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アメリカとチャイナの戦争、その北京市を巡る戦いは意外な程に長引いていた。
北京市の市外に展開していた部隊は早々に掃討されはしたが、北京市自体は包囲が始まって3ヶ月が経過しても、まだ陥落していなかったのだ。
補給線は断たれ、航空優勢は奪われ、飢えと恐怖に苛まれても尚、北京市はチャイナの旗を掲げていた。
だがそれは、チャイナ軍の努力に寄るものでは無かった。
アメリカが北京市を包囲こそすれども本格的な陸戦 ―― 攻略戦を仕掛けていないからだった。
少なくとも、今はまだ。
――チャイナ/北京市
アメリカ軍の厳重な包囲下に入り、武器弾薬は勿論ながらも食料や水の補給すら断たれた北京市は日々、戦意が下がっていっていた。
戦っていれば少しは気も紛れたかもしれないが、砲撃こそ深夜に行われてはいるが歩兵や戦車部隊が攻め寄せて来ることは無かった。
食事でも十分に食べられていれば気も休まったかもしれないが、燃料の不足から満足な温食を用意する事が出来ず、そもそも食材も満足に無いのだ。
不貞寝でもしようかと思えば、昼も夜も爆撃や砲撃が繰り返されて熟睡など夢のまた夢と言う有様。
この有様で戦意が維持できる方がどうかしていた。
更には守るべき北京市市民からの目の冷たさもあった。
軍であるが故にと、最優先で水食糧燃料が配給されているのだ。
何も出来ていないにも拘わらずである。
配給の車、或いは軍は常に白い目に晒され続けた。
チャイナ軍の士気は落ちるのも当然であった。
通常、籠城戦の場合には外部からの救援を期待するものであるが、それは物理的に無理な話であった。
既に東ユーラシア総軍第1軍は北京市より遥か南である黄河流域を超えて泰山要塞にまで到達しており、北京市は敵中に孤立した様なものなのだから。
アメリカ側の攻勢はチャイナから、北京市を解囲解放させるだけの戦力的な余裕を奪っているのだ。
チャイナ軍参謀本部からの定時通信でも、常に勇戦を期待する言葉はあっても、援軍に関するものは1つとして無かった。
この状況に自棄を起こした一部の指揮官は、
どれ程に検討しても、無理な話であった。
自棄を起こし、暴発した一部の部隊が外に出たが、都度都度、土くれに還るだけであった。
絶望しかない日々。
それこそがアメリカの狙いであった。
そして、北京市にたてこもる人々が
――ドイツ
黄河河口部から上陸したアメリカ海兵隊の動きは、ドイツにとって予想外であり、同時に、想定していた
即ち、1個師団の
無論、その目的はチャイナと
ドイツは、チャイナとアメリカの戦争に対して公式に局外中立を宣言している。
武器弾薬の売却に関してはチャイナと
無論、アメリカがドイツの主張を受容した訳では無いが、外交リソースの配分的な問題から積極的に対応する事は無かった。
事実上の多国籍軍と化したアメリカのユーラシア部隊を統制する事や、周辺諸国との折衝、何よりチャイナの分割に向けた調整にアメリカの外交官たちは走り回っていたのだ。
それなりに有力ではあっても深刻な脅威では無いドイツ製の軍備などを問題視する暇は無かったのだ。
アメリカの軍側としても、一日で100の武器をドイツが売り渡しても、一日で10000の武器をアメリカが叩き壊せば問題は無いと言うのが現実であった。
実際、戦争は1942年後半以降はアメリカの圧倒的な優勢で推移しており、アメリカの慢心を諫める声は上がらなかった。
とは言えそれはアメリカ側の都合、視点であり、それを知らぬドイツとしては、アメリカによる山東半島への
アメリカとの和解の必要性がドイツに発生した。
問題は、どうやってそれを成すのか? であった。
周辺国でドイツ寄りでアメリカと関係を持った国家、そんなものは無い。
そもそもドイツ寄りの
東欧の国家群でドイツ寄りの国家群は
ソ連だけが
ソ連としては、
又、ソ連上層部が、積極的にではなくともドイツとは距離を取る事を考えていた事も大きかった。*1
結局、ドイツは日本に頼る事を考えるに至った。
既に日本とはジュネーブで
であれば容易いであろうと言う判断であった。
自らの舞台とばかりに二つ返事で受け入れたドイツ外務省は日本との交渉、その事実を知って頭を抱えた。
現場の自己保身と上層部の事なかれ主義、そして拗らせた
それ以外に言い様がなかった。
とは言え、今更に事実を公表し出来ていませんとは言えない。
ヒトラーの激怒も恐ろしいが、ナチス政権内での権力争いも熾烈なのだ。
下手な事になれば、ナチス党親衛隊に外交を仕切られる可能性どころか、ドイツ外務省解体すらあり得た。
故にドイツ外務省は省一体となって、それまで以上に必死になって日本との交渉の窓口を探す事になる。
――チャイナ
チャイナ軍の関心は、アメリカの大規模攻勢を受けている泰山要塞に集中していた。
泰山要塞とはチャイナで融通可能なありったけの資材、野砲やその他をかき集めて作られた広域要塞群の総称であった。
チャイナ政府はこれを、外夷からチャイナを守る大要塞であると宣伝していた。
とは言え称えられる泰山要塞であるが、永久築城と呼べる程の構造にはなっておらず、古くからの寺院や建物を流用し、複数の塹壕や退避壕などで構成された野戦築城の範疇であったが。
だが、山岳と言う地形に支えられた堅牢さは、烏合の衆とそう大差の無いチャイナ軍に対し、近代的なアメリカ軍の攻撃に耐える力を与えていた。
