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アドリア海で発生した戦争に繋がりかねない危機的状況は、日本にとって降って湧いた迷惑であった。
国際連盟安全保障理事会常任理事国として
とは言え本音は兎も角として、日本人らしい性癖としてやるならば全力で果たそうと努力していた。
事前情報で死傷者が出ているとの情報があった為、
そもそも護衛艦すずつきの随伴として
海外での長期にわたる展開を前提とする、言わば
しかもひびきの属する
今回、念の為として警備分隊が、イタリア人を受け入れるひびきには乗り込んでいた。
日本としては十分に配慮と警戒をした上で、すずつきとひびきを派遣したのだ。
派遣された2隻は、目的地にあるモノが面倒事とは理解しつつも、
到着しだい即座にドイツに対してイタリア人の捕虜、及び死傷者引き渡しを要求した。
これに、ドイツは難色を示した。
実はこの時点で、国際連盟総会から日本に対して
ドイツは原因調査に関する捕虜の尋問はドイツ艦 ―― グラーフ・ツェッペリンにて行う事を要請していた。
国際連盟に預けた話を反故にするドイツの要請であったが、一応は理由があった。
負傷者は治療の為、他の捕虜などと一緒にグラーフ・ツェッペリンへ移乗させ治療を行っている。
だが状態が良好とは言い難いので、外洋で負傷者を更に移乗させる事は負担が大きいと言う主張であった。
事情聴取に関しては、ドイツは人道主義に基づいて、グラーフ・ツェッペリンへの他国軍人の乗艦を特別に認め、事情聴取に全面的に協力する用意があると主張したのだ。
人道主義的と言う皮を被せた身柄の引き渡し拒否と言うドイツの手前勝手な意見を、イタリアは鼻で嗤い頑として受け入る積りは無い事を宣言した。
又、日本もドイツの意見を一顧だにしなかった。
そもそも、すずつきにはSH-60L多目的哨戒ヘリが搭載されており、SH-60Lは人員輸送任務時には機材を降ろす事で担架などをそのまま載せる事が可能であったのだ。
ドイツの考えていた負傷者の身体の負担と言うものは存在していなかった。
連絡用としてグラーフ・ツェッペリンに搭載されていたドイツ初のヘリコプターFw61とは比べ物にならぬ実用性と先進性とを兼ね備えたSH-60Lは、それだけの科学的
事情聴取が始まる。
だがその前に問題があった。
それは、アドリア海の状況が日本の想定して居たソレを遥かに上回る酷さ、緊張感を孕んでいると言う事だった。
戦艦と空母と巡洋艦に駆逐艦、果ては魚雷艇までもが一触即発の体で睨みあいをしていた。
そんな場所を発火させずに落ち着かせるには5000t未満の護衛艦2隻では役者不足 ―― 現場についたすずつきの艦長は冷静に判断し、即座に日本連邦統合軍幕僚本部に対して戦力の増派を要請したのだった。
調停役が言う事を聞かせるには、
問答無用で殺気立って対立する両者を鎮められるだけの、かつての米国が如き
この為、日本連邦統合軍幕僚本部は日本政府の了解の下、クウェート基地から戦艦の様な偉容を持つあそ型
可能であればやまと型
全速力でアドリア海へ航海するかさぎ。
状況が長引く事を想定し、16,000t級のおおなみ型
当初日本は、国際連盟加盟国であり深い友好関係を持っているトルコ*3に寄港し、そこで事情聴取を行う積りであったのだが、それにはドイツが難色を示した。
ドイツが妥協できるのは、公海上での事情聴取のみであると主張した。
この為、事件の調査はアドリア海公海上で行われる事となり、この為、さかたまで派遣される事となり、日本は
――フランス
国際連盟総会にて
とは言え戦艦を含む艦隊派遣はコストの掛かる為、
この結果、狭いアドリア海には大型艦が密集する事態となった。
