タイムスリップ令和ジャパン   作:◆QgkJwfXtqk

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149 第2次世界大戦-16

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 至近距離での砲撃戦となったお陰で、喫水線下への被害が出なかった鄭和(ヴォストーク)は無事に逃げ出す事に成功した。

 ドイツ・モンスーン戦隊発見での殊勲艦となった。

 世界はその功績を称えた。

 だが関心は直ぐ様に薄れた。

 (どの国)が、沈めるのかが、重大関心事となったからだ。

 ブリテンではブックメーカー(賭博屋)が宣伝し、国際連盟に来ていた外交官たちに格好の話題を提供していた。

 とは言え、実際に鎮圧可能な戦力を用意しているのはG4のみである為、中南米の国名が挙がる事は無かったが。

 特にヤル気に溢れているのは、ドイツへの憎悪を滾らせているフランスと、ドイツの通商破壊戦に対応した戦備に活躍の場(議会と国民へのアピール)を欲したアメリカであった。

 陸戦で苦杯を舐めているフランスも活躍の場(スカッとストレス発散)を求めていた。

 G4で余りヤル気が無かったのは、取り合えず、沈められれば良いと思っていた日本とブリテンであった。

 ブリテンが積極的で無いのは、諜報部門がドイツ国内の動き ―― ドイツ海軍出撃の兆候を捉えていた事が理由であった。

 総合面で言って世界第3位の海軍力*1を誇るブリテンであったが、その戦力は世界中に展開させねばならぬ為、安易に集中させ難いのだ。

 

 

――ドイツ海軍

 タイフーン戦隊の苦境を理解したヒトラーは、ドイツ海軍に支援を検討する様に命じた。

 国民は、営々と作り上げられた大ドイツ艦隊(ホーホゼーフロッテ)に期待しているのだと告げた。

 国民にせよヒトラーにせよ、期待すると言う事は簡単である。

 願うだけだからだ。

 だが、告げられた側としては簡単な話では無い。

 既に北海へとドイツが艦隊を進出させる事は自殺行為に類される様になっていた。

 エルベ川河口域は機雷によって完全に封鎖されていた。

 デンマーク等の北欧3国が接するカテガット - スカゲラック海峡域に機雷が敷設される事は無い ―― 公式に国際連盟安全保障理事会がその旨を宣言しているのだが、では簡単に通過できるかと言えば、そうはならない。

 そもそも、北欧3国自体が国際連盟の加盟国であり、国連総会の決議に従って、対ドイツ宣戦布告を行っているのだ。

 その鼻先を安全に抜けられるなど考えられる筈も無かった。*2

 万が一に、海峡を無事に抜ける事が出来たとしても、出口にはブリテンとフランスの艦隊が控えているのだ。

 ドイツが投入可能な戦艦戦力は最大でも4隻であり、これに装甲艦や重巡洋艦を付けたとしても10隻を超える事は難しい。

 対してブリテンとフランスは、戦艦だけでも常に10隻は用意しているのだ。

 コレで、簡単に何かが出来ると思う程にドイツ海軍上層部は気楽では無かった。

 ()()()()()、逆転の発想に至る。

 戦艦等の水上砲戦部隊を主役と考えるのではなく囮と考えた作戦を行い、ドイツ海軍で数的意味で主力を成している潜水艦部隊を大西洋へと解き放つのだ、と。

 ブリテンやフランスの耳目をビスマルク級を筆頭とした水上砲戦部隊に惹きつけ、その隙を突いて潜水艦部隊に北海を突破させようと言うのだ。

 情報戦の一環として()()()()()作戦と命名される事となる。

 

 

――エルベ演習作戦/スカゲラック海戦 - 章前

 エルベ演習作戦は、奇襲的効果を狙って短期間に準備されたドイツ海軍の乾坤一擲となる大作戦であった。

 投入可能な大型艦の全てを懸けた、ヒトラーの大博打とすら呼ばれた大作戦。

 ドイツの新聞が、キール軍港を出航する艨艟の群れの写真を載せ、大ドイツここにあり! そう宣伝していた。

 そして30隻を超える潜水艦が、水上艦に守られる様に進むのだった。

 だが、残念ながら潜水艦迄が同時に出航した事は、即座に知られる事となる。

 何故なら、キール軍港沖の海域で息を潜めていた大型潜水艦(SSn)くろしお*3が、察知したのだ。

 事態の緊急性を把握したくろしおの艦長は、危険を冒して通信可能深度まで艦を上昇させ報告を行ったのだ。

 通信 ―― 電波発信に、敵性潜水艦(くろしお)の存在を把握したドイツ艦隊は即座に駆逐艦を派遣したが、その痕跡を捉える事すら出来なかった。

 水中速力30ノット(公称最大速力30ノット)を遥かに超えるくろしおは電波発信後に即座に沈降しており、何よりもその粛音性能の高さがモノを言ったのだ。

 結果、くろしお艦長が危惧した()()()()()と言う事が発生する事は無かった。

 

