タイムスリップ令和ジャパン   作:◆QgkJwfXtqk

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119 中央アジアに吹く風-1

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 日本政府は、アメリカとチャイナの戦争に関して呆れ(言わんこっちゃない)以外の感想を持たなかった。

 チャイナ分割計画(チャイナ・ビスケット)と言う側面からすれば、応援する気持ちもあったが、歴史的背景 ―― 満州利権売却の頃からロクな事には成らぬと止めて来ていたのだ。

 にも拘わらず、この体たらくである。

 日本政府が呆れているのもさもありなんと言うべきであった。

 尚、伝統的(リベラル派残党)な一部の野党からは、日本政府が積極的に二国間の戦争を止めようとしないのは()()()()利益を狙っているのではないかと批判する向きもあった。

 日本政府からすれば、邪推にも程がある意見であった。

 自動車類から始まったMLシリーズ*1食料品(軍用糧食・嗜好品)の提供こそ行っていたが、総じて価格に占める利益率は抑え目であり、そもそも戦争が終われば消えるのが特需(バブル)と言うものであり、そんな程度のモノに頼ろうと言う程に日本政府も企業も不健全では無かった。*2

 それよりも極東で日本が重視していたのは、チャイナ人の流出問題であった。

 チャイナ人は既に4億からの人口を誇っている。

 これが、一方的にアメリカから押されている状況で、戦乱を避ける為にと1%でも国を出れば400万人からの大移動なのだ。

 人道主義に基づいて受け入れるべき等と軽く言える話では無かった。

 タイムスリップ前の情報 ―― 中東やアフリカの難民問題を忘れていなかった日本は、今の情勢を甘く見ては居なかった。

 日本連邦への流入は、チャイナとの間に海やフロンティア共和国などが存在する事から難しいだろう。

 だが、独立したばかりで国としての基盤の弱い東トルキスタン共和国や、独立準備中のチベットなどに来られては、大変な事になってしまうのが見えていた。

 日本は2つの国に反チャイナ拠点としての役割を期待しており、であればこそチャイナ人の流入による混乱や、人口に占めるチャイナ人の拡大による親チャイナ化など認められるものでは無かった。

 この為、日本は干渉を強化する事となる。

 

 

――東トルキスタン共和国

 国家としての基盤が出来つつある東トルキスタン共和国は民族意識が勃興しつつある段階に達していた為、過度な干渉は一般市民からの感情的な反発を引き起こす危険性があった。

 この為、日本が行ったのは東トルキスタン共和国の国体防衛に向けた宣伝工作と、急進派の民族主義派への資金援助であり、支援はこの二つを柱としていた。

 チャイナ人の下にはつかない、自主独立する誇りあるウイグル民族と言う意識を共有させる事が目的であった。

 又、国家防衛に資する武器供給に関しても新興国の自国防衛支援計画(セルフ・ディフェンス・プログラム)として纏められ、MLシリーズの購入許可と政府開発援助(ODA)による低利率借款が用意される事となった。

 とは言え、簡単に決まった訳では無い。

 独立を保持する事は大事だが、日本との関係を深化させ過ぎた場合、チャイナと決定的な対立関係に陥る可能性があると言うのが、ウイグル人穏健派から出たのだ。

 又、日本国内でも反対派が声を上げていた。

 立地条件や日本の完全なコントロール下に無いと言う事から、供与されたMLシリーズを東トルキスタン共和国の不心得者が海外へと流出させ、日本の技術を敵対国(ドイツ・ソ連)が把握する危険性を指摘する意見であった。

 一理はある意見ではあったがMLシリーズは輸出を前提に考えられており、特に主として提供する事になる陸上装備には余り高度な技術が用いられておらず杞憂に類される意見であった。

 無論、ML-371 ―― 5.56㎜自動小銃(アサルトライフル)の連射や単射を管理する機関部周りは先進技術の精華ではあるのだが、そこまで神経を尖らせても意味がないと割り切っていた。*3

 尚、供給に関しては日本連邦で国境線を接しているシベリア共和国からの鉄道となった。

 この目的の為、日本はODAを活用した上で大規模なシベリア-東トルキスタン鉄道の建設に取り掛かった。

 ODAと言う、東トルキスタン共和国が借金をする形式である事を指して、経済的な植民地化に等しく、それは日本の帝国主義の現れであると言う人間も日本国内には居たが、大きな影響力を持つ事は無かった。

 東トルキスタン共和国としては経済の活性化に大きな役割を果たす鉄道インフラの構築を、借款と言う形をとる事で短期的には大きな出費も無く行える事はとても重要な事であった。

 又、鉄道整備作業に関して労働者の雇用や食料などの購入等々、地元にも整備予算が還元される形を採っていた事も、日本の評判を支えたとも言えた。

 とは言え、鉄道インフラの整備は年単位の事業である為、建設による効果が出るのは幾分は先の話であったが。

 それまでは道路が、道路を通って流し込まれる大規模なトラック輸送部隊(コンボイ)が東トルキスタン共和国を支え続ける事となる。

 

 