イタリアとフランスの戦艦が2隻。
イギリスとイタリアとドイツの空母が3隻。*4
イタリアとフランスにイギリス、そして日本の巡洋艦が7隻。
さながら国際観艦式めいた状況であった。
文字通りの睨みあい。
調査を行う日本は、これが
この為、時間があった事からフランスのジャン・バールの艦長は、調査は別として、折角にこの場に集ったのだから
ブリテンとイタリアは即座に賛成の声を上げ、日本は
無論、ドイツにも声を掛けた。
ほぼ嫌がらせである。
調査の際に軍事機密が云々と言っていたので、断れば田舎者扱い。
賛成しようとすれば、恐らくは
実際、ドイツから参加の是非についての回答には時間が掛かった。
最終的にドイツも参加する事となる。
洋上で開催される交流会。
海軍は砲火を交えずとも戦いを行うのだ。
――ドイツ
イタリアとの対峙もフランスの嫌がらせも、ドイツは恐れなかった。
だが、日本からの飛行艇と漁船を銃撃したパイロットの事情聴取は恐れた。
ユーゴスラビアのドイツ空軍駐屯空港でドイツが行った聞き取り調査で、本案件に於けるドイツの過失は明白となっていたからだ。
しかもこのパイロット、若い為にかかなり
日本人を偶々に調子に乗ってる
上官も列席した、佐官級の法務士官による聞き取り調査であったにも関わらずである。
ヒトラーが政権与党の座について以降、常に行われて続けた
成人した立場でナチス党による政権奪取とそれ以降のドイツの変容を見ていた人間にとって、恐るべき
若いパイロットの聞き取りを行ったドイツ空軍法務士官は頭を抱えた。
その気分のままに法務士官は聞き取り内容を纏めた。
こんな奴を
法的にもドイツが悪い ―― 公海上で救護活動を行っていたイタリア軍飛行艇と民間漁船を、警告も無しに銃撃し撃破しているのだ。
非列強、或は発展途上国か植民地程度の相手であれば逆ねじを喰らわせ、雀の涙ほどの慰問金を支払えば済んだかもしれないが、相手は
しかも証拠は押さえられている。
では、調査を行っている相手を脅し、自分に都合の良い報告書を纏めさせる事が出来ないかと言えば、相手は列強でも更に上位たる
絶対に不可能であった。
如何にドイツの傷を小さくするのか。
全てはイタリアと国際連盟による陰謀であると主張する事は容易いだろう。
ドイツ上層部も、一定数の
だが、多くの人間はそれに反対した。
強硬な主張は戦争を呼ぶ。
戦争と成れば即座にイタリア、フランス、ポーランドから侵攻を受けるだろう。
だが今現在のドイツ軍には、それらからドイツ本土を守り抜くだけの準備が整っていないのだ。
であれば避戦しかないと言うのが、大多数である反戦派の主張であった。
ヒトラーは党内、経済界、軍首脳部から話を聞き、悩み抜き、冷徹な決断を下した。
自裁、パイロットに詰め腹を切らせたのだ。
1人の心身に問題のあったパイロットが浅慮にも行動し、その結果、国家間の大問題へと発展した。
その事をドイツでの事情聴取中に理解した結果、自らを裁いたと言う形にしたのだ。
こうして、パイロットとしての技量に将来を期待されていた若者は、その傲慢さと愚かさの責任を取らされたのだった。
経緯ゆえに大々的に死を悼む事は許されなかったが、同僚たちからは愛されていたパイロットであった為、パイロットの乗機を示す胴体後部に書かれた黄色い機体番号に黒い布が被せられ、弔意が示されたのだった。
そして現場のパイロット達は、イタリアと日本への憎悪を募らせた。
何時かは報復を! そう叫ぶ程だった。
自殺したパイロットの死体を確認し、銃撃した戦闘機を確認する為に日本の法務士官とイタリア人 ―― 飛行艇乗組員であり被害者がユーゴスラビアのドイツ空軍駐屯飛行場を訪れた際、殺さんばかりの視線を向けた程であった。
