タイムスリップ令和ジャパン   作:◆QgkJwfXtqk

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127 世界大戦の胎動-02

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 総統の厳命が下った事で、オランダに潜伏して情報工作活動に従事していた武装親衛隊(Waffen-SS)の特別工作行動隊は、()()積極的な行動を開始した。

 既にオランダ国内では、ドイツの宣伝工作によってオランダの植民地(オランダ領東インド)でその支配者であるオランダ人を()()()()()日本への反発が強まっていた。

 オランダ本国の一般大衆が貧しいのは、日本と結託したオランダ政府が搾取しているから。

 卑劣な日本の手から、オランダを取り戻すべき。

 そして欧州の同胞(ドイツ連邦帝国)と手を携え、日本を筆頭とした悪辣な覇権国家群(ジャパンアングロ)から白人(コーカソイド)の誇りを取り戻すべきなのだ。

 なんとも拗らせた感情*1に、一部のオランダ人は囚われる事となっていた。

 ドイツ側も、第1次世界大戦を大人として過ごしていた様な高位の指揮官たちは理性的 ―― オランダ併合後には日本との協調も視野に入っているので過度な反日思想の伝染は問題であると認識していたが、現場に居る若い隊員はナチス党の宣伝(プロパガンダ)を真に受けて選ばれし民(アーリア人)としての特権意識を拗らせた者が多く、日本を敵視し、オランダ人の感情に寄り添っていた。

 この状況をオランダ政府は座視しなかった。

 民主主義国家であるが故に、有権者の声を無視する事は出来ないが、同時に、まだ日本への反発の声は有権者の過半数には届いていないのだ。

 であればこそ、国益の視点から日本との適切な距離感を重視し、反日世論を潰す事にオランダ政府が躊躇する筈も無かった。

 国内の新聞など(マスメディア)には反日を煽る様な記事を出す事を禁じると共に、街頭での過度な反日宣伝を警察を使った取り締まりを開始した。

 

 

――ドイツ

 日本との接触を図るが欧州(ドイツ近隣)の国際連盟加盟国は、どの国も協力的とは言い難かった。

 日本も含めてG4はドイツに対して敵対的である為、仲介の労を取った所で感謝されるどころか敵と認識されかねない(お前はドイツ側かい、メーン?)為、二の足を踏むのも仕方のない話であった。

 ドイツ外交官たちはドイツを見る目の厳しさを肌で感じつつ、否、であるが故に祖国の為に必死になって行動した。

 ドイツ本国の外務省に掛け合って()()()()()()()()()()も用意してはいたのが、東欧 ―― バルカン半島などでのやり口を見ていた諸国は、そもそもとしてドイツを信用しておらず、距離を取りたがっていた。

 交渉になるならない以前に、その入り口に立てないのが現状だった。

 通常の国家間であれば大使館を互いの国に置くなどするものであり、そうであれば書簡の1つ、或いは電話で簡単に接触できるものであったが、日本相手ではそうならない。

 日本はタイムスリップ直後 ―― 国際連盟に()()()から外交の窓口を国際連盟とジュネーブの日本大使館に絞っていたのだ。*2

 これは情報漏洩の対策であり、タイムスリップの混乱を抑える為の()()()()()として行われたものであった。

 だが日本側の利益(情報統制の容易さ)と同時に、世界側から見ても日本の行動を把握(管理)し易いと評価され、()()()()()として継続されていた。

 又、G4筆頭の窓口が国際連盟にあると言う事が国際連盟の権威に箔をつけている為、国際連盟が非公式に、この状態の継続を望んだというのも大きかった。

 そして()()()()()()()()、ドイツは日本との接触が難しかったのだ。

 国際連盟を脱退したドイツは窓口を1つ、失っていた。

 更には、この時期の日本外交関係者は原子力関連での国際協定*3調印に向けて大変に忙しかったというのも、ドイツにとって不幸な現実であった。

 国際連盟主導による原子力管理体制の構築は、日本が1930年代中頃から国際連盟総会で声を上げてきた案件だった。

 安定した電力(エネルギー)が世界の平和と安定に資するという思いと、原子力の軍事利用(使えない兵器の整備)と言う悪夢から逃れたいと言う思いを両輪に行っている政策であった。

