タイムスリップ令和ジャパン   作:QgkJwfXtqk

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14.1929-2 戦後の日本

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 日本の国防に関して問題化したのは2つ。

 1つは、戦車などの重装備の保有数 ―― 規模だ。

 此方は軍需による日本の国内生産力の行使、即ち景気対策としての軍拡を実施しさえすれば問題とはならない。

 問題はもう1つ、エンジンやミサイルなどの完全な輸入で賄っていたもののメンテナンスである。

 此方は実に頭の痛い問題となっていた。

 特にエンジンに関しては、航空機用が民需も含めて大きな問題となった。

 タイムスリップが判明して早々にエンジンのリバースエンジニアリングは在日米軍の協力も得て行っていたが、日本ソ連戦争という実戦で、恐ろしい程の勢いで稼働率が下がる事となったのだ。

 何とか、戦争は乗り切る事に成功したが、日本は慌ててエンジンなどの開発を進める事とした。

 

 

――装甲車両の開発

 日本本土と異なり台湾や朝鮮、樺太のインフラは貧弱であった。

 貧弱であるからこそ装軌車両が必要であり、又、各邦軍(連邦軍)の装甲化も喫緊の課題とされた。

 大規模な歩兵部隊を前線に張り付けるコストを回避する為に、日本は機械化を推し進める事となる。

 最初に開発されたのは戦車であった。

 主砲は砲弾の備蓄がある16式機動戦闘車の105㎜ライフル砲が選択された。

 重量39t。

 装甲は防弾鋼板の溶接構造を採用しているのは、本車両が想定する敵車両の攻撃力からの判断であった。

 エンジン、足回り、FCS、全ての面で簡素化と可能な限りのコストの削減が図られている。

 これは生産コストの低減もあるが、整備能力の低い各邦軍に配備し、運用する際に問題が発生しない様にとの配慮であった。

 1920年代の人間に、急に100年先の技術を使えと言うのは酷であり、教育をするにしても教官の育成は簡単に行えない事が理由であった。

 又、10式戦車などとの顕著な違いとしては、居住性の改善があった。

 前線に張り付ける運用も想定される本車両は、居住快適性も重要な項目であった。

 2年の歳月という、極めて短時間で開発された本戦車は31式戦車と命名され配備される事となる(※1)。

 31式戦車の開発と前後して、出来るだけ同じメンテナンス部品を使う装甲車両の開発も行われた。

 此方も単独でのコストではなく運用や整備まで含めたコストの圧縮を狙う形であった。

 31式戦車が最優先された為、1年遅れの32年度に制式化され、此方は32式シリーズと呼ばれた。

尚、陸上自衛隊の装備に関しては10式戦車と16式機動戦闘車の定数拡大をもって対処するものとされた。

 

 

――航空機の開発

 日本ソ連戦争によって爆撃機の有用性を把握した日本は、大型爆撃機の開発に取り組む事となる。

 前提となる大型爆撃機向けの大出力エンジンが無かった為、最優先で行われる事となる。

 又、制空戦闘機の開発もスタートする。

 今後、登場するであろうレシプロ機への対応としての防空迎撃機の開発である。

 性能だけで言えば航空自衛隊の戦闘機群は50年と先を行く隔絶した性能を持っているが、如何せん数の問題がある。

 この為、ターボプロップエンジンを搭載する制空戦闘機の開発がスタートする。

 主武装は20㎜機関砲と携帯SAMを転用した近距離空対空ミサイルだ(※3)。

 速度の優位とレーダーによる管制を受けた誘導弾を持った全天候型戦闘機だ。

 20年は優位が保てるであろうとの判断であった。

 此方は3年程の時間で完成する事なる。

 1933年にF-5戦闘機と命名され、配備されて行く事となる。

 他に、ヘリコプターで対地攻撃型の開発が行われた。

 50年は防空手段の未発達であろう事から、経空砲兵的な運用を期待しての事であった。

 とは言え、輸送ヘリの武装化によるものではない。

 これは、輸送ヘリとしての能力に積載量を喰われる事を懸念しての事であった。

 

 

――艦船の開発

 やまと型甲種護衛艦の建造は山場を迎えていた。

 それ以外で、この時代へと適合する為の艦船の建造に関しては、主たるものは自粛状態にあった。

 軍縮条約への恭順と言っても良い。

 日本にとって、海洋での脅威となりうる国家はアメリカとブリテンだけであり、その2国とも良好な関係を維持している関係上、戦力の整備を行う必要が特には感じられなかったと言うのが大きい。

 この為、建造されたのは基準1500t級のOPVが精々であった。

 これは領海が拡大した事への対応が主目的であった。

 特に南洋邦国でのプレゼンスの維持の為は重要であった。

 同じ事はオホーツク海全域でも言えた。

 この為、30隻近い建造が行われる事となった(※2)。

 だがOPVの建造以上に重視され拡大したのは海上保安庁の船舶であった。

 従来の倍以上の領海と排他的経済水域を得た為、倍とは言わぬレベルでの規模拡張を強いられる事となった。

 

 

 

 

 

 

(※1)

 31式戦車は、日本からしてみれば極めて手頃で簡素化された戦車であったが、同時に、同世代の戦車からすれば隔絶し過ぎる戦車であった。

 傾斜された装甲、長砲身大口径砲の搭載、大出力エンジン。

 即ち、中戦車以下の火力に対応できる装甲、重戦車を撃破出来る火力、軽戦車にも匹敵する機動力。

 これらを高次元でバランスを取った31式戦車の登場は従来の戦車を全て陳腐化せしめ、31式shock、或は標準戦車shockと言われるものを世界に与える事となる。 

 以前には10式戦車や90式戦車も存在してはいたが、事31式が衝撃を与えたのは、この戦車を日本が国内向けに積極的に宣伝していた事が大きい。

 その上で海外からのメディアからの取材も受け入れて居た為、諸外国に知れ渡ったのだ。

 試作車が出来た段階でフランスは、決戦戦車として3桁単位での購入を打診するほどであった。

 

 

(※2)

 それなりの規模での建造となった為、アメリカやブリテンへの確認を行った所、基準1500tと駆逐艦規模ではあったが、76㎜の主砲が1門と防空用の短距離ミサイルしか持たない、純然たる哨戒艦であった為、問題になる事は無かった。

 又、海上保安庁の巡視船に関しても同じであった。

 大型巡視船などは軽巡並みの規模を誇っては居たが、その火力の低さと船体構造が戦闘向きでは無い事から問題とされなかった。

 

 

(※3)

 主武装20㎜2門を想定していたが、詳細設計の時点で機載用のコンパクト軽量な20㎜砲の開発が難航する事が判明した為、一旦は20㎜武装は撤回され、12.7㎜機銃を採用する事となる。

 その後も20㎜砲の開発自体は検討されるが、最終的には新規開発は却下される事となる。

 但しそれは20㎜砲の搭載を断念する事は意味しない。

 将来的な大型爆撃機等との交戦を考えた場合、20㎜砲の持つ威力は魅力的であったからである。

 この為、最終的には翼内への搭載を諦め、機首部分へM197機関砲の改修型を搭載する事で落ち着く事となる。

 

 

 

 

 




2019.05.04 記載を追加する。

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