タイムスリップ令和ジャパン   作:◆QgkJwfXtqk

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118 チャイナ動乱-28

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 後に泰山会戦と呼ばれる一連の戦いは、東ユーラシア総軍第1軍が黄河に到着するよりも先に、先ず水上(黄河)を巡る形で始まった。

 河口部をアメリカ海軍艦艇が掌握したが、チャイナ側は黄河に於いて漁船を武装させた軽量快速の戦闘ボート部隊を持ち出して抵抗した。

 チャイナが抵抗を続ける事が出来た理由は、航空戦力の状況にあった。

 常に3隻もの空母を黄海に展開させ続けているアメリカ海軍は黄河周辺での航空優勢を握ってはいたのだが、それは盤石と呼べる水準には無かった。

 3隻の空母では、常に空に飛ばせる航空機は50機にも満たないのだ。

 これではチャイナの航空部隊を数で圧倒する事は難しかった。

 加えて、チャイナの戦闘機部隊パイロット達の献身があった。

 何より航空機の質で抵抗出来ていたと言うのが大きい。

 貴重なジェット戦闘機(FJ-2)こそ投入してはいなかったが、FC-1戦闘機の最新モデルであるA型*1を装備した精鋭部隊が配備されており、アメリカの2000馬力級エンジンを搭載した空母艦載機であっても自由な行動を許さなかったのだ。

 又、チャイナ側が泰山周辺に航空基地を急造して、航空部隊を集中して運用している事がチャイナ側に数の上での優位を与えていた事も大きかった。*2

 この様に空からの脅威が限定されている事が、チャイナの戦闘ボート部隊に活躍できる余地を与えたのだ。

 戦闘ボート部隊は黄河付近の東ユーラシア総軍第1軍部隊に攻撃を加え、或は夜陰に乗じて少数の部隊を上陸させるなどの活躍を見せていた。

 だがアメリカとて無策では無い。

 黄河流域での戦闘に備えて哨戒魚雷艇を用意していたのだ。

 戦闘ボート部隊が活動を開始する事に遅れること2日で、アメリカは魚雷艇母艦と浮きドック艦からなる部隊を黄河近海に進出させ特設基地を設営してみせた。

 熾烈な黄河を巡る戦いが発生する。*3

 

 

