タイムスリップ令和ジャパン   作:◆QgkJwfXtqk

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113 チャイナ動乱-自然休戦期

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 チャイナとの戦争で、春を待っての大規模攻勢を予定しているアメリカ。

 この時点で参戦国はフロンティア共和国の他、シベリア共和国を筆頭として日本連邦の4邦国に加えてフランスやオランダなど10ヵ国を上回り、事実上の国際連盟連合軍(ワールド・フォース)と化していた。

 総兵力は陸海空に軍属なども含めて60万を超え、師団数は30個を数えていた。

 世界中からの戦力は、日本の連邦統合軍(海上自衛隊)と海運業界の全面支援もあって春期大攻勢までの大方の集結を終えていた。

 20ノット以上の巡航速度を誇る日本の海運力(マル・フリート)の力であった。*1

 このお蔭で、世界中から身体1つで満州に集まった将兵は、与えられたアメリカ製や日本製の新装備への習熟に充分な時間を掛ける事が出来たのだ。

 新鋭の装備を持った60万の精兵。

 だがそれでも、チャイナ軍は決して甘く見る事の出来る相手では無かった。

 100個師団100万兵(イーバイ・イーバイワン)の掛け声と共に集まった(狩り集められた)チャイナ人は速成としか言いようの無い訓練を受け、無茶苦茶な勢いで行われた編成によって、冬を越すまでに北京-黄河以北の前線へと配置されていた。

 その数、実に40万人。

 新たな部隊は、河北鎮護総軍と命名されていた。*2

 チャイナのマスコミは、偉大なる中原を守る精兵と宣伝していた。

 とは言え、その装備状態は、寒いものであった。

 小銃や機関銃などは兎も角、野砲などの重装備は十分では無く、軍服も満足に支給されて居ない部隊が殆どであった。

 だが、塹壕に籠って抵抗するのであれば必要十分な水準に達している ―― 少なくとも東ユーラシア総軍参謀団でも、敵として障害になっていると判断していた。

 その上で元からの精鋭、機動戦力たる北伐総軍も再編成を行っており、質は兎も角として数的には開戦前の規模を回復していた。

 東ユーラシア総軍(アメリカ)は、戦争の早期終結の為、冬が明けてからの攻勢計画を練り直す事とした。

 

 

――アメリカ-東ユーラシア総軍

 WW1と見紛うばかりの塹壕を作り上げたチャイナに対し、その突破の手段としてアメリカは当初、日本とグアム共和国(在日米軍)が共同管理している大威力兵器(核兵器)も検討していた。

 簡単に広域を焼ける核兵器は、効率(コストパフォーマンス)と言う意味で最良であったからだ。

 又、大威力兵器と言うものを使ってみたいと言う単純な欲求もあった。

 とは言え日本が強く反対し、グアム共和国軍(在日米軍)も残留放射線などの問題から推奨できないと反対した為、断念された。*3

 この為、アメリカは力技(物量)でチャイナの防衛ラインを破壊する事とした。

 航空優勢を掌握出来るだけの航空機を用意し、併せて爆撃機と共に500機近い対地攻撃機を用意する。

 又、アメリカ政府の核兵器使用要求を拒否したグアム特別自治州軍(在日米軍)に対して、拒否の対価として日本の支援供与物資、具体的には4t級(中型規格)のML-3を優先して大量に融通させる事を要求(事実上の懇願)した。

 これはML-3を改造し自走式多連装ロケットランチャー(MLRS)を用意しようと考えた為であった。

 アメリカも自前でトラックの用意は出来るのだが路外、即ち悪路走破性に於いて日本製に勝てない為、前線部隊に随伴して機動する事も要求されるMLRSには不足していると判断した結果だった。*4

 初手は地対地ロケット弾で行い、機甲部隊が前進。

 その対応に生き残った部隊が抵抗の為に姿を見せれば、対地攻撃機隊が処理していく。

 容赦と言うものの存在しない、塹壕の蹂躙戦術であった。

 又、野砲や航空機の整備に注力しているとは言え、戦車の整備にアメリカが手を抜く事は無かった。

 それどころか大規模な増産をアメリカ本土とフロンティア共和国で行っており、本格的な増産に着手したこの一冬だけで2000両を遥かに超える数を整備していた。

 当然、主力は36t級の76.2㎜砲を搭載した重量級中戦車のM4戦車と、事実上の重戦車であるM24戦車である。

 アメリカの本気であった。*5

 

 

