タイムスリップ令和ジャパン   作:◆QgkJwfXtqk

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108 ユーゴスラビア紛争-5

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 日々急速に悪化を続けるユーゴスラビア情勢を前にイタリアは、慌てて部隊の動員を行い戦争準備を重ねる事となった。

 イタリアが慌てる理由は、当初で想定していたよりも遥かに早く事態が進んでゆくからだ。

 ヨーロッパの火薬庫と言う渾名は伊達では無かった。

 しかも、単純にドイツとユーゴスラビアによる争いだけではなく、ユーゴスラビアの諸民族間でも流血沙汰が発生していた。

 最初はドイツの手先となっていたセルビア人が狙われた。

 老人が、女性が、子供が襲われ、吊るされ、或は川に浮いた。

 誰が犯人なのか、警察の失われたユーゴスラビアで判る事は無かった。

 故に、セルビア人は無差別の報復を選択した。

 流血と混乱が一気に広がる。

 それを止めるだけの力を持ったセルビア人穏健派は、特別行動隊(アインザッツグルッペン)によって壊滅していた事が、事態の悪化を推し進める事となった。

 暴力の連鎖。

 この事態故に、イタリア人の庇護者を自認するムッソリーニは、()()()()()()()()ドイツと衝突するリスクを理解した上であっても、ユーゴスラビア領フィウーメ等(未回収のイタリア)に於けるイタリア人住民の保護に動かざるを得なかったのだ。

 主力として第10軍団と第21軍団の2個軍団10個師団の動員が発令されていた。

 

 

――ドイツ

 ユーゴスラビアでの政情不安 ―― 事実上の紛争状態へと悪化していく状況をドイツ人も座視していた訳では無かった。

 これ以上の秘密警察(ゲシュタポ)派遣は無意味であると判断し、武装親衛隊(Waffen-SS)の大規模投入を決定した。

 それまでの秘密警察の補助部隊として派遣されていた連隊規模部隊ではなく師団を、それも5個派遣するとした。*1

 治安維持部隊の用意と共に、武器の流入を抑える為のアドリア海へ派遣されたドイツ地中海戦隊であったが、到達できたのは仮設巡洋艦と駆逐艦だけに留まった。

 道中のほとんどを反ドイツ国家の海域を通過する為、高速発揮が可能であっても航続性能に乏しい小型の魚雷艇では航海する事は不可能だった。

 この為、武器密輸阻止の哨戒活動が十分に行えているとは言い難かった。

 少ない手数を増やす為に現地の漁船を徴発し哨戒艇として運用を試みてはいたが所詮は転用の漁船。

 レーダーなども無く人間の目でしか捜索できない為に密輸船を発見する事は難しく、又、密輸船と思しきものを発見できたとしても速力の遅さから追尾する事は不可能であった。

 結果、頼れるものは商船改造の仮設巡洋艦で持ち込んだ、艦載水上機のみと言う有様であった。

 とは言え水上機で出来るのは捜索のみであり、結局は戦力不足であった。

 又、アドリア海の公海上ではイタリア海軍の駆逐艦か水雷艇の妨害工作(嫌がらせ)を幾度となく受けていた。

 このドイツ海軍の名に泥を塗るかの如き惨状に業を煮やしたドイツ海軍上層部は、とっておきと言って良い空母、慣熟訓練を終えたばかりのグラーフ・ツェッペリンの派遣を決めた。*2

 又、哨戒用の魚雷艇も用意する事とした。

 とは言え、ドイツから無理矢理に岸伝いに持ち込むのではない。

 分解して輸送するのでもない。

 同盟国 ―― ソ連からの購入である。

 二桁を超える魚雷艇を購入し、黒海から持ち込んだ。

 グラーフ・ツェッペリンが生み出した()()()()()()は、睨みあいで済んだ。

 だが、この魚雷艇は違う。

 イタリアが持ち込んだ高速密輸船とドイツの魚雷艇の戦いは熾烈なものとなった。

 昼はグラーフ・ツェッペリンの艦載機による哨戒によって高速密輸船側も迂闊な行動は取れなくなった為、戦いは自然と夜へ、夜戦へと移った。

 高速密輸船と魚雷艇が激しい運動戦(ロックンロール)を繰り返し、そこにイタリアの哨戒艦が割って入る事も度々であった。

 特に公海上でイタリアによるドイツ魚雷艇への妨害は露骨であった。

 ドイツのS-7型(Sボート)の設計図を基にソ連が建造したG-39型魚雷艇は100tにも満たぬ小型艇であり、1000tを超えるイタリア駆逐艦が巻き起こす波に簡単に弄ばれるのだった。

