タイムスリップ令和ジャパン   作:◆QgkJwfXtqk

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111 さまよえるオランダ

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 ドイツがイタリアに謝罪する事で一応の終息を迎える事となったアドリア海の緊張(アドリア・クライシス)であったが、その事が新しい緊張を生み出す切っ掛けとなる。

 それは、ドイツ(ヒトラー)独裁的政治体制(人気が命のフューラー稼業)である事が理由であった。

 格下(ヘタリア)と見ていたイタリアに敗北を喫したと言う事は、それ程の衝撃(政治的インパクト)をドイツに与える事となったのだ。

 この状況を打破する為、ヒトラーは2つの事を示す事とした。

 1つは軍事力の鼓舞。

 陸海空の3軍による大規模な軍事演習と閲兵式を執り行わせる事としたのだ。

 最新鋭の重戦車、ジェット戦闘機。

 そして戦艦。

 国民に向けて大々的にアピールを行い、併せて軍事専門家(マスコミ)による解説を行う事で、()()()にイタリアへと傷を与えたのは余りにもドイツ軍が優れていた為である ―― そう思う様に誘導しようと言うのだ。

 友邦(数少ない同盟国)ソ連にも声を掛け、部隊(連隊規模)の派遣を受ける段取りをしていた。

 ソ連側も、シベリア共和国 ―― 日本連邦と対峙し続ける自国の軍事的技術を世界(非G4陣営諸国)に向けてアピールする事で販路を得たい(武器売却による外貨取得)と言う欲があり、ドイツの提案に乗る事となった。

 ドイツとソ連による合同演習(アピール)は、その構想の発表だけで両国の国民と、両国との距離の近い国家からは好意的に評価される事となった。

 だがコレだけでは誤魔化しだけである。

 その上でヒトラーは、1つの政治的勝利を望む事となる。

 対象はオランダだ。

 以前よりドイツはオランダの分不相応な富 ―― オランダ領東インドが生み出した富を狙っていたが、今はそれ以上に傷付いたヒトラーの権威を回復させる為の、政治的成果としてオランダの併合を狙っていた。

 既にドイツの策謀もあって、国民の一部には大欧州連合帝国(ファシズム)への憧憬を抱いた政治的勢力すら生まれているオランダは、ドイツの格好の標的 ―― 過程(道路)では無く目的(獲物)であった。

 

 

――オランダ

 国際連盟にも加盟し、オランダ領東インドを介した日本との交流も盛んな為、親G4国家(G4の属国)と見なされているオランダであったが、その国内状況は少しばかり複雑であった。

