+
陸上部隊の欧州展開は簡単ではない。
クウェートの第10機甲師団こそ全ての予定を放り投げて1週間で移動予定となっては居たが、それ以外の戦力は船便の影響で最短でも2ヶ月と言う有様であった。
平均で30ノット近い速力を誇る日本の
日本から物資を送るにしても、先ず、日本に帰らねばならないのだ。
又、荷物を海に捨てて帰る訳にもいかない。
契約と言うものがあるし、何より、持って行ったものをそのまま持ち帰ってきても、置き場にも困ると言うものだからだ。
又、海上戦力も同じだ。
ある程度は先行して欧州に艦隊を集める事も出来るが、その主力である
陸上部隊を輸送する艦隊を。
攻撃と防御とを同時にするには戦力が不足していたのだ。
特に、世界規模 ―― 前線であるヨーロッパと、日本列島の距離の問題はとても大きなものであった。
日本連邦統合軍の海洋部隊はG4と比較してすら隔絶した戦力を誇っていたが、日本の念頭にあるのは嘗ての世界の最強戦力集団、秩序の守護者である米海軍であったのだから。
12隻もの原子力空母を持った海洋の支配者。
その3割にも満たない、
日本政府も同様であった。
日本の財務省だけが何かを言いたがっていたが、2010年代後半から1930年代までのアレコレ*1で、政治的発言力を喪失していたが為、賢明にも沈黙を守っていた。
そして、
時々、
その代わり、再配置が容易であり、展開速度の速い航空戦力の早期投入が決定された。
早期投入自体は当初の予定通りであったのだが、更なる高速化である。
当初は、燃料弾薬の十分なヨーロッパ方面への備蓄を以って行われる予定であった。
この予定をキャンセルし、事前に備蓄していたクウェート基地を拠点として実行するものとしたのだ。
ドイツからの迎撃を躱す為、
取り合えず、ドイツ領内の戦争インフラを破壊し尽くせばドイツの攻勢は止まるだろうとの、何とも乱暴極まりない方針であった。
狙ったのは橋、運河、鉄道だ。
その上でレーダーサイトや空軍基地、操車場に発電所も狙うものとした。
前線部隊が如何に精強であろうとも、燃料弾薬食料を輸送する血管が詰まってしまえば枯死せざる得ないと言う判断からである。
操車場や発電所を標的とする事は、厳密に言えばハーグ陸戦条約が定める所の第27条*2に違反する所があったが、
又、高高度からの爆撃は付帯被害を出す恐れもあったが、日本政府は戦争に関しては、それは是非も無く発生してしまう不幸な事故と割り切っていた。
ゼロリスク主義の日本国民ですら、そう判断していた。
それどころか、都市を焼夷弾による絨毯爆撃によって焼く事を考慮していない日本政府は
かくして、日本は長距離爆撃を開始する。
――ドイツ
開戦から既に2ヶ月が経過した現在、戦争は概ね、ドイツが想定していた通りに進行していた。
最大の敵であるフランスを、国内に引きずり込んで叩く。
それによって国土西方安定を得た上で先にポーランドを潰す。
イタリアとオランダは、国境線を安定させた上で、ポーランドとフランスを下した後に戦力を差し向ける ―― 少なくともヒトラーにとっては、満足のいく戦況であった。
フランスとの戦いが薄氷の上の均衡であっても。
ポーランドへの侵攻が衝突力を喪失しつつあっても。
イタリアから国内に侵攻されていても。
オランダは攻勢が完全に頓挫していても。
それでも、ヒトラーにもたらされる報告は、順調の二文字だけであり、実際、物事の表層を見ればその通りであったのだから。
このまま半年内にはポーランドを下し、ブリテンや日本からの増援が来る前にフランスを下し、イタリアやオランダなどは主力を転用すれば容易に蹂躙出来るだろう。
そして、全ヨーロッパ統一をもってG4とも講和を図る。
そんな夢をヒトラーは抱いていた。
ドイツがヨーロッパを掌握し、海岸線を要塞化する事に成功すれば、如何な日本、如何なG4とてドイツとの戦争は難儀なものとなる。
