タイムスリップ令和ジャパン   作:◆QgkJwfXtqk

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110 ユーゴスラビア紛争-7

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 アドリア海で発生した戦争に繋がりかねない危機的状況は、日本にとって降って湧いた迷惑であった。

 国際連盟安全保障理事会常任理事国として国際連盟からの依頼(世界の警察官役)から逃げる積りは無いが、誰かが肩代わりしたいと申し出れば全力で譲りたいのが本音であった。

 とは言え本音は兎も角として、日本人らしい性癖としてやるならば全力で果たそうと努力していた。

 事前情報で死傷者が出ているとの情報があった為、護衛艦(FFM)ひびきは格納庫のUAVを下し医療ユニット(ミッションモジュール)を搭載していた。

 そもそも護衛艦すずつきの随伴としてひびき(FFM)が選ばれた理由が、ひびきが即応可能(レディネス)な状態にあったと言う事と共に、その高い居住性を見込んでの事であった。

 海外での長期にわたる展開を前提とする、言わば古い(ブリテン的な)意味での巡洋艦の性格を持ったフネであった事もあり、居住性はそれ以前の護衛艦と比較すると段違いに向上していたのだから。

 しかもひびきの属するベースライン4(拡大あさかぜ型)は、タイムスリップ後の国際環境の変化に対応する為に様々な設計の変更が行われており、その1つとして増員(海上警備専任部隊など)を受け入れる余力があった。

 今回、念の為として警備分隊が、イタリア人を受け入れるひびきには乗り込んでいた。

 日本としては十分に配慮と警戒をした上で、すずつきとひびきを派遣したのだ。

 派遣された2隻は、目的地にあるモノが面倒事とは理解しつつも、日本人的生真面目(与えられた仕事への忠実)さから、最大限に素早くアドリア海へと進出した。

 到着しだい即座にドイツに対してイタリア人の捕虜、及び死傷者引き渡しを要求した。

 これに、ドイツは難色を示した。

 実はこの時点で、国際連盟総会から日本に対して()()の原因調査も行う様に要請されていたのだ。

 ドイツは原因調査に関する捕虜の尋問はドイツ艦 ―― グラーフ・ツェッペリンにて行う事を要請していた。

 国際連盟に預けた話を反故にするドイツの要請であったが、一応は理由があった。

 負傷者は治療の為、他の捕虜などと一緒にグラーフ・ツェッペリンへ移乗させ治療を行っている。

 だが状態が良好とは言い難いので、外洋で負傷者を更に移乗させる事は負担が大きいと言う主張であった。

 事情聴取に関しては、ドイツは人道主義に基づいて、グラーフ・ツェッペリンへの他国軍人の乗艦を特別に認め、事情聴取に全面的に協力する用意があると主張したのだ。

 人道主義的と言う皮を被せた身柄の引き渡し拒否と言うドイツの手前勝手な意見を、イタリアは鼻で嗤い頑として受け入る積りは無い事を宣言した。

 又、日本もドイツの意見を一顧だにしなかった。

 そもそも、すずつきにはSH-60L多目的哨戒ヘリが搭載されており、SH-60Lは人員輸送任務時には機材を降ろす事で担架などをそのまま載せる事が可能であったのだ。

 ドイツの考えていた負傷者の身体の負担と言うものは存在していなかった。

 相手(日本)は自分達の常識の枠外にあるのだ、と言う事をドイツは、ドイツ海軍はグラーフ・ツェッペリンの飛行甲板に降り立ったSH-60Lを前にして漸く理解するのだった。

 連絡用としてグラーフ・ツェッペリンに搭載されていたドイツ初のヘリコプターFw61とは比べ物にならぬ実用性と先進性とを兼ね備えたSH-60Lは、それだけの科学的衝撃力(インパクト)を持っていた。*1

 事情聴取が始まる。

 だがその前に問題があった。

 それは、アドリア海の状況が日本の想定して居たソレを遥かに上回る酷さ、緊張感を孕んでいると言う事だった。

 筒先を向け合う事だけは無かった(最低限度にはお行儀よくしていた)が、その殺気にも似た緊張感は隠せなかった。

 戦艦と空母と巡洋艦に駆逐艦、果ては魚雷艇までもが一触即発の体で睨みあいをしていた。

 そんな場所を発火させずに落ち着かせるには5000t未満の護衛艦2隻では役者不足 ―― 現場についたすずつきの艦長は冷静に判断し、即座に日本連邦統合軍幕僚本部に対して戦力の増派を要請したのだった。