 

――G4

 艦隊の詳細が判明した事を理解したドイツ艦隊であったが、彼らに今更下がると言う選択肢は無かった。

 そもそも、下がれば正体不明の高性能潜水艦が潜む海域を通る事になるのだ。

 何もせずに艦隊が傷つけられる可能性を考えれば、せめてなにがしかの戦果を挙げたいと艦隊首脳陣が思うのも当然の話とも言えた。

 対するブリテン海軍は、ポーツマス海軍基地に待機させていた戦艦部隊に全力出撃を命じていた。

 大規模近代化改修を終えていた高速戦艦フッドを旗艦とした5隻の戦艦と直衛としての空母1隻を基幹とする打撃艦隊、S部隊である。

 竜を殺したシグルドに準え、ドイツの海洋戦力(リヴァイアサン)をブチ殺すと言う殺意溢れる命名が成された部隊であった。

 ブリテン海軍最後の水上砲戦との思いが籠っていた。

 これにフランスも参加する。

 此方もガスコーニュを旗艦とする戦艦2隻と空母1隻を基幹とする有力な水上打撃部隊であった。

 合計7隻もの戦艦 ―― では無い。

 ()()()()()()

 更に5隻もの戦艦が参加する事となっていた。

 日本の戦艦(護衛艦)やまととむさしの姉妹もブリテン島に到着しており、同じようにアメリカのミズーリ(アイオワ級高速戦艦)を旗艦とした3隻の戦艦も居たのだ。

 奇しくもG4全ての戦艦が揃っていたのだ。

 12隻に達した史上最強、そして恐らくは最後の砲戦部隊(ビックガン・クラブ)であった。

 12隻の戦艦群(Majestic Twelves)は、スカゲラック海峡の出口約200㎞で出迎える事となる。

 日本のP-1哨戒機によってドイツ海軍部隊の位置を把握し、それに併せて航路を修正していた為、理想的と言って良い形での洋上包囲が完成する事となった。*4

 

 

――ドイツ海軍/エルベ演習作戦部隊

 ブリテンとフランスが迎撃に出て来る事は想定内であったが、部隊司令部では政治的理由から簡単に後退すると言う選択肢が選べなかった。

 一当たり(火砲の応酬)もせずに退いてしまえば、弱腰と批判される事になる。

 特に政治工作に長けたドイツ空軍は、海軍の予算や人材を奪う為に様々な事をするだろう。

 そうなってしまえば、ドイツ海軍の伝統は失われる。

 政治的、或いは内輪向けの議論 ―― 思考であった。

 結果、彼らは地獄へと進軍し続ける事となる。

 

 

――スカゲラック海戦

 ドイツ海軍部隊を真正面から受け止めたのはブリテン戦艦部隊であった。

 ほぼ同数の戦艦が相対する事で戦闘に引きずり込ませるのだ。

 ドイツ海軍部隊の目である、空母グラーフ・ツェッペリンの艦載機部隊は哨戒の為に出撃していたが、その悉くは日本の空中警戒管制機(AWACS)に把握され、誘導された各国海軍機の手で叩き落とされていた。

 そもそも、電子戦によって通信を潰している。

 ドイツは厳重な電波管制をしているから気付けなかった。

 スカゲラック海峡北部、クリスチャンサン市沖で潜水艦部隊と分離したドイツ水上艦部隊は緩い左旋回を行った。

 ドイツ海軍部隊は、自分たちこそが挑発するのだと思っていた。

 攻撃を行うのだ、イニシアティブを握っているのだと思っていた。

 だからこそ、ブリテン海軍旗を掲げた戦艦を見つけた時、自分たちの成功を確信していたのだ。

 その幻想がブチ殺される。

 彼我の距離30,000mから始まった砲戦は、遠距離での砲撃戦を志向したと言う訳では無く、ドイツ海軍部隊が戦っていると言う写真と動画を安全に撮る事こそが目的であった。