ブリテンがあるとはいえ、海を越えての上陸戦は簡単な事ではないからだ。
そして、戦争が長期化すれば民主主義と言う大衆に媚びねばならぬ政治体制のG4は、戦費拡大 ―― 戦争負担増に苦しむ大衆の声に必ずや折れて、ドイツとの講和を選ぶだろう。
そう判断していた。
残念ながら、現実はそうならない。
国家と国民とが
少なくとも国家総力戦に於いては。
国の面子は自分の面子であり、それを潰されておめおめと講和を望む、そんなに民主主義国の国民と言うものは穏当では無いのだ。
復讐を、全力での報復を声高に叫ぶものなのだから。
例えG4をヨーロッパ亜大陸から海へと追い落とす事に成功したとしても、戦争がドイツの希望通りに終わる筈など無かった。
そして、実際問題として日本は、座して海に追い落とされる積りは無かったのだ。
その事を思い知るのは、日本の苛烈にして精緻な爆撃が始まる事でだった。
――ドイツ空襲
B-2爆撃機による空襲は、初手が
専任として電波情報収集機能を強化されたB-2AR爆撃機は、電波情報収集機が事前に収集していたレーダー波の発信地域の情報を元に侵入し、わざとレーダー波を浴びて発信地を特定、その上で弾頭重量300㎏級のARM-1Cを叩き込むのだ。
ドイツも油断していた訳では無かったが、まさかこれ程に早く、そして劇的に日本が攻撃に出てくるとは想定外であったのだ。
それぞれ、20発近いARM-1を抱えて飛んだB-2AR爆撃機は、文字通り、1日でドイツから空への目を奪ったのだ。
とは言え、全ての
何しろ数が多かった。
探知能力の問題もあって、ドイツは4桁単位で防空レーダーを整備していたのだ。
これに対して日本が投入出来たARM-1Bは、運用できるB-2ARの機数の問題から1度に200発が上限となっていた。
これでは潰しきれるものでは無かった。
だが、それでも十分であった。
その後ろに続くB-2の群れに、ドイツがレーダーによる邀撃機を差し向ける事は不可能になったのだから。
ドイツの主力邀撃機、Ta183は、その性能だけを見ればB-2を邀撃する事が可能だった。
だがそれも、レーダーによる誘導あればこその話に過ぎない。
出力の小さいエンジンで要求された性能を発揮する為、レーダーその他は、一切搭載出来なかったのだ。
しかも航続距離が長いとは言えない。
常に空を飛んでいて命令を受けて迎撃する ―― そんな運用など出来る筈も無かった。
結果、ドイツ領内西方域の物流インフラは甚大な被害を被る事となる。
この1日の空襲でドイツ-フランス戦線に直ぐに影響が出る訳では無い。
前線部隊にせよ、それに近い場所にせよ、食料や弾薬、燃料までそれなりに備蓄しているからである。
それは日本も織り込み済みだった。
継続的に爆撃を繰り返す積りだった。
その上でフランスには1週間、あらゆる被害を無視して現在位置を死守する様に
フランス戦線の流れが、この爆撃から変わる事となる。
――エチオピア
ヨーロッパでの戦争はエチオピアに大きな影響を与える事は無かった。
だが、エチオピア皇帝は、
日本の援助を引き出す為の
エチオピアに駐留している日本連邦統合軍士官から、陸軍部隊のヨーロッパ派遣が遅れていると言う問題を聞き、であるならば、と日本連邦統合軍の指揮下でのエチオピア陸軍の派遣を打診したのだ。
最小でも師団乃至は旅団規模。
必要であれば
そもそも、エチオピアは日本連邦との協定で、日本連邦統合軍に部隊の供出を約束していた。
本来それは、
幸い、既に日本連邦統合軍式の装備と訓練は始まっていた為、派遣までの時間はそう大きくはない。
そして日本は、陸上部隊が不足しているからこそ、このエチオピアからの提案に飛びつくだろう。
そうエチオピア皇帝は読んでいたのだ。
日本は、幾ばくかの
