タイムスリップ令和ジャパン   作:◆QgkJwfXtqk

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105 チャイナ動乱-23

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 冬が来ると共に、アメリカとチャイナは塹壕と陣地とを作ってのにらみ合いとなった。

 アメリカからすれば戦力が揃うまでは積極的な行動を取る理由が無かった。

 チャイナは、戦力の消耗と燃料その他の物資が枯渇状態になった為、動けなかった。

 自然発生した休戦状況の下、両軍は小競り合いをしつつ春の攻勢に向けた準備を行っていた。

 

 

――チャイナ

 モンゴル国のスタンスが、チャイナに対して友好的(隷属的)中立から敵対的(自律的)中立へとシフトした事による影響は、チャイナにとって小さいものでは無かった。

 懲罰的行動を行おうにも日本がモンゴル国の背景に居る ―― 日本連邦統合軍が駐屯しているのだ。手出しなど出来るものでは無かった。

 幸い(不思議な)な事は、モンゴル国にせよ日本にせよ、チャイナへ積極的に攻撃(宣戦布告)を行う意思は見せていないと言う事だった。*1

 兎も角、東ユーラシア総軍第1軍の包囲と消耗を強いると言う戦略目的達成は不可能となった為、チャイナ政府は貴重な重装備を装備する第2北伐軍集団を消耗させきる訳には行かぬと、戦闘の中止を命令する事となる。

 同時に第1北伐軍集団、北京鎮護軍に対する期待が更に膨らむ事となる。

 何としてもフロンティア共和国領内に侵攻し、アメリカのユーラシア大陸に於ける基盤、策源地を粉砕しアメリカに和平を強いらねばならぬのだ。

 だが、そんなチャイナ政府の希望に対して現実は非情であった。

 この時点で北京鎮護軍は、主力である第12機械化師団が半壊しており、その上で北京に備蓄していた燃料と弾薬、予備部品の類を極度に消耗しており、衝突力を喪失していたのだ。

 特に燃料の枯渇が深刻だった。

 (カイル)作戦発令までに随分な量を北京市に備蓄していたのだが、アメリカとの激烈な航空戦による消耗は、その尽くを喰いつくさんばかりとなっていた。

 これではどうにもならない。

 折しも季節は冬に差し掛かり、雪が降り始めている。

 軍が動く為の物資以前に、冬に耐えるべき物資を備蓄するべき状況が近づいていた。

 北伐総軍は、これ以上の無理な攻勢は徒に部隊を消耗するだけであるとして、チャイナ政府に対して(カイル)作戦中止を上申。

 チャイナ政府はこれを受け入れた。

 その上で、侵略的外夷(アメリカ軍)を寸断する事に成功した事をもって作戦の成功を宣伝する。

 今までチャイナを侵食して来ていた帝国主義者の鼻っ柱を大きく殴りつけたと、チャイナ人の意気は大いに盛り上がった。

 その盛り上がりを、チャイナ政府は文字通り()()()()事とする。

 全国津々浦々からの大徴兵である。

 チャイナはアメリカの弱点に将兵の不足を見た。

 機械化戦力は、西部戦線での戦訓から互角には戦えると見た。

 であれば、敵の弱点を突くのが王道であるのだ。

 100個師団100万兵(イーバイ・イーバイワン)の掛け声と共に、男女を問わず若者をかき集めだした。

 又、正式にチャイナ共産党とも協定を結び、チャイナ共産党軍と共にチャイナ共産党討伐軍を対アメリカ戦争に指向出来る体制を作り上げた。

 公称200万の大チャイナ軍の建軍であった。

 尚、この建軍に合わせて、チャイナ政府は南チャイナ()()()に対し、不戦条約の締結を持ちかけていた。

 世界に冠たるチャイナ人として、外憂を取り除く事が優先であり、その大事の前にチャイナ人同士で戦争をするのは宜しくないと言うのが建前であった。

 南チャイナは、チャイナ政府の腹積もり*2を良く認識していたが、国家基盤のぜい弱な南チャイナとしては統治機構(税収)の確立と軍編制の時間を得る事が大事であると判断し、この交渉を受け入れていた。

 

 

