タイムスリップ令和ジャパン   作:◆QgkJwfXtqk

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107 ユーゴスラビア紛争-4

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 ユーゴスラビアの状況は加速度的に悪化していった。

 当初は、ユーゴスラビアの裏切り者(セルビア人)だけが狙われていた武力闘争(パルチザン)の矛先であったが、イタリアからの豊富な武器密輸が始まって以降は侵略者(ドイツ人)も狙われる様になった。

 最初は軽武装の秘密警察(ゲシュタポ)が。

 作戦行動中や、或は休日に歩いている所を襲われて、多くの人間が殉職した。

 慌てて取り締まろうとするセルビア人の統治機構 ―― 準備委員会(パペット・ドール)であったが、その手足となるべき警察組織は崩壊して久しい為、出来る事など殆ど無かった。

 日々積み上がっていくセルビア人とドイツ人の死体。

 この状況に流石のドイツ人も慌て、準備委員会へと警察の再編成を認める事と成るが、話はそう簡単には進まなかった。

 そもそも警察官として訓練を受けていた人間が軍との衝突によって物理的に少なくなっており、又、ドイツ人の手先として動く事を良しとしない人間が多かった。

 だがそれ以上に、予算の問題があった。

 ユーゴスラビア経済が生み出した富、その成果である税は大欧州連合帝国(サード・ライヒ)参加準備費としてその大半がドイツに収奪されており、その残り ―― 準備委員会に与えられている予算では、ユーゴスラビア全土で治安回復活動を行えるだけの警察官を用意する事が困難であった。

 この為、準備委員会は再建する警察の活動領域を自身が重要と判断した首都やセルビア人居住区に限る事とした。

 重要区域外の地方に対しては、地方自治体が独自に()()()()の構築を命じたのだ。

 悪手であった。

 既にこの時点で治安の悪化やドイツ人とセルビア人による横暴な態度を目にした()ユーゴスラビア人は大欧州連合帝国(サード・ライヒ)への反発を強めていた為、この自警組織は反ドイツ派(アンチ・ライヒ)の温床へと育つ事となる。*1

 

 

――ドイツ

 ユーゴスラビア情勢の不安定化をドイツ政府は、当初甘く見ていた。

 優秀なドイツ秘密警察(ゲシュタポ)や武装親衛隊であれば、()()()抵抗など容易に踏みつぶせると信じていた。

 己が火を点けたフランス領インドシナの鎮圧にフランスが手間取った姿を見ていたが、それはフランス人がマヌケ(カエル野郎)だからだと認識して(嘲笑って)いた。

 だが現実は、ドイツ人の願望を無視し、簡単に悪化していった。

 最初は準備委員会のメンバーが吊るされ、次はセルビア人が老若男女を問わず狙われた。

 だが欧州の支配層たるドイツ人が狙われるとは思っていなかった。

 その幻想はナチス党の高官が、大欧州連合帝国(サード・ライヒ)編入委員会の委員長 ―― 事実上のユーゴスラビア統治者であり、後には総督となる立場へと就任する為にユーゴスラビアを訪れた際に消し飛ぶ事となる。

 それは()()()()であった。

 乗っていた車にフランス製のロケット補助付き無反動砲(ランス-ATM)が叩き込まれ高官は即死し、車と共に派手に四散したのだ。

 この事にドイツ人は激怒した。

 特にヒトラーは大激怒であった。

 戦争を経ずして政治によって得たユーゴスラビアは、政治家としてのヒトラーの勲章であったのだ。

 それが汚されたのだ。

 それも低く見ていたユーゴスラビア人によって。

 烈火の如く怒るのも当然であった。

 この為、編入委員会に対して不逞なユーゴスラビア人を容赦なく取り締まる事を強く指示する事となる。

 ヒトラーの厳命を受けた編入委員会は、編入委員会の下にユーゴスラビア治安維持委員会を創設する。

 この治安維持委員会の名に於いて、秘密警察と武装親衛隊に対して治安維持に関わる諸権限の無制限使用を認めた。

 その上で、武装親衛隊だけでは足りなくなるであろう実行部隊の不足は、新たにドイツ人を指揮官としたセルビア人治安維持部隊を編成する事で解消を図った。

 後に、歴史に悪名を刻み込む事となるユーゴスラビア特別行動隊(アインザッツグルッペン)であった。

 人件費の削減の為、特別行動隊は刑務所の服役囚から募られた。

 減刑を対価に、働く事を強いたのだ。

 

