タイムスリップ令和ジャパン   作:◆QgkJwfXtqk

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140 第2次世界大戦-07

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 ドイツ西方空域でのドイツとフランスの航空戦は、フランスがドイツ領内に進むにつれてドイツ側優位になりつつあった。

 ドイツ側が後退する際に交通インフラを破壊しながら後退していたからだ。

 橋を落とし、道路に大穴を開ける。

 特に主要道路には徹底して行われていた。

 又、大規模なものでは、丘陵地帯に爆薬を仕掛けて人工的な山崩れすら起こして道路を封鎖していた。

 地形すら変える勢いで行われたソレは、地元経済に甚大な被害を与える事になるが、ドイツ軍は躊躇なく行っていた。

 日本などに比べて平らな土地と言っても過言ではないドイツであるが、やはり道路と比べれば丘陵や農地、その他を通れば物流 ―― 補給の効率が低下するのも当然であった。

 又、小さな道には何処其処に(対戦車地雷等)が仕掛けられており、()()()()()を行わねば安心して使えるものでは無かった。

 航続距離が長いとは言い難い第2世代型ジェット戦闘機の戦いは、距離の問題を無視できるものでは無いのだ。*1

 又、連日の出動によって交換部品の減少や、それに端を発した機材故障などのトラブルが続発する様になった事も、()()()()()()()()()()航空優勢争奪戦の低調化を齎していた。

 ジェット戦闘機の、である。

 両陣営ともに主戦力(ジェット戦闘機部隊)が駄目と成れば諦める程に戦意は低く無く、二線級の装備となっていたレシプロ戦闘機の部隊を前線へと投入ししのぎを削った。

 フランスは自前が駄目であるならばと、盟友(G4)であるブリテンと日本に航空部隊の配備を強く要請した。

 が、両国の反応は芳しいものでは無かった。

 共に、自国の部隊が戦っているオランダ戦線を優先したからである。

 特に日本は、この段階でヨーロッパに配備していた部隊規模が小さい為、ない袖が振れる筈も無かった。

 対してブリテンであるが、此方は協力自体は約束したのだが、地上(支援)部隊の展開無しに航空部隊を投入する事は難しい為、時間が必要であると言う返事であった。

 当然である。

 貴重な最新鋭ジェット戦闘機を、フランスの為に片道使い捨て上等で投入する程、ブリテンは有情な国家では無いのだから。

 アメリカにも相談したのだが、此方も協力自体は約束したが、早期というのは難しいと言う返事であった。

 フランスは友好国を一通り罵った後、戦力の集中と再編の努力を開始した。

 尚、ドイツは最新鋭のジェット戦闘機を保有する友好国が存在しない為、黙ったままに努力を続けた。

 

 

――フランス/アルザス・ロレーヌ総軍

 急進するアルザス・ロレーヌ総軍(フランス)W軍集団(ドイツ)の戦いは、交通インフラが破壊されている事もあって、ライン川を介する形で行われ続けた。

 如何にドイツとは言え川を破壊する迄は出来ない ―― そう見越しての事であった。

 又、ライン川は作戦の第1段階目標であるルール工業地帯へと繋がっている事も、好都合であったのだ。

 それはドイツにとっても()()であった。

 兎も角。

 遅滞戦闘(ジリジリと後退)をするドイツと、追撃(遮二無二の前進)を行うフランス。

 その流れはライン川とマイン川が合流する地点、マインツ市近郊まで続いた。

 マインツ市、そこをドイツ軍は大量のべトンや鋼材を用いて要塞化していたのだ。

 否、マインツ市だけではない。

 ダルムシュタット市やフランクフルト市までも連携する大要塞地帯と化していた。

 その全てが永久陣地と言う訳では無いのだが、丁寧に作られた塹壕や掩体壕は決して侮れるものでは無かった。

 それらは空からでは判らぬ様に、厳重な偽装が行われ、市民は大多数が強制的に避難させられ、戦いに備えていたのだ。

 ドイツ軍はこの場を決戦の地に選んだ。

 フランス軍の先遣(威力偵察)部隊は、一当たりした後にそう上層部に報告していた。

 報告にアルザス・ロレーヌ総軍司令部は踊りあがった。

 この時点でアルザス・ロレーヌ総軍は、保有する装甲機材の4割を損耗しており、フランス軍上層部では先鋒の役割の交代を検討しだしている状態であった。

 ()()()()()()()()()()

