安いのだ。

 この日本の提案にアメリカは折れ、AAM-6の導入に舵を切る。

 AAM-6を運用し、その性能を理解したアメリカは、国産(アメリカ製)の実用的ミサイル開発と導入計画を一時中断し、現用戦闘機に対してAAM-6の搭載を大々的に進める事となる。

 又、日本に対してライセンス生産を要求するのだが、此方は拒否される事と成る。

 

 

*5

 残念ながらもシベリア共和国空軍航空隊も、対地攻撃に全力を出せる状況では無かった。

 フロンティア共和国内に備蓄されていた航空燃料などが、東部戦線の航空隊に大きく割かれている為、活動を低下させざるを得なかったのだ。

 この為、東ユーラシア総軍司令部も偵察と航空優勢掌握に絞った航空戦に徹する様に指示を出していた。

 

 




2020/05/12 図面修正

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