――泰山会戦 水上ステージ

 黄河を巡る水上戦闘は主に昼の戦いであったが、常にアメリカ側が圧倒的に優位であった。

 チャイナには地の利と数こそあったが、その装備が違い過ぎていたのだ。

 所詮は漁船改造で小型な戦闘ボートである為、対哨戒魚雷艇に使える武装は無理矢理に付けた7.92㎜の機関銃が精々であった。

 大型の戦闘ボートの一部は大威力を持った8.8㎝ロケット対戦車砲を搭載していたのだが、火砲の不足が祟って搭載した戦闘ボートは極々限られていた。

 これでは、戦いにならぬと言うのが正直な話であった。

 数によって撹乱し、抵抗は可能であったが、戦闘が始まって2日もすれば、誰の目にも勝てる見込みのない戦いと判る有様であった。

 この状況を打破する為、戦闘ボート部隊の指揮官は、積極的な逆襲を上申した。

 アメリカの哨戒魚雷艇の特設基地を襲撃しようと言うのだ。

 その為に魚雷艇部隊が全滅して以降、死蔵状態であった533㎜魚雷を無理矢理に戦闘ボートの艦首部分に搭載していた。

 照準装置など無く、真っ向から突き進んで射程に入ったら発射、離脱すると言う荒っぽい作戦であった。

 問題は、黄河河口部にあった。

 アメリカが、この手の戦闘ボートによる反撃を阻止する為、河口海域一帯を封鎖していたのだ。

 ロープを組み上げただけの対小型艇網であったが、その効果は確実 ―― 無策で突っ込めばスクリューが巻き込んで行動不能になる事が予想されていた。

 陸上からの偵察でその事を把握した戦闘ボート部隊指揮官は、果断な策を選択する。

 陸を超えていくのだ。

 元より、小型の漁船が基となった戦闘ボート、偵察機の飛ばない夜に台車にのせて河口部へと移動し、翌日の夜間、決戦を仕掛けるものとした。

 この動きをアメリカは察知しきれなかった。

 戦闘ボート部隊の活動が低下した事自体は現場からの報告で察知していたが、その理由を連日の戦闘による戦闘部隊の疲弊、そして戦意低下と判断していたのだ。

 それ程に哨戒魚雷艇と戦闘ボートの戦い(キルスコア)は圧倒出来ていたのだ。

 1943年に入ってからの連戦連勝によってアメリカは、チャイナ兵は弱腰であり、弱気であり、戦意に問題を抱えていると認識する様になってしまっていたのだった。

 だが実際のチャイナ兵は、戦意ある熱狂(英雄)的指揮官の下では果敢であり戦意の不足は見せなかった。

 勇将の下に弱卒なしの言葉通りであった。

 現場の哨戒魚雷艇部隊の将兵はその事を理解していたが、アメリカ海軍の上層部は正しく認識していなかった。

 ある意味でその認識が、勇敢なるチャイナ戦闘ボート部隊の夜襲を許した最後の切っ掛け(トリガー)であった。

 とは言え、成功したのは夜襲と言う作戦の実行だけであったが。

 アメリカ海軍は、この特設基地の警備に手を抜いていなかったのだから。

 駆逐艦と哨戒魚雷艇による守備部隊は、夜であってもその任務を忘れていなかった。

 最初に戦闘ボート部隊の夜襲を察知したのは、フロンティア共和国海軍所属の駆逐艦リバティ*4であった。

 その高精度多機能な日本製の()()()()レーダーが、接近する戦闘ボート部隊を発見したのだ。

 リバティの乗組の操作員は、その全機能を十分に活用できる域には達していなかったが、日本のメーカーサポートによる自動化された機能が動いたのだ。

 接近中の戦闘ボート部隊が指定した自動捕捉エリアに入ると共に操作員へと警報が発せられた。

 この時点では、まだアメリカの軍用レーダーは戦闘ボート部隊を捉えていなかった。

 ()()()()()、リバティは特設基地防衛隊に組み込まれていたし、その外周に位置していたとも言える。

 その役割をリバティは果たした。

 艦長は即座に警報を防衛隊指揮官に上げ、報告を受けた指揮官は日本製のレーダー性能に疑念を一切持たぬ為、即座に哨戒任務艦以外の全艦艇に迎撃を命じていた。

 この時点で防衛隊と戦闘ボート部隊の距離は約40㎞であり、リバティが探知した事で全てが決したと言っても過言では無かった。

 闇夜の中、抵抗する術も無く一方的に砲弾を叩きこまれた戦闘ボート部隊は、発見から30分もせぬ内に存在を記録上のものへと転じるのであった。

 

 

――泰山会戦 黄河戦域

 勇敢な将と、それに従う兵たちが戦闘ボート部隊から失われた結果、黄河水上での戦いの天秤は大きくアメリカ側に傾いていた。

 まだ、指揮官は居た。

 まだ、兵隊は居た。

 まだ、漁船も残っていた。

 だがそれだけだった。

 勇敢な将兵が失われた穴は、簡単に塞げる様なものでは無かったのだ。

 この為、第1集成山東軍集団司令部では直ぐにも渡河作戦が行われるだろうと判断し、隷下の部隊へ対応準備を下命した。

 とは言え、出来る事は心構え位であったが。

 一部の部隊を除いてトラックなどの、部隊を即応展開させる為の()が殆ど無い第1集成山東軍集団では機動防御など望むべくもないと言うのが実状だった。

 黄河を防衛ラインと定め、河口から済南市までの300㎞近い川岸に塹壕を掘っては居たが、不十分な数の小銃以外には手持ち火器(火炎瓶や手投げ式の爆薬)が火力主体で稀に航空機による直協火力支援が頼り。

 戦車にせよ野砲はほとんど存在しないのだ。

 他に出来る事など無かった。

 死を覚悟した将兵は、それでもチャイナ人の意地を見せようと心を決めていた。

 だが、何日たってもアメリカは渡河作戦を強行しようとはしなかった。

 各地域で嫌がらせの様に野砲の雨を降らせ、或は戦車砲での直接射撃を行ったが、それだけだった。

 MLRS部隊による鉄の嵐を降らせることも、航空機による集中的な爆撃を行うことも、連隊規模での渡河作戦を行うことも無かった。

 無論、平和と言う訳では無いし、各地の被害は毎日1000名単位で死傷者が出ては居たが、それでも想定した最悪よりはかなり()()であった。 

 もしかして、敵第1軍は急な前進を優先する余り、渡河準備が出来ていないのではないか? と第1集成山東軍集団司令部が考え出したころ、最悪の凶報が渤海の監視部隊からもたらされた。

 黄河河口より南側一帯でアメリカが揚陸作戦を開始したとの一報である。

 規模は師団規模。

 戦車まで揚陸させていた。

 極めつけの凶報であった。

 

 

