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ドイツ戦争。
国際連盟に於いて命名された、
欧州のみならず大西洋全域や極東も戦域に含まれている事もあって、ドイツは盛んに世界大戦の呼称を使いたがっていた。
だが極東戦線は戦争と呼ぶには余りにもあっさりと終結し、大西洋の戦いも実質モンスーン戦隊のみが実働部隊と言う有様であるのだ。
世界で戦争が起きていると言うには聊か誇張の伴う表現であると言えた。
特に、世界の大多数の人間にとっては、他人事であった。
戦場となっているフランスやポーランド、オランダ。
或いはドイツと言った欧州に住む人々以外にとっては、遠い世界の出来事であった。
そして、その他人事と言うものに日本人も含まれていた。
――日本/銃後の雰囲気
タイムスリップと言う空前絶後の出来事からはや20年が過ぎようとしている日本。
労働人口の多くが
これは同時に、この
タイムスリップ早々に戦争を仕掛けてきたソ連。
更にもう一回、舐め腐った理由で戦争を仕掛けてきたソ連。
それ以外でも、多々、戦乱が起きていた。
嘗ての世界と異なり、対話による戦争の回避なぞあり得ない ―― 少なくとも彼我共に、戦争を選ばないほうが利益が出ると思わない限り、
それ故に、ドイツ戦争に対しても同情、或いは憐憫を覚える事は無く、反戦争運動などと言う機運が起こる事も無かった。
一部の政治学者や国際評論家を自称する人間からは、
当然である。
大多数の日本人は、世界を背負うなどと言う面倒くさい事はご免であると心底から思っていたのだから。
それは日系日本人だけではなく、タイムスリップ後に日本に加わった米系や英系、果ては露系の日本人ですら同意する事であった。
タイムスリップ当初は、
日本の生活が20年を超え、日本の国籍を得て、生活が根付いてしまうと、なんと言うべきか
世界の不平等への批判を、戦争への反対の意思を、良く冷えたビールと唐揚げ枝豆で消費する生活に馴染んでしまったのだ。
政治的な事を口にし、同時に、同じかそれ以上の熱量で野球やサッカーの試合の結果を話したり、或いはゲームやアニメ、音楽その他のサブカルチャーを楽しむ生活を愛する様になったのだ。
天下国家を語る人間は、憎悪すら込めて
とは言え人間というものは、そう言う存在であった。
平穏と繁栄は人間を文化的にさせる ―― そう評する人間も居る程であった。
タイムスリップの余波による経済的混乱の収まった1930年代中盤以降、G4を主な相手国とした貿易の本格化や日本連邦諸国への投資、特にシベリア共和国と言う広大な
軍需官需主体から民需主導の経済への移行は、経済活動の活性化によって成されつつあった。
だからこそ、日本は世界を見て居なかったのだ。
市場としての日本連邦。
資源その他の輸入先としてのG4。
それだけで日本は事足りていたのだから。
嘗ての米国の様な超大国として世界に君臨したいなど、欠片も思っていなかったのだ。*1
そうであるが故に、日本人はドイツとの戦争も主役である必要は無いと認識して居た。
世界の向こう側で、拗らせた
だがフランスが戦前よりドイツへの殺意を滾らせていたので、戦争は簡単に片が付くだろうと思っていた。
一般市民も、政治家も、軍事評論家を自称する人間ですらも、戦争は短期間で国際連盟の勝利で終わると認識して居た。
違いは、戦争に掛かる時間程度であった。
日本の戦争計画を理解する政治家は、協力をするにしても時間が掛かるし、フランスも即座には全力を発揮できないだろうから半年は掛かると考えていた。
フランスの対ドイツ戦争計画を分析していた軍事評論家は、1月でドイツは瓦解するとTVで言っていた。
一般市民に至っては、貧弱なドイツなので1週間で戦争が終わるのではないかと無責任にインターネットで呟き合っていた。
それが、戦争が始まった頃の雰囲気であった。
――独系日本人
日系外日本人に於いて独系日本人の数、そして影響力は極めて小さいものであった。
只、意識の高さ故に上げる声の大きさだけは大きかった。
世界への、日本による
だが日本人は、日系のみならず非日系も含めて、全ての日本人は礼儀正しく無視をしていた。
そもそも日本政府は内政不干渉の原則を厳格に適用する事を自任しており、この手の主張に同意する事は無かった。*2
日本政府にも日本社会にも相手にされなかった結果、最終的に独系日本人も、日本の生暖かい生活に慣れ、何時しかその手の過激な事を口にする事は無くなっていった。
結果、1940年代の独系日本人が上げる声は、独の魂であるからと日本の地で本場式のビールやソーセージを広める為の主張と、独ビールのブランド維持の為の
唯我独尊とも言われた独系も、結局は日本人化していったのだ。
そんな独系日本人も、今回のドイツ戦争に対しては複雑な思いを抱いていた。
1925年からの、ドイツの選択としての現状をつぶさに見ているので、ヒトラーとNSDAPに騙された被害者としてのドイツ/ドイツ人は居ないと言う現実を受け入れていたというのが大きい。
少しだけ意識の高さを維持していた人間は、日本がドイツに手を差し伸べるべきだったとも言っていたが、チャイナやアフリカで好き勝手やる破落戸に差し出す手は無いと言う常識的反論の前には勝てなかった。
そんな、常識的な独系日本人がドイツ戦争に思う所は1つ。
戦争で被害を受けるのは仕方がないし、正直、民主主義国家であるので自業自得であるが、敗戦後の統治で非道な目に遭うのは避けたい、出来れば、被害者は少ない方が心の負担が少ない ―― そういう程度の話であった。
