タイムスリップ令和ジャパン   作:◆QgkJwfXtqk

123 / 201
123 フランス植民地帝国の壊乱-06

+

 アフリカのフランス海外県(植民地)で勃発した独立運動に一番迷惑を被ったのはブリテンだった。

 日本の旧英国植民地人(英系日本人)の策謀から始まったブリテンの体制変換 ――

強権的に海外を支配する植民地帝国体制から共存共栄(美辞麗句)を掲げ、独立した植民地による統合された国家としてのブリテン連邦として安定していたブリテンにとって、植民地独立を目指す闘争と言う奴は実に迷惑な代物であった。

 ブリテン連邦内の各国で独立運動が起こる事を危惧してと言う訳ではない。

 ブリテンの監督下でゆっくりとではあるが民主主義と法治による自治権を回復しつつあるブリテン旧植民地群の住人は、独立国家であると言う意識を育てていたのだ。

 ブリテン連邦加盟国の連絡部会で外交官たちが「え、独立? 今頃??」と言う位には意識の差があった。

 ()()()()()迷惑なのだ。

 独立国家として安定性と、経済的な発展を始めたブリテン連邦加盟国にとって、近場で難民の発生しそうな荒事は迷惑千万なのだ。

 一部の理想主義的な人間(コスモポリタン被れ)は、同じアフリカ人として助けるべきだとの理想論を口にして居たが、その甘言に乗るお調子者は出なかった。

 当たり前である。

 ブリテンの連邦国家省が旗振りをし、国際発展研究機構(日本)が全面協力をし、各国の指導者層は足並みをそろえて生活の質的向上への努力を重ねているのだ。

 子供が食べる物が無いと泣かない社会へ、祖父母が食べる物を減らして自分たちに分けない社会を作る事に優先される事は無い。

 まだまだ成果が出たとは言い難いが、それでも成果への萌芽は見えてきているのだ。

 そんな状況で、気分が良くなるだけの国力の浪費を選ぶ国家指導者も、有権者も居る筈が無かった。

 ()()()()()迷惑なのだ。

 フランスの植民地(海外県)での戦乱で発生した難民がブリテン連邦加盟国に4桁5桁単位で流れて来られては、まだ国家としての基盤の弱いブリテン連邦加盟諸国では対応しきれない事が想定されるからだ。

 ブリテン連邦加盟国連絡会議では、真剣に国境封鎖が検討される事態となっていた。

 ブリテン政府は、事態の早期終息をフランス政府に強く要求する程であった。

 

 

――日本

 フランス植民地の混乱は、日本にとって迷惑千万な話であった。

 現地には資源開発その他の産業に日本企業も進出しており、その保護は日本の責務でもあったからだ。

 とは言え、では自衛隊を派遣しますとは言えない状況にあった。

 治安が悪化しているとは言え、全くの戦乱的な状況になっているかと言えばそうではない。

 そもそもアフリカのフランス植民地も現地住民の要望を取り入れる形で制度改革が行われており、フランスの法制上では収奪の対象でしかなかった植民地ではなく海外県としてフランス本土に準じた扱いに代わっていたのだ。*1

