130 世界大戦の胎動-03
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ドイツとオランダの緊張の高まりは北海に緊張感を齎す事となった。
オランダに対して圧力をかける為、ヒトラーは北海に大型艦を展開させるようにドイツ海軍に対して命令したのだ。
とは言え、ドイツ海軍側としては簡単に頷ける話では無かった。
数年来と相次いだ外洋での長期任務の結果、ドイツ海軍に割り当てられていた燃料は常に枯渇状態にあり、特に燃料の消費が著しい大型艦は定期的な外洋での訓練を抑制する有様となっていた。*1
この為、ドイツ海軍の提督達は連名で、ヒトラーに対して職を賭ける覚悟をもって燃料の特別配当が無ければ大型艦を動かす事は反対であると直訴を決行した。
対するヒトラーは提督達を解任した。
それは認識の相違に因るものであった。
ドイツ海軍に燃料が無い。
だがそれは、ドイツ海軍全艦の燃料槽を2度は満杯に出来る量を備蓄した上での話であった。
ドイツ海軍からすれば、来る将来の戦争に備えて備蓄していた燃料と言う認識であった。
だがヒトラーからすれば、ドイツ全体で燃料は不足気味であるにも拘わらず、更なる燃料を欲するドイツ海軍は強欲極まりないと見えたのだ。
これは、ヒトラーが陸軍での軍歴を重ねていたが故の、海軍の思考様式を理解せぬが故の判断とも言えた。
又、年齢層の高いドイツ海軍指揮官達の若返りを図ったと言う側面もあった。
とは言え、鞭だけでは人は動かせない。
ヒトラーは海軍に対して燃料の特別配給を約束した。
配給元は、ヒトラーの私兵と言ってよい
今はまだ
とは言え、配給されるのは車両用のガソリンである為、ドイツ海軍にとっては有難迷惑な側面があった。
この為、ドイツ海軍は軍需相に接触し、ガソリンを兵器・弾薬の生産に向けて押さえている重油と交換する様に提案した。
軍需相は、この提案に乗った。
とは言えドイツ海軍が希望するだけの量の重油を自身の裁量で手配する事は不可能である為、産業界に声を掛け、広くかき集める事で対処したのだった。
兎にも角にも、様々な努力の結果、ドイツ海軍は戦艦ビスマルクとシャルンホルスト、巡洋艦プリンツ・オイゲンと言う
ドイツ海軍としては空母グラーフ・ツェッペリンまで派遣し、1等海軍の証とも言える
だが、如何せんアドリア海から戻ってきたばかりであった為、乗組員の疲労や船体の故障など問題が山積した状態となっており派遣は見送られる事となった。
余談ではあるがグラーフ・ツェッペリン級空母の2番艦であるペーター・シュトラッサーであるが、こちらは進水こそ終えていたが資材や工員などの手配でプロイセン級装甲艦建造が優先された結果、艤装途中で建造が止まっていた。
対チャイナ貿易で要求されるプロイセン級装甲艦以外の整備は全てがこの様であった。
ある意味でドイツ海軍の状況が、ドイツ自体の状況を示していた。
――フランス
ドイツ海軍北海に進出するとの一報に、フランス海軍は色めき立った。
興奮しない筈が無かった。
フランス陸軍に比べて最近では活躍の場が少なかったフランス海軍にとって、
最新鋭の戦艦、空母を投入し世界へフランス海軍の武威を示さんと盛り上がった。
とは言え、余り過大な戦力を持ち込んでは
ドイツが持ち込んだ艦隊よりも少しだけ大きな艦隊を張り付ける事としていた。
主役は戦艦リシュリューとクレマンソー、そして空母ペインヴェだ。
ジョフレの戦訓を元に、建造途中で大規模な設計変更を行ったペインヴェは、就役が当初予定よりも2年近くも遅れる事となったが、その甲斐のある強靭な空母として誕生していた。
この3隻に、フランスの誇る大型駆逐艦 ―― 軽巡洋艦にも匹敵する3,000t級の駆逐艦を4隻付けて派遣した。
フランスとしては手加減をした積りであったが、ドイツ側からすれば
――オランダ
自国領海のすぐ外側で発生した大国同士の睨み合いは、オランダ政府の胃袋を直撃した。
1940年代前半、オランダの海洋防衛方針は金を生むオランダ領東インドの治安維持が第一であった。
