タイムスリップ令和ジャパン   作:◆QgkJwfXtqk

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129 チャイナ動乱-30

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 国際連盟から()()()()()()()()()()と言う善意と言う名の真綿で首を絞められ、北京市と黄河以北を失い、泰山の地まで包囲されたチャイナ民国に選択の余地は無かった。

 この為、チャイナ民国政府は先ず非公式な形でチャイナ人民共和国の承認を行い、その対価として泰山要塞へのアメリカ軍の攻撃停止を要請した。

 別段に、陰謀などがあっての事では無かった。

 政府内での意識の統一を図りたいと言うのが理由であった。

 今まで、妥協なき外夷(ジャパンアングロ)打倒を叫んできていたのだ。

 現実に即した妥協であっても、方針を変えるのであればそれなりの準備が要ると言うものであった。

 自由上海市での非公式折衝の場で、チャイナ民国代表団は頭を下げてアメリカと国際連盟安全保障理事会の代表団に依願していた。

 この()()に対し、アメリカ代表団は受け入れを宣言していた。

 但し、泰山要塞に対する食糧及び医療品以外の搬入は、例えスコップの1つであっても禁止する事、そして泰山要塞エリア内での作業 ―― 要塞強化工事等の一切を行わない事を対価として要求していた。

 当然の要求であった。

 だが同時に、それは泰山要塞に関する主導権(イニシアティブ)をアメリカが握っていると言う意思表示でもあった。

 常のチャイナ人外交官であれば、その尊大さからまだ落ちていないし落ちる予定も無い等と反駁していたかもしれないが、既にその気概は折れていた。

 黄河以北が失われたから? ありえない。

 軍が壊滅的状況だから? 人を狩り集めれば良い。

 南部の分離独立派(大アジア連帯主義)が調子に乗って独立を宣言したから? 冗談の類だ。

 だが、連日連夜に渡って行われていたアメリカの戦略爆撃によるチャイナ民国経済の混乱は座視出来るものでは無かった。

 特に、金を生む心臓部と呼べる長江流域の混乱は、蒋介石の支持母体の弱体化を意味した。

 チャイナ民国の経済界は声を揃えて主張した。

 アメリカとの講和を。

 北京などが一時的にチャイナの手から離れても、100年後200年後に取り返せればよい ―― そう主張していた。

 その声に蒋介石が抵抗する事は出来なかったのだ。

 

 

――チャイナ民国

 アメリカとの交渉の席に着く前に蒋介石が行ったのは、チャイナ民国政府部内での意思統一であった。

 当然、火急の事態である為に穏当な手順、穏便な手段で行われたものでは無かった。

 粛清である。

 敗北のうち続く中であっても尚、外夷(ジャパンアングロ)との妥協なき戦争の継続を叫ぶ様な血迷った人間は、機会主義者の多いチャイナ人にあってもごく少数ではあるが居た。

 信念の人とも言える。

 信念を曲げぬ人とも言える。

 ()()()()()、一切の躊躇なく蒋介石は暗殺した。

 蒋介石の指示に、その腹心は少しだけ抵抗した。

 疑念を呈した。

 彼らもまた、愛国者ではないか? と。

 対する蒋介石の回答は苛烈だった。

 国家の窮状を理解せず、只、自分の感情を優先させる様な人間を生かしておくだけの余裕は無いと断じたのだ。

 害悪ですらあると告げ、処分を実行した。

 尚、処分された人間の中には、政治的に蒋介石と対立していた人間も含まれていた。

 アメリカとの事実上の停戦交渉を控え、政敵の排除も行ったのだ。

 停戦交渉を()()()()()()と言い換えて叫べば、一定の人間が蒋介石を自動的にチャイナ民族の敵と言い出しかねない空気があったのだ。

 それ故の強権発動であった。

 とは言え、政敵を一掃できた訳では無かった。

 政治的な嗅覚に優れた少なくない人間は、事前にチャイナ民国を離れ、再起を狙う事とした。

 反外夷(ジャパンアングロ)、反チャイナ民国の思いを心に灯した人々は、南を目指した。

 

 

――アメリカ

 偶発的な戦争勃発から初期の苦戦、そして攻勢攻撃を行っている今に至っても、アメリカの政治的な目的に歪みは無かった。

 ユーラシア大陸に築いた新しいコロニー(植民地)、フロンティアの安全確保である。

 いくらか経費(戦費)を必要としたが、投資として見ればまだ誤差の範囲内であり、軍需関連企業へのテコ入れの機会だと考えれば全体として問題の無い額に収まっていた。

 日本やグアム共和国軍(在日米軍)から導入された新概念や技術を実戦で試せる機会だと見た軍人も居た。

 総じて言える事は、アメリカは冷静であると言う事であった。

 軍人(アメリカンボーイズ)の死傷者が少ない*1と言う事も、アメリカ世論がチャイナへの更なる懲罰を叫ばない理由であった。

 チャイナと言う世界の片田舎で、アメリカが正義の力を振るった(素晴らしき、小さな戦争)と言う程度の認識だった。

 このお陰で、アメリカは安定した世論を背景としてチャイナとの交渉に臨む事が出来ていた。

 

