タイムスリップ令和ジャパン   作:◆QgkJwfXtqk

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114 チャイナ動乱-24

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 春の訪れと共に冬期自然休戦期は終焉を迎えた。

 アメリカの春期大攻勢目覚め(グッド・モーニング)作戦の始まりであった。

 その第1段階であるアラーム(目覚まし時計が鳴った)作戦が行うのは休戦期の終わりを告げる号砲、500両を超えるM-1MLRSから放たれた地対地ロケット弾であった。

 1両あたり10発のロケット弾、都合5000発を超えるソレは正しく鋼鉄の豪雨であった。

 チャイナ河北鎮護総軍が築いた塹壕線は、30分にも満たない時間で文字通り耕された。

 だが、それで塹壕が破壊された訳では無い。

 塹壕に籠っていた将兵が皆殺しにされた訳でも無い。

 それどころか、攻撃の規模に比べれば軽微と言える被害に留まっていた。

 これは重火力が少ない分を補うように塹壕を、ドイツ人将校の指導を受けて世界大戦(WW1)を思わせる程の規模で作った成果だった。

 ロケット弾攻撃を受けた各部隊は、アメリカの侵攻再開を上級司令部に報告する。

 だが、それこそがこのロケット弾攻撃アラーム(目覚まし時計)作戦の狙いであった。

 報告の為に垂れ流された無線通信をSMS社(出向航空自衛隊)対地監視機(P-4)が収集し、その情報が航空管制機(E-302)*1によって整理分析されF-10(グアム共和国軍機/本国仕様)部隊に伝達(データ・リンク)される。

 この標的指示(ターゲティング)に従ってF-10は速やかな攻撃(ミサイル・デリバリー)を実行したのだ。

 第2段階、ノック(部屋の扉が叩かれた)作戦であった。*2

 戦闘再開から半日も経ずして河北鎮護総軍は司令部と通信施設が機能を喪失し、完膚なきまでに指揮系統が寸断された。

 40万を数えた将兵は塹壕に籠った軍隊では無く、穴に潜った個人の群れと成り果てたのだ。

 そこに第3段階、ウェイクアップ(ベッドから身体を起こそう!)作戦が発動する。

 東ユーラシア総軍の全面攻勢である。

 断続的な野砲の支援の下、野戦工兵部隊の地雷処理戦車と装甲化された日本製建設機械(ブルドーザーやロードローラー)によって塹壕地帯に開口部を作り、重装甲の機甲部隊を流し込むのだ。

 それも、1カ所や2カ所では無くほぼ全面で行ったのだ。

 指揮系統が失われ、そもそも十分な機動投入可能な予備兵力の少なかった河北鎮護総軍に対応する力は無かった。

 戦闘再開から3日で河北鎮護総軍は塹壕地帯から完全に叩きだされ、総兵力の実に7割を喪失するに至った。*3

 目覚め(グッド・モーニング)作戦は正しく力技であり、物量と質の優位性を生かした正面突破作戦(アメリカン・プレイ)であった。*4

 とは言え良い事ばかりでは無かった。

 一気に戦線を押し上げた ―― 大勝利の結果、事前想定以上の大規模な俘虜を得てしまった東ユーラシア総軍は、攻勢を一時中断せねばならなくなったのだから。

 28万近い捕虜の後送に、補給の要である輸送(トラック)部隊が集中投入される事となり、補給が滞りがちとなってしまったのだ。

 東ユーラシア総軍の参謀の過激な一部からは、俘虜は歩かせれば良いと言う声も上がってはいたが、そうなると移動に時間が掛かり過ぎる。

 その食料の手配もだが、そもそも28万もの敵兵が、東ユーラシア総軍の中に長々と居続ける事となるのだ。

 万が一にも暴動を起こされてはたまらない。

 暴動を起こさぬ様に東ユーラシア総軍から監視要員を割こうにも、俘虜の数が多すぎて必要とされる人員が多すぎて、攻勢の部隊からも人手を集めねばならなくなる。

 攻勢を一時中断せざるを得なかった。*5

 

――チャイナ

 ドイツ人軍事顧問団がアメリカの攻勢に十分に抵抗できる ―― 十分な予備戦力の投入や、弾薬の補給を途切らせねば1年や2年は持つとの太鼓判を押していた河北鎮護総軍塹壕戦が、たった3日で無力化された事実は、チャイナの戦争計画に深刻な影響を与えていた。