 現場で、ドイツ人が抗議をしても、イタリア人は知らんぷりをし、それどころか交信をする事は稀と言う有様だった。

 その態度を見て漸くドイツは、ユーゴスラビアへの武器密輸の背後に居るのがイタリアであると認識したのだった。

 

 

――ソ連

 東欧処分をドイツと手を携えて進めているソ連であったが、事、ユーゴスラビアに於けるドイツの()()に、何とも言えない気分を味わっていた。

 現地住民が反発するなら、四の五の言わずに100万でも200万でも鎮圧部隊を投入してしまえば良いのに何をウダウダとやっているのかと、疑問すら感じていた。

 共産主義国家故の、人件費と言うものの概念に重きを置かない国家故とも言えるだろう。

 又、ドイツのユーゴスラビアでの苦境は、ソ連にとって商売のタネであった事も、そんな呑気なソ連の気分に反映していた。

 ドイツから設計図を買い込んで建造したG-39型魚雷艇が売れたのは良い事だし、グラーフ・ツェッペリン用の燃料や食料などもソ連から買ってくれているのは有難い話であった。

 対価として、ドイツが纏めた空母を実際に運用して得られた知見はとても貴重なものであった。

 ソ連は、戦争にならない紛争であればもっと続けば良いのにとすら思っていた。

 だが、その様な他人事染みて見て居られたのも、アドリア海での()()が激化するまでの事、即ちドイツがユーゴスラビアの事態の裏側にイタリアが居ると確信するまでの事であった。

 先ずはイタリアに外交的接触を行い、ユーゴスラビア情勢への関与に非難を行った。

 これに対してイタリアは、当然ながらも()を認める事は無く、それどころかドイツの行いを名誉棄損であると非難する程であった。

 実際、ドイツの()()は状況証拠に因るものであり、明確な証拠は存在していなかった。

 故に外交圧力を掛ける事でイタリアがドイツに忖度する様に仕向けようとしていた側面があった。

 それが突っ撥ねられたのだ。

 ドイツの面目は丸つぶれであった。

 そこまではまだ、ソ連は笑って事態を見ている事が出来た。

 それが出来なくなったのは、面子を潰されたドイツがソ連に対し協力を要請したからだ。

 国際連盟の場で、国際連盟は人道的配慮からユーゴスラビアへの武器流入を阻止するべきだと主張して欲しいと言う要望であった。*3

 ソ連として、大きな外交的労力を消費する話では無かった為、受け入れ、国際連盟総会で提案する事とした。

 その反応は、ソ連とドイツの想像と全く異なるものとなった。

 

 