 前線の将兵たちは交代する事を望んでいた。

 フランスが押している側(攻撃側)とは言え、装甲部隊の被害は大きく、又、戦利品も少ない。

 勝っていると思わせてくれる、哀れな捕虜も殆ど居ない。

 後方からの補給は途絶えがちで、食事は冷たく十分な量が回る事は少ない。

 開戦前のフランス軍上層部がドイツの事を、一足で踏みつぶせる哀れな世界の敵(腐ったジャガイモ)と宣伝していたにも拘わらず、だ。

 戦意が下がるのも当然だった。

 だが上層部、特にアルザス・ロレーヌ総軍司令部 ―― 司令官の感情は違った。

 ドイツを消滅させる戦争の先鋒を仰せつかり、50万を超える大軍を預かり、戦功を名誉を稼ぐ機会であったにも拘わらず、それを成さず、ただ()()()()()()()()()に消耗し、名誉を他の人間に与えるなど認められる筈が無かった。

 配下の状態は把握していた。

 戦意が下がり、装備状態も良好とは言い難くなりつつある事は認識して居た。

 だからこそ、決戦を喜んだのだ。

 この戦いに勝利し、名誉と共に後続部隊 ―― 第2陣の第4軍集団へと交代しようと考えたのだ。

 個人の欲望が、アルザス・ロレーヌ総軍50余万の人間の運命を決めた。

 

 

――ドイツ/西方総軍

 フランス軍前衛部隊がマインツ市への攻撃を開始せり、そう現場の()3()軍集団司令部から報告を受けた西方総軍司令部は喝采を上げた。

 そして後方 ―― 開戦以来、国土が削られていく報告に胃を痛めながらも耐えに耐え、軍を信じていたヒトラーへ短い報告を行った。

『Rana esculenta』

 フランスでも一般的に食べられているカエルの名前、その意味するものは()()()()調()()()()()()()であった。

 返信はヒトラーの出す総統指令で最も短いものであった。

()

 意味する事は一つ。

 勝て、ただそれだけが返されたのだった。

 黄色(ケルプ)作戦が第2段階を迎える。

 

 

――マインツ会戦

 ドイツが誘い、フランスが乗ったこの戦い。

 初手は凡戦の構えであった。

 名誉欲に突き動かされたフランスであったが、無理な攻勢(ソンムの戦いの再現)を行ってでもと思う程に愚かでは無かったからだ。

 ドイツ側は勿論、防戦の一手であり、無理な反攻を行う筈も無かった。

 大量の対戦車砲はフランス側の戦車が攻め寄せるのを阻止した。

 だがフランスにはドイツに無い、絶対的な優位点があった。

 野砲の数である。

 ドイツは確実にフランス戦車を撃破できる点を重視し、野砲よりも対戦車砲の量産を優先していた。

 その悪い影響であった。

 そしてもう1つ。

 フランスが攻略側であるお陰で、野砲を自由に展開できると言う事であった。

 これは砲兵戦に於いて圧倒的な優位をフランスに与える事となった。

 大量の榴弾によってマインツ市外郭の火点や陣地を1つずつ丁寧に潰し、そして接近していく。

 その様は正に戦場の支配者であった。

 支配者の寵愛を受ける者が戦場では勝利者となる。

 寵愛(降り注ぐ榴弾)が敵の頭を押さえ、戦車が盾となって敵に迫り、そして歩兵が蹂躙する。

 ドイツ側も猛烈に反撃(カウンターバッテリー)を行うが、その発砲を捉えられて、反反撃(カウンター・カウンターバッテリー)を喰らう始末であった。

 又、籠っている場所が判っているのでと、猛烈なロケット弾攻撃も浴びせられた。

 それは建物を破壊しつくす勢いでもあった。

 ドイツの想定外、フランスにはマインツ市を確保する理由など無かったのだ。

 戦闘開始から3日で、マインツ市外郭の拠点は軒並み潰され、市内の建物も2割以上が崩壊していた。

 歴史ある建物、民家、教会や病院、細かい事を問わず片っ端から吹き飛ばす勢いだった。

 ドイツ側はフランスの余りの乱暴さに絶句する程であった。

 尚、フランスは、焼夷榴弾を用いないだけ有情であると胸を張っていた。

 この勢いで交戦が続けば、1月と持たずにマインツ市はフランスの手に落ちる、そう判断したドイツ西方総軍司令部は、やや準備不足 ―― 囮としてアルザス・ロレーヌ総軍の前に立ち続け、そして再編の為に後退していたW軍集団の一部が被害甚大による再編の遅れで再配置されていない事を看過し、反撃を決定する。