 

――セルビア

 ドイツ人高官の暗殺以降、劇的に悪化していく国内情勢に、大多数のセルビア人 ―― 良識を維持していた人々は危機感を募らせていた。

 そもそも準備委員会(ドイツ人傀儡)として、何時のまにか他のユーゴスラビア人との溝が出来つつあったのだ。

 実態の無い特権を与え(押し付け)られ、それを理由に他民族からは恨まれる。

 そこに、札付きの人間をかき集めた治安維持部隊(アインザッツグルッペン)を編成すると言うのだ。

 正気の沙汰では無かった。

 セルビア人の良識派は、準備委員会に対して特別行動隊の編制と運用を凍結する事を要請した。

 回答は、暴力であった。

 セルビア人穏健派集会に対し、穏健派がその名に反して()()()()()()()()()()()()()と言う嫌疑(口実)で、編制されたばかりの特別行動隊がドイツ人に言われるままに強襲を行った。

 捕縛では無く制圧。

 その力を躊躇なく振りまいたのだ。

 10名を超えるセルビア人有力者が捕縛され、死者行方不明者は不明と言う有様であった。

 この惨劇で一気にセルビア人の大多数は反併合(アンチ・ライヒ)へと傾く事となった。

 同じセルビア人同士ででも反目と暴力が始まったのだ。

 セルビア人の準備委員会メンバーは、遅まきながらも自らの立ち位置(ルビコン川を渡った事)を理解した。

 理解しても、出来る事は無かった。

 治安維持委員会(ドイツ人)に言われるが儘に、特別行動隊を運用していく事となる。

 地獄の始まりであった。

 

 

――イタリア

 反ドイツ派の手に武器が渡る様に手配したイタリアであったが、ユーゴスラビアの地が混沌と混迷、血と暴力に満ちた場所へと変貌する速度の余りの速さに、ドン引きしていた。

 イタリア人にとって、アフリカやアジアでフランスやブリテンが繰り広げた治安維持戦は、その情報の収集こそ行ってはいたが、それでも何処かよそ事であった為、目と鼻の先で行われる惨劇の生々しさに驚いたのだ。

 喪われて行く命にムッソリーニは国際連盟の場で哀悼の意すら表明する程であった。

 だが同時に、一切の悔恨も無く、更なる武器の供給を行っていた。

 イタリアも又、列強(リヴァイアサン)の一角であったのだから。

 未回収のイタリア(ユーゴスラビア領フィウーメ等)と言う国益の為であれば、躊躇なく他国を踏みにじれる国家であった。

 アドリア海は武器弾薬を満載したイタリアの高速密輸船が縦横に走り回る。

 ユーゴスラビアの惨状に燃料が掛けられ続けているのだ。

 だが、ドイツも無能と言う訳では無かった。

 ユーゴスラビアの陸の国境で武器の流入を阻止し、又、ユーゴスラビア国内の武器製造を厳しく監視しているにも関わらず流通する武器弾薬が減少もせず、襲撃が頻発している事に、原因は海であると察知する事となった。

 急いで港の物流監視を強化したドイツであったが、地の利のあるユーゴスラビア共産党とイタリアによる密輸入を、陸上からだけで阻止する事は出来なかった。

 ドイツ人の目を掻い潜って、イタリアの高速密輸船はユーゴスラビアの地にせっせと武器弾薬、医療品などを持ち込み続けた。

 特に重要であったのは医療品だ。

 ユーゴスラビア共産党は、混乱に満ちたユーゴスラビアの地で不足しがちな医療品を通貨として、自らへの支持 ―― 支配地域の拡大を図っていたのだから。

 

