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欧州中と言ってよい規模で艦艇が集まり、世界の耳目が集まっている北海南部海域。
緊張して、誰もが固唾をのんで事態に臨んでいた。
既にフランスとドイツの関係は危険水位へと達しているのはどの国の目にも明白であったからだ。
だが同時に、この事態が戦争に繋がらないだろうとは予想していた。
何しろ欧州の大多数の国家が艦艇を派遣する大騒動になっているのだ、そんな場所は誰もが注意して行動するだろうから問題は発生しないだろうと
緊張感の伴った小競り合い。
その程度で終わるだろうと、信じていた。
――ドイツ
ヒトラーより、
時流に乗った部分が大きいとは言えオランダ社会の中に無視しえない規模の親ドイツ派を作り上げており、その中には現役の軍人も含まれていたのだ。
こうなれば小規模の集団、或いは
全ては
対オランダ限定戦争計画、秘匿名称
オランダを収める為の小さな戦争。
誰も損をしない、オランダとの経済交流が太い日本にすら配慮した*1素晴らしい戦争計画であった。
ドイツに対して圧力を高めているフランスも、ドイツが偉大さを増せば手を出してはこれなくなるだろう。
ポーランドに至っては平伏以外は出来ない。
ドイツが強大化する事によって生まれるヨーロッパの安寧 ―― そう考えていた。
――北海南部域
始まりは余りにも小さな爆発であった。
フランス艦隊やオランダ艦隊と睨みあっていたドイツ艦隊の駆逐艦、その側舷がいきなり爆発し炎上したのだ。
即座にドイツは、オランダに対して
理由の如何によっては発砲も辞さないと言う強硬な一文が添えられていた。
慌てたのはオランダ側である。
ただ対峙していただけの相手が、いきなり爆発し、その理由がオランダにあると言ってきたのだ、慌てぬ筈が無い。
オランダの指揮官は急いでこの場の各オランダ艦艇に対して発砲の有無を確認すると共に、オランダ本国へと緊急電を発した。
常識的な対応であった。
だが、今回はそれが仇となる。
この海域に出てきていたオランダの各艦と連絡に時間が掛かってしまい、ドイツ艦隊との連絡が十分に行えなかったのだ。
ドイツ艦隊は、その行動を時間稼ぎと判断し、
その判断の背景には、オランダの最有力艦である海防戦艦アムステルダムがドイツ艦隊の前に出てきたと言うのも大きい。
オランダ側としては抑止力を期待しての行動であったが、ドイツ側は威圧に出てきたと判断したのだ。
この場に居たドイツ艦で最大のものが、アムステルダムよりも小型な装甲艦アドミラル・シェーアであったと言うのも、その判断の背景にあった。
戦艦ビスマルクなどは、補給の為に
兎も角、主砲の口径こそアムステルダムに優越するアドミラル・シェーアであったが、それ以外のあらゆる面で劣勢にあった。
特に、アドミラル・シェーアの艦長はアムステルダムの主砲発砲速度を恐れていた。
10,000tと言う船体に28.3㎝砲を載せた
否、それどころか比較的薄いとすら評価されていた。
故に、現状の至近距離で戦闘ともなれば、手に負えないだろうと考えたのだ。
自衛行動とは、ドイツ海軍にとって貴重な大型艦を傷つけさせない為の行動であった。
とは言え、即座に発砲 ―― 砲火を交えようとした訳では無い。
ドイツ側の指揮官も艦長たちもそれ程に短慮では無かった。
只、
彼らは
オランダ艦艇の艦長で、
大病を患った家族の為に金を欲したオランダ艦の艦長は、己とその部下が死ぬ可能性が高い事を理解して尚、ドイツ艦へ向けての発砲を命じた。
始まりの号砲が響く。
――北海南部海戦
誰もが注視する中で行われたオランダ艦 ―― オランダ側駆逐艦の射撃は、至近距離であった事から見事にアドミラル・シェーアを捉えた。
そこから始まった
アドミラル・シェーアが暗号化しない無線にて
主砲である28.3㎝砲には砲弾が装填済みであった為、オランダ側が何らかのアクションを起こす前に発砲が行われた。