 主力はW軍集団。

 マインツ市へと取り付いているアルザス・ロレーヌ総軍の横っ面へ、戦車を先頭に立てて殴り込んだのだ。

 その際、それまで用意していた罠を発動させる。

 マインツ市周辺の大規模な建物、フランス軍が接収し指揮所にしそうな建物の地下に仕込んでいた爆薬を片っ端から発破したのだ。

 この罠が数日、或いは数週間で用意されたものならばフランスも気づいただろう。

 だがコレは何年も掛けて用意された罠だった。

 厳重に防水して埋められ、導火線も砲撃で掘り返せぬほどに地中深くを通っていた。

 ドイツ人の執念深さの結晶の様な罠であった。

 吹き飛んだのは建物だけでは無かった。

 道路も掘り返され、橋もその周辺の土地が崩れる程の爆薬が用いられた。

 地形を変える大爆破。

 そこからドイツ軍の反撃が始まる。

 マインツ市の近郊で身を潜めていたB軍集団が、W軍集団と共に、それまで温存していた機械化部隊、装甲部隊を前面に押し立てての攻勢に出る。

 秘匿していた電子戦部隊も、フランス軍の通信網を寸断する。

 ドイツ空軍も今が活躍の時とばかりに、攻撃機(対地攻撃任務機)を前線に出す。

 その様は正に大攻勢であった。

 対するフランスは、爆破の罠に巻き込まれたのは総兵力の1割にも満たない数であった。

 問題は、そこにアルザス・ロレーヌ総軍の司令部が含まれていると言う事であった。

 そして複数の師団司令部も吹き飛んでいた。

 そこに通信妨害が入るのだ、有体にいってワチャクチャであった。

 バイクなどで連絡を回復しようにも、道路も手荒く掘り返されており、短時間での連絡は不可能と言う有様。

 更には、ドイツ最精鋭の装甲部隊である第1装甲軍集団が側面 ―― シュツットガルト方面から、側面を支えてきたA軍集団と共にアルザス・ロレーヌ総軍をかき回したのだ。

 後備え(第2陣)に準備していたフランスの第4軍集団は、敵国領内に居ると言う緊張感を途切らせてはいなかったが、攻勢を行っているのは自分と言う意識からどうしても油断してしまっていた。

 そこに、大爆破である。

 幸い、第4軍集団司令部は移動中であったお陰で爆破に巻き込まれる事は無かったが、それでも幾つかの師団司令部は巻き込まれていた。

 その上で道路などが爆砕されたのだ。

 第4軍集団司令部は、これは尋常な事ではないぞと判断し、果断な決断を下した。

 前進である。

 後退を主張する参謀も居たが、第4軍集団司令官は断固として前進を宣言した。

 これはドイツの反撃の一矢であり、ここで下がればアルザス・ロレーヌ総軍の運命は決まるだろう。

 フランス男は戦友を見捨てない! そう言い放った。

 この腰の据わった指揮官の態度が、第4軍集団司令部から弱気の風(逃げ腰)を払った。

 だが、一般将兵はそういう訳にはいかない。

 前線から逃げ散ってくる将兵、そして追いかけてくるドイツ軍装甲部隊の群れの勢いに圧される事となる。

 被害を顧みない程の第1装甲軍集団の攻勢に、第4軍集団は最初の接触で甚大な被害を出す事となる。

 機材、特に戦車の数が余りにも違い過ぎたのだ。

 1個師団分の戦車しか隷下に置かぬ第4軍集団に対し、第1装甲軍集団には5個の戦車師団と8個の機械化師団が居るのだ、指揮官の性根や将兵の献身でひっくり返せるものでは無かった。