――アメリカ

 チャイナの攻勢終了をしのぎ切る事に成功したアメリカであったが、その内情は悲惨の一言であった。

 機械化戦力の集中している第1軍の装甲車両は多くが破損しており、その戦力回復にはとてつもなく時間と労力が掛かる事が想定されていた。

 又、第2軍も疲弊していた事から、チャイナが攻勢を終了させ、持久体制に移行すると共に、本格的な戦力再編に取り掛かる事となる。

 戦力の再編と、新装備の充足も図られる事となる。

 特に数的な意味での戦力の中枢となるフロンティア共和国部隊は、大きく増強される事となった。

 現時点で1個機甲師団/4個機械化師団/6個予備時師団の11個師団体制であるのだが、これを3個機甲師団/6個機械化師団/2個自動化師団へと拡張するのだ。

 幸い、将兵に関しては万民平等の開拓地と言う言葉に惹かれてヨーロッパから渡ってきた兵役経験者 ―― ドイツを追放されたユダヤ人や一山上げようと渡ってきたポーランド人にアイルランド人、果てはファシズムを嫌ったドイツ人まで揃っていた為、短期的な戦力化が期待されていた。

 戦車も、フロンティア共和国の工場を拡張する事でⅢ号戦車は勿論、Ⅳ号戦車も撃破可能なM4戦車系で充足を図る事とされた。

 又、M24戦車も最新のE3型が増産され、軍団直轄の予備部隊 ―― 独立戦車連隊へと配備される事となっていた。

 未だチャイナ軍最強のⅣ号戦車との交戦は果たしていないが、優位に戦えるであろうと確信していた。

 この他、国際連盟を通じて各国からの義勇(傭兵)部隊の派遣が続々と伝えられていた。

 現時点でアメリカを含めて30個近い師団規模部隊がフロンティア共和国の地に集結する予定となっていた。

 その全てを最低でも自動化、過半数は機械化する事でチャイナに対する数的不利を質でひっくり返す積りであった。

 M41(41式駆逐戦車)を導入する理由もそこにあった。

 だが、それでもアメリカが想定して居たのはチャイナ100万の軍勢であった。

 そこに齎されたチャイナの大徴兵令(イーバイ・イーバイワン)

 アメリカの想定の約2倍、200万の軍勢をチャイナが用意すると言うのは想定外にも程がある事態であった。

 アメリカは頭を抱え、そして陸上戦力のみに拘らない戦争勝利に向けて動き出す事となる。

 即ち、南モンゴルを巡る限定戦争から、チャイナとの全面戦争体勢への移行である。

 アメリカの正規軍を全面動員する訳では無い。

 只、自らに課していた戦争を行う領域の限定 ―― 渤海/黄河以北から南モンゴルに限られていたアメリカ軍の行動をチャイナ全土へと広げると言う決定であった。

 航空部隊によるチャイナの戦争体制の破壊が、アメリカの参謀本部で検討される様になった。

 チャイナは、(アメリカ)の尾を踏んだのだ。*3

 

 

――国際連盟義勇軍

 国際連盟を介して南モンゴルへの義勇部隊の派遣を決めた1942年の末の時点で、10を超えていた。

 大多数は大隊、乃至は連隊規模であった。

 多くの国家にとって地球の裏側(チャイナ)へと兵力を送ると言うのは、それ程の難事であった。

 だがそれでも、派遣の対価であるアメリカからの軍事供与(ごほうび) ―― 戦車や戦闘機などの供与は魅力的であり過ぎた。

 又、3つ程、旅団規模を超える戦力の派遣を決定した国家があった。

 インドシナ連邦(フランス)とポーランド、そしてオランダであった。

 それぞれ事情があった。

 フランスの理由は単純だった。

 フランス領インドシナの独立運動を鎮圧する際に投入されたインドシナ連邦軍の将兵は、陰惨な治安維持戦で血に酔い狂って醒める気配は無く、フランスから与えられた軍役の特権に驕り、フランス領インドシナ住人から恨まれている為、今後の治安に悪影響を与えない様に()()()()()と考えていたのだ。