 言ってしまえば、治安が悪化したから軍隊を派遣させろと言う様なものなのだ。

 とてもではないがフランスが受け入れる事は出来ないし、日本としてもフランスとの関係に深刻な問題を招きかねない為に選べる事ではなかった。

 この為、当初は治安維持組織かフランス軍による保護を要望したのだが、残念ながらフランスにそんな余力は無かった。

 しかも問題は、フランス海外県で日本企業が進出している場所は資源地帯が殆どと言う事であった。

 貴金属や希少金属の鉱山などなど。

 即ち、独立運動を行う人間にとっても経済活動(活動資金の為の収奪)を行い易い場所なのだ。

 重要であるのに、何故にフランスによる防護の手が届き切らないかと言えば、政治的に優先されるのが都市部 ―― 人口集積地帯であるからだ。

 フランスの選択は間違ってはいない。

 只、日本にとっては正解ではないというだけだ。

 日本はフランスとの折衝を重ねた。

 日本企業はその間、独自に自衛体制を整えた。傭兵の活用である。

 ()()()()を雇用し、自衛しようとしたのだ。

 だがこれは悪手となった。

 警備目的で、傭兵などを雇用するノウハウの無い企業が慌てて現地住人などを雇った結果、不心得者が入り込んでしまい、支給した武器の筒先を雇用者側へと向けたのだ。

 痛ましい事件が幾つか発生し、慌てた日本外務省は企業に対して傭兵の雇用を禁止する事態へと発展する。

 とは言え、企業側からすれば国策にも乗って海外進出し、結果、出先で危険な事態に直面したのだ。

 その自衛を止めるのであれば代替案を寄越せと声を上げるのも当然であった。

 フランスと国内企業との板挟みになった日本は、逡巡の後に内閣府の外郭団体であり半官半民の軍事企業SMS社陸上部隊の投入を決断した。

 正確には新規部隊の創設と派遣である。

 これは、従来の自衛隊一時退職者からなる非公開特殊作戦部門(アンダーグラウンド・ユニット)とは別に、企業派遣を主任務とする傭兵部門を創設し、派遣するというものであった。

 通称はSMS社外人部隊(SMSエトランジェ)であった。*2

 とは言え、発足させる事を決定して直ぐに派遣出来る部隊や人材が魔法の様に登場する(POPしてくる)訳でもない為、当座は非公開特殊作戦部門と同様に、自衛隊から人員を派遣して凌ぐ事となる。*3

 

 

――フランス

 G4の連絡部会にてブリテンに詰られ日本から白眼視されたフランスは、せめてアメリカを味方にしようとする。

 が、アメリカはアメリカで対チャイナ戦争の真っただ中。

 フランスに対して、派遣して貰っているインドシナ連邦軍の撤兵は無いよね? と釘を刺してくる始末であった。

 四面楚歌の状況に()()たフランスは、もう知らんとばかりに全力でアフリカ独立運動鎮圧に乗り出す事となる。

 軍事国債を大々的に発行し、それを原資として日本との経済連携によって世界大戦(WWⅠ)の痛みを癒す事に成功していたフランス経済を戦時体制へと一気に動かしたのだ。

 新型の装輪型兵員輸送車やら25㎜対戦車砲や37㎜歩兵砲を積んだ偵察戦闘車の製造を皮切りに、75㎜や90㎜のカノン砲を搭載した13t級の偵察戦闘車(EBR装甲車)まで開発量産に取り掛かる始末であった。

 13t級と言う、一昔前であれば中戦車並みの重量を持ったEBR装甲車は、日本の16式機動戦闘車(Type-16 MAV)から着想を受けていた。

 偵察を行い、或いは歩兵部隊に随伴して火力支援を行う。

 戦車との違いは、EBR装甲車がトラックなどの装輪車両との連携を前提にしていると言う事だ。

 整備や補給、予備部品を可能な限りでトラックなどと共通化させているのだ。

 装甲面を見れば心もとないが、それ以外であれば極めて使い勝手の良い戦闘車両として生まれた。

 無論、戦車と対峙しなければと言う注釈が必要ではあったが。

 ある意味で戦艦と巡洋戦艦の様な関係性であったが、フランスは問題視しなかった。 

 EBR装甲車は16式機動戦闘車のコンセプトを濃厚に受け継いでいたからだ。

 即ち、EBR装甲車に要求される本質は戦車を代行する戦力では無く、戦車の自由な運用を支える為の補助戦力なのだ。

 言葉遊びのようでいて、それが本質であった。

 (戦車)無き(戦場)蝙蝠(EBR装甲車)