 調停役が言う事を聞かせるには、()()()()()()()が必要なのだ。

 問答無用で殺気立って対立する両者を鎮められるだけの、かつての米国が如き(プレゼンス)が。

 この為、日本連邦統合軍幕僚本部は日本政府の了解の下、クウェート基地から戦艦の様な偉容を持つあそ型護衛艦(CA)かさぎの追加派遣を決定した。

 可能であればやまと型護衛艦(BB)の投入も行いたい所であったが、やまとは日本近海で任務にあたっており、むさしは定期検査に入っていた為、即座に投入出来る状態には無かった。*2

 全速力でアドリア海へ航海するかさぎ。

 状況が長引く事を想定し、16,000t級のおおなみ型補給艦(AOR)さかたが続く。

 当初日本は、国際連盟加盟国であり深い友好関係を持っているトルコ*3に寄港し、そこで事情聴取を行う積りであったのだが、それにはドイツが難色を示した。

 国際社会(国際連盟)からの状況説明を要求する声に、ドイツは道義的責任から対応をする事を決意したのだが、同時にドイツは国際連盟の下に居る訳では無いのだと。

 ドイツが妥協できるのは、公海上での事情聴取のみであると主張した。

 この為、事件の調査はアドリア海公海上で行われる事となり、この為、さかたまで派遣される事となり、日本は難しいかじ取り(面倒事への対応)を強いられる事となっていた。

 

 

――フランス

 ドイツへの敵愾心に於いて遅れる所のない(ドイツ絶対曇らせるマンの)フランスは、アドリア海の状況を座視する積りは無かった。

 国際連盟総会にて()()()()()()()()()()()()()()()()としての監査役の艦を派遣する事の必要性を主張し、見事この権利をもぎ取るや、トゥーロンの軍港から就役したての新鋭戦艦ジャン・バールを旗艦とする艦隊を派遣した。

 とは言え戦艦を含む艦隊派遣はコストの掛かる為、政治的理由(ドイツへの嫌がらせ)だけが目的では無く軍事的な理由 ―― ドイツ空母の祖となるグラーフ・ツェッペリンの情報を間近で収集すると言う目的もあった。

 この結果、狭いアドリア海には大型艦が密集する事態となった。

 イタリアとフランスの戦艦が2隻。

 イギリスとイタリアとドイツの空母が3隻。*4

 イタリアとフランスにイギリス、そして日本の巡洋艦が7隻。

 さながら国際観艦式めいた状況であった。

 文字通りの睨みあい。

 調査を行う日本は、これが戦争の引き金になりかねない(心底から厄い事態)と理解しており、慎重に進めていた。

 この為、時間があった事からフランスのジャン・バールの艦長は、調査は別として、折角にこの場に集ったのだから交流(外交)をするべきだと主張し、各国の大型艦で部隊の指揮官や艦長等の交流会を持ちまわりで開催する事を提案する。

 ブリテンとイタリアは即座に賛成の声を上げ、日本は消極的な(遊びではないのだとイラつきつつ)賛成を表明。

 無論、ドイツにも声を掛けた。

 ほぼ嫌がらせである。

 調査の際に軍事機密が云々と言っていたので、断れば田舎者扱い。

 賛成しようとすれば、恐らくはドイツ本国(ヒトラー)から叱責されるであろうし、そうなれば指揮官や艦長としての権限は無いのかい? と尋ねる(皮肉れる)と言う読みであった。

 実際、ドイツから参加の是非についての回答には時間が掛かった。

 最終的にドイツも参加する事となる。

 洋上で開催される交流会。

 海軍は砲火を交えずとも戦いを行うのだ。

 

 

――ドイツ

 イタリアとの対峙もフランスの嫌がらせも、ドイツは恐れなかった。

 だが、日本からの飛行艇と漁船を銃撃したパイロットの事情聴取は恐れた。

 ユーゴスラビアのドイツ空軍駐屯空港でドイツが行った聞き取り調査で、本案件に於けるドイツの過失は明白となっていたからだ。

 しかもこのパイロット、若い為にかかなり態度が悪い(鼻っ柱が強い)

 日本人を偶々に調子に乗ってる黄色人種(劣等民族風情)と笑い、イタリアは日和った腑抜けと馬鹿にする。

 上官も列席した、佐官級の法務士官による聞き取り調査であったにも関わらずである。

 ヒトラーが政権与党の座について以降、常に行われて続けた情報操作(プロパガンダ)が生み出した典型的ドイツ人(モンスター)であった。

 成人した立場でナチス党による政権奪取とそれ以降のドイツの変容を見ていた人間にとって、恐るべき次世代(子どもたち)であった。

 若いパイロットの聞き取りを行ったドイツ空軍法務士官は頭を抱えた。

 その気分のままに法務士官は聞き取り内容を纏めた。

 こんな奴を事情聴取され(飢えた狼どもの前に出し)ては、やった事の謝罪と賠償は兎も角、やってない事まで要求されかねないとの恐怖感に満ちた法務士官の報告書に、ドイツ上層部も頭を抱えた。

