タイムスリップ令和ジャパン   作:◆QgkJwfXtqk

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106 ユーゴスラビア紛争-3

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 イタリアによるユーゴスラビア干渉は、恐ろしい勢いで紛争の火種を撒き散らす事に繋がった。

 そもそもユーゴスラビアの治安維持体制が崩壊し、日々乗り込んできた余所者(ドイツ人)への憎悪と余所者の操り人形(セルビア人)への不信感とが募っていたのだ。

 街路や田舎で、反発したユーゴスラビア人(非セルビア系諸民族)とセルビア人は小競り合いを繰り返す有様であった。

 流石に武装したドイツ人、それも引き金の軽い野蛮人を相手に喧嘩を売る様な人間は少数派であったが。

 そんな状況で、イタリアはユーゴスラビアの非セルビア人反ドイツ組織に接触した。

 ユーゴスラビア共産党である。

 ユーゴスラビア共産党は、ユーゴスラビアにあって有力な組織ではあるが、国王派(ロンドン亡命政府)旧国軍(ユーゴスラビア軍残党)なども存在する為、最有力という訳では無かった。

 にも拘らず接触した理由は、イタリアに帰化した伊国人(タイムスリップ経験者)による情報であった。

 後に、南斯拉夫社会主義連邦共和国を建国すると言う未来情報あればこそであった。

 

 

――ユーゴスラビア共産党

 ユーゴスラビア共産党は、共産主義を標榜しているが、共産主義の本尊と言ってよいソ連との距離は全く近く無かった。

 当然であろう。

 今現在、現在進行形でユーゴスラビアを侵略しているドイツとソ連は同盟関係にあるのだ。

 ドイツにとって、戦争中の中国を除いた最大の貿易相手国はソ連であり、ソ連は国際連盟の会議で公然とドイツの肩を持った発言を繰り返していた。

 軍事的にも共同で武器開発を行い、軍人の交流も積極的に行われていた。

 止めに、隣国ルーマニアの領土をドイツから割譲されているのだ。

 同じ共産主義の旗を掲げるとは言え信用出来る筈が無かった。

 故に、ソ連とドイツと対立するG4陣営の国家であるイタリアが支援の手を差し伸べてきた時、躊躇なくその手を握り返したのだった。

 ドイツへの抵抗(パルチザン)運動を行うには、圧倒的に武器が足りなかったのだから。

 イタリアはユーゴスラビア共産党に対して武器弾薬の融通と資金援助を約束した。*1

 莫大と言って良いイタリアの援助は、その対価としてユーゴスラビア領フィウーメ等(未回収のイタリア)の割譲が求められていた。

 ユーゴスラビア共産党は()()()()()()と言う文言を以って、問題の先送りによる(将来的な反故を前提とした)秘密協定を締結した。

 

 

――国際連盟

 ブリテンに亡命していた元ユーゴスラビア国王は、ユーゴスラビアの解放を求めて国際連盟総会の場にて演説を行った。

 ドイツがユーゴスラビアで行っている行為は明確に侵略であり、国際社会はこれを断固として許してはならず、国際連盟は総力を挙げて、ドイツと対峙せねばならないと叫んだ。

 だがその反応は寒々しいものであった。

 演説が終わっても拍手もまばらだった。

 冷ややかな反応は、ある意味で当然であった。

 ユーゴスラビアは国際連盟を脱退し、自ら好んでドイツを盟主とした同盟体である大欧州連合帝国(サード・ライヒ)に参加したのだ。

 その参加が失敗に終わったからと言って、加盟もしていない国際連盟に泣き付かれても困ると言うのが実状であった。

 そもそも国際連盟は独立し責任を持った国家の集合体であり、加盟国間での利益調整などを通して平和と繁栄を目的とする組織なのだ。

 加盟国の平和と安定に資する為の行動は積極的に行う積りはあったが、間違っても地球全体を対象とした社会的乃至は普遍的な正義実現等は掲げていないのだ。

 ある意味で、天性の機会主義者である日本が主導的な位置に居る組織らしい現実主義であった。

 理想主義が否定される訳では無いが、理想だけで物事を動かす事の出来ない組織であった。

 であるが故に、ある種の自業自得と言って良いユーゴスラビアの惨状に国際連盟加盟国は、深い同情こそ感じても国際連盟として動くつもりは一切無かった。*2

 そもそも、動くとして()()()()()()()()()()()