 政治家や資産家(アッパー・クラス)は、金を貢いでくれる日本に対して好意的であった。

 一般労働者(ロウワー・クラス)は生活するだけで精一杯であった。

 だが、高度な教育を受けた上級労働者(ミドル・クラス)の人間には、日本に対する反感が生まれつつあった。

 高度な教育を受けたが故に、日本のオランダ貿易政策*1が、まるで先進国(列強)が発展途上国を相手にする様なものであると理解出来ていたのだ。

 一般のオランダ人は、日本と積極的に交流する事(日本から見て交易の旨味)が無かったが為、日本が持つ100年の先進性を良く理解出来ていなかったのだ。

 この点で言えば、対立してきたソ連やドイツ等の一般人の方がよっぽど、その()()()()を理解していた。

 彼彼女らは、出征していった隣人が全くと言って良いほどに帰って来れなかった事の意味を理解していたのだから。

 兎も角。

 物理的心理的距離の遠さから、オランダ人は日本の事を()()()()()()()()()()()()()()()()()と認識していた。

 であればこそ、アジア人国家(劣等種国家)が白人先進国家であるオランダを低く見るのは赦しがたいと思っていた。

 拭い難い差別意識の発露とも言えた。

 又、極一部の人間は、オランダ領東インドで日本人から受けた扱いに怒りを燃やしてもいた。

 高等教育を受け、オランダ領東インドに進出した日本企業に雇われた経験のある人間だ。

 日本企業の()()()()()()()()彼らは、優秀な自分たちが現地住人(オランダ領東インド人)と同列に扱われ、或は、下に扱われた事に憤慨していたのだ。*2

 反日本主義(黄禍論)のオランダ人は、G4として日本との距離が近いアメリカ、ブリテン、フランス。それにイタリアと言った名だたる強国(列強)が当てにならぬと断じ、世界を主導するべき白人の優位性を維持するドイツ・ソ連への接近を強く主張したのだ。

 そこに、ある意味でドイツの繁栄を憧れた労働者*3が加わる形で、オランダの親ドイツ派は大きな政治勢力へと育つ事となる。

 又、オランダ政府内に、ドイツとの適切な距離感を取るべきと主張する人間が居た事が、この動きを助長した。

 ドイツとG4(フランス)の対立が過激化しつつある現在の国際的政治状況を理解し、同時に、フランスから断片的に教えられた来るべき戦争(フューチャー・ヒストリー)で独逸に蹂躙される阿蘭陀を知った事が原因であった。

 ドイツに蹂躙される事を恐れ、だが積極的に対決姿勢を取れるだけの国力の無いオランダの哀しさでもあった。

 フランスと対ドイツに於ける共同歩調を検討しつつはあったが、戦争となれば即座に蹂躙される程度には狭い国土であるオランダが出来る事など殆ど無いのだから。

 フランスやイギリス、或は強大無比な日本の軍を引き込んだとしても国土の狭さ ―― 地積の乏しさ故に、戦火がオランダの政治と経済の中心地帯を焼く事を止められない。

 オランダ政府は冷静に、評価していた。

 その事が、ドイツとの決定的な対立をオランダが取り得ない理由であった。

 

 

――ポーランド

 対ドイツに於いて国家の取りうる選択肢に困っているオランダに対し、迷わないポーランド(タイムレス東欧狂犬国家)が好意的に接触を図った。

 共に手を携えてドイツをぶん殴ろうと言うお誘いは、生臭い話をすれば、オランダの金で武器を開発し製造しようと言う話でもあった。

 ポーランドの重工業はフランスやブリテンからの技術供与(旧式設備の売却)によって発展を遂げつつあったが、その工業化に予算が掛かり過ぎてしまい、目的であった軍備の増強へと十分には回せていなかった。

 新装備の開発は25TPの後継として、列強の標準(トレンド)を追う30t級の中戦車、32TP*4の開発こそ出来てはいたが、その本格的な量産は難しいのが実状であった。

 従来のモノよりも更に重量化した、1920年代であれば重戦車と呼ばれてもおかしくない32tもの()戦車を量産するには工場の増築と、製造インフラの大規模な更新が不可欠であるからだ。

 それには莫大な予算が居る。

 ()()()()()オランダへの声掛けであった。

 戦車の製造ラインに投資させようと言うのだ。

 このポーランドの提案に、オランダは熟慮の末、乗る事となる。

 

 

――ドイツ

 オランダとポーランドの軍事協力協定は、ドイツに焦りを与える事となる。

 既にフランス、イタリア、ポーランドと三方を敵国に囲まれている上に、1国が加わるのだ。

 悪夢であった。

 オランダは財政こそ豊かであったが、軍事的な脅威は低い。

 だが海に面していた。

 即ち、ブリテンや日本の軍が緊急展開して来やすい場所にあるのだ。

 国家は軽視出来ても、その地理的特性は甘く見る事など出来なかった。

 この為、戦略的思想/視点に()()()()()ヒトラーは、オランダの属国化に向けた秘密工作の加速を厳命する事となる。

 

 

 

 

 

 