至近距離で放たれた砲弾は、誤る事無く最初に発砲したオランダ駆逐艦を粉砕した。
更には副砲が別のオランダ艦に向けて発砲を開始する。
他のドイツ艦艇も、攻撃を開始する。
こうなってしまえばオランダ側に出来る事は無く、只ひたすらに応戦するのみであった。
とは言え、ドイツ側と違って即応準備が出来ていなかった為、先ずはけん制の発砲を行いつつ退避するという塩梅であった。
そんなオランダ艦艇の中にあってアムステルダムが、唯一、気を吐いていた。
最前線に居た事もあり、殿とばかりにドイツ艦隊に立ちふさがったのだ。
直ぐに被弾し傷だらけになるアムステルダムであったが、駆逐艦などの主砲程度で、その凶器としての本質はいささかも減じる事は無かった。
8in.砲との撃ち合いを前提に船体各部へと十分な厚みを持って施された装甲、そして日本の設計技術が生み出した装甲配置あればこそのタフネスさであった。
素晴らしい運動性を発揮し、発射された魚雷は見事に回避してみせていた。
そして反撃となる。
全自動化された8in.砲は、素晴らしい速さで戦闘準備を終わらせて雨霰とばかりに砲弾をドイツ側に浴びせだしたのだ。
狙ったのは、退避中のオランダ艦艇を追いかけていたドイツ側の駆逐艦部隊だ。
自らに迫るドイツ艦を相手にせず、味方を守る為に奔るアムステルダム。
ドイツ駆逐艦部隊は、直ぐに火だるまとなる。
この間、ほんの5分と経過していない。
アドミラル・シェーアが火力をアムステルダムへと指向させる前の早業であった。
こうなってしまうとドイツ側も離脱を優先せざるを得ない。
が、そこに戦闘準備を終わらせた
ドイツ艦隊に対して砲口を突き付けつつ、無線にて
ドイツもフランスと交戦する程には頭に血を上らせていない。
ドイツ艦隊指揮官は旗下の艦艇に対し、フランス艦艇に対して絶対に発砲しない様に命令する。
問題は、既にオランダ艦艇へ向けて発砲済みであった事と、フランス艦艇はオランダ艦艇とドイツ艦艇の間に潜り込んできたと言う事であった。
フランス海軍指揮官は、嬉々としてドイツに対する自衛戦闘を宣言した。*2
とは言えドイツ側にはフランスの戦意に応じる余力は無かった。
ドイツからしてもフランスは10年来の敵意に燃える相手ではあったが、既にアムステルダム1隻によって艦隊の大多数が撃破されているのだ。
この上でフランス側と交戦するのは不可能と冷静にドイツ艦隊指揮官は判断し、退却開始を命令するのだった。
流石のフランスも素直に退いたドイツ相手に追撃する事は無かった。
世界の耳目が集まっていると言う意識あればこその態度であった。
これにてフランス・オランダ・ドイツの戦いは一旦は収まる事となる。
だが、この日、世界を驚愕させる事は、これだけに終わらなかった。
オランダの駆逐艦が情報収集に来ていた日本艦、まつ型汎用哨戒艦さくら相手に発砲したのだ。*3
唐突に、それも至近距離で砲撃されたさくらは船体に被弾する事となるが、幸いにも主機への被害は出なかった為、即座に離脱を敢行。
常であれば出す事のない最大速力 ―― 海上自衛隊艦船らしくあり
逃走しながらもオランダ駆逐艦に対して攻撃の理由を問うと共に、攻撃を受けた事を無線にて報告していた。
慌てて追撃に出たオランダ駆逐艦であったが、巧みな機動性を発揮するさくらに致命打を与える事は出来なかった。
それどころか、さくらの76㎜砲で手痛い反撃を喰らっていた。
主砲、艦橋、煙突と主要な場所に複数の被弾をし、艦長以下多くの人間が死傷したオランダ駆逐艦は追撃が困難となった。
最終的にオランダ駆逐艦を振り切ったさくらは、近海に展開していたブリテン海軍部隊と合流し、この庇護を受ける事となる。
――日本/オランダ
負傷者こそ出たが、幸いにして戦死者を出す事は免れたさくら。
だが、話がそこで終わる訳では無い。
日本政府は、国内世論が激高せぬ様に注意して情報を開示すると共に、オランダ政府に対して謝罪と賠償、原因の究明、そして責任者の処罰を要求した。
