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ユーラシア大陸で行われているアメリカとチャイナの戦争は言うに及ばず、欧州でもG4とドイツとの対立は激化の一途を辿っており、日本に世界の潮流が
嘗ての歴史の陣営 ―― 連合国と枢軸国よりも経済格差の大きな、
安寧の中で穏当に金儲けに邁進したい日本としては、本当に迷惑極まり無い話であった。
日本連邦として広大な未発展の領域を得た結果得られた、嘗ての
この事が日本の世論に、来る戦争への参戦も止む無しの雰囲気を作り上げていた。
未だ生き残っている
そもそも、殆どが高齢者であった為、体力的にもデモをする余力も無く、再建されたSNSで
尚、タイムスリップ前ならば
2度の戦争を含むタイムスリップ後の日々で現実と向き合う人間がマスコミの中にも増えた事と、そもそもとして頑迷な
結果、国民世論の潮流に逆らった主張に賛同していても
この様な結果もあって日本は、国民の総意として金蔵に手を突っ込んで来る奴は全て敵であると戦争を容認する事となっていた。
この為、機を見るに敏な野党などは、マスコミの討論番組などで、戦争が起これば全力でそれを終わらせる為に努力する事こそが人道に基づいた平和主義であるなどと主張する有様であった。
日本は、資本主義であり民主主義の
――対ソ連
日本が対ドイツを考える上でソ連との国境線は第2戦線であった。
日本は嘗ての太平洋戦争末期の
その後の歴史も忘れて居なかった。
故に、日本の政府関係者の一部からは、ドイツとの戦争前に、先にソ連と
ソ連がシベリア共和国との全面に配置した各師団や重装備を撃滅する事は難しいだろうが、それらの行動を支える後方 ――
その際に主力となるであろう飛行部隊、爆撃機部隊には新鋭のB-2爆撃機が続々と配属され続けられており、2個飛行隊が戦闘配置に就いていた。
熟練の
戦力に不足など無かった。
とは言え、その攻撃で消費する弾薬は決して少なくは無い。
平時の予算では、爆撃に必要な弾薬を備蓄するのは難しかった。
しかも、弾薬の不足に加えて可動率も低下するだろう。
予防行動でドイツとの戦争への初動が遅れたらどうするのか? と言うのが反対派の主張であった。
それに今のソ連の防空体制であれば、対ドイツを行いつつ
一定の合理性がある主張であった為、最終的に日本はソ連に対する予防攻撃を選択する事は無かった。*3
最終的に、日本はソ連に対する圧力の強化 ―― フィンランドやポーランドとの連帯の強化が策定された。
この詳細を知ったスターリンは、党要職の人間と共に幾夜も痛飲し
――対チャイナ
アメリカとチャイナの戦争に対する日本のスタンスは
とは言え、主となるのはアメリカであり、過剰な支援を行う事はアメリカの矜持に傷を付ける事となるので細心の注意が払われる事となっていた。*4
取りあえず、参戦している
その上で、日本政府は5年の時限立法としてユーラシア非常事態対処法を成立させた。
主目的は、軍需物資の生産に対する予算措置である。
日本はある意味で、この非常事態対処法の成立と共に準戦時体制へと入る事となる。
食料や各種資源の管理。
その分野は軍需のみに限らず、民需までもカバーしていた。
目端の利いた者は、その動きから日本政府が戦争準備に入った事を、それも今までの戦争とは違う、国家総力戦を想定して居るであろう事を了解し、株式市場で大きな利益を上げる事に成功した。
その他、日本は米国前例を基にした
自動車やトラックを筆頭として、提供先の現場でも保守点検の容易な装備の開発である。
前々から話を受けていた各自動車メーカーは、極めて簡素で生産性が高く、そして整備性にも優れた車両を短期間で完成させた。
デザインに色気などは一切無く、製造効率を最優先した直線主体で無骨な合理性と信頼性だけで完成した
尚、完成した車両は即座に実戦投入 ―― チャイナで活動中の
尚、この結果をみたアメリカ政府は、未だ戦時体制に移行していない自国の産業界の状況を鑑み、MLシリーズの輸出を日本に打診する事となる。