――チベット

 独立国としての体裁を整えていた東トルキスタン共和国(ウイグル族)に対し、いまだチャイナの影響下にあるチベット族へのテコ入れは難航する事となる。

 一応、日本の支援による独立準備は進められてはいたが、まだ確たる所まで進んではいなかったからだ。

 チベット族の問題、国家運営に関われる高能力人材の確保と育成が遅れていた事と、独立を支援する日本の外交能力の多くが東トルキスタン共和国の人材育成に投じられてる為、支援力が低下していると言うのが大きかった。*4

 だが、状況の変化がチベット独立派や日本から、その様な悠長な事を言う余裕を奪った。

 日本の危機的予測を裏付ける様に、チベットへチャイナ人難民が流入し、それに伴って治安の悪化が始まったのだ。

 これは、チベット一帯はチャイナの中で安寧が保たれていた事が理由だった。

 軍閥が横暴を働かず、アメリカの爆撃も無い ―― 日本がアメリカに対し秘密裏に戦略爆撃の対象からチベットの領域を外すように頼んでいた事が理由だった。

 元より軍事施設も無く、経済的にも今のチャイナの中で大きな役割を担っている訳でもない事が、アメリカが日本の要求を受け入れた理由でもあった。

 この為、戦火を逃れる為に少なくないチャイナ人が()()()()()()()で流れ着いていたのだ。

 これがチベットに混乱を呼ぶ事となった。

 資産も家財も無くチベットに来た人々は、多くは真面目に仕事を探そうとした。

 だが、ごく一部の人間が()()()()()を選んだ、その結果だった。

 窃盗強盗に始まり、様々な非合法な事に手を染めて、地元のチベット人と大きな軋轢を起こして回ったのだ。

 チベット人の間でチャイナ人排斥運動が起こるのも当然の話であった。

 この流れに、チベット独立派と日本は逆らう事無く乗る事とする。

 そして隣国たるインド(ブリテン)もこの流れに加わる事を主張した。

 インドの近隣に野蛮粗暴好戦的な国が居るよりも、G4の影響下にある独立国(緩衝地帯)が出来る方が良いと言うのが本音であった。

 最終的に、日本が金を出しインド(ブリテン)が人を出す形で支援する事が決められた。

 

 

――チャイナ

 アメリカとの戦争、前線への兵士や物資の供給に加えて銃後の防衛体制の構築(アメリカ戦略爆撃部隊への対応)に追われていたチャイナにとって、チベットでの本格的な独立運動の勃発は悪い冗談の様な話であった。

 1つ(チャイナ共産党)が消えれば別の1つ(チベット独立派)が出て来たなど、悪夢以外の何ものでも無かった。

 とは言え、人口的にも産業的にも特に大きな重要性のある地域では無い為、戦争が終わるまで放置(短い夢でも見ていろ)で良いのではと言う意見が出て、それが大勢を占める事となった。

 独立運動の後に、日本とブリテンが居ると言う事が判明するまでの、短い間だけだが。

 別に決定的な証拠があった訳では無い。

 只、状況証拠として謎の先進的な短機関銃(ML-157)を持った、チベット独立派を支援する浅黒い肌をしたヒンドゥー教徒(インド人)が確認されているのだ。

 2国が後ろに居ると判断するにはそれだけで十分(状況証拠が真っ黒だ!!)であった。

 慌てたチャイナは、対策を練る事となるが、既に警察組織では対応しきれない状況に陥りつつあるのだ。

 軍の投入以外、出来る事は無かった。

 それが果てしなく難しいと言う事に目を瞑れば。

 治安維持戦に投入出来るだけの良く訓練を受けた、装備良好な部隊は悉くアメリカとの戦線に投入され片っ端から鉄火によって熔けているのだ。

 しかも南チャイナを牽制する任務にも、ある程度の部隊が拘束されている。

 この状況で、チベットに向けられるのは錬成途上の、招集したばかりの部隊しか無かった。

 低練度の部隊を過酷な治安維持戦に投入する事が何を生むか、チャイナはそれを理解していた。

 理解していたが、座してチベット独立を認めるよりはマシであると判断し、地獄の扉を開く選択肢を選んだ。

 先遣隊として3個連隊、その後詰めに2個の山岳歩兵師団を派遣する事をチャイナ政府は決断した。

 

 

