タイムスリップ令和ジャパン   作:◆QgkJwfXtqk

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A.D.1929
013 新しい動き


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 日本-ブリテン-フランス-アメリカの4カ国協定(※1)によって世界は一応の安定を見た。

 そして日本は、3大強国との関係と交易とを確としたものへと出来たが為、日本と円とが世界経済に関わる様になっていく。

 軍事と、それに類される分野での協力や交易は慎重に行われたが、鋼材から始まって各種工作機械などは大々的に売買されて行くようになる。

 

 

――ブリテン

 ブリテンでは、インフラ整備にかこつけた、ブリテン国内の製造設備の大更新が行われるようになった。

 これは産業革命以来の伝統 ―― 即ち、古い製造設備が残っており、アメリカなどと比べて効率が相対的に悪化しつつあったブリテンの国内産業の活性化が目標であった。

 何としても世界帝国を維持したいとのブリテンの野望であった。

 その為には何でもやる、その気概があった。

 在日英国大使館経由で得た最先端の経済理論を元に、ブリテンはなりふり構わぬ経済政策を行っていく。

 市場としてのインド、チャイナ、そして日本。

 数的規模の大きい市場を持つチャイナ。

 宗主国として自由の効く市場であるインド。

 そして購買力のある日本。

 問題は、購買力のある日本に売り込めるものが少ないと言う事であった。

 主要な繊維や工業製品などで日本に売り込めるものではなかった。

 否、好事家や趣味人の間では珍重されては居たが、それで大々的な利益が出る筈が無かった。

 故に、日本には石油や鉱物資源を売りつけ、その対価を植民地諸国に高く売りつける事で利益を稼ぐ方向へとシフトしていた。

 特に日本との協力によって得た製造設備の更新は、ブリテン製品の精度を上げ値段を下げる事が可能となり怒涛の様な勢いでインドとチャイナに流れ込む事となる。

 莫大な利益がブリテンに流れ込む事となる。

 ブリテンにとって日本は、資源を金に変える錬金の大釜と化していく。

 もっと金を稼ぐためブリテンは大釜にくべる資源を増やす為、アフリカと中東の開発を進めていく事になる。

 又、インフラのみならずブリテンは日本の作業車を大量に導入していく事になる。

 その導入の為に、ブリテンは整備などのサービスを目的とした日本の工場をブリテン国内に誘致する事に成功する。

 

 

――フランス

 ドイツ憎しで一致団結したフランスは、一心不乱の軍備拡張に邁進した。

 故に、ドイツ内部で支持を集めつつある国家社会主義党に対しては深く深く期待していた。

 国家社会主義党がドイツを後戻りできない場所まで押し上げて、世界の敵になる事を。

 その為の資金援助すら行っていた。

 全ては大フランスを生み出す為に。

 ブリテンは世界経営に邁進し、欧州亜大陸には興味を示していない。

 アメリカは中国経営を愉しみ、欧州亜大陸には興味を示していない。

 日本は自国の再編成に勤しみ、欧州亜大陸には興味を示していない。

 であれば、フランスがその責任を果たす ―― との認識であった。

 小癪な事にブリテンに作られた日本の工場、そこから民生用として導入した高出力ディーゼルエンジンを使った装甲車や戦車を生み出していく。

 日本から輸入した鉄は、その品質から戦闘車両をより良いものへと変えて行く。

 フランスの重工業界からは反発の声も上がったが、フランス政府は短期間でドイツを叩きのめす為の戦力を整備する方策であるとして押し切った。

 

 