 ある意味で日本の外務省と()()()にとって悲願と言える政策であった。

 それが、日本のエチオピア支援 ―― 高出力で先進的で安全な核融合炉をお披露目した事を切っ掛けに一気に進みだしたのだ。

 連日連夜と国際連盟総会や原子力管理体制準備会が開かれ、原発設置を誘致したいポーランドやフィンランド、南米諸国と議論を行っていたのだ。

 並行してG4連絡部会でも色々と話し合いを行っていた。

 この様な状況では日本にドイツへと向ける外交力がある筈も無かった。

 ドイツからの連絡に対して日本は、日本ドイツ会談は前向きに検討しますと返信(政治的表現による明白な謝絶)していた。

 外交的欠礼(塩対応)どころではない日本の態度に、若いドイツ外交官たちは激高した。

 折角、世界に冠たるドイツ人が突然変異的な劣等種たる日本人に利益を供与し、協力させてやろうと言うのになんという態度か! と。

 若い外交官たち、否、外交官のみならずドイツの若者たちの多くは、ナチス党のプロパガンダに染まり過ぎて世界(G4)を正しく見る事が出来なくなっていたのだ。

 この為、非礼な日本に()()()()()()()()と、ヒトラーの指示を逸脱し、日本と距離を取る動きを行った。

 オランダ、オランダ領東インドでドイツが主導権を握っている(メインプレイヤー)であると信じるが故であった。

 尚、若い外交官たちを管理すべきベテラン外交官は交渉の失敗、交渉の扉を開けずにいる事の責任を問われる事を恐れ、この事態をドイツ本国へと報告しなかった。

 日本と交渉中。

 ただそれだけをドイツ外務省に電信していた。

 

 

――オランダ

 オランダの現政権打倒を叫ぶデモの激化と、親ドイツ派ベルギー人(ベルギー・ナチス党)が活発な行動を行う事で政情の不安定化が激化する国内情勢に対し、オランダ政府は決して無為無策では無かった。

 それどころか素早く国家緊急事態を宣言し警察と軍とを鎮圧の為に投入する用意を進める程であった。

 富裕層、経済界の上層部もそれを是認していた。

 当然であった。

 デモなどで声高に主張されているオランダ(白人)優先主義*4は、オランダ繁栄の基となるオランダ領東インド経営(日本との商売)を破壊する主張であったのだ。

 資源とは、存在するだけで金になるのではない。

 買う奴が居て始めて金銭的価値が生まれるのだから。

 或いは、売り手として独占していれば話は違っただろうが、日本は石油資源の入手に関しては中東を開発し、ゴム資源ではタイと資源開発の話を進めていた。

 既にオランダ領東インドに頼り切る体制を終えていたのだ。

 にも拘わらず馬鹿げた要求を押し付けられれば日本が反発する(買わぬと言い出す)のは必定であり、となればこの繁栄は一夜にして終わる ―― その様な現実的感覚をオランダの上層部は保持していたのだ。

 だがそこにドイツが待ったを掛けた。

 親ドイツ的なオランダの国民感情はドイツ系オランダ人の心情の素直な吐露であり、そこへの配慮が必要であるという()()であった。

 正しく内政干渉であった。

 オランダ政府内で激高する人間が出た程に、なんとも酷いドイツからの接触であったが、とは言えオランダとドイツ程の国力差があっては簡単に門前払いが出来る筈も無かった。

 この為、オランダ政府は外交の席でドイツの要求を拝聴しつつ、言質を与える様な返事をしない様に細心の注意を払い、時間稼ぎに出た。

 稼いだ時間で、先ずドイツ国内の親オランダ政治家に接触を図った。

 その場でオランダは、オランダが反ドイツ的に動くつもりはなく、中立 ―― 反ドイツの急先鋒であるフランスとの間でバランスを取り続ける積りである事を説明し、ヒトラーへのとりなしを頼んだ。