――泰山会戦 揚陸/渡河戦

 即座に第1集成山東軍集団司令部は邀撃を決断。

 貴重な機甲予備戦力 ―― 戦車連隊を基幹とした旅団戦闘団に対して出撃を下命する。

 全てを上陸させてしまっては、以後の抵抗は不可能となるだろうとの判断からであった。

 そもそも、第1集成山東軍集団は渤海沿岸部に大規模な部隊を貼り付けては居らず、警戒と地雷敷設の為の軽歩兵(徴発兵)師団が薄く広く配置されているだけであったのだ。

 抵抗など望むべくも無かった。

 一部の果断な(考えなしの)指揮官が反抗を図るが、空母艦載機による対地攻撃と戦艦の砲撃によって揚陸部隊に接近する前に、生物から有機物の塊へと存在を変えるだけに終わっていた。

 これを阻止せんが為、おっとり刀で戦闘機部隊にも渤海沿岸域での戦闘行動 ―― アメリカの艦載機部隊への迎撃を命じたが、時を同じくして、黄河上空にもアメリカのジェット戦闘機が出現し、第1集成山東軍集団の陣地へと猛攻撃を開始したのだ。

 アメリカ空軍部隊が、第1軍の後方に航空基地を設営し、部隊を展開させたのだ。

 黄河流域での航空優勢は瞬く間にアメリカに握られる事となった。

 こうなってしまえば渤海沿岸域での防空戦どころではない。

 数段は格上のアメリカ製ジェット戦闘機を相手に、チャイナ航空部隊は絶望的な防衛戦闘に挑む事となる。

 だがそれでも、アメリカの行動(ターン)は終らない。

 それまで投入されなかったMLRS部隊(ロケット弾部隊)が一斉に投入され、貧相なチャイナ陣地を無機物と有機物の混在する土くれへと還し、そこを装甲化された水陸両用車両が突いたのだ。

 渡河作戦の始まりである。

 8カ所で同時多発的に行われた渡河作戦は、第1集成山東軍集団の対応力の限界を優に超えていた。

 予備部隊である機甲部隊は、動かそうと擬装を解くと同時に上空を舞う航空機に発見され、空爆によって溶けていく有様であった。

 そもそも、MLRS部隊による鉄の豪雨は、守備部隊の戦意(モラール)を粉砕しており、前線の部隊に抵抗できる筈も無かった。

 アメリカの、質の伴った物量を見せつけられた格好であった。

 揚陸作戦が始まって8時間後、第1集成山東軍集団司令部は、黄河流域での防衛作戦を放棄する決定を下した。

 素早い決定の理由は、渤海から揚陸してきた機甲部隊 ―― アメリカ海兵師団の存在が大きかった。

 旅団規模とは言え、迎撃として投入された予備戦力の機甲部隊が鎧袖一触だったのだ。

 そんな極めて有力な機械化両用戦部隊に、無防備と言って良い後方から攻撃されてしまっては、抵抗出来ぬままに包囲され殲滅されると言う恐怖であった。

 この為、撤退は素早く決定される。

 大多数が周辺から徴発した武装農民の類であるとは言え、記録の上では100万近い大兵力を誇った第1集成山東軍集団は、何も出来る事無く後方 ―― 泰山要塞へと撤退するのだった。*5

 

 

 

 

 

 

*1

 チャイナ国内に製造ラインが組み上げられたFC-1戦闘機は、チャイナの努力とドイツの支援によって改良が重ねられ、チャイナ航空部隊を支えていた。

 泰山会戦で登場した新型は、量産開始から2度目の大規模な改良が行われたA型(アドバンスト・モデル)であった。

 1750馬力の新型水冷エンジンを搭載し、高々度でもアメリカの艦載機(レシプロ戦闘機)と十分に渡り合う事の出来る性能を持った戦闘機である。

 尚、レシプロエンジンとしては最新鋭である1750馬力水冷エンジンのライセンス生産権をドイツがチャイナに売却した理由は、ドイツの航空機エンジンの主流がジェットエンジンへと変わっていた事が理由であった。

 早晩に陳腐化するものを後生大事に抱えていても意味がない。

 どうせなら売れる時に売りつけろとばかりにドイツ側が持ちかけ、チャイナが購入していたのだ。

 只、製造に高い工作精度を要求する為、チャイナ工場での生産の歩留まりはお世辞にも良好とは言えず、稼働率にも問題を抱えていた。

 

 

*2

 空母とは移動できる航空基地であり、その地上航空基地に対する優位性は神出鬼没性 ―― ()()()()()()()()に起因したものである。

 逆に言えば、ある領域に於いて腰を据えての殴り合いとなった場合、純粋に数の戦いとなる。

 又、空母と言うフネの上に全ての機能を押し込んだが故の難しさ ―― フネの容積に起因する整備効率の難しさが出る部分がある。

 泰山会戦初頭のアメリカ機動部隊の苦戦は、空母が無敵の存在ではない事を教えるものであった。

 

 

