タイムスリップ令和ジャパン   作:◆QgkJwfXtqk

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125 日本の事前行動-02

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 フランスが完全に戦時体制へ移行した事から、日本は欧州での戦争は近いと判断。

 G4の連絡会で定められていた戦争協力の準備を開始する。

 フランスが主導する対ドイツ戦争計画への協力は、戦地が地球の反対側である事も相まって日本経済に対して相応の負担(ストレス)を掛けるモノであったが、国際連盟を中心とした秩序(パクス・ジャパンアングロ)が日本に利益を齎している以上、その維持に務めるのは当然の話である。*1

 少なくとも日本の世論も、この政府の動きを肯定的に捉えていた。

 北はシベリア、オホーツク。

 南はミクロネシア。

 広大な国土と国際社会との密接さを十分に理解し、そして戦争を乗り越えてきた日本の有権者たちは、平和主義、或いは外交への過度な期待を持たないというのが大きかった。

 殴られる時は、理由も無く殴られる。

 相手の都合と言う筋金入りに勝手な都合で殴られる。

 である以上は、二度と殴って来ようと思わない程に殴り飛ばす事は、或いは平和的状況を齎すのではないか? と思っていた。

 民主主義国家である日本の政府は、国民の負託と意思に従って動く。

 チャイナ制裁として渤海を焼き払ったのも、正にこの戦略方針(Tit for tat)に則っての事であった。*2

 だが同時に、その戦争と戦備に関する計画が野放図であってはならないと、日本の有権者は判断していた。

 特に、戦後には必要性が減る大型護衛艦の類の整備計画に関しては厳しい声が上がった。

 その結果、衆議院議員総選挙で政府の戦備計画に批判的な野党が躍進する事となり、かつて策定した戦争計画の改定が行われる事となる。

 

 

――露系日本人とソ連系日本人

 人種(DNA)的な意味に於いて全く同一と言ってよい露系日本人とソ連系日本人は、共に日本人と成ってはいるが、その性格とでも言うべきものは大分違ってきていた。

 環オホーツク海 ―― アリューシャン列島と樺太島北半分を領土とする露系日本人国家であるオホーツク共和国に住む露系日本人は、極めて()()民族になりつつあった。

 日本連邦と友邦国(アメリカ合衆国)に囲まれていると言う軍事的脅威の無さと、そして漁業を中心とした日本からの投資によって露国時代(タイムスリップ前)では考えられない水準で経済が回っている事がその理由だった。

 一応、オホーツク海から北太平洋までの洋上治安維持を担当する事が定められては居たが、主要な接続相手国はアメリカであり、そもそも交易路として使うにも危険のない海域が殆どなのだ。

 この為、オホーツク共和国海軍が保有する艦艇は哨戒艦(OPV)と、警備艦(DP)と言う名前で採用された巡視船(海上保安庁向け船舶)が主力であった。

 遭難救助と、不審船と言う名前の密漁船相手が主任務であり、その密漁船も日本連邦内の何処かの国家所属なので、武力衝突などは考えられない平和なものであった。

 脅威の乏しさと、人口的な限界からの選択であった。

 これは航空部隊に関しても言えていた。

 戦闘機は当然にして洋上哨戒機すらも保有しておらず、救難飛行艇と中型捜索航空機が主力となっていた。

 唯一、陸上部隊のみが10万人規模の戦力を揃えては居たが、日本連邦統合軍に派遣されて(出稼ぎして)いる部隊 ―― 露国陸軍の伝統を引継いだ高練度高充足の2個の機械化師団以外は予備自衛官が主体の留守部隊であった。

 蟹を売って酒を買う呑気な国家、などとシベリア共和国から揶揄される始末であった。

 逆に言えば、それ程に蟹が儲かっていたのだ。

 特に日本本土の経済状況が安定して以降は、オホーツク共和国の蟹はアリューシャン蟹なるブランドで高値で取引される様になっており、一攫千金を夢見た若者や借金まみれの人間が逆転を狙って流入する程であった。

 人が集まれば金が更に動く。

 一儲けした男たちの財布を狙って女たちが集まり、女が集まれば女を食い物にする男も集まる。

 歓楽街の出来上がりだ。

 金、酒、女とくれば次は賭博だ。

 カジノ特区があれよあれよと言う間に出来上がる。

 この時代、平成(タイムスリップ前)の日本が見ていたラスベガス(カジノの王様)は存在しない為、金を使いたい金持ちが集まる様になる。

 なった。

 それが、後には娯楽小説や映画などで欲望の島々(ノース・ロアナプラ)などと言うあだ名を付けられたオホーツク共和国の実相であった。

 無論、日本国内と言う事で警察もしっかりと活動しており、小説や映画などの舞台にされる様な治安の悪さは無い。

 そもそも多くの人々は純朴で、蟹を売って酒を買って飲むだけが楽しいし、そんな旦那の尻を叩くのを趣味にした奥様方が居て、日本から流れ込んでくるサブカルチャーの合間に勉強をする様な子供たちが多いのだ。 