 故に、ドイツ海軍部隊の指揮官は6度の斉射後に艦隊を後退させる事を決めていた。

 撮影の時間、失敗した場合の予備時間も含めての計算であった。

 だが、4度目の斉射を行った時に進路方向 ―― 南方から接近するフランス戦艦群を発見する事となる。

 彼我の兵力差が7対4となる。

 幸い、正面から航路を邪魔する様に動くフランス戦艦は2隻、ドイツの半分であった為に慌てる事はなかった。

 最大速力で回避しさえすれば、交戦する時間は減らせるからだ。

 そもそもドイツ人は、雨霰と大口径砲を叩き込めばフランス人は、必ず戦艦を退避させるだろうと踏んでいた。

 G4等と括られていても、フランスがブリテンの為に血を流す事は無い。

 そう理解していたのだ。

 だがそれも更なる艦影を見る迄の話だった。

 転舵によって速度が鈍ったドイツ艦隊を丸呑みする様に、二重包囲をする様にスカゲラック海峡北側から飛び込んでくる日本とアメリカの戦艦群5隻を見るまでの短い時間の話であった。

 罠にはめられた事を理解し、慌てるドイツ海軍部隊。

 何とか突破せんとフランス戦艦群に襲い掛かるが、既に後方から迫りくるブリテン戦艦群の射程に捉えられていた。

 その様な状況で冷静に対処できる筈も無かった。

 そもそもドイツ人が侮ったフランス戦艦 ―― フランスが持ち込んでいた戦艦2隻はガスコーニュ級、基準排水量が40,000tを超える大型戦艦(ビスマルク級ブッコロスマン)なのだ。

 排水量(防御力)では劣り、主砲口径(攻撃力)では同格。

 額面だけを見ればその通りであるが、洗練された装甲配置はガスコーニュ級に装甲厚の額面以上の防御力を与えていた。

 そして火力。

 同じ38㎝砲であっても1938年型正38㎝45口径砲は、やまと型戦艦を見聞し日本の支援も受けながらフランスが独自開発した完全自動化砲であり、その発砲速度はビスマルク級の2倍に迫る勢いがあった。

 これでは簡単に圧倒できる筈も無かった。

 フランス戦艦群と交戦を開始して10分後、進路を妨害され続けて速度の鈍ったドイツ海軍部隊の背に、日本とアメリカの戦艦群が追い付く。

 フランスを更に超える勢いで砲弾を叩き込んでくる5隻の戦艦群。

 その様は正しく殴殺、或いは処刑であった。

 ドイツの戦艦、装甲艦、重巡洋艦は悉くスカゲラック海峡にて海葬される事となる。

 この海戦で生き残る事が出来たのは、艦隊の後方に配置されていたグラーフ・ツェッペリンと、その直衛部隊だけと言う有様であった。

 駆逐艦群ですら、戦艦部隊の交戦を縫って突進したブリテンとアメリカの水雷部隊によって食い散らかされたのだ。

 

 この日、ドイツ水上艦部隊は終焉を迎えた。

 

 

――ドイツ潜水艦部隊

 ドイツ水上艦部隊を生贄に、一路大西洋へと向かった30隻ものドイツ潜水艦部隊。

 だがその何れもが、北海を抜ける事は叶わなかった。

 日本が用意した対潜哨戒網と、その指揮システムによって縦横に動く日本とブリテンの対潜部隊が、その悉くを喰らいきったからであった。

 特に凶悪であったのは、コレが本業と嬉々として対潜ヘリを飛ばしていたいせとひゅうがのペアであった。

 そして駆逐艦群。

 ブリテンの駆逐艦は先進的な対潜迫撃砲(ヘッジホッグ)を持ち、有力な聴音システムを持っていた。

 そして何より、潜水艦に対する絶対的優位性(特効)を持った銀の弾丸(日本製対潜魚雷)が配備されていたのだ。

 日本に至っては言うまでも無いだろう。

 ドイツの水上艦部隊が終焉した日から1週間後、国際連盟安全保障理事会は、北海以西の海域の安全宣言を出す事となる。

 その一報を聞いたヒトラーは痛飲しようとしてDrに止められ、不貞寝をする事となる。

 尚、ドイツ空軍は、海軍が余りにも不甲斐ないからと称して、その接収に取り掛かる事となる。

 特に狙ったのはグラーフ・ツェッペリンを筆頭とする空母部隊であった。

 戦に敗北しても政治が、政治闘争が止まる事は無かった。

 