――国際連盟

 日本のタイムスリップと、その後に生まれたG4体制(覇権国家連合体)の成立は、好む好まざるとに関わらず国際連盟を変質化させる事となる。

 その最たるものは過度な理想主義からの脱却である。

 将来的な目標としての理想は大切であるが、現実を忘れて理想のみに拘泥してしまっては本末転倒となってしまうのだから。

 国際連盟誕生の礎となった“国際平和機構の設立”と言う概念はそのままに、国際的(世界規模)の平和を目指すのではなく、先ず、加盟国の平和を求める形となったのだ。

 それは安全保障理事会理事国(ジャパン・アングロ)を軸とした加盟各国の互助会 ―― 利害調整と集団安全保障と言う形で実現しつつあった。

 加盟国が平和と平穏を謳歌出来るようになれば、その周囲の非加盟国も平和となる。

 そんな考え方であった。

 この状況下でソ連から持ち込まれた、()加盟国であるユーゴスラビアへの対応の提案は、ドイツの希望とは全くかけ離れた方向へと転がる事となる。

 即ち、ユーゴスラビア周囲の国際連盟加盟国の安全確保である。

 国際連盟の常任理事国でもある()()イタリアは兎も角、ギリシャはユーゴスラビアからの難民に関して苦慮していた事が重要視された。

 最終的に国際連盟の名に於いて、国防に必要な予算が低利融資される事となり、又、G4各国からの武器売却に関する優遇措置を取る事が定められた。

 その上で、難民対策としてのユーゴスラビア領の保護占領が検討される事となった。

 ギリシャ国内に難民が流入しては大変であるので、ユーゴスラビア領内を一定規模占領し、安全を確保し、難民の流入を阻止した方が良いのではないかと言う考えである。

 これにはソ連もドイツも大いに慌てる(藪蛇であったと焦る)事となる。

 ソ連は慌てて、ユーゴスラビアは非国際連盟加盟の独立国家である為、内政干渉であると懸念を表明する。

 この為、先ずは安全保障理事会の下に特別調査委員会を設立し、ユーゴスラビア領内の状況を把握する事となった。

 見事な藪蛇(アナコンダ)であった。

 

 

 

 

 

*1

 ヒトラーの命令を受けた武装親衛隊であったが、その派遣戦力の選択と抽出が簡単に出来た訳では無かった。

 1940年代に入って軍組織としての体裁を整えた、ある意味で新設組織である為に十分な兵員を擁してはいなかったのだ。

 ドイツ陸軍に劣らぬ精鋭10個の師団を擁すると号していたが、その多くは訓練が十分では無い若者(ヒトラーユーゲント)であり実戦投入が躊躇われるのが実状だった。

 この為、親衛隊本部はヒトラーに直訴し、軽犯罪者を中心にした懲罰部隊 ―― 治安維持任務部隊を創設し、不足する部隊の充足を図る許可を得た。

 武装親衛隊は、著しい人員と装備の消耗が起きるであろう治安維持戦へ、大規模な人員の派遣を嫌がったと言うのが実際であった。

 この目的の為、オーストリア人やセルビア人()()()による義勇部隊も武装親衛隊は用意する程であった。

 これらの努力によって最終的に、ユーゴスラビアへ派遣される5個師団で、真水(真正の武装親衛隊)は2個師団に抑えられる事となるのだった。

 

 

*2

 空母グラーフ・ツェッペリンのアドリア海投入と言う判断は、空母と言う、戦艦に次ぐ戦略的価値を持った存在が周りに与える影響と言うものをドイツ海軍が充分に理解していたとは言い難い事(政治センスの乏しさ)の表れであった。

 捜索手段としての優秀性もさる事ながら、アドリア海にドイツ海軍の象徴的大型艦を置く事で、最近のドイツ政府内で行われているユーゴスラビア情勢に対する主導権争い(ババ抜き)で一定の影響力を握りたいと言う思惑(スケベ心)が原因であった。

 だが周辺国は違った。

 特に内懐(ドゥーチェのバスタブ)に空母を置かれる事となったイタリアの反応は激烈であった。

 即座に戦艦と空母を含んだ対応(撃沈)可能な部隊を用意すると共に、監視として駆逐艦をグラーフ・ツェッペリンへ常に張り付けるのだった。

 G4諸国も、バルト海の女王(ヒキコモリ)が顔を出したと情報収集に注力をしていた。

 ブリテンは空母機動部隊を派遣し、フランスも巡洋艦を派遣した。

 日本に至ってはP-1を派遣する程であった。

 尚、ドイツ側は耳目が集まった事に()()()()()()()()()()()と謎の満足感を覚えていた。

 

 

*3

 協力要請に関する外交の場で、ドイツは国際連盟の場でソ連に主張して欲しい事の一覧表をも持ち込んでいた。

 必死であった。

 尚、その一覧には、ユーゴスラビアで起きている惨劇阻止に向けた国際連盟の関与に関わる文言は、慎重に取り除かれていた。

 何とも欲深い事に、ドイツが望んで居るのは、ユーゴスラビアのドイツ主導での安定化であり、間違っても国際連盟に手を出して欲しくないと思っていた。

 本来ドイツはユーゴスラビアの国庫 ―― 金などを根こそぎに奪い去ったのだから、手放しても良かったのだ。

 それが出来ないのは、ヒトラーが国内向けに行った演説が原因であった。

 ユーゴスラビア収得の成果を大きくアピールする為に使った、ドイツ人(サード・ライヒ)にとってユーゴスラビアは死命的利益領域であると言う言葉が、ドイツを縛る事となったのだ。

 何ともドイツらしい(マヌケな)話であった。

 

 

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