タイムスリップ令和ジャパン   作:QgkJwfXtqk

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15.1929-3 世界恐慌-1

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 過熱した経済活動の果てに、ニューヨークの証券取引上での株価暴落を発端とする世界恐慌が勃発する。

 痛打を受けたのはドイツ、イタリア、ソ連であった。

 その事が世界に戦雲を呼ぶ事となる。

 

 

――ドイツ

 世界経済で主導する経済力と大規模な市場とを持つ日本、アメリカ、ブリテン、フランスとの関係の悪さが、この不況によってドイツに与えた打撃は痛打と言って良かった。

 そもそも、日本との交流によってG4は経済活動が活性化し長足の進歩を遂げており、その商品は高品質化と低価格化が進んでいた。

 対してドイツは、漏れ伝わって来るものでそれなりの進歩は遂げていたが、対抗できる筈も無かった。

 それでも細々とした貿易は行われてはいたが、悪化する景気を支えられる様な水準では無かった。

 如何にして景気を拡大路線に乗せるか、と言う問題に於いてドイツはその生産力を消費出来る独占的な市場を国外に持たなかったのだ。

 この為、必死になって南チャイナとソ連とに食い込んでいく事になる。

 南チャイナにとっても、北チャイナとの戦争からの経緯でG4諸国との関係が悪化して居た為、ドイツの姿勢を歓迎する事となった。

 北チャイナに流れ込んでいるアメリカ製の武器に対抗するには、最新鋭の装備がどうしても必要になるからだ。

 この事はソ連も同じであった。

 日本ソ連戦争の経緯からG4とは友好的とは言えない関係にある為、ソ連の経済発展の為にはどうしてもドイツの協力が必要であったのだ。

 このチャイナとソ連という市場を手に入れる事が出来た為、ドイツ経済は一息つく事が可能となった。

 だが政治的に見た場合、別の問題が浮上する。

 窮地に陥ったドイツ経済に対してG4は全く手を伸ばす事が無かったのだ。

 むしろ逆、ドイツを苦しめる政策を取っていた。

 ブリテンやフランスはドイツを狙い撃ちした関税を設置していた。

 アメリカは、チャイナでの南北問題に関わっている為、最初から敵視されていた。

 日本はそもそも輸入するのは食料と資源が主である為、その両方を産出しないドイツでは話にならなかった。

 プライドの高いドイツ人が、世界は敵であると認識するのも当然であった(※1)。

 この結果が、ドイツに国家社会主義政党の躍進を生む事となる。

 アドルフ・ヒトラーが歴史の表舞台に顔を出す。

 

 

――イタリア

 世界経済の低迷が波及したイタリアは、ドイツ以上に悲惨だった。

 状況は同じであったが、ドイツとは異なりソ連やチャイナに入れ込む事が出来なかった為だ。

 ソ連とはある程度の経済的な交流も出来ており、

 ファシスト党による独裁体制の確立こそなり、治安も安定していたが景気の低迷は留まるところを知らぬと言うのがイタリアの実情であった。

 この状況を打破する為、イタリアは新しい市場を求める事となる。

 それは新しい植民地を求める行動へと繋がっていく。

 

 