――日本

 チャイナ政府内に居るスパイ(金銭による協力者)からチャイナが大規模な部隊をチベットに派遣しようとしている事を早期に認識していた。

 だが日本は、その行動を阻止しようとはしなかった。

 チャイナが自ら地獄の釜を蹴り倒せば、独立運動の激化と言うチャイナにとっての地獄が始まるのは目に見えていたからだ。

 とは言え、全く何も対応しないのは事後に、数十年の未来に批判される種を残す事となるのでと、言い訳染みた阻止作戦(アリバイ工作)は実施した。

 外交面からの、チャイナに対して独立運動阻止に武力投入は如何なものかとの提言である。

 突っ撥ねられる予定での行動であったのだが、チャイナの反応は違った。

 上海に設けられていた外交の場で日本の外交官と顔を合わせていた外交官は、日本の()()を聞くや真っ青になって報告しますと返すのが精一杯と言う体たらくであったのだ。

 さもありなん。

 日本から煮え湯を幾度も飲まされていたチャイナは、提言を()()()()と理解していたのだ。

 日本は余り自覚していなかったが覇権国家の、世界支配者の(G4)筆頭の言葉と言うものは果てしなく重く、そして恐ろしいものであるのだ。

 徒に軍事力を行使しようとはしないが、一度、使うと決めれば決定的な所まで相手を殴り続ける ―― そんな凶暴な実績を日本は積み上げてきているのだ。

 提言が、チャイナには自主的な平穏(土下座)介入されての平穏(チャカ)かと聞かれたと思うのも仕方の無い話であった。

 平素であれば全力での抵抗をしたであろうチャイナであるが、このアメリカと戦争をしている最中に日本まで乱入されては堪らない、そう判断するだけの理性は維持していた。

 最終的に、チャイナは外交接触の1週間後に、日本の提案を前向きに検討して受け入れると返事をしたのだった。

 そして、武力弾圧では無く、警察力による統治力強化に舵を切る旨を、公表した。

 結果を聞いた日本のチベット工作官たちは、酢を飲んだように(どうしてこうなった!? と)顔を顰めあっていた。

 

 

 

 

 

 

*1

 防諜面からの要求もあって、意図的に規則性を無視したナンバリングの与えられているMLシリーズであるが、当初は自動車とその周辺の機材の提供として始まっていた。

 だが、各国からの要請を受け入れる形で拡大を続け、最終的には空母や護衛艦まで含まれる様になっていた。

 標準的な価格帯よりも抑えた価格で提供される為、MLシリーズ欲しさに、アメリカ-チャイナ戦争に参戦する国家も出る程であった。

 意外な人気商品に、()()()があった。

 北日本(ジャパン)邦国軍からの要請でML-182として加えられた指揮刀は、日本の製鉄業界が割と本気を出して鍛造している為、伝統的な日本刀とは似て非なる代物として完成していた。

 折れにくく、曲がりにくく、そして錆びにくい。

 しかも軽い。

 北日本(ジャパン)邦国軍で人気が爆発し、その上で()()()()()とお土産・贈答用として評判となったのだ。

 その人気の程は、後に改良型(ワルノリ)として未来感の加味 ―― 刀身を黒くしてカーボン地の拵えを備えたML-182o(サイバーパンクモデル)が出る有様であった。

 余談ではあるが、極一部のブリテン人は()()として発注していた。

 

 

*2

 特需を当て込んでの設備投資を日本企業が行う積りは一切なかったが、日本製品の売り込み、と言う意味では活用する積りであった。

 特にレトルト食料品メーカーによる、行動中配給食(レーション)の売込みに対する情熱は凄かった。

 複数メーカーが協力して、和洋中な食を中心としたプレーンな味付けのセットを開発して日本政府へと働きかけ、ストーブ付き前線食(レーション)としてMLシリ-ズに押し込んだのだ。

 胃袋を抑えれば勝てる、そう言わんばかりの行動であった。

 実際、ML-913として採用されたレトルト食品群は、前線の将兵の胃袋をガッチリと掴み、この戦争後も日本から輸入を図る様になる程であった。 

 尚、こっそりとカップ麺メーカーも冬の加給食(おやつ)枠で参加していた。

 寒空の下でも手軽に食える温食と言う事で、後には日本食と言えばラーメンと言う人が生まれる程であった。

 

 

*3

 そもそもとしてML-371は安価に供給する事を目的に、多少の射撃性能向上よりも整備性や生産性を優先した設計が行われていた。

 鉄よりも安く、木よりも量産に向いた樹脂をボディに採用している。

 外見的な特徴としては、ブルパップ式の採用である。

 訓練未了の不慣れな人間に渡しても反動を抑え込みやすいと言う利点と、コンパクトであるので大量に輸送(輸出)する際に手間が抑えられると言う事が評価されての事であった。

 後にML-371はシベリア共和国の工廠にて大量生産され、主に国際連盟加盟国に大量に供給された結果、自由の銃(フリーダム・ライフル)なる渾名まで頂戴する事となる。

 

 

*4

 東トルキスタン共和国以外にも日本連邦内の北日本(ジャパン)邦国やシベリア共和国、南洋(ミクロネシア)邦国で日本が持つ国家運営の能力を育成する余力が消費され続けていたと言うのも大きい。

 地方自治体しか存在していなかった南樺太はまだマシな方で、ソ連から大量の亡命者を受け入れて建国されたシベリア共和国は地方自治体からの構築を行わねばならず、国家以前に民主主義とはなんぞやと言う所から教育する必要のあった南洋(ミクロネシア)邦国に至っては論外ですらあった。

 国を生み出す大事情を支えると言う意味に於いて、日本は投げだすことも無く良くやっていると評しても良かった。

 少なくとも、日本が支えていたどの国も未だ破綻もせず、住民感情も良好であるのだから。

 

 


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