 しかも遮蔽物の少ない平地での衝突であり、又、第4軍集団の殆どは移動体制にあって陣地も何も無かったのだ。

 抵抗出来る筈が無かった。

 第4軍集団は総兵力の約40%を失うと言う大敗を喫して後退するのだった。

 この第4軍集団の後退に巻き込まれる形で、アルザス・ロレーヌ総軍の側面を支えていた第9軍集団も敗退する事となる。

 此方は、A軍集団と小競り合いをしつつ整然と後退する事に成功する。

 (A軍集団)(第9軍集団)の戦力差を冷静に見れば、戦車師団を持ったフランス側が有利であったが、下手に抵抗し敵中に孤立する事を恐れたのだ。

 この一連の戦いでフランスの誇る装甲部隊、第7戦車軍集団は活躍の場を得る事は無かった。

 予備戦力と位置付けられ、後方にあったと言う事が1つ。

 そしてもう1つは、指揮系統の問題であった。

 フランスのドイツ侵攻作戦には、その作戦部隊の全てを前線で統括する司令部が存在せず、全て後方からの指揮に頼っていた。

 第4軍集団にせよ第9軍集団にせよ、第7戦車軍集団に命令する権限は持っていなかったのだ。

 この為、両軍集団の情報を得たフランス陸軍参謀本部が第7戦車軍集団に命令を出す頃には後退する段階に入っており、何も出来る事が無かったのだ。

 とは言え、このままでは両軍集団に更なる被害が出る可能性がある為、その後退支援として前線に出る事を第7戦車軍集団司令部は上申した。

 日本製のJ36戦車(31式戦車)を前面に押し立てて反攻すれば、ドイツの逆襲とて粉砕も夢ではないとも判断していた。

 だが、フランス陸軍参謀本部からの返答は却下であった。

 フランス陸軍の最精鋭装甲部隊、虎の子と言ってよい第7戦車軍集団が()()()()退()()で傷つくなど許せなかったからだ。

 将兵の命も、名誉も考慮されていない指示を受けた第7戦車軍集団司令官は、黙って机を叩き、後退を命令したのだった。

 こうして4日に渡った交戦の末、アルザス・ロレーヌ総軍は後方との連絡を断たれ、マインツ市近郊で川とドイツ軍とに挟まれる形で孤立する事となった。

 とは言え、いまだ戦闘する余力は残していたが。

 司令部を突如として失うと言う大混乱を越えて、組織的戦闘能力を維持できていたのは、幸いな事にアルザス・ロレーヌ総軍隷下の第13軍司令部が無事であったお陰であった。

 上位、及び各軍司令部の人員が消息を絶った(戦死した)結果、臨時にアルザス・ロレーヌ総軍を預かる事となった第13軍は、その司令官の手足となって獅子奮迅の活躍をみせ、アルザス・ロレーヌ総軍の惨めな総降伏(サレンダー・モンキー)と言う恥辱だけは免れていた。

 ドイツ軍の反撃開始から4日目の時点でアルザス・ロレーヌ総軍は総兵力の65%を維持していた。

 とは言えこれはアルザス・ロレーヌ総軍、或いは第13軍司令部の能力にのみ帰する話では無い。

 ドイツ側(西方総軍)の作戦が、フランス領内への侵攻を睨んだ黄色(ケルプ)作戦の第3段階に移行したと言うのも大きかった。

 又、正面に立っていたW軍集団が予定よりも消耗が激しく、積極的な攻勢が難しかったと言うのもある。

 だが何より、そうやって見逃せる程にアルザス・ロレーヌ総軍が弱まっていたと言うのが大きかった。

 総員の65%を維持しているとは言え、意気軒昂で装備良好な部隊はその半数以下(約31%)であり、それ以外は大なり小なりの負傷を負っていた。

 であれば、W軍集団とマインツ市に配置された第3軍集団で対応可能、そうドイツは判断していた。

 

 

――マインツ会戦の終結

 フランスの攻撃から始まった一連の戦いは、最終的に9日間で終わり、ドイツの勝利として歴史に刻まれる事となった。

 ドイツ領内に侵攻していたフランス軍部隊は叩き出される勢いで戦線を後退させた。

 重装備を捨ててまで後退したフランスをドイツが追撃出来なかったのは、奇しくもフランスが重装備を捨てたのと同じ理由であった。

 インフラが破壊され過ぎていたのだ。

 如何な戦車、如何な無限軌道とは言え、この時代の装甲車の足回りでは荒れ果てた大地を自由に走り回るのは難しかった。

 又、戦車が前に進めたとしても、その補給部隊が追従出来ないと言う問題もあった。

 ドイツ人は少しばかりやり過ぎていた。

 兎も角、ヒトラーが上機嫌でアーリア民族の優秀さの証明と宣伝する程度には大勝利で終わったのだった。

 マインツ市近郊に残ったアルザス・ロレーヌ総軍を除けば。

 

 

 

 

 

 

*1

 ドイツのジェット戦闘機の航続距離が短い理由は、出来る限り機体を小さくし、同時に出来る限り出力の大きいエンジンを搭載した結果であった。

 これは、日本の戦闘機や爆撃機を仮想敵と定めた為、最高速度や高高度への上昇能力の要求が極めて厳しく、そして妥協せずに実現する事が最優先されたからであった。

 その代償が航続距離の短さと、兵装の少なさとなってしまっていたのだ。

 低燃費大出力エンジンの開発がドイツで難航していた事も、この原因となっていた。

 そして、ドイツ製ジェット戦闘機を仮想敵としたフランスのジェット戦闘機も、同じ病を抱える事となっていた。

 フランスも又、ジェットエンジンの開発改良で難航しているのだった。

 無論、ブリテンやアメリカからの有償支援を受けられる分、フランスはドイツに対して優位ではあったが、近年は陸軍の整備や海外県(植民地)の警備活動などに予算を喰われており航空機関連部門への投資は低調となっていた為、ドイツに対して圧倒的と呼べる程の優位性が無いのが実情であった。

 

 




2021.05.21 文章修正
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