フランスにせよポーランドにせよ、それ以外の国家にせよドイツへの憎悪が燃え滾っているのは判っている。
或いはドイツが歴史的表現にされてしまうのも仕方の無い話だろう。
資産が根こそぎに奪われ、インフラが破壊されつくすのも、是非の無い話であろう。*3
だがそれは別にして一般的ドイツ人への過度な被害、
戦後統治への寛大さの発揮と言う
――日本政府
日本政府はドイツ戦争を楽観していた。
G4/国際連盟から見てドイツ連邦帝国は弱小勢力であり、その正面に立つフランスは日本の目から見ても万端の準備を揃えていたのだから。
だから、事前の協定にて日本連邦統合軍陸上戦力のヨーロッパ派遣を要求されてはいたが、その準備を熱心に行う事は無かった。
派遣第1陣がヨーロッパに到着するより先に、ドイツは全土が蹂躙されベルリンは陥落するだろうと言うのが大方の見方であった。
それだけの差が、フランスとドイツの陸軍にはあったのだ。
だからこそ、開戦劈頭での国際連盟総会の場で、大規模な資金供与を宣言したとも言えた。
戦争での功績レース、
酷い話ではあるが、金で片が付くなら全く楽であると言うのが日本の気分であった。
結果、日本は初動部隊の主力である遣欧総軍中東方面隊第10機甲師団のヨーロッパへの移動すら遅れる事となったのだ。
最短1週間で、第10機甲師団の第1陣がブリテンへと渡っている筈が、輸送用の船舶の都合などもあって、開戦から1週間目であっても移動調整官以外がクウェートから出てくる事は無かった。
誠に以って、緩んでいると言えるだろう。
その事態が急変するのは、フランスのドイツ侵攻作戦の頓挫であった。
フランスが自信をもって放り込んだ精鋭部隊が壊乱し、戦線がフランス領内にまで押し込まれたのだ。
西部戦線が
又、戦力の転用によって、
それでは戦争が長期化し、当座予算として用意した100兆円や、余裕で支出出来る400兆円では戦費が収まらなくなる可能性が出てくるのだ。
戦費はまだよい。
日本で作った兵器や物資を売りつけるのだから、日本にとって赤字になると言う訳では無い。
政府の支出は民間の利益であり、民間の利益は経済の好況であり、経済の好況は税収に繋がるのだから。
だが、軍需向けの生産に日本の経済界が縛られてしまえば、その影響は計り知れないほど大きくなる。
誠に以って好ましくない話なのである。
日本は日本連邦統合軍陸上部隊の派遣を急がすと共に、再配置の容易な航空部隊の早期ヨーロッパ展開を推し進める事となる。
フランスの蹉跌が日本の本気を産んだ。
日本の世界に対する積極的干渉意欲の乏しさは、諜報活動、特に情報工作活動の乏しさに現れていた。
情報収集は抜かりなく行われていた。
だが、世界史100年分のアドバンテージに基づいた、反日的な人間への対応はなおざりとなっていた。
それはヒトラーへの対応でも現れていた。
ヒトラーの台頭で困るのはドイツ人であり、周辺諸国である。
日本人では無い。
であれば、それは彼らの選択である。
ある意味で
傲慢さとも言えた。
事が起これば実力を以って排除すれば良い。
そうでなければ自由にすればよい。
日本も自由にする。
それは、自覚無き覇権国家の態度とも言えた。
他者の顔色を窺うのは
尤も、高圧的な態度で外交をする事の無い日本であったが故に、その事を世界も日本も気付く事は無かったが。
日本の
タイムスリップ当初に、超法規措置的に行われた国内外の移動禁止令は、先進技術の拡散や未来情報に基づいた混乱を抑止する為に行われた政策であった。
技術拡散は簡単な話だ。
日本の生存に直結する科学技術の優位性保持も大事であったが、善意としての
そして大多数の人間にとっては
何故なら、先進技術とは、それを
例えば
問題は未来情報である。
此方は、将来情報に基づいた人間の選別に繋がると言う事が懸念されての事であった。
歴史的に見て、将来罪を犯す可能性があるからとして、その人間を排除してしまって良いのかと言う倫理的理由であった。
人間は変わる。
日本連邦がジャパン帝国に代わって、極東の地に居る事で世界は変わった。
変わった結果、罪を犯す人間の人生も変わり、そうならなくなっているかもしれない。
にも拘わらず、罪を未来に犯すからと処罰しようと言うのは余りにも傲慢であると言う話であった。
何とも理想主義的な話とも言えた。
コレが日本の政策として選択されたのは日本人の倫理観と言うよりも、誰も重視していなかったが故に、理想主義が通ったと言うのが実情であった。
タイムスリップ直後の混乱期、日本と日本人の生存が最優先であるとされていた頃、誰も世界の人間の事など考えて居なかったのだから。
日本人に害をもたらさない理想主義であれば、適当に受け入れて、声のデカい理想主義者を黙らせて、食料や資源の調達に向けた話し合いに注力したい ―― ある種の雑さが生んだ政策決定であった。
尚、余談ではあるが、その理想主義でも保護されなかった人々は居た。
ジャパン帝国陸軍の青年将校たちである。
既に1925年の時点で
日本人は四角四面な理想主義者では無く、実利優先主義の徒であるから、当然の話とも言えた。
この独系日本人の容赦仮借の無い戦争観は、言ってしまえば戦争にも人道や道義と言うものが重視されるべきとの欧米的な理想主義の結果では無かった。
日本人社会に溶け込んだ結果、日本人のソレが感染した結果であった。
戦争で被害が出る?
仕方が無いよね、戦争だもの。
戦争と言うモノの被害を、何か超自然的な災害と捉える日本人の戦争観への汚染。
文化と言う意味に於いて、独系日本人の日本人化は不可逆的な所まで進んでいるとも言えた。
2021.10.30 文章修正