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1944年の対ドイツ開戦時、フランス本土にあった
純粋なフランス人のみならず、フランス
本来であればこの更に倍の兵力 ―― 歩兵師団47個と自動車化師団10個、機械化師団も6個を数える程の戦力を整備していたのだが、残念ながらもアフリカその他の海外県での治安維持戦に投入されており、この場に揃う事は無かった。
最低でも歩兵部隊の移動は自動車化されており、その上で歩兵師団と自動車化師団の差は、後方部隊まで自動車化出来ているか否かの差であった。
又、自動車化された歩兵連隊にも、装甲化トラックなどを装備した前衛向けの部隊と、非装甲のトラックだけが輸送力の部隊が混在していた。
その
対するドイツ陸軍。
此方は、この東部方面に配備していたのは歩兵師団60個、機械化師団14個、自動化師団12個、戦車師団10個もの大戦力であった。*2
総兵力約200万にも達していた。
数だけを見ればフランスのドイツ侵攻軍に優越していた。
問題は、フランスが開戦の時点でまだ予備役兵の動員にまで
この差は大きい。
フランスも予備役兵の動員令は出しており、1乃至2ヶ月後には100を超える師団が用意出来るものとされていた。
又、ドイツの歩兵師団は、その大半が
とは言え、ドイツとて30年代から延々と時間と金を掛けて対フランス戦備を整えてきていたのだ。
百年兵を養うは一日これを用いんがためなり。
フランスとドイツは、それぞれの国家が営々と作り上げてきた全てをぶつけるのであった。
――フランス-ドイツ航空戦
アルザス・ロレーヌ地方を起点とした対ドイツ侵攻作戦、その初手はフランスが大量に用意していた
その数、初日だけで実に300機を超えていた。
原始的な機械式自律誘導装置によって、日本の偵察衛星が把握していたドイツの航空基地や軍事拠点に向かって飛翔し、
目標への命中に関する
戦闘機での迎撃も、そう難しいモノではないのだ。
だが、それをレーダーに対する隠れ蓑として、フランスの爆撃機や攻撃機の部隊がドイツ国境を越えてくるとなれば話は違う。
レーダー関連技術がお世辞にも進歩しているとは言い難いドイツにとって、レーダー上の情報だけで、無人飛行爆弾と爆撃機や攻撃機を識別する事は難しく、故に、飽和攻撃となるのだ。
更には、そこにフランスの護衛戦闘機が付くのだ。
フランスの航空攻撃開始から1週間もせぬうちに、ドイツの防空戦闘は飽和する羽目に陥った。
これ程の事が出来たのは、フランスがドイツとの国境近くに20を超える特設航空基地を用意していたと言うのが大きい。
又、基地へと続く道路を準備していた事、基地の近くに隠蔽した物資集積所を用意していたのも大きい。
そして何より、それらの情報をドイツが把握できない様に、ドイツの航空偵察の類を完全に
ドイツは、フランスが開戦劈頭で大規模な航空攻撃を予定していると察知はしていたが、その規模までは理解出来ていなかったのだ。
無論、ドイツとて状況を座視した訳では無かった。
フランスに頭上を握られては戦争にならぬとドイツ陸軍は空軍に強く要求、最終的にヒトラーすらも動かして航空戦力の集中が成される事となる。
空軍総司令官は
問題は、何時迄にと言う事だった。
手すきの航空部隊を集中させる事は問題ではない。
だが、集めた航空部隊を運用する事は簡単ではない。
燃料弾薬に予備部品の備蓄、整備兵などの移動。
そもそも、航空機を展開させる基地の手配。
ヒトラーや空軍総司令官がやれと命令しても、それを実行するのはそう簡単ではないのだ。
しかも、その空軍基地は常にフランス側に狙われており、昼夜を問わずに無人飛行爆弾が狙ってくるのだ。
基地の拡張も物資の備蓄も簡単に出来るモノでは無かった。
それでもドイツ人らしい不断の努力を積み重ねで、開戦から1週間で
とは言え部隊数こそ増えては居たが、戦闘投入可能な戦闘機数は開戦前の1.4倍と言う程度に留まっていた。
フランスの航空攻勢は、航空装備技術の差以上に事前準備の差によって明確な結果を齎していた。