そしてエチオピアへの格別の配慮を行う事となる。
エチオピアは、恩の売り時を誤らなかったのだ。
こうしてエチオピア軍はMLシリーズや31式戦車などを装備した、
後には、ブリテン連邦の南アフリカ共和国か、それとも日本連邦のエチオピア帝国かと言われる事となる。
日本の軍拡 ―― タイムスリップ前に行っていた、軍事覇権主義に基づく暴走をしていた中国や、軍事的暴走を行った韓国に対抗する為の
軍拡、或いは経済支出のどちらかだけであれば、財務省も渋々とではあっても同意しただろう。
だが、同時であったのだ。
しかも時限的なものには見えない形での出費が続く事が想定されたのだ。
これには財務省もキレた。
まるで日中戦争の様な泥沼の出費になる、日本経済が破綻すると言い出したのだ。
それも、政府に向かって
財務省の危機感の表れとも言えた。
その内容は、冷静に見て認めるべき部分もあった。
だが、受け取るべき日本国の主権者、日本国民は冷静では無かったのだ。
文字通りの国難を前にして、財務省の理屈を振りかざすものであると感情的にキレたのだ。
当然だろう、タイムスリップ前の韓国による対馬爆撃から、タイムスリップ後のソ連による横暴な軍事力行使。
又、経済的混迷 ―― 食糧配給制度によって、コメとイモが主食となって、肉や魚をたらふくに食べるなど夢のまた夢と言う状況となっていたのだ。
にも拘わらず千年一日の如く、平和な頃と同じ様に、子孫に苦難を残すなと言われて同意出来る程に、日本人は温和では無かった。
世論は沸騰。
そこに
喧々諤々の議論の末、財務省は組織改編される事となった。
総括する財務省と言う
更には財務官僚のトップである財務事務次官は、混乱の責任を取って辞任する事となった。
それどころか、財務省の首脳陣と呼べる人員は軒並み、辞任乃至は地方への左遷人事が行われた。
文字通りの粛清が成されたのだ。
高位財務官僚の1人は、余りの事に抗議の自殺 ―― 遺書を残して電車に飛び込もうとする騒ぎを起こしたが、それに対する国民の同情は湧かなかった。
停滞する経済によって自殺した人間が相当数、出て居るのだ。
他人を殺すような
結局、財務省の解体と再編成は粛々と実行された。
更には、自殺未遂をする様な情緒不安定な人間が財務省を預かる事になるのは宜しからざるのではないかとの議論が行われ、今後の財務省事務次官には
正しく日本の有権者の
口の悪い人間は、食い物の恨みが財務省を潰したと評する、一大騒動であった。
防守されていない都市、集落、住宅または建物は、いかなる手段によってもこれを攻撃または砲撃することはできない。
ARM-1C対レーダー誘導弾は、ASM-3超音速対艦誘導弾を元に開発されたARM-1シリーズの低価格長射程化モデルである。
C型はA型と比べて誘導部分等の全面改良が施されており、共通部分はエンジンなどの極々限られた部分となっている。
性能的はA型に比べて低下している。
これは、1940年代のレーダーサイトを撃破するのに必要最小限度の性能を維持した上で、使いやすい様に低価格化を狙った結果である。
現在、更なる低価格化対レーダー誘導弾である小型のARM-2シリーズが実用化されている。
ドイツ空襲にてARM-Cが投入された理由は、その大威力を評価しての事であった。
初投入であり、ドイツ側が本ミサイルへの対応を行えてない状況下である為、レーダーオペレーターがレーダーイルミネーターの傍に居る可能性が高い。
であれば、より被害半径の大きなARM-1Cを投入すれば、貴重なレーダーオペレーターを殺傷する事も可能である。
そう判断されての事であった。
実際、このドイツ空襲の第一撃で1000人を超えるドイツ軍レーダーオペレーターや整備技術者が失われる。
これが、ドイツのレーダー運用に大きな影を落とす事となる。