 チャイナ参謀団の戦争計画、消耗強要作戦(シーフォア)が初手から崩れたのだから当然であろう。

 この為、非常の決断を下した。

 河北鎮護総軍司令部からの要請、後詰めであった北京鎮護総軍の投入により全面反撃を却下し、又、河北鎮護総軍の指揮下にある貴重な機甲部隊 ―― 機動反撃部隊に後退を厳命した。

 黄河以北の地を放棄する決定であった。

 そして河北鎮護総軍の残余に対しては、機動反撃部隊撤退の為の時間稼ぎ(殿作戦)を命じた。

 非常であり、非情の決定であった。

 この決定が行われた理由の1つは、黄河以南の防衛体制が殆ど出来てないと言う厳しい現実があった。

 河北鎮護総軍の塹壕構築に予算と資材を大量に投入していた為、第2戦線として計画されていた黄河防衛ラインは、計画書だけの存在であったのだ。

 このままでは東ユーラシア総軍は1月もせぬうちにチャイナ北部の中枢都市北京を包囲、或は攻略するまで至りかねない。

 それが決断の理由であった。

 だがこの決定が、益々もって河北鎮護総軍の崩壊を早める事となる。

 事実上の死守命令に対し、河北鎮護総軍で少しでも目端の利く人間は、塹壕線があったにも関わらず赤子の手をひねるが如く潰された経験から命令の無意味さを理解していた。

 生き残る為に下がれぬのであれば、前に出るしかない。

 死守命令が通達されて数日もせぬうちに、万を超える将兵が東ユーラシア総軍に向かって前進する事となった。

 手には白い旗を持って。

 寝て起きれば、隣で寝ていたはずの戦友が、或は指揮下の部隊が、はたまた指揮官が消え失せているのだ。

 こうなってしまえば、残った将兵の戦意が維持できる筈も無かった。

 そもそも、河北鎮護総軍司令部の機能が極めて低かった事も、河北鎮護総軍の自壊に拍車を掛ける事となった。

 司令部の正規要員は総軍司令官も含めてノック(部屋の扉が叩かれた)作戦のミサイル攻撃で吹き飛ばされており、今の河北鎮護総軍司令官は野戦任官で少将の階級に特進した少佐であり、その参謀団は尉官クラスが3人居るというだけの有様であった。

 その上、通信機器も不足しているのだ。

 これで10万を超える将兵を掌握しろと言うのが無茶と言うものであった。

 自総軍の状態を把握した河北鎮護総軍司令官は、この状況を奇貨と捉え、脱走兵の存在を見逃す様に指示した。

 これは決死の偵察によって、東ユーラシア総軍が俘虜の護送に労力を割いている事を認識しての事であった。

 戦闘をするよりも兵を送りつける ―― 俘虜を相手に取らせた方が時間を稼げると言う判断であった。

 この、一歩間違えれば利敵行為売国的判断と批判されかねない司令官の判断に、チャイナ参謀団は消極的同意をもって応じた。

 これは、抵抗させる積りであればせめて食料を、武器弾薬の補給を行って欲しいと言う河北鎮護総軍の要求を拒否していた事への、ある意味で対価(罪滅ぼし)であった。*6

 

 

――アメリカ

 目覚め(グッド・モーニング)作戦の大々的な成功は、1941年度での苦戦によって自信を失っていたアメリカ軍を精神的な意味で立ち直らせる事に繋がった。

 それは軍のみならず、政府や民間でもそうであった。

 アメリカ本土では素早い進軍による早期戦争の終結を期待する声が上がる程であった。

 アメリカ政府は、その声に押される形で東ユーラシア総軍司令官に対して年内の戦争終結へ向けた努力を要求する程であった。

 だが、東ユーラシア総軍司令官は緩んではいなかった。

 政府に対しては()()()()()と言う形で返答し、言質を与えぬ様にしていた。

 これは対チャイナ戦争を指導する立場になる事が決まって以降、グアム共和国軍(在日米軍)を介して日本から得た日()戦争の情報 ―― 戦訓があればこその慎重さであった。

 当座の目標としてはチャイナ北部の政治経済の中心である北京攻略を目指す作戦立案を参謀団へ指示していたが、日中戦争の戦訓から見てチャイナが北京が陥落した程度で和睦を選ぶとは思えなかったのだ。

