タイムスリップ令和ジャパン   作:◆QgkJwfXtqk

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131 世界大戦の胎動-04

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 ソ連海軍から鄭和の傭船(レンタル)を持ち掛けられたチャイナ民国は、2つ返事で了承した。

 戦争に敗れたチャイナ民国の予算では、大型艦と言ってよい艦艇の維持費を用意する事が難しかったのだ。

 別段、アメリカに巨額の戦時賠償を求められた訳では無い。

 だが国内で派手に戦争をした(アメリカの容赦ない戦略爆撃の)影響は、チャイナ民国の経済に重大な影を落としており、税収が極端に悪化していたのだ。

 この状況下で増税を行えば革命運動が勃発しかねず、民衆に強権を以って対峙する事を基本とするチャイナ人式の統治であっても民心慰撫に務めざるを得なかったのだ。

 そのしわ寄せが一番に及んだのが軍事であり、そして、中でも海軍だった。

 チャイナ民国は、ソ連に対して鄭和の竣工への協力*1と訓練を行う事を、傭船費用とは別に要求した。

 ソ連はそれを快諾し、傭船契約が結ばれる事となった。

 ソ連の指揮下で運用される際にはソ連船籍の装甲艦ヴォストークと名乗り、ソ連海軍旗を掲げる事となる。

 尚、鄭和の乗組員たちはチャイナ民国海軍旗を掲げれぬ事に屈辱を覚えたが、潤沢に供給される様になった食料や嗜好品を前に、簡単に割り切るのだった。

 

 

――ソ連

 ソ連海軍からの()()()()()()()()は、スターリンを喜ばせた。

 少ない労力と時間で、北海(ホット・エリア)を面目を守って航行出来るようにした努力を評価した。

 上機嫌で海軍を褒めるスターリンに、付和雷同して拍手するソ連の首脳陣。

 例外は、チャイナ民国との交渉で己を介さなかったと臍を曲げた外務省と、海軍を粛清する(功績を挙げる)機会がふいになった事に気分を害した内務人民委員部(NKVD)程度であった。

 兎にも角にも、ソ連海軍は危機を脱した。

 後は、ヴォストーク(鄭和)に随伴させる艦の選抜と訓練であった。

 スターリンが最初の任務として大仕事を用意していたからだ。

 船団護衛だ。

 ソ連の支配下となったアフリカのコンゴ、その地で()()()()()()に就く5万近い将兵の乗った船団を無事に送り届ける事だ。

 造船能力の低いソ連が保有する大型の客船や貨客船は少なく、大多数は中小型の船舶であった。

 にも拘わらず大人数を、様々な機材と共に運ばねばならぬ為に船団は、船団を組む船舶数はとても大きなものとなる事が予想された。

 北海での護衛(プレゼンス)任務もだが、護衛自体がソ連海軍にとっては大仕事となったのだ。

 外洋任務経験の乏しいソ連海軍にとって、荷の重すぎる話であり、ソ連陸軍などへ1度の航海で輸送するべき人員を減らすべきだとの交渉まで行った。

 旧式の小型輸送船などが行方不明になって(遭難して)は堪らないし、その可能性は極めて高いのだから。

 だが、その交渉が実る事は無かった。

 5万名もの輸送は、スターリンの肝いりだったのだから。

 コンゴを素早く平定する事でソ連の国家の威信を国際社会に見せつけたいと言う思いがあったからだ。

 又、仕事をし損ねた内務人民委員部(NKVD)が、代わりに功績を挙げる場所としてコンゴを見ていた ―― スターリンの背中を押していたと言うのも大きい。

 スターリンがその気で、内務人民委員部(NKVD)が積極的である案件を止める手段などソ連にある筈も無かった。

 この為、ソ連海軍は頭を絞る事となる。

 なけなしのソ連製大型艦である軽巡洋艦マクシム・ゴーリキーと、嚮導(大型)駆逐艦のタシュケント*2が投入される事となった。

 だが、それがソ連海軍水上戦部隊に出来る精一杯であった。

 シベリアの独立と、その後の軍事的対立によって経済の成長が阻害されてきたソ連では、陸軍と空軍が最優先とされていた為、駆逐艦は兎も角として巡洋艦クラスは碌に整備されていなかったのだ。