 

――アメリカ-チャイナ民国 外交交渉

 紆余曲折の末に1943年の秋口に自由上海市でアメリカとチャイナ民国の終戦に向けた交渉が始まった。

 アメリカの要求は7つであった。

 

 1つ、アメリカとチャイナ民国間での即時停戦。

 2つ、南モンゴルの独立承認。

 3つ、チャイナ人民共和国の独立承認。

 4つ、アメリカとチャイナは現在の前線を国境線として相互承認。

 5つ、泰山要塞とその一帯はアメリカ側が支配する。

 6つ、戦争の発端となった南モンゴルでの病院空爆の責任者の捜索と処罰。

 7つ、戦争の戦費賠償をチャイナはアメリカに対して行う事。

 

 交渉の席に着いて早々、社交辞令も無しにアメリカ代表団が投げつけた要求一覧を見たチャイナ民国代表団は予想していた衝撃を受けた。

 その高圧的な態度は、正しくアメリカ(アメリゴウェイ)であった。

 圧倒的な国力と国力に裏打ちされた軍、そして軍の成果あればこその態度であった。

 とは言え、この要求を唯々諾々と呑む事はチャイナ民国代表団には出来る事では無かった。

 チャイナ民国にも意地がある、面子もある。

 何より、こんな全面降伏染みた要求を丸のみしては、交渉終了後に代表団の責任者は()()()()()()()と言う恐怖があった。

 故に、各条件に対して積極的に交渉を開始した。

 過酷としか言えぬアメリカの要求であったが、その実として要求項目の大半は交渉妥結の為の(ブラフ)であった。

 交渉によって何某の成果を得たと言う形で無ければ、チャイナ民国代表団も面子が立たぬだろうと言う、ブリテンからの入れ知恵であった。

 大事なのは1から3までの要求であり、それ以下は両国の融和を象徴してと取り下げる事が予定されていた。

 その象徴として泰山要塞地帯からの退却、黄河を国境線とする事を提案する積りであった。*2

 問題、と言うか予想外であったのは、余りの国力と戦力の差からチャイナ側が全ての条件を検討しだした事であった。

 その結果、1週間程度で纏まると考えていた外交交渉は冬まで続く事となる。

 

 

――南チャイナ

 チャイナ民国がアメリカとブリテン(チベット独立運動)との戦争で国力を消費する中で、南チャイナはソ連の支援を受けながら軍事力の涵養を行っていた。

 無論、チャイナ民国打倒は()()()()()検討していない。

 打倒への誘惑はあるが、正直、現時点で打倒してしまえば次なるG4(ワールド・オーダー)の敵と認識されるのは目に見えていたからだ。

 現実的な自己認識であった。

 元より、南チャイナの根幹を成す大アジア連帯主義(グレート・アジア)者たちの多くはチャイナの知識層(インテリ)出身者な為、その程度の政治的センスを持つ人間は多く居た。

 その上で、チャイナ民国から蒋介石の粛清を逃れてきた人間まで吸収しているのだ。

 政治組織 ―― 国家としての基盤は、軍閥と言う水準を遥かに超えていた。

 又、ソ連からの支援団(外交団)を受け入れていると言うのも大きかった。

 国家として承認を受けていない南チャイナであったが、ソ連経由で国際情勢に関する情報を得ているのだ。

 それよりは国家としての基盤づくりを優先していた。

 とは言え現時点では武夷山脈以南から東南丘陵の一帯を抑えているだけにしか過ぎない南チャイナは、大きな産業地帯も工業地帯、或いは有力な鉱山なども掌握出来ていない為に国力的な意味に於いてチャイナ民国に対抗するのは難しいのが現実であった。

 故に南チャイナは、チャイナ民国がアメリカとの外交交渉に伴って軍事活動を低下させた機を逃さず、活動を活発化させた。

 狙いは長江上流域 ―― 重慶を中心とした四川盆地だ。

 この一帯は工業地帯であると共に油田やガス田を抱えており、掌握できれば南チャイナの国家体制を確立させる大きな力となるだろう。

 無論、チャイナ民国側とて守備部隊を置いていたし、更にはチベットへ向けた部隊の休息と再編成の拠点としても利用していた。

 ()()()()()南チャイナは狙うのだ。

 チベットでチャイナ民国と戦っているブリテンと交渉し、その支援を受ける事が期待出来たからだ。

 南チャイナは四川盆地を得て国家の基盤を固める。

 ブリテンはチベットへのチャイナ民国からの流入路を断つ事が出来る。

 交渉の成立は不可能ではない筈だった。

 無論、これは南チャイナがチャイナ民国の正面に立つ事を意味し、その点を憂慮する者も南チャイナ内にも居たが、元より独立運動を行っている ―― チャイナ民国からの憎悪を大きく受ける事よりも、国家の基盤確立を優先するべきとの主張が大勢を占め、憂慮する声が主流になる事は無かった。