航空優勢はフランスが握った。
それをフランスが確たるものと理解した時、それがフランス陸軍前進の時であった。
――フランス陸軍/第1次ドイツ侵攻作戦
初手は牽引式野砲の一斉射撃だった。
国境線から10㎞程の全て、フランスの偵察部隊が把握したドイツ側の防衛拠点を全て耕す勢いで猛烈な砲撃が行われた。
そして始まる進軍。
フランスはアルザス・ロレーヌ総軍が攻勢の主軸を担う事となる。
中でも装甲部隊を集めた第13軍は、貧弱なドイツの抵抗射撃をものともせずに前進した。
国境線を突破した日、その日だけで第13軍は40㎞近い進撃に成功していた。
他のアルザス・ロレーヌ総軍隷下の第1軍と第39軍も、その側面を支える形で進軍しており、30㎞を超えていた。
初日の攻勢としては大成功であった。
翌日も、その後も同じように出来るだろう。
参謀本部でも前線でも、誰もがそう思っていた。
参謀本部では大っぴらかにワインで乾杯し、前線の将兵もこっそりと持ち込んでいたワインを回し飲みして今日の勝利を祝い、明日の勝利を祝った。
フランスが勝利の美酒 ―― その予感に酔いしれていたのは、その夜迄であった。
翌日、国境線から50㎞を超えた時点で、ドイツ側の抵抗が頑強なものとなった。
別段にコンクリートで固めた永久陣地が複数用意されていた訳では無い。
塹壕が用意されていた訳でも無い。
だがしっかりと作り上げられた野戦陣地が連なり、そこに大量の銃器や対戦車兵器、そして大口径の対戦車砲が備え付けられていたのだ。
7.5㎝や8.8㎝もあったが、大多数は10.5㎝から15㎝であった。
それが大量に陣地に設置され、攻撃してくる。
ドイツ自慢の戦車は影も見せなかった。
だが、陣地に籠った大口径砲の厄介さは、戦車とは別種であり、そして別格であった。
フランスが前面に立てている55tの重戦車ARL40は重戦車の
手ひどい被害を重ねていくフランス装甲部隊。
10m進むたびに1両の戦車が脱落する、そんな戦いが繰り広げられる事となる。
だが、それでも押し込むのはフランスだ。
攻勢を続けているのはフランスだ。
それ故に、フランス参謀本部では事態の深刻さに気付けなかった。
だが前線部隊は異常を感じていた。
1つは捕虜の少なさ。
陣地まで迫られたドイツ陸軍は、それまでの頑強な抵抗を忘れたかのように何の躊躇も無く陣地を捨てて撤退する。
戦死者こそ残しても、負傷者を残す事は先ずない。
全くない訳では無い。
だが余りにも少ない。
異常と言えた。
もう1つは、陣地に蓄積されていた弾薬や食料だ。
少ない。
とても少ない。
元より放棄予定 ―― 数度の火力応酬後には放棄する予定だった、そう思っても不思議では無い程に弾薬も食料も陣地には少なかった。
何より、野砲の鹵獲が無いのが不気味だった。
後方部隊が撤退する隙も与えずに前進できていない事を意味するからだ。
アルザス・ロレーヌ総軍の前進は続いている。
だが、前線に居るフランス軍将兵は己が勝利しつつあるとは思えて居なかった。
――ドイツ/西方総軍司令部
フランスの攻勢を、ドイツ西方総軍司令部は諦観と共に受け入れていた。
遅滞戦闘によってフランスの攻勢を制御し
どれ程に戦車や装甲車を撃破しても、遮二無二突進してくるフランス軍。
この為、元々、遺棄も想定されて開発製造された安価な簡易対戦車砲*3を大量に喪失していた。
1000だの2000だのと失った所で痛痒を感じない程度には量産していたが、それでもここまで失うのは予想以上であった。
陸上の戦いは概ね、作戦通りであった。
フランス軍の攻勢を正面から受け持つW軍集団の損失も、想定の範囲内には収まっていた。
A軍集団及び第3軍集団によって、フランス軍が脇道に逸れる事も無い。
そもそも、フランスが望むルール工業地帯への道へと誘導しているのだ。
フランスは勝っている積りなのだ ―― 少なくともフランスの軍上層部、そして政府は。
ドイツにとって問題は空の戦いであった。
開戦劈頭から航空優勢を奪われ続けているのだ、