 しかも、スターリンの()()によって一度は大型艦建造を最優先していたのだ。

 軍事的要求、合理性よりも政治が優先された結果とも言えるだろう。

 故に、この現状も仕方のない話であった。

 とは言え、だから船団から輸送船が失われ(遭難し)ても良いとはならない。

 故にソ連海軍は外洋航路航行経験を十分に積んだ乗組員のいる優良中型貨物船を徴発(チャーター)し、武装と通信設備を乗せた仮設巡洋艦(エスコート・クルーザー)に仕立て上げたのだ。

 尚、中型とは言え優良船複数をソ連海軍が借り上げる事に、兵員の輸送計画を立てている人間は腹を立ててソ連海軍に怒鳴り込む事となる。

 此方も、5万名もの人間を輸送するために船舶の調整に四苦八苦していたのだから、仕方の無い話であった。

 怒鳴りあい、つかみ合い、殴り合いの大騒動となる。

 一触即発となる現場、楽しそうに(ワクテカで)状況を見ている内務人民委員部(NKVD)

 これが解決したのは、関係者各位で冷静な人間が上司に泣きつき、泣きつかれた上司がその上司へと泣きつき、最終的にスターリンにまで泣きついた結果だった。

 泣きつかれると言う珍しい事態にスターリンも驚いた。

 その驚きが苛烈な対応に繋がらなかったのは関連する全ての人間にとって僥倖であった。

 又、5万名と言う数字は別段に意味のある(軍事的裏付けのある)数字では無かった事も大きな理由であった。

 泣きついてきた人間にウォトカを振舞って、スターリンは第1回目の輸送船団が届ける人員を4万名に減らす様に指示した。

 

 

――鄭和

 運命の流転と言うには余りにも()()な境遇を乗り切る為、艦長以下乗組員達は出航迄の間、日中は過酷なまでの訓練に費やし、或いは屋台で金を稼ぎ、そして夜はウォトカを飲んで爆睡する日々を過ごした。

 ソ連から艦の運営費が出ても、屋台は継続していた。

 人気が出て固定客を掴んだお陰で儲けが大きく、それを惜しんだと言う事と、多くの市民が店舗の継続を懇願したと言うのが大きかった。

 珍しい東方(中華)料理が、ソ連人民の胃袋を掴んでいたのだ。

 油が多く、濃い味で、しかも安い為、港湾の寒い環境で過酷な労働に従事する人々にとって必須染みた食事になっていた。

 奇しくも、鄭和の偽名であるヴォストークは、そのまま東方料理(ヴォストーク)としてレニングラード市に定着する事となる。

 尚、鄭和の艤装に関しては、戦闘が要求される訳では無い為、武装面での工事は余り行われなかった。

 この為、機銃などの配置が予定されていた乗員が余る事となり、鄭和が出航して以降も屋台が続けられると言う側面もあった。

 悲喜交々な日常的部分は別として、軍艦としての鄭和はソ連の手を借りて完成する事となる。

 通信設備などは、ソ連経由でドイツ製最新のものが搭載された。

 洋上での故障に備えた部品も、スウェーデンから取り寄せられていた。

 ソ連人もチャイナ人も、この航海が大変なものになると言う予感を抱いていたのだ。

 故に、後悔せぬようにと出航前に開かれた交流会を兼ねた壮行会は、ウォトカとラオチューが飛び交い、多くの人間が床を寝床とする事となる。

 

 

――ドイツ

 ソ連が大艦隊を用意し、アフリカまでの遠征を行うと知ったドイツは好意的な反応を示した。

 当然であろう、フランス艦隊とやや劣勢で対峙する所に()()()の大艦隊が来ると言うのだ。

 歓待と、友好親善の共同訓練を行って、フランス艦隊を鼻を明かしてやりたいと思うのも当然であった。

 だが、ドイツの目論見に反して、ソ連がドイツの話に乗ってくる事は無かった。

 大艦隊などと言っても実際は中小型船の大船団(雑多な寄せ集め)に、護衛の軍艦が3隻に仮設巡洋艦(軍艦もどき)が8隻なのだ。

 戦力として数えられるなど迷惑な話だったのだから。

 その上に船団の大多数は老朽船である為、護衛の艦船(シェパーズ)が船団から離れたら迷子が出かねない危険を孕んでいるのだ。

 とてもでは無いが、親善の為だのと理屈が付けられていても受け入れられる話で無かった。

 この話を聞いたドイツ側は、激怒 ―― する事は無かった。

 ソ連が、船団護衛に使える大型艦の不足に苦慮していると言う話は、プロイセン級(20,000t級P型)装甲艦*3を揃えつつあるドイツにとって自尊心を擽る話であったからだ。