 幸い、南チャイナはブリテン領香港と領域を接しているので接触自体は容易であった。

 そしてブリテンの反応も良好であった。

 最終的に、チベットと南チャイナの相互承認と香港の永続的なブリテン帰属の文章化を対価として、南チャイナはブリテンからの軍事支援を取り付ける事に成功する。*3

 ブリテンの交渉が妥結するや否や、南チャイナは全力で四川盆地の攻略に乗り出した。

 とは言え戦力の中心は純然たる歩兵部隊であり、総数は10万を号していたが機械化されているのはごく一部、補給のトラックなどを民間から徴発したものが全てと言う有様であった。

 一応、戦車なども含まれてはいたが、これはチャイナ民国軍が戦場から撤退する際に遺棄していたものを回収し、整備したものであり、その数は10台にも満たなかった。

 とは言え、それなりの訓練を受けた兵隊達が、旧式ではあっても十分な装備を持ち、そして指揮官達はフランス領インドシナで実戦経験者が多いのだ。

 一部には北日本(ジャパン)の将校団から教育を受け、或いはソ連軍の訓練も受けていた。

 これでブリテンからの軍事支援(航空攻撃)まで受けられるのだ。

 訓練も不十分なら装備も劣悪 ―― そもそも武器弾薬の数が十分とはとても言えないチャイナ民国軍のチベット方面部隊では抵抗するだけで精一杯と言う有様であった。

 

 

――チャイナ民国

 アメリカとの終戦に向けた外交交渉の隙を突く形で動き出した南チャイナに対し、激怒した蒋介石であったが、出来る事は少なかった。

 四川方面への更なる増援をチャイナ民国軍に厳命しようとするが、既に予備戦力と呼べるものは払底して居たため、不可能であった。

 泰山要塞への支援に動かしたのが、最後の予備戦力であった。

 現在は泰山要塞を挟んでアメリカ軍と対峙している。

 無論、戦闘自体は終息状態にあるのだが、外交交渉に於ける見せ札の役割を担っている為、容易に引き抜く事が出来ないのだ。

 避難民などを徴兵し、新しい部隊を作る事は不可能では無いが、アメリカによる戦略爆撃によって麻痺状態に陥っていたチャイナ民国の経済は、徴兵した新しい兵に武器弾薬はおろか軍装すら満足に支給出来る状態には無かった。

 そもそも、チャイナ民国軍は徴兵によって兵は揃えられたとしても、それらを直接指揮する現場の指揮官が圧倒的に不足していた。

 幾度も軍が壊滅し、或いは包囲され続けているが故の事だった。

 この為、チャイナ民国軍参謀団は四川盆地の放棄を蒋介石に上申していた。

 現時点で四川盆地周辺に居る部隊は、抵抗したと言う事実以外の実績は何も残せないだろうとの判断があり、であれば一度退いてから再度取り返せば良いと言う軍事的合理性であった。

