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能動的に動き出した日本。
逐次投入になる危険性を承知の上で、早期に投入できる戦力をヨーロッパに放り込み始めた。
その影響は劇的なものとなった。
特にフランス方面は、日本の梃入れがひと際大きかった事もあって、戦局が一気に動く事となった。
ドイツ西部域の防空レーダー網消滅は、それ程の影響力を発揮したのだ。
フランスは好機到来とばかりに、爆装した攻撃機を前線に放り込んで、ドイツ陸軍部隊を溶かしていった。
ドイツはレーダーの目を失った事で、航空攻撃に対する抵抗力が劇的に低下していたのだ。
本来なら、レーダーによってフランスの攻撃部隊の情報を把握し、それに合わせた迎撃部隊を、必要とする場所、数、時間に合わせて派遣する事が出来た。
レーダーと言う目あればこそであった。
その目が潰えてしまえば、部隊の効果的な運用は不可能にならざるを得ない。
地上部隊が目だけで把握する情報は常に不正確 ―― 把握しきれないのだから。
その不正確な情報を元に小規模な迎撃部隊を充てれば、仮にフランス側が戦闘機部隊を含んだ大規模な攻撃部隊であった場合、蹴散らされるだけに終わるのだ。
故に、ドイツ空軍部隊はフランスの航空部隊発見の報を受けるや、常に全力迎撃を強いられる事になったのだ。
ドイツ空軍部隊の人的物資的な消耗は、1週間で耐えられる限度を超える事となる。
人の疲労に因る事故率の上昇と機材の消耗による故障率の上昇は、気位の高いドイツ空軍パイロットをして絶望的との表現を使う程であった。
そもそも、そのドイツ空軍の基地も、基地に繋がる補給路もすべからくB-2爆撃機によって損害を受け続けているのだ。
1発1発の被害はそう大きく無く、致命傷と言う訳では無いのだが、常に、それも恐ろしい程の正確さを以って
修繕に当たる工兵部隊も心が折れると言うものであった。
工兵部隊の
そもそも、修繕用の部材が届かなくなっていくのだ。
そしてドイツ空軍部隊の活性が低下するのと反比例してフランス空軍部隊は活発化していく。
爆撃機がドイツ領内の物流インフラを無差別に破壊し、攻撃機は前線のドイツ陸軍部隊をしらみつぶしに攻撃していく。
ドイツ空軍が必死に温存していた戦闘機で迎撃を図ろうとも、フランスの戦闘機部隊は日本がブリテン島に送り込んでいた
1週間もドイツ空軍はよく耐えたと評するべきなのかもしれなかった。
――フランス/政治状況
日本からの
だが、フランスの冷静な人々は、これを自業自得であったと受け入れていた。
先制的にドイツ領内に殴り込んだのに、叩き出され、それどころか逆侵攻を受ける羽目になっていたのだ。
それを救ってくれた事を感謝こそすれども、恨むのは筋違いだと言うのが共通の認識となるからである。
ドイツが無駄な抵抗をした結果、フランスは傷つけられたのだ ―― そうフランスの支配者層は恥辱を憤怒へと入れ替えていた。
口には出せぬ、
かくしてフランスはドイツへの
ドイツを消滅させよう。
ドイツと言う国家がヨーロッパから消え去る事が、ヨーロッパに平和を齎す。
そう公然とフランス国内で議論される様になっていく。
――フランス/軍事的反応
日本の爆撃開始に伴って、ドイツ西方域の航空優勢を握る事となったフランスは、それまで温存していた攻撃機部隊を前線に投入していく事となる。
とは言えジェットエンジン機では無い。
戦闘機としての役割を解かれたレシプロ戦闘機の転用機であった。
フランスはジェットエンジンの生産能力の兼ね合いで、その投入先を制空戦闘機と戦略爆撃機に限定しているからである。
旧式化著しい機体は
翼下に30mm砲や対地ロケットを懸架して暴れまわったのだ。
狙ったのは、
前線部隊への攻撃を行わない理由は簡単だった。
フランスは必要十分以上に支援火力 ―― 39口径155㎜砲を筆頭にした野砲や対地ロケットなどを揃えている為、ドイツの様に急降下爆撃機に頼る必要がなかったのだ。
制空権を奪うまでは、空襲を恐れて隠蔽しつつ活動していたのだが、航空優勢を握ったとなれば話は違う。