 だが、親オランダのドイツ政治家はその要求を鼻で笑った。

 ドイツが断固としてオランダを併合する積りである事を知っていた親オランダ政治家は、ドイツ政府の秘密の一端をつまびらかにする様に告げた。

 最早、中立などと言う曖昧な立場の許される時代ではない、と。

 オランダ政府は、その言葉に含まれているモノ(意図)を理解した。

 恐怖した。

 ドイツはオランダに従属か死かを望んでいるのだと把握した。

 慌てたオランダはドイツに対抗できる同盟国を探す事となる。

 最有力なのはフランスであったが、オランダ政府はその選択肢を除外した。

 (ドイツ)から逃れようとして(フランス)に頼って喰われる ―― フランスの対ドイツ戦争で利用されては堪らないと言う判断であった。

 オランダが望むのはドイツとの拮抗であって、対立では無いのだ。

 であれば、とワルシャワ反共協定の盟主としてソ連やドイツと対峙するポーランドに話を持ち掛ける事となる。

 ワルシャワ反共協定と言うソ連との対決色の強い同盟体制を持つポーランドは、同時にドイツとも衝突を恐れていない為に誤解されがちであるが、その態度の背景にあるものは少しばかり違うのだ。

 ソ連と対峙するのは北欧諸国との連帯と、そして日本の支援あればこそである。

 そしてドイツとの対峙には、ブリテンの支援とフランスとの連携が前提であった。

 オランダは知らなかったのだ。

 ポーランドは、フランスと同様に事あればドイツを殴る、殴り殺す予定である事を。

 中欧の狂犬の名は伊達では無かった。

 オランダが、ドイツの干渉をはね退けたいと言う希望に対し、ポーランドはオランダが対ドイツ包囲網に参加する事で、ドイツ包囲網が更に強化されると認識した。

 この為、ポーランドはオランダに対して武器売却などの軍事支援であれば即座に行う用意があると即答していた。

 ブリテンとフランスによる支援によって、ポーランドの重工業は長足の進化を遂げており、G4が保有する最新鋭のもの程ではないにせよ戦車や戦闘機を量産する力を手に入れていた。

 戦車兵の教育部隊まで派遣できるとポーランドは善意で告げていた。

 軍事力を揃える事が、ドイツの干渉を拒否する最善手であるとポーランド外交官は胸を張って告げていた。

 オランダは頭を抱えた。

 狼から逃げようとして虎は避けたのに、頼った相手は戦意アグレッシブな(ポーランド)だったのだから。

 とは言え、交渉を持ち掛けたのはオランダからであった為、ポーランドからの善意を簡単に拒否出来る筈も無かった。

 こんな筈ではと思いつつ、とりあえずドイツへのけん制として、ポーランドとの間に安全保障条約の締結と共に戦車100台の購入を中心とした軍事協定が締結される事となった。

 ポーランド製の33t級の中戦車(32TP)はポーランド陸軍が使用していた中古であった。

 32TPより装甲とエンジンを強化した35TPの開発配備に伴って余剰となっていた車両を格安で提供するとされていた。

 旧式化してはいたが、その装甲と火力はドイツ陸軍の数的主力であるⅢ号戦車系列とは対等以上に戦う力を持っていた。

 とは言え100台では、ドイツに抵抗は出来ても、ドイツにとっては脅威にはならぬだろう。

 オランダの現実的な判断、バランス感覚であった。

 だが、オランダの感覚がドイツにそのまま適用される訳では無いのだ。

 オランダ-ポーランド間で軍事条約を締結する行為がどれほどの衝撃をドイツに与えるか理解せぬまま、オランダはポーランドと複数の条約に調印していた。

 

 

――ドイツ

 ヒトラーは激怒した。

 生ぬるい同化工作をやっていたから、オランダがポーランドと手を組もうとしていると認識し、武装親衛隊(Waffen-SS)の特別工作行動隊隊長を直々に呼び出して叱責した。