――チャイナ

 アメリカの戦力充実ぶりをフロンティア共和国へと侵入していたスパイによって把握したチャイナ参謀団は、黄昏た。

 数的な優位こそ確保してはいたが、その質の差は圧倒的になっていたからだ。

 チャイナが頼みとする陸上戦力、特にⅣ号戦車は(カイル)作戦の結果、壊滅的状態に陥っていた。

 別にⅣ号戦車が戦場で撃破された、全滅した訳では無い。

 それなりの被害は出ていたが、(カイル)作戦の時点で60t級のⅣ号戦車を撃破可能なM4戦車が大規模に配備されていた訳では無かったのだから。

 問題は、攻勢の頓挫による撤退であった。

 塹壕等の陣地構築に余裕がある場所までの後退は、食料や燃料の不足、航空優勢喪失に伴う航空攻撃の激化によって、正しく苦行となっていた。

 路上で撃破されたモノ、燃料不足で放棄されたモノ、或はその鈍重さが嫌われて放置されたモノまで出ていた。

 精鋭との呼び名もあった嚮導団も、蓋を開ければその体たらくであった。

 結果、今現在のチャイナの手にあるⅣ号戦車は200両を切るまでになっていたのだ。

 又、被害状況で言えばⅢ号戦車C型やC型Ⅲ号突撃砲を保有する部隊は更に悲惨だった。

 此方は主として第2北伐軍集団に配備され、アメリカの機甲部隊と真っ向から殴り合ったのだ。

 戦車などは半壊し、操るべき戦車兵たちも多くが傷つき倒れていた。

 戦車自体の補充もだが、喪われた戦車兵と言う技術者の回復は容易な事では無かった。

 そもそも、戦車兵の教育は嚮導団の()()()()()()戦車教育団がドイツ人の協力の下で行っていた。

 その嚮導団が壊滅的な被害を受けているのだ。

 戦車兵の教育が開戦前と同様に出来る筈も無かった。

 そして悲惨さで言えば空はそれ以上であった。

 開戦劈頭は輝きを持っていたチャイナ航空部隊であったが、()()()()()()()を最後の戦勲とし、それ以降は積極的な作戦能力を喪失したのだ。

 航空機自体の消耗や保守部品の不足による稼働率の低下。

 チャイナ航空部隊は、冬期自然休戦期のアメリカ空軍の跳梁を阻止できぬまでにやせ細っていたのだ。

 そして春先となっても、その回復は殆ど出来て居なかった。

 特にFJ-2戦闘機(ヴィーダシュタント・イエーガー)は悲惨だった。

 希少金属を多用するジェットエンジンの部品枯渇は、チャイナだけでどうにかなるものでは無かった。

 希少金属の不足、そして部品への加工はドイツ本土の工場でしか出来ないものが多く存在して居たのだから。

 又、他の航空機も悲惨な状態であった。

 そして何より、アメリカの航空後方破壊爆撃戦(ステラテジー・ボミング)によって、航空部隊の錬成に必要な燃料の輸送すら困難になっていたのだ。

 装備の回復も、乗員の訓練も出来ない航空隊に期待できる事は殆ど無かった。

 この為、チャイナ参謀団は悲痛な覚悟を決める事となる。

 黄河以北の戦線に張り付けた部隊には死守命令を出すと共に、黄河以北に住む全ての住人を強制的に避難させ食料やインフラを破壊すると言う、決死の消耗強要(シーフォア)作戦であった。

 無論、消耗させるだけでアメリカとの戦争に勝てる訳では無い。

 その為に、インフラの整っている北京市に機甲部隊を集結させ、アメリカ軍が消耗し息切れをした瞬間を狙って逆襲 ―― フロンティア共和国へと侵攻し、これを人質に取る事で戦争の終結を図ると言うものであった。

 無論、そこまで理想的に作戦が遂行できたとしても内モンゴル独立は受け入れざるを得ないだろうし、(カイル)作戦の頃に夢想した満州(フロンティア共和国)回復などはあり得ないだろう。

 だが、これしかチャイナが採れる作戦は無かった。

 重装備の回復に関してドイツとの折衝(輸入交渉)を重ねてはいるが、既にドイツ側の海洋輸送能力が限界状態にある為、更なる契約は困難であった。

 締結済みの契約内容を守ろうと努力する事を約束するだけ、ある意味でドイツは誠実であるとも言える状況だった。

 そして、ドイツ以外に積極的にチャイナを支えてくれようと言う国家は居ない。

 そもそも、チャイナと言う国家自体が悪魔的精度で行われているアメリカの戦略爆撃*6によって枯死しかかっているのだ。

 正しく四面楚歌であった。*7

 自国の陥った状況を理解し作戦の概要を聞いた蒋介石は、悄然とした顔で受け入れた。

 最早、自棄酒を呷る元気すら無かった。

 