日本が安定して活動してくれれば勝手に
であればこそオランダは、巡洋艦やフリゲート、或いは小型砲艦を建造し東アジアへと派遣していた。
敵はオランダ領東インドの海賊や独立運動の人々である。
最大の脅威と言えるのは、ある意味で日本であったが、これは海軍でも政府でも、見て見ぬふりが成されていた。
正直、日本が切り取りにかかって来れば抵抗など出来ない話であったが、そこはもう開き直るしかなかったし、実際に開き直っていた。
日本が宣言している、現在の世界体制の変化を望まないと言う言葉と、
さて、優先されたオランダ東インド艦隊であるが、対してオランダ本土艦隊の戦力はごく少数に留まっていた。
景気の良さと国民の不満を逸らす狙いもあって、国家を象徴する大型艦として15,000t級の海防戦艦アムステルダム*3が建造されていたが、それ以外には魚雷艇と機雷敷設艦、そして練習艦を兼ねた老朽駆逐艦が配備されているだけであった。
これでは戦艦を含んだ部隊に対して抑止力となるのは難しい。
難しいが成さねばならぬ。
オランダはアムステルダムを出向させ、対峙させる事とした。
又、非常時に備えて機雷戦の準備を進めるのだった。
――ブリテン
北海で始まったバカ騒ぎであるが、意外な話としてブリテンは積極的に加わろうとしなかった。
無視しようと言う訳では無い。
只、戦艦 ―― 新鋭艦であるキングジョージⅤ級の様な大型艦を派遣しないと言う話である。
大型艦が無い訳では無い。
天下の
戦艦なぞ10を超えて在籍していたが、それを出撃させない理由は訓練計画であった。
バカ騒ぎの舞台が、北海とは言え沿岸域であり、戦争に直結しそうに無いのだ。
であれば、将来に備えて主力艦群の練度を上げる事を優先しようと言うのも当然の話であった。
軽巡洋艦を中心とした部隊を派遣し、その動向には注意を払う事とした。
又、フランスに話を通し、フランスの戦艦に観戦武官を乗り込ませる様に手配した。
フランスは、イギリスがこの
――ソ連
北海の入り口で始まった緊張状態に頭を抱えたのはソ連であった。
ソ連にとって大事な海洋貿易路、その
頭を抱えない筈が無かった。
睨み合いであり第3国の無害航行が保証されているとは言え、そうですかとソ連籍貨客船に護衛を付けずに運航するなど、ソ連の沽券に関わる重大事であった。
とは言え問題は、1943年迄の時点でソ連が用意出来る
当初の予定であれば65,000t級の大戦艦ソビエツキー・ソユーズ級やレニングラードの防衛を専門とする15,000t級の
スターリンの厳命があるにも関わらず、この状態である理由は、サボタージュや嫌がらせ等では無かった。
これは陸軍国家であるソ連にとって優先すべきは陸空であり、その陸空が
いや、日本に劣っているのは以前からであり、ある意味で
問題は、日本製の戦車や戦闘機の購入を始めたポーランドやフィンランドと言った
その国々が、ソ連の兵器よりも優れた兵器を装備しだしたのだ。
スターリンのみならず大概のソ連人が持つ
戦車を戦闘機を、質で劣るのであれば数で圧倒せねばならない。
又、新しい戦車、新しい戦闘機の開発に全力を注がねばならない ―― ソ連海軍を除く誰もが、その意見で一致団結した。
結果、ソビエツキー・ソユーズもレニングラードも見事に工期が遅延していた。
尚、この件に関してはスターリンも海軍を叱る事は無かった。
とは言え、それで済む訳ではない。
特に、この北海南部域が
ソ連の政権内部での政治的な駆け引きは直ぐに政治的な対立、暗闘へと変わった。
そしてスターリンの忠実なるしもべ、
その最中、少しだけ頭の冷えていた参謀がソ連の港に隠れていた救世主を思い出す。
鄭和だ。
鄭和は基準排水量9,700tと、実質10,000t級と言う
これであれば問題は無いと、ソ連海軍上層部が飛びついたのも仕方のない話であった。
都合よく、鄭和には無期限でのチャイナ帰還停止命令が出て居る。
これを
鄭和の運命が転がりだす。