 国際連盟総会の反応に気落ちした元ユーゴスラビア国王は、亡命政府を置いたブリテン国際連盟代表に泣き付いたが、亡命政府預かり(パトロン)としての義務は果たしたとばかりに、そっけなくあしらわれていた。

 尚、この時点でユーゴスラビアへの干渉を始めていたイタリアは、国王だったと言う看板()はあっても権威も経済力も無い国王派に興味を示す事は無かった。

 

 

――ドイツ

 ドイツのユーゴスラビア処分に対して国際連盟総会が積極的な行動を行おうとしていない事を知ったヒトラーは、これを好機と捉え一挙にユーゴスラビアの併呑 ―― 大欧州連合帝国(サード・ライヒ)への編入を推し進めようとした。

 だが、この時点でイタリアから渡された武器弾薬によってユーゴスラビア共産党が武力抵抗(パルチザン)を開始しており、ユーゴスラビアは安定を喪失しつつあった。

 ユーゴスラビアを管理するセルビア人による組織、ユーゴスラビア大欧州連合帝国(サード・ライヒ)参加準備委員会、通称準備委員会(パペット・ドール)は繰り返し襲撃を受けていた。

 建前として、解散した国家と軍に代わるユーゴスラビアの民主的統治代行でしかない準備委員会は自衛の為の武装をして居なかった為、ユーゴスラビア共産党にとっては格好の標的であった。*3

 治安の悪化に伴い、ユーゴスラビアの経済は急速に悪化していくが、その点にドイツが気を払う事は無かった。

 ドイツにとってユーゴスラビアの価値とは、その中央銀行に収蔵されていた金でしかなく、その、ユーゴスラビアの血とも言える金は既にドイツに向けて搬出済みであった。

 ドイツ人がユーゴスラビアの地の治安安定 ―― 経済活動を重視しないのも、ある意味で道理であった。

 それどころか、もっとユーゴスラビアを疲弊させれば、安定したドイツへの労働移民と言う声掛けで、安価な労働力を得られるのではないかと考えていた。

 とは言え、問題が無い訳では無かった。

 治安コストの上昇である。

 秘密警察(ゲシュタポ)と武装親衛隊による活動は、それ自体が金の掛かる行為なのだから。

 ユーゴスラビアの税収、準備委員会の予算から()()してはいたのだが、そもそも経済活動が低下して税収が下がっているのだ。

 この為、ドイツは新しい金蔓を狙う事となる。

 オランダだ。

 1940年代に入ったオランダは繁栄に酔いしれていた。

 G4程では無いにせよドイツよりは遥かに豊かな社会となっていた。

 医療と福祉が充実し、食料に不足は無かった。

 観光客としてヨーロッパ中に出回るほどであった。

 その原資は工業や農業、観光業などが生み出したものでは無く、日本との貿易、即ちオランダ領東インド諸島が生み出す利益(あぶく銭)であった。

 その金を、ドイツは狙う事としたのだった。

 

 

 

 

 

 

*1

 融通される武器弾薬は中古品が中心であった。

 その殆どはフランスが提供(アフリカの港で押収)した武器 ―― ドイツ帝国やオーストリア・ハンガリー二重帝国などで製造され第1次世界大戦の同盟国陣営で使用された武器であった。