 ドイツはソ連を友邦国としていたが、同時に格下とも見ている為、ソ連の苦労を甘美なものとして味わうところがあった。

 

 

――日本

 基本的に、国際連盟の加盟国であり法的にも問題の無いソ連の船団に対してどの国も妨害などを考える事は無かった。

 只、外洋で作戦行動を行うソ連軍艦と言う事で、各国海軍は電波情報の収集に熱を入れる事となる。

 当然、その中には日本も含まれている。

 投入されたのはしぐれ。

 あさかぜ型多機能護衛艦(FFM)の1隻であり、遣欧総軍欧州方面隊に所属し、北海での事態に対応する為にブリテンへ派遣されていたフネであった。

 当初は特殊動力潜水艦(SSn)も情報収集任務に投入する事も検討されたが、音紋その他を北海航海中に収集する事が出来た為、アフリカまで追跡させる事は無かった。

 それよりは緊急性の高い北海でドイツ海軍艦艇の音紋収集が大事であると判断されたのだ。

 かくして1隻で任務に就いたしぐれだが、その高度な対電波ステルス性能からソ連側からすると視認は出来てもレーダーなどで確認が取れない為*4亡霊艦(ゴースト)として恐れられる事となる。

 

 

――北海

 ソ連船団の通過と言う未来図に、北海での緊張感は高まる事となる。

 フランスにせよドイツにせよ相手を一切信用していないのだ。

 ソ連船団通過の際に()()()()()()()()()()()? と警戒するのも当然であった。

 この為、両国は奇しくも一致した行動にでた。

 相手をけん制する為に、共に駆逐艦などを増派したのだ。

 軍艦の密度が指数関数的に跳ね上がっていった為、漁船や民間の貨客船、タンカーの航行にも影響が出る事となる。

 この状況に頭を抱えた北欧諸国は、少ない保有艦艇から牽制の為に艦艇を派遣する羽目になっていった。

 当初は我関せずと言う態度であったブリテンが動く。

 事、この状態になってしまうと無視する事が政治的にできなくなったのだ。

 何より、自国の庭先で、ブリテンの漁船も活発に活動しているのだ、それを保護する為に動くのは当然であった。

 近代化改装を終えたばかりの戦艦フッドを旗艦とした艦隊(N部隊)を派遣する事となった。

 フランスとドイツに追加してブリテンが加わり、更に軍艦の密度が上がったこの事態に、慌てた北海を交易路とした中小の国家は、国際連盟安全保障理事会に泣きつく事となる。

 困ったのは第三者である国際連盟理事国、日本とアメリカである。

 別に戦争をする訳でも無ければ、勝手に臨検などをしている訳でも無い。

 単純に艦艇を北海に出しているだけなのだ。

 それを何の問題に問えと言うのか、と。

 念のためにと非公開会議でブリテンとフランスに確認するが、何が問題があるのかと返してきた。

 日本もアメリカも、それを否定する事が出来ない。

 国際連盟も大いに荒れる事となる。

 喧々諤々の大騒動。

 面倒くさくなったアメリカは、いっそ国際連盟総会でドイツに対して「国際秩序を乱す行為を批判する」的な議決を出し、ドイツが退けば良し、引かぬのであればそれを理由に戦争を仕掛けてしまえば良いのではと言い出す始末だった。

 流石にソレはフランスが止める。

 戦争準備が一切整っていないのだから、当然である。

 尚、誰もソ連の船団を問題にする事は無かった。

 最早、問題はそこに無いのだから。

 会議は踊り、先に進まなくなっていった。

 

 

 

 

 

 

*1

 主砲や主機の取り付け、航海に必要な最低限度の艤装が行われているだけの状態でスウェーデンの造船所を出航していた鄭和は、外洋で十分に任務を果たせる状態では無かった。

 その上で、碌な整備も受けぬままに今まで過ごしていた為、大幅な手入れを必要とした。

 ソ連はスウェーデンの造船技術を見れる好機として、当初はこれを喜んでいたが、実際に工事に入ると鄭和の状態の悪さに閉口するのだった。

 