 蟹と石油の利益によって、寒い北の諸島国家であっても飯、酒、娯楽の分野で日本本土並みの生活が送れている為、治安など悪化しようも無いのだ。

 或いは、露国時代の軍備が博物館に纏められている事も理由であったのかもしれない。

 荒野で実弾を撃てたり、戦車(T-90)にも乗れるオホーツク共和国ミリタリーツアーなどもあり、その中には如何わしい外見の(外見に頓着しなさ過ぎる)趣味者も含まれていた事も理由だったかもしれない。

 実態として、南のグアム共和国か北のオホーツク共和国などと言う風に呑気な国家になり果てていたのだが、イメージと言うものは恐ろしい。

 そのイメージによって、ソ連系日本人国家であるシベリア共和国は微妙にオホーツク共和国へ隔意を抱いていた。

 さもありなん。

 シベリア共和国はスターリンの粛清への恐怖から生まれた国家であり、常にソ連の圧力を正面から受け止めている国家なのだ。

 緊張感が違うのも当然であった。

 シベリアの広大な領域で生まれた資源を原材料に、現役兵による最低でも自動車化された9個の正規師団(ナンバー・デビジョン)を持ち、さらには予備役兵による郷土師団(ホーム・デビジョン)*3が23個用意されていた。

 その他、日本製31式戦車や38式戦車、或いは建国時にアメリカから買い込んだM2中戦車は優に1000両を超えており、正規師団分以外にも戦車旅団を3個保有していた。

 野砲の整備が遅れがちであったが、これは戦車以上に操作員に高度な教育を必要とするからであり、その点に関しては短期的には航空部隊による対地攻撃で充当させる腹積もりであった。

 シベリア共和国陸軍はユーラシア大陸東部域で有数の規模へと成長していた。

 そしてこの軍が、ヨーロッパ派遣部隊の人的な主力となる事が決まる。

 とは言え、アメリカの対チャイナ戦争への正規師団を派遣している状況である為、郷土師団から人員を抽出した装甲旅団が8個を編成し日本連邦統合軍管理下へと移動させる事となる。

 装甲旅団は、装甲化された歩兵連隊2個と戦車大隊1個を基幹とした機甲部隊となる。

 問題は、装甲車などの操作の出来る人員は多く居るシベリア共和国陸軍であったが、新たに8個の戦車大隊を編成するだけの余剰な戦車乗員は居なかった。

 この為、8個の戦車大隊に必要な人員は、余力のあるオホーツク共和国や陸上自衛隊(予備自衛官の招集)で賄われる事となる。

 これが、ある種の緊張感のあったシベリア共和国とオホーツク共和国の関係が劇的に改善される理由となった。*4

 最初はギクシャクとしていた両邦国人の関係であったが、大抵は日本人が(金蔵)となって飲み会を開くと、後は酷い事になって翌朝には仲間(二日酔いの同病相憐れむ)と言う塩梅だった。

 尚、日本人は二日酔いの頭痛と、飲み干された酒の請求書を見ての鈍痛が半々であったという。

 後には、米系日本人もこの装甲旅団に配属される事となり、同じような宴会(飲兵衛共の共謀)が繰り返される事となる。

 流石のお人よしな日本人も、何度も財布を爆散されてはたまらぬと抵抗したのだが、そこは日本人を良く知る米系日本人、腹を割って話す場(ブレイコー・エンカイ)が必要と強く訴えて各隊で開催させていった。

 部隊が新設されると上長の金で死ぬほどに飲む。

 上長の財布は死ぬ。

 そんな日本連邦統合軍の宴会の(ダメな)伝統が1つ、ここで生まれるのだった。

 

 

――日本

 日本の、海洋戦力を主体とした対ドイツ戦争戦備計画は、ある意味に於いてトラウマ(米国の記憶)が生み出したものであった。

 米国が行った対独国戦争、その圧倒的なまでの物量によって圧殺する戦争に憧れていたのだ。

 今の日本の国力であれば()()が再現できる。

 出来るのであればそれをやりたい。

 止める者はおらず邁進した、それは暴走であった。

 そこに指摘が入り、指摘が冷静な内容であり、そして指摘者達が選挙で支持されたが故に、日本政府は指摘を受け入れて再検討を開始する事になったのだ。

 基本的な方針(コンセプト)は1つ。

 ()()()()()()()()()()()()

