タイムスリップ令和ジャパン   作:◆QgkJwfXtqk

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116 チャイナ動乱-26

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 チャイナ共産党指導部が一夜にして消滅し、その軍が瓦解した事はチャイナ政府にとって衝撃であった。

 軍が消滅し指導部が瓦解したのではなく、指導部が先に消えている(首狩り作戦が行われた)のだ。

 嘗て()()()()をしたジャパン系日本人将校団と言う、忘れたかった事も合わせて、恐怖していた。

 そして、チャイナ共産党指導部が消滅した流れの詳細を知るや慌てて、南京周辺の防空網強化に乗り出す有様であった。

 特に、ジェット戦闘機(FJ-2 ヴィーダシュタント・イエーガー)部隊は、南京市周辺にかき集める事が厳命された。

 これは蒋介石の自己保身もあったが、同時に、チャイナ経済界からの要求であった。

 アメリカの戦略爆撃によって物流が寸断され、混乱の一途を辿っているチャイナ経済がこのままでは破綻すると泣き付いて来たのだ。

 チャイナ経済の混乱は、冬期自然休戦期当初から発生してはいた。

 だがその頃は、戦争の為であり民族の試練だなどと宥め賺し、そして冬期自然休戦期が終わっての戦いでアメリカに一撃を食わせれば爆撃は止まると言って収めていたのだ。

 それが、ふたを開けてみれば黄河以北の事実上の喪失である。

 アメリカの爆撃だって止む様子は無い。

 戦争が終わる様には見えない。

 であれば、戦争の遂行に必要な経済 ―― 軍需の生産を安定して行えるだけの協力を経済界に対して政府は図るべきである! とチャイナ経済界から主張されては、チャイナ政府として拒否できる筈も無かった。

 元々、決戦に向けた戦力維持の観点から出撃が行われる事の無かったFJ-2戦闘機であったが、南京周辺にかき集められる事となり、チャイナ人がその姿を見る事は稀となる。

 厳重に隠蔽された掩体壕の中で翼を休める抵抗戦闘機(ヴィーダシュタント・イエーガー)の姿に、搭乗員たちは言い知れぬ感情(敗北の予感)を味わっていた。

 だが南京だけに戦力を集めた訳では無い。

 後退していた機甲部隊に、周辺で訓練なりをしていた長江総軍の部隊をかき集めて第1集成山東軍集団を作り上げ、東ユーラシア総軍第1軍の南進の阻止に動いていた。

 戦車等の先端装備を製造する山東半島(ドイツ租借地)が包囲、孤立化されては、チャイナの軍はそう遠くない日に、石器時代に戻ってしまう危険があった。

 Ⅲ号戦車C型にせよFJ-2戦闘機にせよ、アメリカの最新装備と比較すれば劣るものではあったが、それでも抵抗は出来るのだ。

 又、昨年からは150㎜榴弾砲の製造も始まっているのだ。

 それらが失われれば、抵抗など出来なくなってしまう。

 山東半島の孤立は、何としても阻止せねばならぬ重大事であった。

 この為、1943年を象徴する様な、北京市の包囲戦よりも激しい黄河の戦い ―― 最終的な決戦の場所から泰山会戦と呼ばれる戦いが発生する事となる。

 

 

――泰山会戦 ステージ0

 黄河を基準に第1集成山東軍集団は第1の防衛ライン構築に励んだ。

 河の土手に陣地を構築し、渡河を図るであろう東ユーラシア総軍第1軍に痛打を与える積りであった。

 逆に言えば、第1軍がいまだ進軍して来ていない黄河以北の地も全て見捨てるのだ。

 天津市などの大都市も200㎞近い土地も、全てを放棄する事としていた。

 通常であれば遅滞戦闘の1つも行うべきであったが、遮蔽物の乏しい平野で、制空権も無い状況で、練度がお世辞にも高いとは言い難い第1集成山東軍集団で出来る作戦行動では無かった。

 故の、黄河防衛線なのだ。*1

 練度が低く、装備も乏しく、陣地構築に必要な部材もロクに持たない第1集成山東軍集団であったが、黄河の土手を利用すれば十分な塹壕、防衛陣地が構築できると言う計算であった。