とは言え大多数の人間は日本の使った移動手段、フランスとイタリアの艦載機に護衛されて来た
――アドリア海クライシス
ドイツパイロットの死亡と、己の所業を悔いた
ドイツ政府が公式に謝罪し、漁民への補償と共にイタリアへの賠償を約束した事が大きかった。
だが同時に、ドイツは事件の遠因ともなったユーゴスラビアへの武器密輸問題の解決に、国際連盟やイタリアの協力を呼びかける事となった。
尚、ドイツの呼びかけに対し国際連盟総会はイタリアが発起する形で、周辺国にとってユーゴスラビアに於ける平穏こそが利益であると言う議決を取るに留まる事となる。
少しばかり迂遠な、ドイツ非難決議であった。
尚、決議の補足には、ユーゴスラビアからの難民流入に苦しむ
ユーゴスラビア情勢に関し、ドイツに対する太く長い釘を刺した形である。
アドリア海の危機的な状況は脱したが、
シベリアで地獄を見たドイツ陸軍や、ジェット戦闘機開発競争で苦杯を飲み続ける羽目になっているドイツ空軍と比べ、ドイツ海軍は今まで
伝統的にドイツ海軍の主敵はブリテンでありフランスであり、それ以外と関わる事は無いと、ある種、
近年になって時々、ヨーロッパにも出現する様になった日本海軍であったが、ドイツ海軍にとっては仮想敵とはなり辛かった。
アジアで相対する事はあったが、それでも脅威と呼べるのは敵対心を隠さないフランス海軍であり、陰湿なイギリス海軍であったのだ。
或は、世界中に展開させるだけの国力を持ち、チャイナで対立構造にあるアメリカ海軍であった。
だからドイツ海軍はアドリア海で初めて意識したのだ、G4筆頭の日本
国力に裏打ちされた圧倒的なまでに先進的な艦と装備とを。
その思いは、後に事件の調査の為に飛行艇と漁船とを
そもそも、かさぎがクウェートに配置された理由が、むさしの定期点検による欧州/中東方面での
この経験から、海上自衛隊は実用実戦的な戦力の整備のみならず
尚、この時点で拡大やまと型
戦艦乃至は空母の様な護衛艦の追加整備が日本で検討が開始された事を知ったグアム共和国兼アメリカ連絡事務次官 ―― 退役して日本本土大使館付きとなった元在日米軍高官は、旧知の内閣府防衛政策参与の元自衛隊高官に対して凄く良い笑顔で
米国軍人として中東や亜細亜で
とは言え、
元在日米軍高官は
それは、G4内に於ける
日本とトルコの友好関係の礎となっていたのはエルトゥールル号の遭難事件であり、それに端を発した永い関係、と言う訳では全くない。
一応、その要素もあるのだが、それ以上に大きかったのは、タイムスリップ後に日本が諸外国からの歓心を買う為に世界周遊の医療航海を行わせた
船団の各病院船は、タイムスリップ時に日本に寄港していた豪華客船を日本が借り上げ、最新式の医療設備を搭載する様に改造し、そこに医師会から各分野の医者を派遣して貰い用意したものであった。
100年先の医療は、多くの人間を救う事となり、その中にムスタファ・ケマルと言う人間が居た。
極言すれば、ただそれだけの事であった。
アドリア海での
エジプトに駐留していた地中海艦隊から空母アークロイヤルを旗艦とした訓練艦隊を編成し、
ブリテンの、他人の嫌がる事を進んですると言う性根の表れと言えた。
尚、真面目な目的として、ドイツ海軍の練度を計ると言う目的もあった。
グラーフ・ツェッペリンは無論であるが、ドイツの駆逐艦も
海洋国家の矛にして盾たるブリテン海軍にとってドイツの大型艦の情報も重要であったが、海洋戦力の下支えとして縦横に駆け回る駆逐艦も又、決して軽視出来るモノでは無いのだから。
例え、ドイツの駆逐艦の数がブリテンの1個艦隊分にも満たぬ様なものであるとは言え油断する積りは無かった。