 勝つという言葉は誰も使わなかった。

 国力の差からして勝って当たり前であり、負けるという発想が挟まる余地は無かったからだ。

 相手の土俵に乗る事無く、一方的に蹂躙する。

 そこに戦争(対等な戦い)をすると言う発想は微塵も無かった。

 参席していた高級将官が、余りの身も蓋も無い表現に顔を顰めたが、否定する言葉を吐く事は無かった。

 そもそも、直近のシベリア独立戦争でも、技術力の格差をもっての蹂躙(ワンサイドゲーム)をしているのだ。

 今更と言う話であった。

 騎士道だの人道だのの綺麗なおとぎ話は、戦争が終わった後で悲劇的に喜劇的に使えば良いだけなのだ。

 日本は武士道の国である。

 武士道とは勝てば官軍(如何にいわれど勝つことが本にて候)なのだから。

 先ずは100隻からの艦艇整備計画は中止された。

 予算付き、着工済みの艦はそのまま建造が続行されたが、それ以外に関しては全て、中止とされた。*5

 これは、対ドイツ戦に於いて潜水艦などによる洋上交易路を守ろうと言う守勢攻撃的(ディフェンシブ)な作戦をするよりも、先ず潜水艦を運用できない様にする攻勢攻撃的(オフェンシブ)な作戦こそが戦争を早期に鎮められると言う判断である。

 開戦劈頭からのドイツ本国への攻撃である。

 航空その他の軍事施設のみならず、港湾施設や駅、橋などを片っ端から破壊するのだ。

 潜水艦が如何に脅威であったとしても、運用するのに必要な港が消滅してしまえば如何ともしがたいだろう。

 開戦前に潜水艦が出撃していたとしても、所詮は狭い北海である。

 哨戒機部隊と潜水艦(SS及びSSn)部隊を展開させておけば対処できると判断されていた。

 そもそもブリテンの要望を受け、2国共同管理と言う形式で水中固定聴音機がブリテン島周辺に配備されているのだ。

 まだ未完成ではあるものの、それでも北海からイギリス海峡までは網羅しているのだ。

 ドイツ潜水艦部隊が簡単に逃れられる筈は無い。

 そして本命であるドイツ本土への攻撃は、多種多様な爆弾を高々度から降らせる事の出来る爆撃機部隊が有力な手段であるのだが、爆撃隊は重要な対ソ連抑止力である為、その主力部隊をシベリアから動かす訳には行かないのだ。

 故に、その代替手段として地対地超音速滑空弾(GGSGM)部隊を主軸としたミサイル打撃部隊 ―― 第8ミサイル師団を新設し、ブリテン島に展開させるものとされた。

 これに合わせて偵察衛星による情報収集と分析に本腰を入れる事ともされた。

 日本は、楽に勝つための努力を惜しむつもりは無かった。

 

 

 

 

 

 

*1

 尚、日本に住む自らを()()()などと規定している一部の評論家からは、この際にブリテンとフランスとの関係を切って、ドイツに与し新世界の秩序体制を構築し、日本の利益拡大を狙うべきだとの声が上がった。

 利益の共有ではなく独占。

 だが日本政府がそれらの声を一顧だにする事は無かった。

 世界の利益を独占するという事は、世界の責任も一手に背負うと言う事なのだから。

 そして、世界を敵にする事でもある。

 かつての米国を見ていれば良くわかる。

 世界に憎まれながら各地に軍を派遣し、或いは国内でテロを起こされる。

 多少の名誉や利益で、そんな面倒くさい事を背負う羽目になるのは嫌だと思うのは当然であった。

 この点に関して日本連邦では唯一、グアム共和国軍(在日米軍)だけが日本政府の本音に同意していた。

 国力の強大な国家として世界に責任を持つのは仕方がない。

 だが、せめて他の強国(アメリカ・ブリテン・フランス)とも分かち合いたい。

 と言うか背負わせたいというのが、ある種、国際連盟体制維持に注力する日本の本音であった。

 尚、日本はこの本音を隠すことなく行動し、G4連絡部会でも主張している為、ある意味でG4の残る3ヵ国は日本を安心して見ている事が出来る ―― 出来た事が、G4(ジャパンアングロ)体制が安定した理由でもあった。

 

 