 

 

 

 

 

*1

 アメリカもグアム共和国(在日米軍)の協力の下、独自にRO-RO船の研究開発を進めてはいたのだが、いまだ実用的な船の建造には至っていなかった。

 総トン数6,320tの輸送船フリーダムが試験的に建造されては居たが、船の構造に起因する形で車両搭載数は日本のRO-RO船と比較すると極めて見劣りがするのが実状であった。

 船内の構造自体はグアム共和国(在日米軍)の協力で()()()なものが設計出来てはいたのだが、資材の品質 ―― 強度などの問題から、実際に作り上げる事が難しかったのだ。

 フリーダムも、その構造の一部には日本製の鋼材が利用されていた程であった。

 100年先の知見があっても、基礎的な技術水準の向上が無ければ再現は難しいのだ。

 この為、アメリカはチャイナとの戦争が激化すると共に、日本製RO-RO船の購入を強化していくと共に、SMS社の輸送船部門(マル・フリート)に対しても規模の拡張を要求していくのだった。

 尚、アメリカ政府と軍としては輸送力に不満のあったフリーダムであったが、アメリカの海運業界としては()()()輸送船であった為、民間向けとして改良型の建造が行われる事となった。

 

 

*2

 尚、河北鎮護総軍と、ほぼ規模と言って良い50万人近い兵が、チャイナにとっての後背である長江付近で訓練を受けていた。

 此方は長江総軍と命名されている。

 長江総軍が前線へと派遣されていない理由は、河北の訓練地の不足もあったが、チャイナの輸送力の限界もあった。

 そしてアメリカによる妨害である。

 アメリカは冬季自然休戦期となっても、戦争を止めなかった。

 陸上戦力の集積と訓練とを行う傍ら、爆撃機部隊によるチャイナ全域に対する物流(インフラ)破壊作戦を行い続けたのだ。

 日本のB-52やB-2を念頭(タイプ・モデル)に、技術実証も兼ねて開発された4発機の超大型長距離爆撃機 ―― 超哨戒爆撃機計画(ウルトラ・パトロールボマー・プロジェクト)の成果たるB-21は、駅を橋を道路を発電所を港を焼き続けていたのだ。

 5t近い爆弾搭載量を誇り戦闘行動半径3,000㎞を誇るB-21は、フロンティア共和国やフランス領インドシナを拠点にチャイナのほぼ全土をその翼下に置き、爆弾の雨を降らせ続けた。

 チャイナも、これを阻止せんと全力で対応したが、ジェット戦闘機(FJ-2 ヴィーダシュタント・イエーガー)部隊も含めたあらゆる戦闘機部隊を差し向けても、高速で高度1万mを悠々と飛ぶB-21を撃破するどころか交戦する事も殆ど出来ないのが現実であった。

 戦争に本気となったアメリカは、チャイナの軍の前に国家を、その経済を殺しにかかっていた。

 長江総軍が前線に居れない理由は、ある意味で余波でしか無かった。

 

 

*3

 被爆国として、核兵器に対するアレルギー的な国民世論を持つ日本は、核兵器自体の製造、保有、そして開発には積極的では無かった。

 だが同時に、世界の核利用を止める事が出来ない事も理解していた。

 アインシュタインその他、著名な科学者によって核の持つ力は知られつつあったのだから。

 又、アメリカにはグアム共和国軍(在日米軍)の原子力空母ロナルド・レーガンの情報が渡っており、そこから核を用いた技術の情報が世界に広がるのも時間の問題であろうとも認識していた。

 この為、国際連盟の中に核技術の平和利用を主目的とした技術管理の委員会を設立させた。

 とは言え、日本以外の国からすれば、それこそアメリカですらも核の技術を実用化する為に必要なコストが莫大過ぎて、戦時予算でも組まない限りは簡単に開発出来ないのが実状であったが。