アメリカの自動車産業界も圧倒的な生産力を誇ってはいるのだが、戦時体制に移行していない今の状況では、その生産力は民需に喰われており、アメリカ軍が欲するだけの車両、トラックなどを供給しきれていないのだ。
正確に言えば、アメリカ軍が必要とする分は足りていた。
だが、アメリカが参戦の出汁として各国に提供を約束した分には不足していたのだ。
この要求に、日本は応える事となる。
尚、ドイツにとって唯一の同盟国と言って良いソ連であったが、そのソ連はドイツに与して国際連盟から離脱し、今の国際社会体制との対立を選ぶ ―― その様な選択を行う事は無かった。
それどころかドイツとの連帯、事実上の同盟関係は維持しつつも国際連盟内での地位の維持と影響力の拡大に腐心しているのが実際であった。
ドイツに対しては「ドイツの国際連盟への窓口」であると説明し、同じ話を国際連盟の場でも行っていた。
ある意味でソ連はドイツと国際連盟とを両天秤に掛けていた。
これはソ連が日和見主義から
ソ連とは比較できない程に強大な国力を持ち、1936年の
別に、ソ連やスターリンが猜疑心が深い訳では無い。
ソ連の東方国境線では
しかも並行してシベリア共和国西方で大規模な陸空の戦力を動員した機動演習までやってみせた戦争狂国家であった。
この恐るべき超大国に硬質な対抗が出来ぬのであれば軟性の対応 ―― 対話を選択するのが世の常ではあるが、ソ連からの対話要求に日本が応じる事は無かった。
日本が無理であればと、国境線で対峙するシベリア共和国との対話を試みてはいたが、此方は、その
この様な状況では、ソ連が国家の安寧と発達を犠牲にしてまで軍備を整えるのは止むを得ない事であった。
そして、であるが故に、その狂犬国家に一定の首輪を嵌められる国際連盟と言う組織に所属する事を、その組織内で影響力を高める事にソ連は腐心するのだ。
尚、その余波によってソ連東部領域の民間向け物流網も消滅し、ソ連人民が塗炭の苦しみを味わう事となる事も想定されたが、対ソ連先制攻撃論を張る人は誰もその事を問題視する事は無かった。
露系日本人も、そして
否、シベリア共和国政府としては歓迎できる事態であるとすら評していた。
ソ連民間の生活が困窮すれば、シベリア共和国への亡命者が出る事が予想されていたからである。
日本資本による開発が本格化しつつあるシベリア共和国は、ソ連に備えた軍事力を整備しつつ経済活動を行わねばならぬ為、労働力が不足気味であったのだ。
シベリア共和国は、国境線を接するソ連領域の人民、その
尚、数十年後の戦後 ――
とは言え、スターリンとレーニンの銅像を倒す事は止めなかったが。
日本のアメリカ評の高さを聞いたアメリカ大使館付きの日本駐留連絡武官は、毎度の事ながらの自国に対する日本の高い評価と期待とに嘆息するのみであった。
現実とかい離した様なアメリカ像で見られる事の大変さ。
その事を、アルコールの入った緩い
が、その時の将官の反応は、出来の良いアメリカンジョークを聞いた時に類されるものであった。
尚、同席していた
兎も角。
アメリカ側にとって正直な話として、地の利と数の優位を持ったチャイナは、想定して居たほどに楽勝出来る相手では無いし、その戦争は軍事費をモリモリと食べる底なし沼であった。
日本が参戦してくれるなら、参戦しないまでも積極的に支援してくれるならばどれ程に楽であろうかとは、東ユーラシア総軍参謀団のみならず、アメリカ政府関係者ですら思う事ではあった。
MLシリーズの製造効率優先主義は、
個々の性能や居住性などは無視に等しい扱いとなり、フレーム以外では同じ部位であれば部品の流用が利く様に設計されていた。
この為、一部の現場の人間は融通が利いてないと怒る一幕もあった。
尚、安全基準は日本本土のソレに一切到達していない為、MLシリーズの車両を日本の公道を走らせる事は原則禁止されている。
この点だけでもMLシリーズの自動車が、設計段階から如何にコストダウンをするかの努力が行われたかを示していた。
2020/08/28 文章修正
2020/10/03 文章修正