国際連盟を舞台に、自らの事務所へとオランダ代表を呼び出した。
高圧的な態度は
日本とは日本連邦であり、日本連邦とは
兎も角、
オランダは恐怖した。
恐怖したどころでは無かった。
怒れる日本がチャイナ相手に力を振るった記憶もまだ生々しいのだ。
同じように海洋から攻撃を受けたら、或いはオランダ領東インドを焼かれたら ―― オランダは
日本に対しては、必ずや誠意ある対応を行うと平身低頭どころか平伏する勢いで頭を下げて時間を得ると、人権だのなんだのと言う建前をかなぐり捨てて動き出す。
恐慌状態に陥ったオランダ政府は、全ての責任をさくらを攻撃した駆逐艦の艦長に押し付ける事を決めた。
又、尉官級以上の基幹要員も全て拘束し、
その結果、浮かび上がったのはドイツの策謀であった。
だが、オランダ国内で好き勝手にドイツが政治的に活動していたと言う事は判った。
ガチギレしたオランダ政府は、それまで国民の一部にある親ドイツ派へ配慮していた部分をかなぐり捨てて、全力で弾圧を行う事となった。
又、現時点で判明している事を全て日本に通達していた。*4
――ドイツ
北海南部海戦の結果 ―― ドイツ人将兵の死傷者を理由にしてオランダへの懲罰と併合を予定していた
アドミラル・シェーアも良くて中破、厳しく判定すれば大破と言う有様なのだ。
それが新鋭とはいえたった1隻の
オランダを得る上での
又、この被害を梃子にしてオランダ政府を威圧し併合する予定が、オランダは日本への対応に掛かりっきりであり
北海南部海戦の話し合いにはフランスが出てくる有様。
その上、オランダ国内に作っていた親ドイツ組織が片っ端から摘発され、弾圧されだす始末。
予想外にも程があると言うものであった。
ドイツ政府内部で
だがWaffen-SSの指揮官は涼しい顔で、戦争の理由は出来たのだから併合してしまえば問題は無いと嘯くのだった。
その上で、オランダ政府の目は日本に向いている。
世界の目もそうである。
であれば、準備を見抜かれる恐れも無い。
懲罰として侵攻すれば問題は無いと断言していた。
最終的にヒトラーは、この発言を認めオランダ侵攻作戦
日本が保有するオランダ領インドシナ利権の保証と、輸出に関わる税率などの低減をもって同意させる積りであった。
ドイツの外務省が継続的に日本と外交を重ねているのである。
であれば、この方向に対して日本の反発は無い ―― そう判断していた。
無茶苦茶とも言えるフランス海軍指揮官の行動であったが、これは彼の独断と言う訳では無かった。
既にドイツとの戦争を決意していたフランス政府が、出撃前にドイツ側と交戦する可能性があった場合、積極的に行動して良いと伝達していたのだ。
フランス陸軍は現時点でのドイツ側との開戦に否定的であったが、それは
であれば、四の五のと言わずともドイツを殴ってよいのではないか? と言う
その結果であった。
無論、これも
オランダと日本とを離間させ、万が一にも日本がオランダ救援に動けない様にする為であった。
尚、このオランダ駆逐艦の艦長は、ドイツ人に煽られた
日本人に個人的恨みを抱えていた駆逐艦艦長に対し、オランダのドイツ併合の暁には好待遇を約束する事で、日本艦への攻撃を行わせたのだ。
日本への対応として、ある意味で満点の行動であるが、これはブリテンの入れ知恵でもあった。
最初の国際連盟事務所で日本代表団の部屋から出てきたオランダ代表が、それこそ心臓麻痺で死んでしまいそうな顔色をしていた為、それを偶然にも見たブリテン代表が仏心を出したのだった。
無論、善意だけでは無く、実利を狙った部分もある。
ヨーロッパ亜大陸内に親ブリテン国を作っておく事で、対ドイツ戦争後のヨーロッパでフランスに極端に強い主導権を得させない為の工作でもあった。
尚、この一環としてブリテンはイタリアとポーランドにも支援を行っていた。
ブリテンにとってヨーロッパは、戦争が起きる程に対立して貰っては困るが、同時に、統一した存在になられても困ると言うのが本音であった。