 その上で、オランダへの工作の強化、早期の掌握。

 その為には()()()()()()()()()()と明言した。

 G4に関して言えば日本とは既に交渉中でアメリカはチャイナとの戦争で忙しい為、フランスが感情的反発(ヒステリー)を起こしても、G4が一致団結して過度な対応をしてこないだろうと言う()()があった。

 好機を逃してはならない! そうヒトラーは激を飛ばすのであった。

 

 

 

 

 

 

*1

 そもそもG4(ジャパン・アングロ)は、その名の通りにアメリカとブリテン、そしてフランスが属している。

 にも拘らず白人の復権を主張できるのは、ドイツ人による宣伝工作の結果とは言え、本当にオランダ人の拗らせ具合は中々のモノであった。

 無論、全てのオランダ人が拗らせている訳では無い。

 政府や富豪等、日本と交渉できる国家の中枢に近い層は勿論の事、インドネシアで実際に日本の国力の一端に触れた者や、就職できた人間の殆どは反日など論外だと言う判断をしていた。

 只、感情の話になれば、冷静な者が激高した者を抑える事は難しい。

 そういう話であった。

 

 

*2

 尚、まことに当然ながらも日本連邦諸国と、アメリカ、ブリテン、フランスだけは別枠として扱われており、東京に大使館を開設し日本政府との直接回線を維持していた。

 当然、各大使館と本国とは回線が繋がっている。

 陰謀論に耽った人々は、これを支配の糸(トウキョウ・コード)と呼んだ。

 尚、余談ではあるが国際連盟の窓口事務所も東京に開設されている。

 G4以外の人間にとって、この窓口に務める事が日本に大手を振って在留する機会である為、国際連盟で働くスタッフにとってはかなり人気の職場であった。

 仕事が勉強の機会である事は勿論、余暇でグルメや観光を味わうも良し。

 ()()()()()()()()()が、祖国では高値で飛ぶように売れるのだ。

 国際連盟職員は誰もが1度は日本に赴任したいと思っていた。

 

 

*3

 原子力、核反応技術の平和利用に向けた国際協力体制の構築である。

 軍事利用を阻止する狙いもあり、技術の共同開発と共にウランやプルトニウムなどの資源管理の厳格化 ―― 濃縮は国際的監視管理下で行う事が計画されていた。

 自由な原子力の研究は出来なくなるが、その対価として日本は、安全性の高い第4世代型原子炉の提供(リース)を約束していた。

 運用と管理(警備)に日本人が関わる事になるが、その代わりに低価格で安定した電力が得られるのだ。

 利益は大きかった。

 尚、極一部の国は日本がエチオピアに提供した核融合炉技術の公開と提供とを主張したが、そちらは日本が突っぱねていた。

 技術的優位性は日本の生命線であるが、それ以上に、核融合炉は今回の協定の主題である核反応とは異なると言うのも理由であった。

 余談ではあるが、ソ連がコンゴを管理下に入れる事としたのも、この日本が主軸となった原子力管理体制下での利益を見込んでの部分があった。

 コンゴに埋蔵されているウラン資源を掌握し、これを積極的に国際市場へと輸出する事で国際連盟内の原子力共同開発と共同管理の体制下で一定の地位を得ようというのだ。

 それは安全保障の視点だった。

 国際連盟(G4)の統治体制へ寄与する事で、ソ連の存在意義を高め、日本との緊張緩和を図ろうという努力であった。

 ある意味でソ連は、ドイツよりも露骨に日本/G4へとすり寄ろうとしていた。

 

 

*4

 デモ隊の主張は単純であり、優良種たるオランダ人のモノで金儲けをする多少発展した程度の黄色人種(日本人)は身の程を弁えて()()()()()支払う(上納)すべし、であった。

 資源の売却価格を引き上げ、オランダ人を大量に高給で雇えと言う要求。

 どこら辺の人間が主張しているのか、良く分かる話であった。

 

 


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