 エンジン不調などで動けぬⅣ号戦車などを埋めて、トーチカともしていた。

 撃破された戦車から回収した戦車砲なども据え付けて運用する準備もしていた。

 又、徴発した漁船に武装を施し、臨時の戦闘ボート部隊も作った。

 戦闘機部隊も可能な限りかき集められていた。

 これらの事が出来たのは、言ってしまえば黄河以北の地を()()()()お蔭であった。

 チャイナ参謀本部は落ち気味の国民と軍の戦意を高める為、大黄河要塞防衛線と命名し公表していた。

 又、黄河流域の住民も、その要塞防衛線の造成に動員していた。

 チャイナ大団結造成動員隊の名前で動員されたのは、老若男女を問わぬ、約10万近い人々であった。

 家から持ち寄った道具などで要塞防衛線を造成する積りであった。

 しかも、戦闘となれば人民義勇部隊と改称し、そのまま戦闘部隊に組み込む事も予定されていた。

 だが、その予定は果たされなかった。

 造成の前に、動員が完了するよりも前に第1軍が黄河流域へと到達した為、チャイナ大団結造成動員隊の編成は中止され、人民義勇部隊として発足したのだった。

 とは言え与えられるべき武器が碌に届いていない為、クワやシャベルを片手に塹壕の中に籠るのが精一杯と言う、戦闘部隊とは名ばかりの部隊であったが。

 対する第1軍。

 こちらは11個師団と比較的小規模ではあり、兵力も20万に満たないのだが、その全部隊は機械化されており、戦車師団も3個を含んでいた。

 又、チャイナが要塞防衛線の構築を始めたと言う偵察結果を受けて更に2個のミサイル砲兵旅団、M-1MLRS部隊の増派を受けていた。

 頭数(チャイナ)質と数(アメリカ)の戦いが、ここでも再現されようとしていた。

 

 

――南チャイナ

 チャイナの苦境は南チャイナにとって福音であった。

 一応は停戦状態にあるとは言え、事が済めば征服に来るのは目に見えていた為、チャイナが疲弊し、外征能力を喪失する事は、南チャイナを国として纏める好機となるからだ。

 とは言え、今現在で南チャイナが支配している領域の経済力では、如何に時間的余裕を得ようとも、チャイナの軍勢に抵抗できる軍を作り上げる事など不可能であった。

 自ら不可能であれば、策略をもって行う。

 チャイナ人らしい考えで(自分の都合で諸外国を見て)動き出した。

 先ずは、チャイナと戦争をするアメリカに接触した。

 要求したのは国家承認と武器の提供である。

 これにアメリカは、国家承認こそ約束したが武器の提供は拒否した。*2

 南チャイナは次に日本との交渉を図ったが、日本は民族自決と独立国家の内政への不干渉の原則により、国家として確立していない南チャイナと接触する事は出来ぬと接触すら拒否していた。

 チャイナ分割工作(チャイナ・ビスケット)を知る人間であれば、どの口が言うのかと思う理屈(建前)であったが、建前(綺麗事)として見事である為、南チャイナに出来る事は無かった。*3

 この事で凹む事無く南チャイナは他のG4にも声を掛けた。

 フランス領インドシナ(ベトナム)での独立戦争で対峙していたフランスは日本以上に拒否していた。

 最後は武力衝突の無いブリテンであったが、此方は香港の目の前に軍閥を作りたくないと言う素直な感情に従って、社交辞令に終始して援助だの支援だのの言質を一切与えずにいた。

 このG4の態度によって国際連盟加盟国の殆どは、南チャイナとの外交に乗る事は無かった。

 只1国、ソ連を除いて。

 ソ連は南チャイナの動きをみて、自ら接触して来ていた。

 ()()()()をしたチャイナ共産党に代わって、チャイナの大地でG4への嫌がらせを出来る尖兵を欲したが故の行動であった。*4

 ソ連からの支援によって、南チャイナは国家としての体裁を整えていく事となる。

 尚、ソ連から武器輸出の対価として南チャイナの地で共産主義への()()を深める事を要求されたが、そちらは全て拒否し(聞き流し)ていた。

 南チャイナの要人にとってソ連など、独立をする為に必要だから頭を下げるフリをしただけの相手であったからだ。

 ソ連と南チャイナの関係は、ある意味で似通った国家の協力であった。

 

 

――北京市攻防戦

 積極的な攻勢が望まれている東ユーラシア総軍第1軍に対し、北京市攻略部隊に要求されるのは時間を掛けた攻勢であり、別種の難しさがあった。

 全力攻撃を仕掛ければ1週間も経ずして北京市を灰燼の野へとするのは容易いのだが、後を考えての事であった。

 政治の要求である。

 北京市を孤立させて籠ったチャイナ軍部隊を疲弊させ、同時に北京市のチャイナ人の心をチャイナ政府から離し、新しいチャイナ北部の国家へと忠誠を誓うように仕向けようと考えていたのだ。