 政治側から見て、とても受け入れがたい問題ではあった。

 チャイナ民国の権威が更に落ちる、即ち天下を治める徳がチャイナ民国政府から失われたとチャイナ人民に認識される事を恐れたのだ。

 とは言え、打てる手が無いのも事実であった。

 苦悩の末に酒を呷った蒋介石は、そのまま吐血して病院に担ぎ込まれる事となる。

 非常事態である。

 最高権力者が人事不省となり、生まれた権力の空白期間。

 そこでチャイナ民国政府の序列第2位は独断で動く事を決めた。

 悠長に蒋介石の回復、そして指示を待つ余裕はないとの覚悟からだった。

 四川盆地周囲の部隊には撤退準備を命令し、併せて南チャイナとの接触を行った。

 四川盆地にある産業設備(インフラ)を傷つけない代わりに、部隊の安全な後退を要求したのだ。

 それはある意味で南チャイナを独立した存在であるとチャイナ民国が認める行為であった。

 チャイナ民国序列2位はその事を理解しつつ、交渉を行わせ、纏めさせた。

 南チャイナが、国家承認と言う餌をぶら下げる事で、交渉に乗ってくるだろうと読んでの事であった。

 実際、南チャイナは交渉に素直に乗ってきた。

 又、併せてブリテンとチベット独立派にも接触を行った。

 四川盆地を失う事はチベットへの補給路(アクセス)を失う事と同義であった為、チベット高原からのチャイナ民国軍および関係者の全面退去を行う。

 その安全確保が狙いであった。

 無論、此方も武器弾薬や資産などを完全な形で放棄する事を約束する事で、ブリテンとチベット独立派は受け入れる事となる。

 ドラスティックな選択で、チャイナ民国西部域の安定を確保したチャイナ民国序列第2位であったが、その目的は権力の簒奪では無かった。

 その内心を言えば、全責任を自分が負う事でチャイナ民国と言う国家と、蒋介石と言う指導者を生き残らせる事であった。

 責任を取り、蒋介石が意識を回復し状況を説明したら自決する覚悟であった。

 忠義の士であった。

 その事を蒋介石も知っているが為、意識回復後にチャイナ民国の現状を報告された際、ただ静かに頷いたのだった。

 苦労を掛けた事を労り、そしてその決断の全てを自分が承認すると宣言すると、チャイナ民国序列第2位の手から自決用の拳銃を取り上げていた。

 

 

――アメリカ-チャイナ民国 外交交渉

 聊か後回しとなっていた外交交渉であったが、最終的に3つの主要条項と幾つかの付帯条件をもって妥結する事となる。

 

 1つ、旧チャイナ領内に誕生した7つの国家の相互承認。

 2つ、チャイナ民国とチャイナ人民共和国との国境線は黄河流域と定める事。

 3つ、戦時賠償に関しては相互に放棄する。

 

 概ね、アメリカの狙い通りであり、同時にチャイナ民国側からすれば黄河以南で泰山要塞その他の掌握されていた領土が返還されたお陰で面目の保てた内容となっていた。

 これによってチャイナ大陸での戦争はひと段落する事となる。*4

 

 

 

 

 

 

*1

 ユーラシア総軍としての死傷者は少なからず出て居たが、その大半は貧弱な装備を手にチャイナの攻勢を正面から受け止めた朝鮮共和国軍(コリア系日本人)であり、又、世界中から集まっていた義勇部隊であった。

 朝鮮(コリア)共和国軍は、残念ながらも仕方がない話であり、その勇敢さと献身は讃えられていた。

 だが、他の義勇部隊に関して言えば、何とも言い難いのが実情だった。

 装備はアメリカに準じるものが与えられて居たのだが、装備への習熟度や、そもそも兵員としての訓練が十分とは言い難かった為、チャイナ軍との交戦によって相応以上の被害を出していたのだ。

 故に、人員の訓練度や装備の質が良好であった北日本(ジャパン)邦国やバルデス国からの部隊は、その戦果に比して大きな被害を出してはいなかった。

 

 

*2

 黄河以南の支配地域を放棄する事は、チャイナ民国とドイツ領山東半島との連絡線を復活させることを意味するが、アメリカは特に重視していなかった。

 既にG4の中では、ドイツの取潰しは決定事項であったからである。

 戦争となった際に、攻撃すればよいと言う程度の扱いであった。

 

 

*3

 大アジア連帯主義的には、チャイナの大地が外夷(ジャパンアングロ)勢力の支配下にある事は業腹な事態であるが、これも偉大なるチャイナの伝統を後世に残すため仕方のない事と受け入れていた。

 そして100年後、或いは200年後に取り戻そうと臥薪嘗胆を合言葉にするのだった。

 尚、ブリテン側はその事を理解しており、であるからこそ、香港の永続的なブリテン帰属を文章として残させたのだ。

 法的に香港は既にチャイナ民国からブリテンへと正式に割譲されているのだが、にも拘わらず南チャイナにも同様の意思を示させたのは、ブリテンの深刻なチャイナ不信感であった。

 1930年代からのアメリカとチャイナの紛争を見ていれば、当然そうなると言うものであった。

 

 

*4

 尚、全くの余談であるが、この交渉妥結のパーティーに参加していたアメリカ海軍士官の不用意な一言が、ある種の喜劇的な波紋を呼ぶ事となる。

 発言は、鄭和に関する事であった。

 チャイナ民国海軍の象徴である鄭和。

 欧州を出発し、アメリカ海軍の目を掻い潜っていまだ発見できない鄭和をアメリカ海軍は高く評価していた。

 であるが故に、今はどこを航海しているのかと尋ねたのだ。

 だが、チャイナ民国海軍側は違う受け取り方をした。

 アメリカ海軍は戦勝の戯れに鄭和を捕捉し、或いは撃沈する積りだと認識したのだ。

 故に、残念ながらも行方不明と説明(難破した可能性を示唆)し、鄭和に対しては当座の帰国を禁じる旨を、ソ連経由で伝達するのだった。

 この結果、鄭和の冒険は第1幕(戦時編)が終わり新しい2幕目、戦後編が始まる事となる。

 

 

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