 

*2

 イタリアの指導の下で設計が行われた3000t級大型駆逐艦のタシュケント級は、規模の小さいソ連海軍にとって宝石よりも貴重な駆逐艦であった。

 嚮導と名前が付く通り、より小型な駆逐艦たちを指揮する為の艦であり、ソ連の工業力的に量産可能な駆逐艦が1000t級であった為に生み出された駆逐艦であった。

 本来であればタシュケント級は駆逐戦隊として、5乃至6隻の駆逐艦を指揮する事が想定されているのだが、今回の任務を考えると2000t未満の駆逐艦を投入する事は、居住性及び航続性能から困難であると判断され単艦での参加となった。

 

 

*3

 E艦隊計画の中心としてP級計画艦はチャイナへの航海によって得たドイツ海軍の経験をもとに設計が幾度となく修正され、プロイセン級装甲艦として生み出される事となった。

 ポケット戦艦(戦艦の様に振舞う巡洋艦)と言うよりも、現代に蘇った巡洋戦艦と言うべき性格をした装甲艦である。

 格上(戦艦クラス)とは戦わずに逃げ、格下(巡洋艦以下のクラス)とは積極的に戦い、これを排除すると言うコンセプトであった為である。

 戦艦は強力であるが、その速力的問題から捕捉さえされなければ船団を逃げ切らせる事が出来るとの認識であった。

 水上機の運用能力が強化されているのも、この為である。

 外洋でも積極的に水上機を運用し、戦艦などを早期発見して回避する目的であった。

 

 艦名 プロイセン級装甲艦

 建造数   12隻 (プロイセン バイエルン ブランデンブルク 4番艦以降は建造途中)

 基準排水量 22,700t

 主砲    52口径28㎝3連装砲 2基6門

       55口径15㎝連装砲  2基4門

 装甲    耐8in.防護を実施

 速力    33ノット

 主機    ディーゼル

 艦載機   水上機7機

 

 

 奇しくもプロイセン級装甲艦は、目的は違えどもアメリカのキティホーク級偵察巡洋艦に似た装備構成となっていた。

 差は主砲と艦載機程度である。

 只、口径に於いて28㎝を採用し、8in.のキティホーク級に対して威力で優位に立つプロイセン級であったが、発射速度を加味した場合、その評価は逆転する。

 そもそも、装甲に於いて20,000t級で実現できるのは精々が耐8in.砲弾レベルである為、命中してしまえば差など少ないのだから。

 又、艦載機で見た場合、もはや比較する事が残酷であるとも言えた。

 プロイセン級が搭載するのは古式ゆかしい複葉の水上機であるのに対し、キティホーク級は垂直離着陸が可能な、プロペラ推進式艦載戦闘機の極北に居るF/VP-1哨戒戦闘機だからだ。

 又、艦載機を除くあらゆる面でプロイセン級を圧倒する30,000t級の大型巡洋艦であるアラスカ型の建造も進めている為、アメリカ海軍はプロイセン級を深刻な敵とは認識して居なかった。

 

 

*4

 ソ連船団の艦船には、ソ連とドイツが共同研究して開発した艦載型レーダーが幾種類か搭載されていた。

 又、大型の客船の中には、高価な日本製の輸出用民生規格(漁船用)レーダーを搭載しているものもあった。

 1930年代後半からは、ある程度の先進技術機器も日本は輸出する様になっていた。

 無論、無差別に行われてはいない。

 電子回路などのブラックボックス化を行った上で、機密保持に関する厳しい条約を締結した国際連盟加盟国に限りと言う形である。

 ソ連の民間船舶に搭載出来たのも、ソ連が国際連盟に加盟し続けていればこそであった。

 尚、この機密保持に関する条約とブラックボックス化(分解禁止処置)であるが、ソ連は意外なほどに遵守し、分解その他を行わないのは勿論、ドイツの技術者相手にも詳細を告げる事をしなかった。

 これは、日本への恐怖があればこそであった。

 下手な事をすれば日本が完膚なきまでに敵になり、敵となれば一切の妥協はしてこないだろうと言う恐怖だ。

 その恐怖があるにも関わらず日本製の航行レーダーを購入したのは、バルト海や北海といった海域の気象環境が悪く遭難などの危険が高いからであった。

 

 




2021/03/12 文章修正

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