 又、可能であれば北京市のみならずチャイナ全土の人間の心をへし折りたいとも思っていた。

 故に、アメリカはマスコミの前線部隊への帯同を許していた。

 そして同時に、北京市のみならずチャイナ全土へと北京市防衛部隊と攻略部隊の戦いの詳細を、ビラに写真付きで載せてばら撒いていた。

 ビラには、併せてアメリカとの和睦を訴える内容も記されていた。

 情報戦である。

 チャイナ政府が可能な限り隠していた、チャイナがアメリカに一方的に敗れていると言う情報は、チャイナの一般大衆に衝撃を与える事となる。

 無論、それをチャイナ政府はアメリカの謀略であると訴えるが、戦意の様相を間近で見ている北京市の人間は、それを素直に受け取る事は無かった。

 そもそもアメリカの優位さは、北京市のチャイナ人の胃袋が強く主張していた。

 包囲され生活物資の流入が止まった北京市。

 しかも北京市内に備蓄されていた食料や燃料などは、保管していた倉庫が精密な爆撃によって甚大な被害を出しているのだ。

 無論、各家庭で備蓄されていた分や家庭菜園もあるので、即座に飢餓状態に陥る訳では無いが、それでも包囲されて1週間も経ぬ内に、北京市住民の戦意は衰えていく事となる。

 又、アメリカはチャイナ系アメリカ人を北京市に潜伏させており、そこからの情報もビラに載せる事でチャイナ側に、疑心暗鬼を生じさせようとしていた。

 政治的な目標へ軍事が乱れずに進んでいるアメリカ側に対して、チャイナ側は混乱があるのみであった。

 黄河以北の地を諦めると言う消極的決断こそ成されてはいたが、では北京市はどうするのか。

 軍はどう動くべきなのか。

 北京市で抗戦するとして、どこまで抵抗すれば良いのか。

 何時まで抵抗すれば良いのか。

 チャイナ参謀団では誰も、提示する事が出来なかったのだから。

 それは蒋介石でも同じであった。

 黄河の戦いの助功として北京市が抵抗する事は望まれていたが、それ以上の事は何も定まっていなかったのだ。

 ある意味で、誰もが北京市の陥落が、黄河以北の喪失を決定づけると言う現実を直視できないが故の事態とも言えた。

 北京市の状況は、ただ只管に悪化の一途を辿る事となる。

 

 

 

 

 

 

*1

 チャイナ参謀団では、この黄河以北の防衛放棄に対して、せめて食料燃料などを徴発して焦土作戦をするべきではないかとの声も上がった。

 だが、今の第1集成山東軍集団の練度と装備では、()()を行っている最中に第1軍に捕捉撃滅される可能性が高い為、放棄された。

 只、天津市などの食糧庫などへの放火などは指示されたが、此方は現地の警察組織や自警団の手によって阻止されていた。

 ある意味で、チャイナは天津市などを見捨てる前に、天津市()()見捨てられていた。

 尚、この一連の話の中で、天津市などの市民の避難などの事がチャイナ参謀団で検討される事は無かった。

 

 

*2

 南チャイナとの交渉開始当初のアメリカ政府は、南チャイナを敵の敵は味方と言う理屈によって受け入れて、軍事的経済的な大規模援助を検討していた。

 これはアメリカの大統領が比較的中国に対する理解(シンパシー)があった事も理由でもあった。

 だが、アメリカ大統領が前のめりになりつつある事を危惧したホワイトハウスの国務(外交)スタッフが、この交渉がある事をグアム共和国軍(在日米軍)にリークした事で流れが変わった。

 グアム共和国軍(在日米軍)は本気になって止めた。

 その上で日本も詳細を伝え、助言を求めた。

 国外への情報漏洩とも言えるが、そこは建前としてチャイナ分割工作(チャイナ・ビスケット)に関する情報伝達と言う体を取った。

 そして知らされた日本は、真顔(ガチ切れ)で止めに出た。

 敵の敵は味方では無い、()()()()()()()()なのだ、と。

 日本とグアム共和国軍(在日米軍)説得(説教)()()を試みたアメリカ大統領であったが、南チャイナを支援した結果、南チャイナがチャイナを取り込んで強大な国家へと成長する可能性があると言われれば、反論するのも難しかった。

 又、今のチャイナとの戦争もアメリカの楽観主義が原因だと言われてはぐうの音も出なかった。

 これを機とし、ホワイトハウス関係者や情報分析官も必死になってアメリカ大統領の翻意を促した。

 ホワイトハウス政策スタッフの一部からは日本からの内政干渉ではないかと言う声(日本への感情的反発の声)も上がったが、最終的には南チャイナ支援反対派が大統領を説得する事に成功する。

 それは大統領にも影響力を持った、ホワイトハウスの外の知識層 ―― 知チャイナ派(≠親チャイナ派)のチャイナ研究者の分析(レポート)も大きな役割を果たしていた。

 

 この為、南チャイナへの支援は()()()()()()()()()()()()()()()()とされ、食料や衣料品などの()()と、チャイナとの戦争終結後の国家承認に留まる事となった。

 

 

*3

 日本の本音は、如何にチャイナ分割工作(チャイナ・ビスケット)を実施中とは言え、面倒くさい理屈を掲げた大アジア連帯(グレート・アジア)主義者の残党で、しかも北日本(ジャパン)のジャパン帝国軍崩れの連中を使った相手に協力する積りは無いと言うものであった。

 南チャイナが独立する事は容認できるが、この大アジア連帯(グレート・アジア)主義にチャイナで大きい影響力を持たせる事は危険であると認識していた結果であった。

 

 

*4

 南チャイナが消極的に対峙するチャイナはソ連の同盟国であるドイツの友好国であったがソ連も、そしてドイツですらも気にする事は無かった。

 ソ連にせよドイツにせよ、チャイナとは歴史があるだけのアジアの田舎者(未開人)であり、主要国(ゲームプレイヤー)にも成れぬ栄養分(商売相手)でしか無かったからだ。

 後にソ連と南チャイナの連帯を知ったチャイナは、ドイツを介してソ連に抗議しようとするが相手にされる事は無かった。

 その事に、自国の立ち位置を知った蒋介石は痛飲する事となる。

 

 

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