ドイツ砲兵は貧弱極まりなく、
陽ざしを浴びた霜のように、とまでは言わないが、ドイツ軍前線部隊は日々、無視できないだけの被害を被っていく事となる。
慌てたドイツ側は、20年以上も前の記憶を思い出したかのように、慌てて塹壕を掘り、陣地を構築しようとする事となる。
ドイツの
偵察機による敵情報告から、本格的な防空陣地構築にドイツが動き出したと言う事を知ったフランスの参謀本部は祝杯を挙げた。
久方ぶりの美酒であった。
戦争は、フランスの意図通りに動き出す事となる。
フランス参謀本部は、自軍に対して無理な攻撃を全面的に戒めた。
本格的な攻撃は戦力が揃ってから。
フランス
アメリカも10万人規模での陸軍部隊の派遣を約束してくれている。
それを待つ積りであった。
フランス独力でドイツを叩き、権益を独占する事よりも、戦後を睨んでのフランス成人男性の血が流れる事を忌避したのだ。
塹壕の記憶が、フランスに冷静さを取り戻させたと言える。
否、それ以上に
名誉は大事であるが、名誉のみに拘って力押しの攻撃を仕掛けて
日本が序列第1位であるのは当然だ。
アメリカが序列第2位であるのも仕方がない。
だが、ブリテンを上に見る羽目になるのだけは真っ平御免であった。
その為には出来るだけ少ない
フランス空軍攻撃機部隊は、ドイツの流通インフラの徹底的な破壊に乗り出した。
日本のB-2爆撃機が、要所要所を破壊する
その酷さは、路上を走るモノであれば何でも撃破し、川を渡る船や橋は小さなものまで目に付けば破壊した。
鉄道に至っては、駅は当然として気晴らしのように線路にまで攻撃を行う始末であった。
全て、
勿論、移動中のドイツ軍部隊を見つければ撃滅を図って居た。
ドイツ西方総軍はやせ細っていく事となる。
――ドイツ
レーダー網の消滅と、それが齎した航空優勢の喪失は、フランスとの戦争を失わせかねない危機である ―― ドイツもその状況は把握していた。
ヒトラーは激怒し、空軍に事態の改善を厳命する事となった。
だが、厳命されたドイツ空軍で、簡単に行える改善策と言うものは存在していなかった。
レーダー網の再建は、レーダー自体は再建は容易と言う見込みであった。
メーカーに発注し、出来るだけ早く作ってこいと命令し、後は設置するだけであるのだから。
問題は、
破壊されたレーダー施設は、その要員ごと
しかもレーダーへの攻撃は現在も続いており、失われた要員は1000名を超える勢いになりつつあった。
レーダーの要員は高等教育を受けた希少な人材なのだ。
日本製の高度化したレーダーと違う、ドイツのレーダーは表示される情報を読み解く為のスキルが要求されるからだ。
しかも、レーダー設備が不調ともなれば、その調整や整備なども担当する。
それが簡単に溶かされてしまうのは、たまったものではなかった。
この危機的な状況に対応する為、当座は、ドイツ中央部のレーダー施設からの人員の転用で乗り切る事とした。
泥縄の対応であった。
だがそれでも、対応せねばならぬのだ。
尚、この対応を聞いた現場の人間は、移動するレーダー要員が無事に現地に着けるのだろうか、との深刻な疑念を抱いていたが。
又、西部前線への再建するレーダー機材の移動も、簡単に出来るものでは無かった。
既に移動は、日中を徹底して避ける様に厳命する程に、ドイツの空はフランスに握られつつあった。
憂鬱な、喪われたレーダー網の再建は兎も角、ドイツ空軍上層部は
地上配置のレーダーがアブナイならば、空中配置のレーダーを用意すれば良いのだ、と。
日本のAWACS機を真似てしまえば良いのだ、と。
自らの権限拡大に余念のないドイツ空軍は、新たな予算を欲したのだ。
子どもの様な素直さで権限拡大だけを見ているドイツ空軍上層部であったが、彼らは気づいていなかった。
日本に近い国、経済力もあるG4諸国が何故、現時点でAWACS機の実用化と配備が出来ていないのかを。
強力な、地上配置のレーダー並みの能力を持った機体を空に浮かべると言うのは、簡単では無いと言う事を。