――ソ連

 世界恐慌への対応と日本ソ連戦争での敗戦を糊塗する為もあり、五ヵ年計画として国力の拡大と涵養を大々的に打ち出す事とった。

 問題は、その原資だ。

 重工業を興すにも、農業を興すにも全てに金が掛かる。

 だがソ連には金が無かった。

 日本ソ連戦争の敗戦、その賠償はソ連に重くのしかかっていた。

 だからこそスターリンは、政敵であるトロツキー派の処断を終えるや五ヵ年計画の断行を決断した。

 次の戦争に、次の次の戦争に負けぬ為の国家を作り出す為に。

 その決断を支える金は重税と農作物の輸出で賄う事とした。

 重税は都市部も農村部も問わなかった。

 問題は農作物の輸出だ。

 豊かな穀倉地帯であるウクライナが生み出した農作物を海外へ売却する事で国家改造の原資としたのだ。

 この第1次五ヵ年計画がソ連発展の切っ掛けとなる。

 だが同時に、ソ連の国家を蝕む事となる。

 生活に足る農作物すらも取り上げられたウクライナでは餓死者が続発し、国外へと逃げ出す農民が多発した。

 それはウクライナだけでは無く、豊かとは言い難いソ連東部地方でも同じであった。

 シベリア等の農村も、モスクワ周辺の農村と平等に税が課せられたのだ。

 人民の平等を謳うソ連にとっては当然の話であり、そしてシベリアの農村の人間にとっては死活問題となる重税であった。

 そもそも、日本ソ連戦争によってシベリアは物流網を破壊し尽くされているのだ。

 その状況下で農業も経済活動も順調に出来る筈も無かった。

 故に、ウクライナと同様にシベリアでもソ連から逃げ出す動きが出た。

 此方は、ロシア人同胞の国家、オホーツク共和国がある為、逃げ出すという決断はある意味で簡単であった。

 問題は海で阻まれていると言う事であり、最悪なのはオホーツク沿岸域の中型以上の船が日本ソ連戦争の際に尽く焼かれていたという事だ。

 それでも尚、シベリアの民は東を目指す事となった。

 村に居ても死ぬだけであれば、せめて希望に向かいたいとの思いがそうさせたのだ。

 持ち出せる限りの食料と家財とを持って旅立ったシベリアの民。

 沿海州にたどり着く頃には疲弊し果てている有様だった。

 沿岸州ではソ連からの戦時賠償として資源開発を許されていた日本とアメリカの企業が居た(※2)。

 ソ連との関係は良好とは言えない日本であったが、疲労困憊したシベリアの民を見捨てられる程に薄情では無かった。

 ソ連との協定で雇える範囲で人を雇い、そして人道的支援としてささやかではあったが食料と医療援助を行った。

 それが評判を呼び、更に人が集まる事となった。

 1日の食事の為に身を売る女性。

 子供だけでもと、やせ細った体で縋りついて来る大人。

 自分はどうなっても良いからと、配給を子や孫に分け与える老人。

 そんな姿を見せられてまで動けぬ程に、日本人というものは酷薄ではなかった。

 それはアメリカ人も一緒であった。

 日本はオホーツク共和国と樺太共和国での受け入れを、アメリカは満州での受け入れを決断した(※3)。

 この状況を把握したソ連は過酷な脱農者狩りを行うようになっていく。

 一度、日本とアメリカの活動圏に入られると、日ソ戦時賠償協定の問題で高圧的な対応が困難となるからである。

 この事が、シベリアでのソ連の支持へ痛烈な打撃を与える事となる。

 

 

 

 

 

(※1)

 地味にポーランドによるドイツ敵視政策も効いていた。

 ポーランドは国力の涵養と共に、中欧に於ける反ドイツ連帯を生み出すように活動しており、オーストリアを除く各国との関係は良好とは言い難いものとなっていた。

 国力から言えば、ドイツにとってポーランドを筆頭とした中欧諸国など敵と言うのも烏滸がましいのが実情であったが、外交的に言えば話は別となる。

 国際連盟の場などで常に敵対的に動いて来る国家群というものの鬱陶しさは筆舌に尽くし難いと言うものであった。

 何故、これ程にドイツが憎まれねばならぬとの思いが、そして元来のドイツ人のプライドの高さが、最終的にドイツ人に世界への憎悪を与える事になる。

 世界に冠たるドイツを、世界が認めぬのであれば世界を変えよう、と。

 

 

(※2)

 沿岸州にて活動しているのは日本ソ連戦争の戦時賠償協定に基づき、日本籍を持った企業だけであった。

 故にアメリカは、日本企業と合弁企業を日本国内で興して参加していた。

 又、合弁企業である為、日本製の高性能な工作機械等の導入が容易となる利点があり、後にはシベリア向けに合弁企業を立てた上で、主な経済活動は満州や朝鮮半島で行う企業も現れた。

 

 

(※3)

 日本とアメリカの共同エクソダス計画は、「オーバーマン」と命名されていた。

 これは鉄の男と謳われたスターリンを超える、鼻をあかしてやるとの意味で命名されたものであった。

 延べで100万人近い大脱国であった。

 但し、この計画に両国の軍を投入する事は憚られた為、民間軍事企業を創設し、その企業で対応するものとした。

 後に、日本統合軍外人部隊の始まりである。

 この日本の行動に、アメリカも乗った。

 此方も民間企業の組織として成立させた。

 特徴としては、組織を構築したのが満州であり、そこに出稼ぎに来ていた朝鮮共和国人が朝鮮共和国政府の斡旋によって参加していた事である。

 当時、満州でのアメリカの治安維持活動に朝鮮邦国人が朝鮮邦国政府の斡旋で参加していた。

 これは、朝鮮政府にとっては貴重な外貨獲得手段であった。

 故にアメリカ企業は安価(アメリカ人に比べて)な傭兵として朝鮮人を雇用しているのだった。

 これ以降、アメリカは多少粗暴であり戦意の継続に難点を抱える所もあったが安価な兵隊として使える朝鮮人を傭兵として満州と関東州の支配に使っていく事となる。

 

 

 

 

 

 


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