黄河が突破されてはや2週間、それでも尚、組織的な戦闘を継続できている事からチャイナ参謀団は、そう認識していた。
であれば、この場が決戦の場であると判断し投入できる
アメリカ軍の左側面から後方へと機動し、その補給線を断つのだ。
合わせて、投入可能な7個歩兵師団、10万名余りの部隊をアメリカ軍の右側面から突入させる事とした。
左右から挟撃させる事で、アメリカ側の対応力の飽和を狙うのだった。
又、これとは別に、南モンゴルから生還した将兵を基幹として新たに編成した遊撃部隊、第1
アメリカ軍の後方を不安定化させようと言う狙いであった。
黄河上流域で渡河し、アメリカ軍の補給線を潰すのだ。
なんとも気宇壮大な反撃計画は、手早く月輪作戦と名付けられた。
だが、戦争を回天出来ると信じた月輪計画は、その起案を蒋介石が決済するよりも前に頓挫する事となる。
アメリカの一手、北京市の独立宣言が全てを吹き飛ばしたのだ。
――チャイナ人民共和国
アメリカが北京市に圧迫を加えつつも攻略を行わなかった理由は、正にこの為であった。
チャイナ北部の切り取り、モンゴルやフロンティア共和国とチャイナとの緩衝地帯、独立国家を建国させたのだ。
絶え間ない圧力によって疲弊し、救援を行わない南京を首都としたチャイナ ―― チャイナ民国への不信を醸成させ、そして苦境からの
そう宣伝された。
北京市に籠っていたチャイナ軍部隊も、この周恩来の徳に打たれて忠誠を誓う事となる。
無論、宣伝である。
実態は極めて生々しく血塗れであった。
チャイナ民国への忠誠を誓っていた中堅以上の将校は悉く暗殺され、生き残った将校は死ぬよりはマシとの思いから、チャイナ人民共和国への帰順を誓った。
鞭だけでは無く飴も約束された。
アメリカに歯向かいさえしなければ、そしてチャイナ民国と対峙するのであれば最新の武器が供与されるとされ、又、昇進も組織が刷新されるので容易であるとされた。
兵たちに関しては簡単だった。
死ねと命じてきたチャイナ民国に一泡吹かせる事が出来る。生き残れると言った途端にチャイナ民国旗を地面に叩きつけチャイナ人民共和国に忠誠を叫んでいた。
北京市民や周辺の住人、チャイナ人民共和国の領土とされた地方に住む人々は、取り合えずアメリカとの戦争が終わったと認識し、新しい主として周恩来を受け入れたのだった。
――チャイナ民国
まるで質の悪い
その事をチャイナ民国政府が認識したのは、北京市に籠った部隊との連絡が途絶したとチャイナ民国軍が報告するよりも先に、チャイナ人民共和国からの外交使者が自由上海市で接触してきた事によってだった。
チャイナ民国政府は混乱した。
その上で妄言であると切り捨てた。
だが、月輪作戦は停止させた。
アメリカ側の攻撃が止まった事と、北京市との連絡が不自然に途絶えた事によって、尋常ならざる事態が起きていると認識したからだった。
小規模な偵察部隊を派遣し、或いは友好国からの情報収集に努めた。
その結果、チャイナ人民共和国建国が事実であると認識したのは、ソ連から、チャイナ人民共和国が独立国として国際連盟への加盟を申請したと聞かされてだった。
又、偵察部隊も幾つかは生還し、北京市には見慣れぬ旗が
更なる凶報がチャイナ民国を襲った。
泰山要塞がアメリカ軍によって完全に包囲されたとの報告である。
いつの間にかアメリカ軍は倍以上の兵力に増強されていたのだと言う。
合わせて、武器弾薬の倉庫としていた寺院などが片っ端から爆撃によって粉砕されたとも報告された。
蒋介石は激怒した。
チャイナの怨敵アメリカに鉄槌を与えねばならぬと決心した。
周恩来と名乗る、この恥ずべき漢人の裏切り者に必ずや天誅を与えんと決心した。
そして、とりあえず老酒をがぶ飲みした。
出来た事はそれだけであった。
――国際連盟
チャイナ人民共和国の加盟申請は受理された。
同時に、チャイナ人民共和国代表は国際連盟にチャイナ民国との戦争終結に向けた協力を要請した。
政治的主張の相違から戦争をするが、元はチャイナ人同士なのだ。
同胞の間で血が流されるのは悲しいので、国際連盟に於いては人道的に協力して欲しいと訴えたのだ。
この声に、国際連盟は応える事とした。
国際連盟の名に於いて、チャイナでの戦争の仲裁に乗り出す事を国際連盟総会で決議した。
日本、ブリテン、フランス。
そしてアメリカも賛同していた。
ソ連政府は、様々な情報からフランスを主軸にしたG4による対ドイツ戦争がそう遠くない将来に発生すると判断していた。
これはソ連のスパイ網による成果、と言う訳では無いし、別段にソ連の情報分析力が高度であった訳でも無い。
一般的な国家は、概ね、その様に現状を判断していた。
ドイツですらフランスとの戦争は確定事項であると認識していた。
そう思っていなかったのは、オランダなどのごく一部の国家であった。
否、ドイツとフランスの間にあるが故に、戦争が起きれば真っ先に蹂躙される為、そうでないと
この為、オランダの富裕層や政府関係者では資産や家族を国外に移す動きが水面下では行われていた。
この
これは別にソ連人故の被害妄想と言う訳では無い。
現に、シベリアは日本に切り取られているのだから。
いつかはシベリアを
スターリンですらも例外では無かった。
ソ連と日本との国力差を冷静に認識するだけの計算力は失っていないのだから。
只、政治的に誰もそれを口に出さないだけで。