 この為、硬性の北京攻略作戦と同時進行で、軟性の作戦立案をアメリカ政府に要求した。

 アメリカ政府は、この東ユーラシア総軍司令官の要求を受け、極秘裏にグアム共和国軍(在日米軍)と日本政府と協議を行った。

 この戦争の目的はフロンティア共和国の安全確保であり、その為の内モンゴル独立であった。

 協議の結果、日本の主張 ―― 地域安定の為の中国の数的拡大案(チャイナ・ビスケット)に引きずられる形で、北京を中心とした中原一帯に独立国家建国を目指す事が決定した。

 戦争の片手間にするには面倒事であったが、日本がその為の協力を、物心両面に加えて資金面でも一切惜しまずに行う事を約束した為、アメリカも乗る事を選んだのだった。*7

 

 

 

 

 

 

*1

 E-302とは、部品の枯渇と老朽化の問題が大きくなりつつあったE-767AWACSの後継として開発された早期警戒管制機であった。

 三菱重工製の中型旅客機、300席級のM302がベースとなっている。

 M302は日本政府の要請 ―― 日本連邦の全地域に中継無しに到達可能な機体が欲しいとの声を受けて開発された10,000㎞級の航続距離を持つ中型機であった。

 この為、開発には内閣府の予算から支援が行われている。

 又、自衛隊も、軍用機の母体となれる機体が増える事は歓迎できる為、予算と人員の支援を行った。

 E-302は、M302の初めての軍用モデルであった。

 とは言え、この時代では国外で運用するには航空インフラが脆弱である為、E-302が展開し辛い場所でも運用がし易い小型のAEW&C機 ―― TAI社製30座席級のターボプロップ機をベースとしたものも開発されている。

 此方は、E-30として採用されている。

 

 

*2

 後に、このアメリカチャイナ戦争を精査した軍事研究家は、この日本の先進型航空機運用能力が全面的に活用された本作戦を指して、日本の戦争加担であるとのレポートを纏める事となる。

 このレポートを基に日本の野党や反戦主義者から日本政府への非難の声が上がるが、日本政府は国会答弁に於いて、戦争協力を行ったのは自治権を持ったグアム共和国の民間企業(SMS社)であり、日本政府は戦争への関与を行っていないと断言した。

 SMS社への自衛官の短期的な移籍などを指摘する声もあったが、日本政府は自衛官個人が長期休暇を取って日本政府の認める企業に短期的に就労(アルバイト)する事は個人の自由と権利に関する事であると一顧だにしなかった。

 そして一般の日本国民は、自衛官の被害も無く、日本国への損害も無い為、野党その他を支持する事は無かった。

 その頃になると日本人も、完全に大国の流儀(グレートゲームプレイヤーの態度)()()()()()()()

 

 

*3

 河北鎮護総軍が喪った総兵力の7割、28万人にも達する将兵であるが、当然ながらもその全てが戦死した訳では無かった。

 陣地を死守し、全滅するまで戦った部隊も居はしたが、大多数は東ユーラシア総軍の攻撃を受け、或は包囲されると共に降伏を選択していた。

 22万を超える捕虜。

 だがアメリカは、この事態を想定して100万人規模の捕虜収容所を用意していた。

 想定外であったのは、この河北鎮護総軍将兵に女性兵士が多数含まれて居たと言う事であった。

 問題が発生しないように捕虜の男女を分ける際、婦女暴行を恐れた一悶着が発生したり、或は男性兵に身を偽った女性兵が出るなどの奇想曲染みた事態が発生し、後に映画の題材にもなった。

 

 

*4

 目覚め(グッド・モーニング)作戦の概要を知らされた日本人は、正しくアメリカ人の戦争スタイルであると感心していた。

 尚、()()()()と名付けてはいるが、実際は鈍器で塹壕を正面から叩き割るが如き作戦である為、素晴らしき永眠(グッド・モーニングスター)作戦などと言う人間も居たが。

 

 

*5

 尚、極々一部の極めて過激な参謀は、チャイナ人の降伏を受け入れず、既に降伏済みのチャイナ人まで現場で射殺してしまい、攻勢を継続するべきだと言う声を挙げていた。

 当然、その声が大きく支持される事は無かった。

 明確なハーグ陸戦条約の違反であると同時に、28万もの人間を殺害する為の弾薬が勿体ないし、それを行えば補給に大きな負担を掛ける事となって攻勢の継続は不可能になる。

 結局は無駄であり無意味である為、発覚すればアメリカの看板に染みを付ける様な事が選択される事は無かった。

 

 

*6

 戦車や野砲などの重装備は勿論、歩兵装備まで含めて武器弾薬が不足気味と言う理由もあったが、それ以上にチャイナ北部の物流網がアメリカの手によって麻痺状態に陥っていたと言うのが理由として大きかった。