 旧式ではあるがドイツなどの規格で作られている為、補給が容易(ドイツからの奪取で対応できる)だろうと考えられていた面があると同時に、フランスの意趣返しでもあった。

 フランスの下腹部(フランス領アフリカ)に騒乱を作ろうとした武器をもって、ドイツ(諸悪の根源)に痛打を与えようと言うのだ。

 発案者はフランス政府内で大いに賞賛されていた。

 尚、旧式では無い武器の筆頭は、近年になって実用化されたばかりのフランス製携帯対戦車兵器、ロケット補助付き無反動砲(ランス-ATM)であった。

 これは日本連邦統合軍普通科部隊に配備されている110㎜個人携帯対戦車弾(パンツァーファウスト3)を真似た、歩兵向け対戦車用無反動砲であった。

 着手は1930年代 ―― シベリア独立戦争で日本がシベリアへと供与したものを見聞きし、その破格の対戦車能力を知った事が発端であった。

 とは言え、ロケット推進部分の開発に手間取り、実用化に成功したのは1940年代に入って以降であった。

 又、実用化こそ成功してはいるが、ロケット部分の信頼性は乏しく、その改善にはまだまだ時間が掛かるのが実状であった。

 欠点はあれどもランス-ATMは、歩兵でも重戦車を狩れる力を与える武器であった為、フランスは技術的に未成熟である事には目を瞑り、大いに量産していた。

 その一部が、実用試験も兼ねて、ユーゴスラビア共産党に供与されたのだ。

 資金援助に関しては、低利融資であった。

 独立を回復して以降に弁済する事として、ユーゴスラビア共産党が必要とする資金をイタリアは融通するのだ。

 リビアの油田で儲けているイタリアは、G4程では無いにしても世界的に見て金満の国家であった。

 

 

*2

 ユーゴスラビアの掌握はドイツの発展を意味するのだがG4にとっては些事も同然であった。

 正直な話として世界の大部分を影響圏に納めているG4にとって、欧州東端のドイツ/ソ連連合体(ヒンタルランド・ユニオン)など、国運を掛けて挑むレベルの敵では無くなっていた。

 これ程にG4と言う組織が強い結束力を発揮しているのは、競争はあっても、利益分野が相剋していないと言う事が大きかった。

 日本、アメリカ、ブリテン、フランス。

 どの国も極めて我の強い国家であるが、その確信的な利益部分が離れており、対立する事が無かったと言うのが大きい。

 日本は日本連邦加盟国の領域の発展を楽しみとし、後は自由貿易さえ出来れば問題ないと考えていた。

 アメリカはユーラシア大陸権益(フロンティア)の拡大による国家経済の繁栄が慶びであり、同時に日本連邦と言う大規模な市場を得て、世界を相手にする必要性を感じていなかった。

 ブリテンは日の沈まぬ帝国として世界主導的立場である事に喜びを感じていた。そして日本との交易による経済的な刺激により、ブリテン帝国の広大な版図の多くで発展が進んでいた。

 フランスはヨーロッパの盟主と言う名誉に酔いしれていた。そして怨敵ドイツを叩き潰す日を指折り待ち続けていた。

 経済規模の差はあれど、それぞれの国家の得意分野は異なり、支え合う構造になっていたのも大きい。

 支え合う事が繁栄の礎と、4ヵ国の全てが理解しているが故にG4と言う共同体は安定しているのだ。

 そして、そうであるが故に、ドイツへの殺意を隠さぬ(ドイツブッコロスマン)フランスですら、ユーゴスラビアを口実とした性急なドイツとの開戦は避けようとしていた。

 十分な戦争準備を整え、一気に潰す積りであった。

 国際連盟は独立した国家の集合体であるが、同時に中心にある安全保障理事会を牛耳るG4(ジャパン・アングロ)の補助的機関の性格を持っていた。

 であるが故に国際連盟加盟国は、G4の気分に忖度していた ―― そう評する事も出来るだろう。

 尤も、そうでなくとも現実主義者の集まりとなっている国際連盟は、自国の発展に何ら寄与しない正義とやらで、ユーゴスラビア(自業自得で苦界に堕ちた国)に手を差し伸べようと言う理想主義者(夢想家)は存在しなかったが。

 余りにも人道に悖る行為、例えば()()()()等が行われるなどすれば話は別だが、ユーゴスラビアの現状は、ユーゴスラビアと言う国家が消滅し、ユーゴスラビア人は自治する権利を失って被支配者層へと落ちると言う程度の話なのだ。

 であれば、自業自得と言う扱いになるのも仕方のない話であった。

 

 

*3

 準備委員会の参加者が自衛の為の武装を持たず、警備員も用意出来なかった背景には、ドイツによる干渉もあった。

 軍のクーデターを発端とした激しくも短い内戦によってユーゴスラビアの実力組織、軍と警察は相食む結果、共に壊乱し、それがドイツの侵出と統治に利していたのだ。

 であれば態々にドイツの統治に反抗しそうな組織()を作る事など、認める筈も無かった。

 無論、座視する訳では無く、派遣されてきていた秘密警察(ゲシュタポ)と武装親衛隊は全力で襲撃犯を追っていく事となる。

 追跡は強引であり乱暴であり、何より無法であった。

 この為、ユーゴスラビアの治安と対ドイツ感情は急速に悪化していく事となる。

 

 


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