 法的にもドイツが悪い ―― 公海上で救護活動を行っていたイタリア軍飛行艇と民間漁船を、警告も無しに銃撃し撃破しているのだ。

 非列強、或は発展途上国か植民地程度の相手であれば逆ねじを喰らわせ、雀の涙ほどの慰問金を支払えば済んだかもしれないが、相手はイタリア(列強)だ。

 しかも証拠は押さえられている。

 では、調査を行っている相手を脅し、自分に都合の良い報告書を纏めさせる事が出来ないかと言えば、相手は列強でも更に上位たるG4(ジャパン・アングロ)の筆頭たる日本なのだ。

 絶対に不可能であった。

 如何にドイツの傷を小さくするのか。

 全てはイタリアと国際連盟による陰謀であると主張する事は容易いだろう。

 ドイツ上層部も、一定数のドイツ(アーリア)人優位主義に染まっていた人々はそう主張した。

 だが、多くの人間はそれに反対した。

 強硬な主張は戦争を呼ぶ。

 戦争と成れば即座にイタリア、フランス、ポーランドから侵攻を受けるだろう。

 だが今現在のドイツ軍には、それらからドイツ本土を守り抜くだけの準備が整っていないのだ。

 であれば避戦しかないと言うのが、大多数である反戦派の主張であった。

 ヒトラーは党内、経済界、軍首脳部から話を聞き、悩み抜き、冷徹な決断を下した。

 自裁、パイロットに詰め腹を切らせたのだ。

 1人の心身に問題のあったパイロットが浅慮にも行動し、その結果、国家間の大問題へと発展した。

 その事をドイツでの事情聴取中に理解した結果、自らを裁いたと言う形にしたのだ。

 こうして、パイロットとしての技量に将来を期待されていた若者は、その傲慢さと愚かさの責任を取らされたのだった。

 経緯ゆえに大々的に死を悼む事は許されなかったが、同僚たちからは愛されていたパイロットであった為、パイロットの乗機を示す胴体後部に書かれた黄色い機体番号に黒い布が被せられ、弔意が示されたのだった。

 そして現場のパイロット達は、イタリアと日本への憎悪を募らせた。

 何時かは報復を! そう叫ぶ程だった。

 自殺したパイロットの死体を確認し、銃撃した戦闘機を確認する為に日本の法務士官とイタリア人 ―― 飛行艇乗組員であり被害者がユーゴスラビアのドイツ空軍駐屯飛行場を訪れた際、殺さんばかりの視線を向けた程であった。

 とは言え大多数の人間は日本の使った移動手段、フランスとイタリアの艦載機に護衛されて来たCV-22(垂直離着陸機)に度肝を抜かれていたが。

 

 

――アドリア海クライシス

 ドイツパイロットの死亡と、己の所業を悔いた()()が発見された事もあり、アドリア海での緊張は急速に緩和の方向へと動き出した。

 ドイツ政府が公式に謝罪し、漁民への補償と共にイタリアへの賠償を約束した事が大きかった。

 だが同時に、ドイツは事件の遠因ともなったユーゴスラビアへの武器密輸問題の解決に、国際連盟やイタリアの協力を呼びかける事となった。

 尚、ドイツの呼びかけに対し国際連盟総会はイタリアが発起する形で、周辺国にとってユーゴスラビアに於ける平穏こそが利益であると言う議決を取るに留まる事となる。

 少しばかり迂遠な、ドイツ非難決議であった。

 尚、決議の補足には、ユーゴスラビアからの難民流入に苦しむ国際連盟加盟国(ギリシャ)に対して国際連盟はあらゆる手段を以って支援するとも記されていた。

 ユーゴスラビア情勢に関し、ドイツに対する太く長い釘を刺した形である。

 アドリア海の危機的な状況は脱したが、バルカン半島(ヨーロッパの火薬庫)の火は燻りこそすれども鎮火する気配は無かった。

 

 

 

 

 

 

*1

 シベリアで地獄を見たドイツ陸軍や、ジェット戦闘機開発競争で苦杯を飲み続ける羽目になっているドイツ空軍と比べ、ドイツ海軍は今まで日本の脅威(未来的科学技術)に対する意識が薄かった。