 戦車よりも安く作れ、戦車よりも安く動かせる、戦車が居ない場所で使う装備なのだ。

 正に、アフリカの様な場所に最適の装備であった。

 これを毎月1000両単位での生産をフランスは始めたのだ。

 野砲も戦車も戦闘機も一気に戦時体制での生産に取り掛かった。

 列強(G4の一角)としての力だ。

 アフリカを鎮めたら何があってもドイツを潰す、そう決意しての動きであった。*4

 装備を増産した事で不足した兵員は、アフリカやアジアで金で人を買うが如くかき集めていた。

 フランス人兵士の動員こそ、フランス本土での経済活動への悪影響と物資生産の混乱の恐れを鑑みて()()行ってはいないが、それもドイツとの戦争が近づけば行うと腹を決めていた。

 大陸軍(グランダルメ)大陸の覇者(ナポレオンとその将星)の末裔は全力で戦争を行おうとしていた。

 

 

――ドイツ

 ヒトラーは状況の変化を理解する為に大量のチョコレートとコーヒー、そして禁じていたアルコールの助けを必要とした。

 アフリカでフランスに一寸した嫌がらせをしたら大爆発(フランス大激怒)した ―― その流れはそれ程に理解に苦しむ因果であった。

 少なくともドイツにとっては。

 人間と言うものは往々にして自分の物差しで他人を測り、判断し、行動する。

 そこに希望的観測も乗るのだから、えてして現実とは乖離した憶測を事実や、冷静な判断と思い込んでしまう。

 その事を暴飲暴食の果てにヒトラーは理解した。

 理解したが受け入れるかと言えば否である。

 ドイツ連邦帝国の首魁(フューラー)として、ドイツの滅亡を断固として受け入れる訳にはいかなかった。

 ドイツ国防軍参謀本部に対し、()()()()()()()()()()()対フランス戦争計画の策定を厳命した。

 その上で、対外秘密工作を担当する親衛隊対外宣伝本部に対して、当座の軍事予算を確保する為の対外交策を命じた。

 オランダの掌握である。

 オランダ領東インドが生み出す富を我が物とし、フランスとの戦いに備える積りだった。

 又、オランダ領東インドの人間を、民族国家樹立の約束(空手形)を行って動員する事も考えていた。

 ゲルマン民族が迎える国家存亡の試練、フランス、或いはブリテンとの戦争には兵隊(消耗品)は幾らあっても過剰と言う事は無いのだから。

 既に親衛隊による下準備が成果を上げている事を理解していたヒトラーは3ヶ月以内でのオランダの併合を厳命した。

 ヒトラーはフランスがアフリカを鎮定するまでに最短でも1年と読み、これからの1年こそがドイツの存亡につながるのだと政府要人の前で演説を行うのだった。

 

 

 

 

 

 

*1

 1940年代に於いて、フランスの海外県と言う制度と、ブリテンのブリテン連邦と言う制度の差というものは、極端に大きなものは存在していなかった。

 フランスと言う大きな国家の構成員である事を要求するか、それとも独立した国家の集合体としてブリテン王室の下に在るかと言う程度であった。

 一般国民の権利などに於いて、フランスとブリテンに極端な差は無かった。

 資産や人権など、法の下での平等こそ成されてはいたが、参政権その他の政治的権利に関しては()()()と明示されては居ても、現時点で権利は凍結されていた。

 これは、民主主義国家の市民(有権者)としての教育を十分に受けていない人々に無条件で権利を譲渡する事が生む混乱を憂慮しての事だった。

 フランスにせよブリテンにせよ、宗主国に力があるからこそ出来た政策であった。

 にも拘わらず両国に差があるのは、偏に名誉の問題であった。

 改めて言う。

 ブリテン連邦に独立国家として自分の旗を持って加盟しているか、フランスの海外県として内側に居てフランスの旗を掲げざるを得ないのかの差。

 それが全てであった。

 海外県と言う制度、偉大なるフランスへ帰属させてやるという善意(傲慢さ)が生んだ状況であった。

 