 

 

 

 

 

*1

 1940年代に於いて純粋な戦艦 ―― 洋上砲撃戦力だけを比較した場合、ブリテン海軍はアメリカ海軍と同規模を誇り、1位タイとなっている。

 1920年代からの、日本との交易と技術交流はブリテンにそれだけの力を与えていた。

 にも拘わらず3位と述べるのは日本が居るからであった。

 数字の上では戦艦4隻と空母6隻(※公称している分)しかない日本海軍であったが、ブリテンにせよアメリカにせよ、自分たちの海軍が優越しているとはとてもでは無いが思えないと言うのが正直な話であった。

 そしてブリテンとして残念な話として、戦艦の建造数こそ新世代艦(ポスト・ヤマト級)で7隻を建造し、アメリカと同規模となっていたが、ジェット艦戦対応大型空母(Over40,000t級CV)の建造数では倍近い差を付けられていたのだ。

 嘗ての大海軍(グランドフリート)時代と比較し、少しばかり寂しい現実であったが、ブリテンはそれを受け入れていた。

 世界を管理する上で、日本とアメリカを利用し効率的に(ローコストで)行える。

 そう認識して居た。

 

*2

 現段階で戦力の衝突が発生している訳では無いが、何時、そうなるのか判らぬと言うのが本音であった。

 ドイツが全力を振り向ければ北欧3国を纏めて叩き潰す事は不可能では無いが、それは航空戦力を極度に集中すれば出来ると言う話であった。

 北欧侵攻作戦(ケース・ホワイト)が発動する場合、危ういバランスを保っている東西の主戦線が崩壊しかねない程の戦力を抽出派遣せねばならないのだ。

 ドイツも、その計算が出来ぬ程に血迷っては居なかった。

 この為、北部方面は膠着状態(フォウニー・ウォー)が続く事となる。

 

*3

 SSn くろしおは、原子力潜水艦くろしお型の1番艦であり、タイムスリップ後の海上自衛隊が空母機動部隊の世界展開が要求されるであろう事を睨んで建造した原子力潜水艦の始まりのフネであった。

 SSNでは無くSSnと表記されている理由は、コンパクトパッケージ化された潜水艦用の原子炉を採用しているからである。

 日本人は、SSNと言うのであれば米海軍の原子力潜水艦に匹敵する様なものでないと、名前負けすると考えている、その結果であった。

 尚、この話を聞いたグアム共和国の退役軍人は少し呆れた様に笑ったとされる。

 

 計画時には純然たる攻撃型潜水艦であったくろしおであるが、現在は広域海中哨戒任務母艦としての改造を受けている。

 これは複数の自律型情報収集用の無人潜水機(UUV)の運用能力の付与である。

 これによってくろしおは、より攻撃的(アクティブ)な情報収集を可能としていた。

 

*4

 尚、全くの余談ではあるが、日本はこの海戦に先立つ形で3桁単位でのASM攻撃を()()()として行う事を提案していた。

 ブリテン島には20機を超えるP-1が揃っていた為、通常哨戒と並行して、予備機による攻撃が可能になっていたからだ。

 だが、その善意に対してブリテンもアメリカもフランスも一斉に気持ちは感謝します(ノー・サンキュー)と返していた。

 建前としても本音としても、露払いの打撃にドイツ海軍部隊が恐れをなして撤退されては困るから、と言うものであった。

 日本人としては()()()1()0()0()()()A()S()M()、破壊力も250㎏爆弾程度のものではないかと思っていた。

 さもありなん。

 脳裏にあったのが日本帝国海軍最後の艦隊決戦、レイテ沖海戦に於ける第1遊撃部隊の進撃(クリタ・ラン)であったのだから。

 だが常識的な海軍軍人たちは、確実に命中してくる100発ものASMを喰らって戦意が折れぬ筈が無いと判断していた。

 ASMの、爆撃の雨霰の中を突進し続けるのは、正気を何処かへ追い出した様な人間にしか出来ぬ所業である、と。

 結果、爆装したP-1は予備戦力として運用される事となる。

 

 




2023.05.17 文章修正

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