 伝統的にドイツ海軍の主敵はブリテンでありフランスであり、それ以外と関わる事は無いと、ある種、視野狭窄(田舎のプレスリー)的であったのだ。

 近年になって時々、ヨーロッパにも出現する様になった日本海軍であったが、ドイツ海軍にとっては仮想敵とはなり辛かった。

 アジアで相対する事はあったが、それでも脅威と呼べるのは敵対心を隠さないフランス海軍であり、陰湿なイギリス海軍であったのだ。

 或は、世界中に展開させるだけの国力を持ち、チャイナで対立構造にあるアメリカ海軍であった。

 だからドイツ海軍はアドリア海で初めて意識したのだ、G4筆頭の日本海軍(海上自衛隊)を。

 国力に裏打ちされた圧倒的なまでに先進的な艦と装備とを。

 その思いは、後に事件の調査の為に飛行艇と漁船とを異形の飛行機(CV-22)が易々と海上から吊り上げて、戦艦並に巨大なおおなみ型補給艦(16,000t級AOR)しんじの艦後部の広大な飛行甲板に乗せてしまった事で、益々強まる事となる。

 

 

*2

 そもそも、かさぎがクウェートに配置された理由が、むさしの定期点検による欧州/中東方面での大型艦(判りやすいプレゼンス)減少への対応であったのだから、これは仕方のない話であった。

 この経験から、海上自衛隊は実用実戦的な戦力の整備のみならず象徴的戦力(プレゼンス・シップ)の整備の重要性を認識する事となる。

 尚、この時点で拡大やまと型護衛艦(BB)、後のきい型護衛艦(52,000t型BB)は着工にこそこぎ着けていたが艤装はおろか進水もしておらず、戦力に数える所の話では無かった。

 戦艦乃至は空母の様な護衛艦の追加整備が日本で検討が開始された事を知ったグアム共和国兼アメリカ連絡事務次官 ―― 退役して日本本土大使館付きとなった元在日米軍高官は、旧知の内閣府防衛政策参与の元自衛隊高官に対して凄く良い笑顔で親指を突き上げていた(Good Luck! 世界の警察管殿)

 米国軍人として中東や亜細亜で面倒事(紛争処理)に向き合う事の多い軍歴を重ねて来たが故の、ある意味で解放感の表明であった。

 とは言え、感情(イチ抜けの喜び)を向けられた元自衛隊高官は黒い顔で思いっきり親指を下に振って(アメリカがやれよ!)返していたが。

 元在日米軍高官は誠に残念と両の掌を振って(アメリカは地中海に居ないモンと)返し、元自衛隊高官は益々黒くした顔で鼻息も荒く両腕の拳を突きあわせて(何時か引きずりこんでやると)応じた。

 それは、G4内に於ける何とも醜い主導権争い(責任者の押し付け合い)であった。

 

 

*3

 日本とトルコの友好関係の礎となっていたのはエルトゥールル号の遭難事件であり、それに端を発した永い関係、と言う訳では全くない。

 一応、その要素もあるのだが、それ以上に大きかったのは、タイムスリップ後に日本が諸外国からの歓心を買う為に世界周遊の医療航海を行わせた病院船船団(アスクレピオス・フリート)であった。

 船団の各病院船は、タイムスリップ時に日本に寄港していた豪華客船を日本が借り上げ、最新式の医療設備を搭載する様に改造し、そこに医師会から各分野の医者を派遣して貰い用意したものであった。

 100年先の医療は、多くの人間を救う事となり、その中にムスタファ・ケマルと言う人間が居た。

 極言すれば、ただそれだけの事であった。

 

 

*4

 アドリア海での騒動(イベント)に、ブリテンは嬉々として首を突っ込む事を選択していた。

 エジプトに駐留していた地中海艦隊から空母アークロイヤルを旗艦とした訓練艦隊を編成し、()()()()訓練航海でアドリア海へと来たと言う(タテマエ)であった。

 ブリテンの、他人の嫌がる事を進んですると言う性根の表れと言えた。

 尚、真面目な目的として、ドイツ海軍の練度を計ると言う目的もあった。

 グラーフ・ツェッペリンは無論であるが、ドイツの駆逐艦も北海にも出て来ない(ヒキコモリ傾向がある)為、その情報を収集する事は重要であった。

 海洋国家の矛にして盾たるブリテン海軍にとってドイツの大型艦の情報も重要であったが、海洋戦力の下支えとして縦横に駆け回る駆逐艦も又、決して軽視出来るモノでは無いのだから。

 例え、ドイツの駆逐艦の数がブリテンの1個艦隊分にも満たぬ様なものであるとは言え油断する積りは無かった。

 

 


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