この為、西方総軍司令部は直接にヒトラーへと掛け合い、ヒトラー自らが本土防空決戦戦力と命名していた虎の子の第2世代級ジェット戦闘機部隊の前線投入許可をもぎ取った。
――オランダ戦線
日本の第2海兵旅団とブリテンの第7コマンド旅団が防衛戦に加入して以降、戦闘の天秤は一気にオランダ側へと傾く事となった。
訓練と装備良好な機甲部隊は、オランダ軍に最も欠けていたものだから、ある意味で当然だった。
たった2個旅団、されど2個旅団。
特に日本の第2海兵旅団は3個の大隊戦闘団と予備の装甲中隊戦闘団とに分割されオランダ領内を火消し役に奔走した。
中でも世界の耳目を集めたのは、増援としてオランダに到着したドイツ
無論、他にもドイツやオランダの歩兵師団が激しく戦火を交えてはいたのだが、両部隊の戦いは。
片や戦闘重量が70tにも達しようかと言う最新の重戦車 ―― Ⅵ号戦車。
片や戦闘重量は56tの比較的軽量な、日本の新鋭主力戦車 ―― 42式戦車。
世界の注目が集まるのも当然であった。
各国の観戦武官やマスコミが固唾をのんで見守った戦闘は、何の劇的なモノも無く終わる事となる。
攻撃を仕掛けたⅥ号戦車は、遮蔽物の向こう側に身を顰め、或いは縦横に機動する42式戦車の姿を見る事も無く一方的に撃破されていった。
冗談の様な戦いだった。
42式戦車は走りながら発砲し、又は遮蔽物から出た途端に発砲する。
通常であれば命中を期待する事など出来ない射撃が、確実に命中していく。
対してⅥ号戦車は、十分に42式戦車を視認する事が出来ず、発砲はめくら撃ち状態であった。
これでは命中を期待するどころか、至近弾すらも難しいのが実情であった。
観戦武官やマスコミ、或いはドイツ軍戦車乗組員すらも何が起こっているのか理解する事は難しかった。
とは言え、ドイツ側指揮官も全くの無能と言う訳では無い。
だが、その動きを装甲中隊戦闘団がオランダ軍部隊と共に抑える。
オランダ軍の指揮通信系統を装甲中隊戦闘団の通信小隊が代行する事で、速やかな部隊展開と戦闘とが可能となった結果だった。
無論、装甲中隊戦闘団が受けていたUAVなどでの偵察情報のバックアップあればこそと言う側面もあった。
かの如く、ネットワーク戦を可能とする
世界は日本の一端を知る事となる。
尚、ユトレヒト市を巡る戦いは、この後、ドイツ側が撤退するまでの小競り合いで2日ほど続く事となった。
主力となる1つの総軍と側面を支える2つの軍集団、そして1つの戦車軍集団に分けて運用するのだ。
アルザス・ロレーヌ総軍
22個歩兵師団
4個機械化歩兵師団
2個戦車師団
第1軍
第2軍
第4軍集団
12個歩兵師団
1個戦車師団
第11軍
第41軍
第42軍
第9軍集団
8個歩兵師団
1個戦車師団
第5軍
第91軍
第7戦車軍集団
4個機械化歩兵師団
6個戦車師団
第7軍
第77軍
ドイツは対フランス用として集積させた戦力を西方総軍として1個の司令部の下で一元管理していた。
全ては、緻密に練り上げられた攻勢防御作戦
西方総軍
A軍集団
10個歩兵師団
3個自動車化師団
B軍集団
7個歩兵師団
6個機械化師団
1個戦車師団
W軍集団
30個歩兵師団
4個自動車化師団
2個戦車師団
第3軍集団
13個歩兵師団
2個自動車化師団
第1装甲軍集団
8個機械化師団
5個戦車師団
10.5㎝Pak 42及び15㎝Pak 43と言う2つの対戦車砲は1940年代初頭に、来るべきフランスとの決戦に向けて開発された対戦車砲であった。
特徴は高性能を追求していない、と言う事である。
特殊な鋼材を出来るだけ使わない様に配慮し、量産がし易い簡素な構造を採用していた。
砲身命数すらも度外視する事が認められていた。
とは言え、
15㎝Pak 43は若手技術者が中心となって開発されており、文字通りの意味で割り切った対戦車砲として生み出された。
大重量砲弾で相手の装甲を叩き割る大威力砲は、そうであるが故に、次発装填を割り切っていた。
装填時間を短縮できそうな設計を全て諦め、砲を安くする事を優先したのだ。
その徹底ぶりに、兵士たちは15㎝Pak 43に
2021.05.21 文章修正