+
ドイツがイタリアに謝罪する事で一応の終息を迎える事となった
それは、
この状況を打破する為、ヒトラーは2つの事を示す事とした。
1つは軍事力の鼓舞。
陸海空の3軍による大規模な軍事演習と閲兵式を執り行わせる事としたのだ。
最新鋭の重戦車、ジェット戦闘機。
そして戦艦。
国民に向けて大々的にアピールを行い、併せて
ソ連側も、シベリア共和国 ―― 日本連邦と対峙し続ける自国の軍事的技術を
ドイツとソ連による合同
だがコレだけでは誤魔化しだけである。
その上でヒトラーは、1つの政治的勝利を望む事となる。
対象はオランダだ。
以前よりドイツはオランダの分不相応な富 ―― オランダ領東インドが生み出した富を狙っていたが、今はそれ以上に傷付いたヒトラーの権威を回復させる為の、政治的成果としてオランダの併合を狙っていた。
既にドイツの策謀もあって、国民の一部には
――オランダ
国際連盟にも加盟し、オランダ領東インドを介した日本との交流も盛んな為、
だが、高度な教育を受けた
高度な教育を受けたが故に、日本のオランダ貿易政策*1が、まるで
一般のオランダ人は、
この点で言えば、対立してきたソ連やドイツ等の一般人の方がよっぽど、その
彼彼女らは、出征していった隣人が全くと言って良いほどに帰って来れなかった事の意味を理解していたのだから。
兎も角。
物理的心理的距離の遠さから、オランダ人は日本の事を
であればこそ、
拭い難い差別意識の発露とも言えた。
又、極一部の人間は、オランダ領東インドで日本人から受けた扱いに怒りを燃やしてもいた。
高等教育を受け、オランダ領東インドに進出した日本企業に雇われた経験のある人間だ。
日本企業の
そこに、ある意味でドイツの繁栄を憧れた労働者*3が加わる形で、オランダの親ドイツ派は大きな政治勢力へと育つ事となる。
又、オランダ政府内に、ドイツとの適切な距離感を取るべきと主張する人間が居た事が、この動きを助長した。
ドイツと
ドイツに蹂躙される事を恐れ、だが積極的に対決姿勢を取れるだけの国力の無いオランダの哀しさでもあった。
フランスと対ドイツに於ける共同歩調を検討しつつはあったが、戦争となれば即座に蹂躙される程度には狭い国土であるオランダが出来る事など殆ど無いのだから。
フランスやイギリス、或は強大無比な日本の軍を引き込んだとしても国土の狭さ ―― 地積の乏しさ故に、戦火がオランダの政治と経済の中心地帯を焼く事を止められない。
オランダ政府は冷静に、評価していた。
その事が、ドイツとの決定的な対立をオランダが取り得ない理由であった。
――ポーランド
対ドイツに於いて国家の取りうる選択肢に困っているオランダに対し、
共に手を携えてドイツをぶん殴ろうと言うお誘いは、生臭い話をすれば、オランダの金で武器を開発し製造しようと言う話でもあった。
ポーランドの重工業はフランスやブリテンからの
新装備の開発は25TPの後継として、
従来のモノよりも更に重量化した、1920年代であれば重戦車と呼ばれてもおかしくない32tもの
それには莫大な予算が居る。
戦車の製造ラインに投資させようと言うのだ。
このポーランドの提案に、オランダは熟慮の末、乗る事となる。
――ドイツ
オランダとポーランドの軍事協力協定は、ドイツに焦りを与える事となる。
既にフランス、イタリア、ポーランドと三方を敵国に囲まれている上に、1国が加わるのだ。
悪夢であった。
オランダは財政こそ豊かであったが、軍事的な脅威は低い。
だが海に面していた。
即ち、ブリテンや日本の軍が緊急展開して来やすい場所にあるのだ。
国家は軽視出来ても、その地理的特性は甘く見る事など出来なかった。
この為、戦略的思想/視点に
日本は、オランダ領東インドの算出する資源のみを欲し、オランダが作り出した工業製品を見向きする事は無かった。
農作物に関しては日本も興味を示す事はあったのだが、輸出コストの問題からアメリカやオーストラリアの様な環太平洋国家群に太刀打ち出来なかった。
尚、オランダは工業の確立の為、日本からも大量に工作機械などを輸入していた。
日本企業からすれば、オランダの高等教育と言われても
高等教育を受けた事による学習能力の高さはあるが、それは現場に入ってからの実績に反映される類の話であり、入社時点での評価に繋がる事は無かった。
又、
この為、先に入社していた
平等であったのだ。
平等に扱われた事が、一部のオランダ人が持つ優越意識を刺激し反日本へと走らせたのだ。
尚、日本企業で日本の先進性の一端に触れた多くの若いオランダ人は、日本との格差を理解し、現実を受けれていた。
問題は、現実を受け入れたオランダ人はオランダ領東インドで仕事に就いたままであるのに対し、反日本となったオランダ人は仕事を辞め、オランダに帰ったと言う事である。
オランダ領東インドへと渡ったオランダ人の、ごく少数の反日本主義者だけがオランダ本土に帰る為、自然とオランダに於ける世論に於いて反日本の人間の主張が大きく扱われる事となるのだ。
この後に、オランダ政府はこの反日主義に手を焼く事となる。
国家社会主義を標榜するドイツ・ヒトラー政権は、そうであるが故に企業と共に労働者への手厚い補償を謳っていた。
現実的な側面としては、ヒトラー政権の有力な支持層である労働者階層からの歓心を買うと言う側面があった。
この事が、諸外国からのドイツ人労働者への羨望に繋がっていた。
尚、それらの施策に使われる予算の原資が併合した国家の資産、或はユダヤ人がドイツを離れる際に収奪した資産やチャイナ人による奴隷労働であった事を気にする人間は居なかった。
32TPの開発計画は、量産の出来なかった25TPでの失敗を基にポーランド陸軍が保有する虎の子の
重要視されたのは、ドイツのⅢ号戦車やソヴィエトのT-34戦車と正面から戦える性能である事と共に、製造コストを出来るだけ抑える事であった。
この為、最低限度の避弾経始こそ考慮されたが、それ以外は性能向上などを無視した極力複雑な線を排除した設計が行われた。
その徹底ぶりは、この時代では標準装備であった車体前面の機銃が搭載されないと言う所に現れていた。
出来るだけ安く、敵戦車を撃破出来る戦車。
それが32TPに要求された事であった。
尚、主砲はフランスから長砲身90㎜砲を導入している。
1940年代前半の30t級戦車であれば全て撃破可能な大口径砲である。
32TPが公開されるや、その衝撃は欧州に広がった。
それ以上の戦車を配備しているブリテンやフランスは兎も角として、準G4と自負し欧州の強国と誇っていたイタリアは、強い衝撃を受けていた。
だがそれ以上に衝撃を受けたのは、仮想敵国であるドイツである。
軍事的脅威以上に面子の問題であった。
ヒトラーの。
劣等国家と見ていたポーランドが、自国の主力中戦車以上の戦車を開発した事にヒトラーは激怒し、Ⅲ号戦車系に代わる中戦車の整備計画を厳命した。
新しい仕事に慣れる為に時間が掛かり、更新頻度は劇的に低下しました。
できるだけ週一更新、最低でも月一更新を目指して頑張ります。
2020/09/18 文章修正