 無論、アメリカから供与される戦車や装甲車、自動車も魅力的であったが、それ以上に棄民の要素が大きかった。

 ポーランドは全く別であった。

 ドイツと対立する状況下故に実利として戦車が欲しくはあったが、それ以上に、来るべきドイツとの戦争に備えてアメリカの歓心を買うと言うのが最優先の目的であった。

 その為であれば派遣する精鋭2個師団が文字通りに全滅しても良いと、ポーランド政府は派遣部隊の司令官に対して非情とも言える命令を下していた。

 重く複雑な背景を持つ2国に対し、オランダの派遣理由は、何というか、牧歌的ですらあった。

 自動車が欲しかったのだ。

 戦車どころか装甲車ですらなく、自動車 ―― トラックだった。

 とは言えそれは呑気な理由では無い。

 オランダにとっては、ある意味で死活問題に繋がっていた。

 日本が原油や生ゴム欲しさにオランダ領東インド諸島(インドネシア)に進出し投資していた為、オランダ領東インド諸島の経済発展は著しいものがあった。

 だがそれもごく一部だけである。

 鉄道や港湾などの物流インフラの貧弱さによって、経済発展の恩恵が波及する事は少なかった。

 経済発展の格差は、オランダ領東インド諸島の現地住人の不満を引き起こしていた。

 まだ独立運動などの政情不安などにはつながってはいなかったが、このまま経済発展の格差を放置していてはどうなるか判らないというのが実状である。

 故に、物流を支える存在として、アメリカからのトラックを欲したのだ。

 オランダの工業力では、必要な数を作る事が出来ず。

 オランダの経済力では、必要な数を買う事が出来ず。

 だから、オランダはアメリカの要請に応じて派兵する事としたのだった。

 

 

 

 

 

 

*1

 チャイナからすれば不思議な話であったが、日本からすれば、アメリカが主役の戦争に割って入るなど無粋であり、必要性など皆目感じていなかったのだ。

 そもそもアメリカは必ず勝つ(絶対的な信頼感)のだから、参戦しては名誉乞食だと言う認識である。

 当のアメリカとしては、日本が参戦してくれれば面倒事が消え去るので大賛成(ウェルカム! 状態)であったが、その態度を日本はアメリカ的な奥ゆかしさ(アメリカンジョーク)と認識していた。

 日本とアメリカの深刻な認識の齟齬は兎も角として、実利的な面で日本政府は漸く装備と練度が良好なものへと達しつつあるシベリア総軍の主要部隊が消耗する事は避けたいし、そもそも、財務的な意識として戦争などと言う無駄な出費は抑えたいと言う部分もあった。

 戦争から逃げる気はない。

 だが、戦争を避けられるのであれば全力で避けたいと言うのが日本のスタンスであった。

 対してモンゴル国。

 此方は日本よりも更にシンプルであった。

 チャイナと戦争したとして、得られるものなど何もないと言うのが理由であった。

 戦争に参加し勝利すれば賠償金は得られるかもしれないが、戦争の経費を考えれば、黒字になるか怪しかった。

 では領土を得るのはどうかと言えば、此方は、モンゴル国とチャイナの間にある土地は全てが南モンゴルなのだ。

 占領したとしても、南モンゴルへの割譲が要求されるだろう。

 全くと言って良い程に()が無いのだ。

 モンゴル国が戦争に意欲的でないのも当然であった。

 

 

*2

 チャイナ政府の目的は、南チャイナの独立を認める積りは無く、アメリカとの戦争終結までの限定的な安全確保交渉である。

 アメリカとの戦争終結後は、その余勢をかって一挙に南チャイナ等と言う分離独立派は殲滅する積りであった。

 

 

*3

 アメリカはチャイナとの全面戦争は望んで居なかった。

 チャイナ現政府の打倒も考えてもいなかった。

 単純に、資源地帯でもある南モンゴルをチャイナから分離独立させ、自国の影響(管理)下に入れる事が出来れば十分であったのだ。

 何とも傲慢な列強の、G4の、世界覇者の一角(グレートゲーム・プレイヤー)の態度であった。

 或は温情であった。

 ()()が、殺す積りは無いと言う。

 それは国家が国家を見る目では無く、畜産を見る目であった。

 ()()()()()が故に、チャイナの反応はアメリカの怒りを呼んだのだ。

 

 


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