*1

 日本は、オランダ領東インドの算出する資源のみを欲し、オランダが作り出した工業製品を見向きする事は無かった。

 農作物に関しては日本も興味を示す事はあったのだが、輸出コストの問題からアメリカやオーストラリアの様な環太平洋国家群に太刀打ち出来なかった。

 尚、オランダは工業の確立の為、日本からも大量に工作機械などを輸入していた。

 

 

*2

 日本企業からすれば、オランダの高等教育と言われても100年も昔の(古臭い)モノであり、それに高い評価を付ける事は難しかった。

 高等教育を受けた事による学習能力の高さはあるが、それは現場に入ってからの実績に反映される類の話であり、入社時点での評価に繋がる事は無かった。

 又、オランダ人(白人)だからと優遇する義理も無かった。

 この為、先に入社していたオランダ領東インド人(インドネシア人)の下に、オランダ人が配属される例も多かった。

 平等であったのだ。

 平等に扱われた事が、一部のオランダ人が持つ優越意識を刺激し反日本へと走らせたのだ。

 尚、日本企業で日本の先進性の一端に触れた多くの若いオランダ人は、日本との格差を理解し、現実を受けれていた。

 問題は、現実を受け入れたオランダ人はオランダ領東インドで仕事に就いたままであるのに対し、反日本となったオランダ人は仕事を辞め、オランダに帰ったと言う事である。

 オランダ領東インドへと渡ったオランダ人の、ごく少数の反日本主義者だけがオランダ本土に帰る為、自然とオランダに於ける世論に於いて反日本の人間の主張が大きく扱われる事となるのだ。

 この後に、オランダ政府はこの反日主義に手を焼く事となる。

 

 

*3

 国家社会主義を標榜するドイツ・ヒトラー政権は、そうであるが故に企業と共に労働者への手厚い補償を謳っていた。

 現実的な側面としては、ヒトラー政権の有力な支持層である労働者階層からの歓心を買うと言う側面があった。

 誰もが持てる自動車(フォルクス・ワーゲン)余暇に行楽地へと行く道路(アウトバーン)、或は住宅の提供など様々な労働者の支持を得る為の努力をヒトラーは惜しまなかった。

 この事が、諸外国からのドイツ人労働者への羨望に繋がっていた。

 尚、それらの施策に使われる予算の原資が併合した国家の資産、或はユダヤ人がドイツを離れる際に収奪した資産やチャイナ人による奴隷労働であった事を気にする人間は居なかった。

 

 

*4

 32TPの開発計画は、量産の出来なかった25TPでの失敗を基にポーランド陸軍が保有する虎の子の2個戦車師団(6個戦車連隊)を充足できるだけの量産が可能な中戦車として開発がスタートした。

 重要視されたのは、ドイツのⅢ号戦車やソヴィエトのT-34戦車と正面から戦える性能である事と共に、製造コストを出来るだけ抑える事であった。

 この為、最低限度の避弾経始こそ考慮されたが、それ以外は性能向上などを無視した極力複雑な線を排除した設計が行われた。

 その徹底ぶりは、この時代では標準装備であった車体前面の機銃が搭載されないと言う所に現れていた。

 出来るだけ安く、敵戦車を撃破出来る戦車。

 それが32TPに要求された事であった。

 尚、主砲はフランスから長砲身90㎜砲を導入している。

 1940年代前半の30t級戦車であれば全て撃破可能な大口径砲である。

 32TPが公開されるや、その衝撃は欧州に広がった。

 それ以上の戦車を配備しているブリテンやフランスは兎も角として、準G4と自負し欧州の強国と誇っていたイタリアは、強い衝撃を受けていた。

 だがそれ以上に衝撃を受けたのは、仮想敵国であるドイツである。

 軍事的脅威以上に面子の問題であった。

 ヒトラーの。

 劣等国家と見ていたポーランドが、自国の主力中戦車以上の戦車を開発した事にヒトラーは激怒し、Ⅲ号戦車系に代わる中戦車の整備計画を厳命した。

 

 




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2020/09/18 文章修正

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