 又、1930年代の日本では、核兵器を使用させない為の日本による世界掌握(パクスジャポニカ)を主張する政治団体が熱心な活動をしていた程であった。

 日本政府がその声に乗る事は無かったが。

 日本政府は公式発表を行い、動力源は別として、核分裂を利用した武器開発は行わないとしている程であった。

 とは言え、日本政府は他国の核兵器体制の成立は許しても、その利用を許す積りは無かった。

 タイムスリップの時点で日本は、中国の新型爆弾(次元振動弾)に対抗する為にレーザー融合弾(純粋水爆)の技術を確立させており、それを研究温存し続けていたのだ。

 尚、日本政府は簡単には使う事の出来ない武器を製造する予算的な無駄を嫌い、ソ連その他が核武装をするまでは技術の公表も、製造もおこなう積りは無かった。

 この事実を糊塗する為、B-52を保有する部隊が維持され続けていたのだ。

 タイムスリップの時点でグアムに駐留していたB-52は、在日米軍と定めた協定に基づいて米国製核兵器の運用能力が付与されており、この事はG4の連絡協議会で公表されていた。

 念の入った欺瞞工作により、G4ですら日本が大威力兵器(レーザー融合弾)の保有能力を持つ事を認識出来ずにいた。

 世界は、核の恐怖といまだ向き合っては居なかった。

 

 

*4

 搭載するロケット弾(地対地ロケット弾)に関しては、グアム共和国軍(在日米軍)の協力によって射程10kmのものが実用化されており量産体制が整っていた。

 元々は、日本がシベリア総軍に配備している28式装輪自走多連装ロケットシステム(Type-28 WRLS)を真似たものであり、この時代のモノとしては長射程と良好な命中精度を誇っていた。

 尚、今回の運用に関しては日本の全面協力によって衛星測位システム(GPS)情報が、その情報端末と共に提供されており、ロケット砲部隊の運用は極めて先進的な環境が与えられていた。

 

 

*5

 尚、装甲戦闘車両としては、更には1000両を超える北日本(ジャパン)/北崎重工業製のM41駆逐戦車(TD)が加わるのだ。

 チャイナとアメリカの装甲車両の差は、数の上でも倍を超えており、その質の差も勘案すれば差はチャイナにとって絶望的状況であった。

 

 

*6

 当然ながらも、日本の情報 ―― 偵察衛星による情報の集積と日中戦争時代の記録を基にした分析があればこそ、チャイナへの爆撃は効果的かつ効率的に行われていた。

 又、チャイナ航空部隊が壊滅した事も、爆撃が容易な昼間中高度爆撃を可能にしていたと言うのも大きい。

 効率の悪い、防衛力の集積を行っている大都市 ―― 北京は勿論、首都南京への爆撃は行っては居なかったが、そうであるが故に、道路や線路、橋や港は定期的に爆撃され、混乱していた。

 

 

*7

 チャイナの国際的孤立、立場の厳しさはアメリカの戦略爆撃への非難 ―― 爆撃によって民間人も少なからず被害が出ている事を停戦への突破口にしようと図った際に、大きく露呈した。

 友好関係を維持していたソ連へ全力で外交交渉を仕掛け、国際連盟総会の場で如何に戦争であるとは言え非人道的行為は抑制されるべきだとの声を挙げさせた。

 

 だが国連加盟国の殆どは、()()()()()()()()()()に興味を示す事など無かった。

 そもそも、開戦はチャイナの側から仕掛けていると言うのが、国際連盟での共通認識であった。

 国際連盟非加盟国の、それも負けている側の寝言に付き合う気は無かった。

 門前払いにも等しい悲惨な状況であったが、諦めないチャイナの駐スイス大使は、人道と言う建前を押し立てて、渤海事件の際に知己を得た日本代表に接触した。

 非公式に行われた会談で、チャイナ駐スイス大使は白人社会(アングロサクソン)からのアジア人への暴力を阻止すべきだと、有色人種の連帯を強く訴えた。

 大アジア連帯主義(八紘一宇)染みた主張をするチャイナ駐スイス大使に、日本の国際連盟代表は冷笑を以って答えた。

 人道主義と言うのであれば降伏すれば良い、と。

 日本は仲介する用意があると告げた。

 冷淡すぎるとも言える日本国際連盟代表の態度に怒りを感じたチャイナ駐スイス大使は、アメリカの爆撃によって死傷した民間人の写真を突きつけて、これを見ても心が動かないのかと叫ぶ程であった。

 だが、日本の国際連盟代表は一瞥しただけで、それが戦争(トータル・ウォー)ですよと鼻で嗤うに留まった。

 秘書役として国際連盟代表に付いていた若い米系日本人は、これが日本人の戦争感(パシフィック・ウォーのトラウマ)であると嘆息していた。

 無論、日本人的な笑顔(アルカイックスマイル)で全てを誤魔化しながら。

 

 




2020/10/03 文章修正
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