 

――ユーゴスラビア共産党

 対ドイツ抵抗運動(パルチザン)はかなり優位に進める事が出来ていた。

 これは彼ら自身の有能さと共にイタリアとフランスによる支援が豊富であった事、そしてドイツが重視する領域へと手を出していないと言う事が大きかった。

 これは非ユーゴスラビア共産党の反ドイツ武装勢力の勢力減衰を狙っての事であった。

 将来の、ドイツ人を追い出した後での政治闘争を前提とした判断が理由だ。

 ユーゴスラビア共産党に対抗できる組織を、ドイツ人の手で弱体化させる積りなのだ。

 とは言え壊滅させようと言う訳では無い。

 弱った所に手を差し伸べ、吸収すると言う所まで考えられていた。

 ある意味で、ユーゴスラビア共産党は誠に邪悪であった。

 だが、邪悪であるからこそユーゴスラビアの地で勢力の拡大を図れていた。

 注意深くドイツ人へ被害を過度に与えないと言う方針で動いていたユーゴスラビア共産党であったが、特別行動隊(アインザッツグルッペン)の一隊が支配下の地域に進出して来た事で方針を変更せざるを得なくなる。

 粗暴かつ横暴な特別行動隊が自らの領域で自由に動く事を許すと言う事は、統治者としてのユーゴスラビア共産党の沽券に関わってくるからだ。

 民を守らぬ組織に支持が集まる事は無いのだから。

 苛烈な戦闘が始まる。

 が、戦闘自体はユーゴスラビア共産党優位に推移した。

 これは、この時点でユーゴスラビア共産党の戦闘部隊が旧ユーゴスラビア軍の経験者を集め、イタリアからは教官となる人間を招聘していたが為の、ある意味で当たり前の結果であった。

 寄せ集めの犯罪者上がりの集団が、勝てる相手では無かった。

 だがその事が、ドイツ人の耳目を集める事となる。

 ドイツ人は、ユーゴスラビア共産党を有力な()と認識する事となったからだ。

 更なる特別行動隊の派遣のみならず、良好な装備の与えられた武装親衛隊 ―― 義勇セルビア人連隊までドイツ人は投入してきた。

 反ドイツ武装勢力の中では優良と言って良いユーゴスラビア共産党であったが、突撃砲や装甲車などを保有した正規の武装親衛隊を相手とするのには荷が勝ちすぎていた。

 フランス製の対戦車装備を持つとは言え、それは万能と言う訳では無いのだから。

 この為、イタリアに対して可能な限り対装甲装備の提供を求めていく事となった。

 

 