*2

 尚、TFT(しっぺ返し)戦略に基づいてであれば、ドイツにせよソ連にせよチャイナにせよ、1度はチャンスを与えるべきではないのかと言う意見もあった。

 だが、3国とも自らそのチャンスを棒に振ったと言うのが日本政府の見解だった。

 

 

*3

 郷土師団とは日本連邦統合軍(陸上自衛隊基準)で定められた編成の部隊では無く、シベリア共和国軍が独自に整備している部隊であり、二線級部隊として国境警備その他の任務に投入される部隊である。

 各師団は2個の旅団司令部を持ち、6つの自動車化狙撃兵連隊が所属している。

 各連隊は500~600名ほどで構成されている。

 他には各種支援部隊がある。

 戦車や野砲などを装備する部隊は含まれておらず、総数は平均して5,000名にも満たない。

 この時代の一般的な部隊と比較すれば、せいぜいが歩兵旅団程度の規模であるが、これはソ連/露国と陸上自衛隊に因るものであると言えた。

 但し、全部隊が完全自動車化されており、又、配属された兵はもれなく自動車運転資格の習得を国の費用で行っている為、兵士の配属先としては人気が高い。

 この他、日本の方針(支援)によって国語や数学などの教育も行っている為、ある種の教育機関としての役割も果たしていた。

 日本が支援するのは、師団教育が日本人化教育を狙っていたからであった。

 任務の合間に、学習の合間に、日本の甘味や娯楽で日本漬けにしようという狙いだ。

 その結果、各連隊の部隊章が()()()()()()()()になったのはご愛敬。

 日本連邦統合軍上層部は、政府の方針に沿って自分たちから染めようとした手前、その行動を阻止する事は出来なかった。

 その結果、連邦統合軍合同訓練などを介して他の部隊にも()()していく事となる。

 

 

*4

 総人口が2億を超える超大国と言ってよい日本連邦であったが、世界の裏側(ヨーロッパ)へと動かせる戦力は、遣欧総軍も含めて10万に届かないというのが実情であった。

 日本は、国家総力戦体制に移行せぬままに対ドイツ戦争を終わらせる積りであった。

 洋上戦力による戦争支援を中心に考えていたのも、ある意味で、若い労働力を戦争に注ぎ込まずに済ませる為の方便でもあった。

 徴兵制は有していない日本と日本連邦加盟国であったが、予備自衛官制度等はあり、有事における()()自体は選択肢として存在している。

 だが、短期的に正面戦力を嵩上げする対価が余りにも大きく、そしてその対価を必要とするほど対ドイツ戦争は日本にとって死活問題となる戦争では無かった。

 

 

*5

 この決定の結果、1939年次対ドイツ戦備計画で予定されていた106隻の大規模建艦計画で生き残ったものは約2割、21隻に留まる事となった。

 

 計画名:30,000t級航空護衛艦4隻

  ⇒39,000t ひりゅう型多機能航空支援護衛艦  1隻

   ひりゅう

 計画名:15,000t級対潜指揮艦12隻

  ⇒20,500t やましろ型ヘリコプター搭載護衛艦 3隻

   やましろ ふそう かい

 計画名:10,000t級対地支援護衛艦6隻

  ⇒あそ型対地護衛艦2隻

   あそ いこま

 計画名:5,000t級汎用護衛艦36隻

  ⇒5,500t  あやなみ型多機能護衛艦 6隻

   あやなみ しきなみ あさぎり ゆうぎり あまぎり さぎり

 計画名:3,000t級対潜哨戒艦48隻

  ⇒3,300t級 ちくご型対潜護衛艦 9隻

   ちくご あやせ みくま とかち いわせ ちとせ

   によど てしお よしの

 

 その余りの大鉈ぶりに軍事識者(ミリタリーマニア)の一部からは、海上自衛隊始まって以来の大敗北などと言われる始末であった。

 とは言え、海上自衛隊側では全てを悪しく認識していた訳では無かった。

 大規模な建艦計画を実現する上で必要な乗組員の手配に四苦八苦していた為である。

 枠自体は埋まっていた。

 日本連邦全体に声を掛け、高額な報酬も用意したのだから埋まらぬ筈は無かった。

 問題は、その大半がソ連系日本人であり、その多くが船に乗った事はおろか海を見た事も無いという事であった。

 船乗り(シーマン)を育てる前に、海を怖がらない教育が必要となっていた。

 これでは人員教育が当初の予定(想定)通りに行く筈も無い。

 海上自衛隊の教育隊関係者は、建艦計画が凍結(事実上の破棄)されたの一報に歓声を上げた程であった。

 

 




 新年あけましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願いします。
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