*3

 黄河に駆逐艦などを投入しない理由は、如何に黄河が巨大な大河とは言え、1000tを超える()()()では、身動きが取れないと言うのが理由である。

 海では小型である駆逐艦であっても、川では身動き一つとる事にも注意を要する大型艦なのだ。

 正面から戦えば戦闘ボートなど敵ではない駆逐艦だが、その戦う事が難しいのが川の戦いなのだ。

 隠れた場所からの魚雷、或は機雷。

 川とは、とてもでは無いが駆逐艦を投入できる戦場では無いのだ。

 

 

*4

 駆逐艦リバティはアメリカ製では無く、日本がMLシリーズの1つとして用意(ラインナップ)した護衛駆逐艦であった。

 その成り立ち故に基本的にアメリカ製の軍備を揃えるフロンティア共和国であったが、対日関係 ―― ()()()()()()()の顔を立てる為として、このチャイナとの戦乱が始まって以降は一定数の割安な日本のMLシリーズを導入していたのだ。

 又、アメリカも日本の造船技術を学びたいと言う理由から、この護衛駆逐艦の導入は後押し(購入予算の一部補助)をしていた。

 

 艦名 リバティ級対潜護衛駆逐艦(DEL) (日本クラス名 ML-118_F1型)

 建造数   4隻 (リバティ フリーダム インディペンデンス ガード)

 基準排水量 1420t

 主機    ディーゼルエンジン 2基

 速力    最大28ノット

 兵装    54口径5in.単装砲 1基1門

       60口径40㎜単装砲 2基2門

       3連装短魚雷  2基

       爆雷投下軌条 2基

 (※兵装は、発注先の要望に合わせて変更出来る)

 

【挿絵表示】

 

 

 日本以外でも運用できる様に、購入した各国で整備できる様に注意して設計されている非システム(ローテク)艦。

(但し、日本邦国向けに限っては、電子装備なども充実している)

 エンジンやレーダーなどは民生品が主体である為、運用コストは極めて手頃となっている。

 現在、タイ王国やポーランドなどからも資料請求を受けている。

 

 

 

 

 艦名 すずや型対潜護衛駆逐艦(DEL)

 建造数   2隻 (すずや くまの 以下未定)

 基準排水量 1420t

 主機    ディーゼルエンジン 2基

 速力    最大28ノット

 兵装    54口径5in.単装砲 1基1門

       62口径40㎜単装砲 1基1門

       8連装近距離防空ミサイルシステム

       3連装短魚雷  2基

 

【挿絵表示】

 

 邦国で一番最初に手を挙げた北日本(ジャパン)の艦名がクラス名となっている。

 

 

 

 

 艦名 まつ型多目的護衛駆逐艦(DEM)

 建造数   12隻 (まつ たけ 以下未定)

 基準排水量 1510t

 主機    ディーゼルエンジン 2基

 速力    最大28ノット

 兵装    54口径5in.単装砲 1基1門

       62口径40㎜単装砲 1基1門

       8連装短距離防空ミサイルシステム

       3連装短魚雷  2基

 

【挿絵表示】

 

 ML-118型の使い勝手の良さから、日本でも大量導入が決定された。

 但し、リバティ級/すずや型との差は、本クラスはシステム艦として各部が最適化されている点と、UAV/UUVの運用能力を付与されている事である。

 この為、100t程重量化しており、建造費用も2割ほど高騰している。

 尚、船体中央部の構造が変化している様に見えるが、是は波浪除けの覆いが追加されているからであり、主要な構造に変更は無い。

 

 

*5

 尚、撤退した第1集成山東軍集団の陣地に残されていたのは、兵の規模と比較して余りにも乏しい武器弾薬と食料、大量の死傷者、そして10万を超える捕虜であった。

 ある意味で、これが第1軍の進軍を止める事となった。

 接収できた食料の乏しさや、大量の死傷者は想定の範囲内であったが、10万を超える捕虜など事前に想定できる筈も無かった。

 面倒くさいので、とばかりに武装解除して解放しようとしたが、今度は捕虜側から懇願される事となる。

 ()()()()は赦してくれ、と。

 そう、捕虜の武装は大多数が銃などの火器ではなく、自分たちで持ち込んだ()()()だったのだ ―― そもそも、武器として持ち込んだ訳でもない。

 陣地造営の為にと命令され持ち込み、そして結果として、武器の如く最後まで持っていたのがクワやスキと言った農機具と言うだけであった。

 何とも評し難い状況であった。

 最終的に、()()は接収し、人道的配慮から()()()を配布すると言う形で落ち着く事となる。

 ある意味で、軍隊と言うものの官僚的性格の発露であった。

 

 武装を解かれた捕虜たちは、農機具とわずかばかりのお土産、配られたチョコレートなどの嗜好品を手に家への帰路に就くのだった。

 この戦争以降、黄河流域に親アメリカ派が多く生まれる事となる。

 




2020/12/07 文章修正
2020/12/08 文章追加

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