又、残されたレーダー網を維持する為、防空部隊の展開や、近所への防空戦闘機部隊の配置も行う事とされた。
これはドイツが、日本が如何なる手段を以ってレーダー施設を破壊していたかを知らぬが故の事であった。
レーダーの範囲外 ――
そんな遠距離から放たれた、超音速で突入してくる
もしドイツがARM-1Cを理解していたならば、現実的な抵抗手段としてレーダー本体から要員の籠る制御室を数百メートルは離していたかもしれないが、気付いていなければ出来る筈も無かった。
こうして、ドイツのレーダー関連要員は、日本のレーダー攻撃手段を把握するまでに半壊する事となる。
――ポーランド戦線
日本の支援はポーランドにも及んでいた。
但し、此方は戦場がポーランド領内で行われている為、補給網を破壊すると言う行為がそのままポーランドへのダメージに繋がる為、フランス戦線と同じ対応が出来る訳では無かった。
この為、日本は制空戦闘機部隊をポーランド戦線に投入する事となる。
本来は陸戦部隊の投入や、ポーランドが買い込んだ日本製装備の配達まで行いたい所であったが、ポーランドまでの
とは言え両軍共に精強であり、十分に抵抗出来ていた。
世界はポーランドを見捨てていない。
その事を示すように、日本とフィンランドの国籍マークを入れた戦闘機が空を飛ぶ。
その様を映したニュース映画はポーランド国民を大いに奮い立たせる事となる。*3
――ソ連
戦争の勃発から2ヶ月が経過し、それまではドイツに好意的中立の姿勢を維持していたソ連であったが、国際連盟とドイツの戦争が本格化すると共に、態度を変えていく事となる。
ドイツはソ連の伝統的友好国であり恩義もあるが、今現在のソ連の利益も大事であると言う認識である。
特に、ドイツ戦争の裏側 ―― 裏庭部分と言って良いバルカン半島での戦いは、ソ連の下腹部にも近い割にG4のどの国とも利益がぶつからない
この為、ソ連は国際連盟の
接触したイタリアは、イタリアの旧領回復以外に領土的野心は存在しないとソ連外交官に明言。
戦後、
ムッソリーニは、国力に相応しくない過大な領土欲求は国を亡ぼす事になると理解していた。
そう、ドイツやフランスの状況*4を見て学んでいたのだった。
E-30は、
E-767やE-302と言った、日本の主力
レーダーの
だが同時にAWACS機には無い特性を持っていた。
運用インフラへの負担の軽さである。
元々、E-30の母体となったC30が日本連邦諸国の貧弱な航空機運用インフラでも運用できると言う事を重視して設計された機体であった。
その特性を引き継ぐ形でE-30は、日本連邦外の国々の航空機運用インフラであっても十分に運用する事が出来るのだ。
ドイツ戦争が勃発した時点でのフランスのアフリカ
独立運動と
この状況でフランスは兵力を移動させる為にアフリカの主要部分、統治機構のある海外県都や産業地帯、本国系フランス人が居住する場所以外での治安維持活動を停止したのだ。
その上で、幾ばくかでも暴動が治まればと言う視点から、交渉を行う事となったのだ。
フランスは独立を認める積りなど無かったが、ある程度の権利要求であれば聞く事もやぶさかでない ―― 少なくとも、ドイツとの戦争中は。
そう考えたのだった。
尤も、独立派と自称する組織との接触自体が困難である為、交渉の戸につくまでが先ずもって大変であったが。
ポーランドに展開していた日本のF-3やF-9と言った戦闘機は、基本的に低視認迷彩が施されており、国籍標識まで視認しにくく記載されていた。
この為、ニュース映画を撮る際などには態々水性塗料で色味が出る様にしていた。
白黒フィルムでの映画撮影が主流の、ポーランドならではの苦労とも言えた。
この低視認迷彩に色鮮やかな国籍標識と言う組み合わせは、後に
国力の問題もあるが、統治する上で被支配者側が戦意に溢れて抵抗する意思を示していた場合、その統治コストは信じられない程に跳ね上がる事になるのだ。
一時的な収奪対象にするのであれば、それでも良いが、そうでない場合、割に合わない。
フランスのアフリカ植民地統治の事実上の失敗を見ての分析であった。
この為、イタリアは自身の大切な