――ドイツ

 ドイツは義勇セルビア人連隊の活躍もあって、ユーゴスラビア共産党の支配領域に拠点を作る事に成功した。

 その事が、ユーゴスラビア共産党の実態を掴む事に繋がった。

 海の密輸ルート、即ちイタリアとユーゴスラビア共産党の関係把握である。

 密輸の記録は細心の注意を払って行われていた為、具体的な密輸品目をドイツが把握する事は叶わなかったが、言ってしまえば状況証拠だけで充分なのだ。

 ドイツの官僚たちは、イタリアがユーゴスラビアの混乱の背後に居ると断じ、その報告を上げた。

 報告を見たヒトラーは激怒した。

 嘗ての同盟国家であったモノの行いとして、余りにも恥ずべき行為であると。

 至急、ドイツのイタリア大使を呼びつけて厳重な抗議が行われた。

 だがイタリア大使は太々しい態度で、それを跳ね除けた。

 ドイツが具体的な証拠を持たぬと見抜き、イタリアが行っているのは医療品などの人道的物資の輸出許可だけであると断言してみせたのだ。

 そう反論されてしまっては、ドイツに出来る事は無かった。

 逆に、イタリア大使からイタリアの名誉を棄損するドイツの行為に対する抗議を受ける始末となった。

 ヒトラーは激怒した。

 その夜、ホットラインでスターリンに対イタリア戦の必要性(愚痴)を語り、そして痛飲した。

 翌日、ヒトラーはイタリアへの報復として、ドイツ海軍に対してアドリア海への展開を命じた。

 命令する側は簡単であるが、受ける側はそうではない。

 ドイツ海軍としてはチャイナとの交易路保護に人員や燃料、平たく言って予算を喰われていた為、大型艦を派遣する余裕など無かった。

 艦自体は、それこそチャイナ交易路保護向けのプロイセン級装甲艦が戦列に加わりつつあるのだが、派遣出来る程の練度に達して居なかった。

 それが今のドイツ海軍の状況であった。

 故にドイツ海軍はイタリア海軍と対峙する可能性を看過し、洋上密輸船対策のみを任務とする部隊で派遣する事とした。

 旗艦には通信設備を強化した仮設巡洋艦を充て、その下に駆逐艦と魚雷艇、そして潜水艦をもってドイツ地中海戦隊と呼称する事となる。

 とは言え仮設巡洋艦は兎も角、それ以外の小型艦にとっては、アドリア海への派遣は大冒険であり、その戦力がアドリア海に揃うまでは相当な時間を要する事となる。

 

 

――オランダ

 日本とオランダ領東インド諸島との資源貿易は、オランダに莫大な利益を齎した。

 だがそれが、皮肉な事にオランダの不安定化に繋がる事となる。

 政府/王室と財閥が利益を独占する形となり、若者を中心に現体制への不満が高まる事となる。

 勇気を持ち雄飛を望む人間は、日本の投資によって好景気に沸いているオランダ領東インド諸島へと旅立ったが、それが出来る人間が多い訳では無いのだ。

 その心の隙間に国家社会主義(ナチズム)が浸透する事となる。

 強い指導者によるドイツの活力ある姿は、オランダの現状への不満を持った人々に対して新しい国家像を見せる事となる。

 この点に対して対策の必要性を考える政治家もオランダ政府には居たのだが、大多数は資源利益(あぶく銭)に目が眩んでいた。

 この頃、()()()()()()()()()()()()と言うものが提唱され、政府は支持していた。

 これは政府と政府関係者は得られた利益を積極的に活用(散財)する事で国家経済を回し、国家経済が回れば労働者層にも金が回り不満は解消される ―― そんな理屈であった。

 要は金を使えと言う主張に、多くのオランダ領東インド諸島で利益を得ていた人間たちは安易に乗ってしまい。抜本的な不満解消に努める事は無かった。

 その事がオランダの不満者層に圧力を与える事となる。

 又、富裕層の消費活動も、旺盛ではあったが、その購買意欲はブリテン製やアメリカ製、可能であれば日本製の商品に向けられており、消費活動によって労働者階層へお金が回る事は少なかった。

 労働者階層も怒るのは当然であった。

 その事がナチズムが内包する民族共同体と言う思想 ―― 労働者の権利保護などの社会主義的思想に被れる事となっていくのだ。

 オランダの労働者から見たドイツの労働者は幸せそうであった。

 故に、自分たちも幸せになりたいと思ったのも自然な事であった。

 ある意味でドイツがオランダ掌握に乗り出す前に、オランダではドイツを受け入れる用意が出来つつあったのだ。

 

 

 

 

 

 

*1

 実際、ユーゴスラビア最大の反ドイツ派(アンチ・ライヒ)武装組織となるユーゴスラビア共産党も、自警組織を傘下に収める事で、公然と構成員の訓練や装備の調達を行っていた。

 警備用として、装甲車すら用意した程であった。

 それ程では無いにしても、多かれ少なかれ自警組織は反準備委員会の色彩は帯びていた。

 その事にドイツ人とセルビア人が気付いたのは、状況が完全に悪化(流血の事態が日常化)してからの事であった。

 

 


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