書類の上では各種任務向けに燃料がドイツ海軍に対して増配される事とはなっていたが、そもそもとしてドイツが輸入生産出来ている燃料の量が年間で消費する量を下回っている為、空手形以上の意味は無かった。
それどころか、産業界からは軍向けの燃料を分けて貰わねば経済活動が停滞すると言われる有様であった。
ソ連から輸入する石油や石炭ベースの人造石油だけでは、ドイツと言う国家を支え切れずにいた。
石油資源地帯の大半をG4に抑えられたが故の、そしてG4と対立的立場にあるが故の惨状と言えるだろう。
ドイツに於いて軍は強い立場を持っては居るが、それでも
ドイツ政府ですらも産業界に阿っていた。
この為、ドイツ海軍はドイツ陸軍並びにドイツ空軍に対して協力を要請したが、こちらもすげなく断られる事となる。
フランスへの対抗の為、50t級を超える
空軍も同様である。
レシプロエンジンからジェットエンジンへの切り替えによる燃料の消費増大は空軍から悲鳴のような燃料割り当て増の要求が出される程であった。
この様な事態の為、ドイツ海軍の深刻な燃料不足が解消される目途は立っていなかった。
現実的な話として、日本との国力比からオランダが万が一の武力衝突となれば抵抗など出来る筈も無い。
だからこそオランダは、オランダ政府はオランダ領東インドでは日本への
その様を指して、反政府的な口の悪い人間などは
その事もあって、オランダで反日本主義が一定の支持を集める事に繋がっていた。
10,000tを超える大型艦の整備こそ決定したが、オランダにその技術も経験も無い為、その設計と建造は日本に外注される事となった。
日本とオランダの友好を示す艦、と言うのが公式な見解である。
海防
アムステルダムが海防戦艦と言う呼称を用いる理由は、政治であった。
同時に、フランスやドイツ、或いはブリテンと言った強国を刺激しない為の選択でもあった。
尚、重巡洋艦としてみた場合、アムステルダムは完全自動化された8in.砲を9門備えた欧州でも有数の強力な艦であった。
主砲は日米が共同開発した55口径8in.砲の
発砲速度を抑える代わりに、部品の点数を下げて保守点検に関わるコストを下げたモデルとされているが、それでも全自動化されているお陰で毎分7発の発射速度を有しており、極めて優秀な8in.砲であった。
速力こそ巡洋艦種としては鈍足の類であったが、それは書面上の事であった。
日本製の大出力ディーゼル主機は、27ノットと言う速度を
嵐の中であっても、或いは武器弾薬その他を満載にしていても27ノットを発揮し続ける事が出来るのだ。
アムステルダムの登場は、ポーランドやノルウェーなどの中等国家の海軍に大きな衝撃を与えるものであった。
その意味でアムステルダムも、正しく
艦名 アムステルダム(アムステルダム型海防戦艦)
建造数 1隻
基準排水量 14,300t
主砲 55口径8in.3連装砲 3基9門
機銃 60口径40㎜単装砲 2基
他 3連装短魚雷 2基
装甲 耐8in.防護を実施
速力 27ノット
主機 ディーゼル
アムステルダムの登場は、欧州の中小国に
正しく
その点に関し日本とも関係の深いフィンランドが、
この点に於いて日本は、
日本にとってアムステルダムは
非公式な場故に日本は率直に認識不足を詫びる事となる。
合わせて、埋め合わせと言う形でフィンランド向けに
一応、23,000t級のガングート級戦艦3隻をソ連も保有してはいたが、近代化改修もされていない
陸式の
本来、ガングート級も1930年代後半には近代化改修の予算を付ける予定となっていたのだが、ソビエツキー・ソユーズ級などへの資源と人員の集中がスターリンより命令されていた為、無期限の凍結となっていた。
又、カレリアでの紛争の後には警備任務で出動を重ねていた為に、機関部などが故障を頻発する様になっており、とてもでは無いが遠洋任務に投入出来る状態に無かった。
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改めて御礼申し上げます。
2020/04/05 文章修正