――アメリカ

 過熱する投資熱の消費先として極東の重要度が上がっていく。

 自らの優先権のある関東州と満州、そして日本の朝鮮半島とソ連のシベリアだ。

 巨大な中国市場への足掛かりである関東州と、真っ新な新世界である満州は、アメリカ人のフロンティアスピリッツを掻き立てた。

 新しい世界での冒険。

 広大な満州の地で興される農業。

 石油が出た事から工業も盛んになった。

 満州はアメリカ人にとって、乳と蜜の流れる大地となった。

 在日米軍経由で中国人との衝突のリスクが伝えられたが、満州の旨みを前にすれば看過すべきリスクであった。

 又、朝鮮半島とシベリアの資源開発は莫大な利潤を投資する企業に与える事になる。

 投資に関しては鷹揚な日本は、アメリカ人が適正な税金を払いさえすれば驚く程簡単に投資と営利活動を認めていた。

 環境対策その他の書類こそ煩雑ではあったが、それは日本企業でも一緒である為、文句を言える筈も無かった。

 とは言え、良い事ばかりでは無い。

 ユーラシア大陸での経済活動を活性化させると共に、チャイナとの摩擦が大きくなっていった。

 アメリカが関東州や満州で稼ぐ利益は、正しくはチャイナの利益であり、それが簒奪されているという認識であった。

 

 

――チャイナ

 日本ソ連戦争の余波により、国内紛争が再発する事となる。

 大別すると北チャイナと南チャイナという2つの軍閥の対立となる。

 満州権益の関係もあり、アメリカが北チャイナへ支援を行っていた為、小競り合い程度しか発生していなかったのだが、ドイツからの支援の本格化(※2)により自信を回復した南チャイナは本格的な軍事行動を開始する。

 北伐と呼ばれた1連の作戦は、アメリカの支援を受けた北チャイナの勝利に終わった。

 アメリカの支援の中には軍事顧問団の派遣が含まれており、チャイナの地ではドイツからも派遣されていたドイツ軍事顧問団と戦闘を行った事例もあった。

 チャイナの大地でぶつかる先進国同士の軍隊。

 とは言え、日本と言う策源地を得ていたアメリカが軍需民需を問わず物資を大量に北チャイナへと提供出来ていたのに対し、ドイツは本国からの距離があり過ぎた事と輸送力の乏しさに、対抗できる筈も無かったのだ。

 開戦から数ヶ月で侵攻作戦は頓挫し、撤退する。

 日ブリテンフランスが主導し国際連盟による紛争解決スキームでの処理が図られる事となる。

 南チャイナによる北チャイナへの賠償、北チャイナの自治権の承認、満州に於けるアメリカ権益の承認といった事が戦時賠償として要求される事となる。

 これに南チャイナの世論は沸騰する。

 だが、既に軍事による勝敗は決して居た為、国際世論には抵抗出来ず(※3)、停戦と講和を決断する。

 この、国際連盟による屈辱的な講和斡旋を。

 チャイナの国民世論にアメリカへの怒りが加わる。

 そして国際連盟にも反発が強まる。

 チャイナはドイツとの関係をより深める事を選択し、進めていく事となる。

 

 

 

 

 

(※1)

 G4は事実上の軍事条約であり、同盟関係にも近いモノであったが、アメリカ国内の世論に配慮する形で協定と言う名前が使用されている。

 

 

(※2)

 ドイツはフランスとポーランドによる監視の厳しさから、国外での軍事力の涵養と軍事技術の強化を図る事となり、国策として対外協力を推進する事となる。

 1つがソ連との関係強化であり、もう1つがチャイナとの中独合作の深化であった。

 アメリカが北チャイナを支援する関係上、G4諸国は精神的に北チャイナ寄りとなっており、国際的に孤立気味であった南チャイナにとって、ドイツは唯一と言ってよい支援国であった。

 

 

(※3)

 日本とブリテン、フランスの艦船による国際連盟の名の下での戦争抑制作戦が行われ、東シナ海と南シナ海での軍需物資を積載した船舶の臨検が行われた事が、南チャイナの継戦能力に止めを刺す事となった。

 尚、この対象は北チャイナも含まれているのだが、アメリカは日本の協力を得る事で、日本海 - 朝鮮半島を経由して物資を搬入しており、特に影響を受ける事は無かった。

 この点を南チャイナとドイツは国際連盟の場で非難するも、アメリカは建前として、満州と朝鮮半島とシベリア開発向けの物資であると宣言し、突っぱねる事となった。

 

 

 

 

 

 




2019.05.04 文章修正
2022.10.18 構成修正

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