 集積地でもある北京の備蓄に余裕はあったが、それを無事に河北鎮護総軍へと届けるだけの術が無かったのだ。

 黄河を渡る船は多くが破壊されており、渡った先でも、モノを運ぶだけのトラックや馬車も失われていたのだ。

 10万を超える将兵が必要とする量を送る事など、全くもって不可能と言うのが現実であった。

 無論、ある程度はこの状況は想定されていた為、冬期自然休戦期に河北鎮護総軍でも少なからぬ食料や武器弾薬の備蓄を行ってはいたのだが、その多くが塹壕線の周囲に集積されていた為、火に焼かれるかアメリカの手に落ちていた。

 

 

*7

 日本は友好国(アメリカ)の直接管理下に無いチャイナ系の友好的緩衝国家を必要としていた事が、この約束の背景にあった。

 これはタイムスリップ後の人種問題の解決と言う側面があった。

 中国人問題である。

 韓国と並んで明確な日本の敵国であった中国の人間は、タイムスリップ後の特別措置での日本国国籍の特別付与から外されていた。

 特別な在留許可こそ急遽策定された臨時在留許可法によって与えられていたが、そこにはかつての韓国人/朝鮮人に与えられていた許可とは全く異なった自由の無いものであった。

 被選挙権も参政権も無いのは当然であったが、住居の自由や就業の自由も与えられていなかった。

 その上で、警察への定期的な報告義務が課せられると言う厳しい管理が行われていた。

 又、中国大使館も事実上の閉鎖状態に追い込まれていた。

 他の各国大使館が、自国出身の日本国籍特別取得者の取りまとめ役として維持されているのと対照的であった。

 これは、日本国籍の特別付与を前に大使館に対して行った強制監査によって、中国が日本国内で行っていた情報工作戦(アンダーグラウンド)の詳細を得た事が発端であった。

 一般に公表される事の無い事であったが、少なくない数の中国人及び中国シンパの人間が拘束され、処罰された。

 無論、内乱罪の適用である、

 又、併せて中国人が主として関わった組織には、破壊活動防止法の適用が行われた。

 日本政府は一切の容赦を行わなかった。

 同時にそれは、国家の庇護を失った人間の脆弱さを教えていた。

 一罰百戒の精神をもって中国人を遇した事で、日本国内の多くの()日本人に対し、日本人と日本への同化を促す効果があった。

 だがそれでも、中国人対策にはコストが掛かっている部分があった。

 日本への帰化を望み日本人以上に日本への忠誠を示す事を選んだ一部の人間 ―― 求められるのは忠誠のみならず、過酷な待遇への耐性もあった。

 帰化しても国政への参政権及び被選挙権は与えられず公職への就職も不可能となっており、一般の日本人と全く同じ権利を得るのはタイムスリップ後の日本生まれの世代からとされていた。

 しかも、微罪であっても、犯罪を行った場合には帰化権利の消滅を個人と5等親までの親族まで含まれると言う非常に過酷な待遇であった。

 だが、それでも尚、特別在留中国人と言う檻の中に居るよりも、日本人となる事を選ぶ人間は少なく無かった。

 これ程の管理が出来たのは、日本国内に於いて金銭の授受、取引をタイムスリップ後は完全に個人番号管理(マイナンバー)で行ったお蔭であった。

 そしてそれは、元をただせば中国本土で行われていた身元管理システムを模したものであった。

 ある意味で因果応報であった。

 兎も角。

 この様に支系日本人にもならない、問題の無い特別在留中国人の移民先として、友好的緩衝国家が必要とされたのだ。

 尚、特別在留中国人が移民する際は、資産や家財その他は一切持ちだし禁止であるが、相応の準備金が日本円で用意されるものとされた。

 記憶した事、未来情報の漏えいリスクは当然あったが、看過し得る範囲に収まるものと考えられていた。

 余談ではあるが台湾人に関しては、本省人は他の国籍者同様に扱われ、外省人に関しては中国人と同様に扱われた。

 この為、タイムスリップ時点で外省系台湾人として日本に帰化していた人間も臨時在留許可法によって監視対象に入れられる事となった。

 その事で国会議員の一部から憲法違反の声が上がっていたが、中国の情報工作戦の実態が判明するや、声を上げていた人間の多くが内乱罪に問われる事となり、批判の動きは沙汰止みとなっていった。

 

 




2020/09/25 文章修正
2020/10/03 文章修正
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