 

*2

 外人部隊と言う呼称は、ある意味で正規軍(志願兵)と対比する形で使用されるものであったが、SMS社に於いて外人部隊と言う呼称を使用する理由は、日本連邦人以外にも広く門戸を開いた組織であるという事を意味する為に選ばれていた。

 その点に於いてSMS社は建前として民間企業ではあるが、同時に強い官の管理下にある事を示している。

 尚、日本の軍事組織に於いて外人部隊とも呼ばれている組織は、SMS外人部隊の他にもう1つ存在している。

 陸上自衛隊に在る、2個の海兵旅団だ。

 此方は、日本国籍者との結婚以外で手軽に日本国籍(≠日本連邦国籍)取得をする為の軍役部門である。

 軍事経験者の殆どは、この部隊へと志願していた。

 尚、最前線に派遣されがちな戦闘部隊であるが、日本人としての認識、権利、一般生活の学習を行う部署を抱えているのが特徴となっている。

 対してSMS社外人部隊(SMSエトランジェ)は、日本国籍取得への特別待遇は無いが、その分、高給と福祉社会保障、そして自衛隊に準じた新装備が与えられていた。

 又、休暇を日本国内で過ごす事も出来る為、日本連邦内は勿論、日本連邦外からも志願者が多い組織となる。

 

 

*3

 自衛隊からの人員派遣と言うが、4桁5桁の人間を簡単に派遣できる程に自衛隊も余裕のある組織ではない。

 守るべき領域の広さに比べて規模は小さめであるというのも理由であるが、それ以上に日本経済が好調となりつつある昨今、老若男女問わず働こうという人間は民間企業で争奪戦になりつつあり、そうであるが故に自衛隊を志願する人間は減少傾向にあった事も理由だった。

 衣食住に給与、後は名誉まで日本も()()()()()の好待遇を用意していたが、それでも寒冷地から熱帯まで泥にまみれて不眠不休で月月火水木金金とばかりに働く仕事をしたいと思う人間が多く出る筈も無く、仕方のない話であった。

 とは言え人が居ないからと物理的な理由があっても自衛隊は軍隊だ。

 軍である以上は政治からの命令(シビリアンコントロール)を拒否できる筈も無く、比較的人員に余力を持っていたシベリア総軍から人員を抽出する事とした。

 シベリア総軍はソ連と正面からにらみ合っている部隊であり、危険な政治的メッセージになりかねない行為であったが、陸上戦力の弱体化を補う様に日本は航空部隊 ―― 特に爆撃部隊の増強を行う事とした。

 その上で侵攻爆撃的なシナリオで大規模航空演習を臨時に行い、非常時には非情の対応が行われる(スケベ心を出したら絶対に焼く)とソ連に対して伝達していた。

 その意味をソ連は誤ることなく理解し、臨時の航空演習から数年の間、ウラル山脈以東に展開する陸上部隊の移動に関して公表するという対応に出る事となる。

 無論、面従腹背 ―― 頭を下げて腹を見せるのと同時進行で、高高度迎撃用高速戦闘機の開発促進を行っても居たが。

 

 

*4

 フランスが大量に刷った戦時国債を引き受けたのは日本とブリテンであった。

 日本からすればフランスから資源を輸入する上での対価(オマケ)みたいな金額であり、大きな問題にはならなかった。

 ブリテンは、アフリカのブリテン連邦加盟国周辺の安定を金で買うとの認識であった。

 どちらの国にせよ、大きな負担ではないと軽い調子で国債を購入した。

 普通の国家、G4以外の国家であれば10年分とは言わない国家予算に匹敵する金額であったが、それを成せるが故のG4であった。

 尚、余談ではあるがアメリカは対チャイナ戦争に戦時国債は発行していない。

 桁が違うのだ。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。