タイムスリップ令和ジャパン   作:◆QgkJwfXtqk

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152 第2次世界大戦-19

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 マインツ市が占領され第3軍集団とW軍集団が壊滅的打撃を受けた事はドイツ西方総軍の危機に直結した。

 補給路が扼される事になるからだ。

 フランスからの侵略軍を撃退する為とは言え、自らの手で物流インフラを破壊したツケが回ったとも言える。

 その上、南方から大規模では無いにしても押し込んでくるイタリアの存在がある。

 北方のオランダ戦線も攻勢は完全に頓挫しており、日本とブリテン軍の規模が小さいが為に()()()()()()()()()()()と言うだけの状況であった。

 即ち、ドイツの西部戦線は崩壊の危機に面する事となった。

 更には、ドイツ西方総軍のみならず、ドイツ経済にとっても深刻な事態が想定される事になる。

 ルール地方 ―― ドイツ最大の重工業地帯が、日本/フランス側陸上部隊の攻撃圏内に入る事となったからだ。

 ここが失われる事ともなれば、ドイツの戦争計画は大きく狂う事となる。

 そもそも、ドイツ経済に尋常では無い影響が出る事となる。

 ドイツの経済界は、ドイツ政府に対してルール工業地帯の安全確保を強く訴える事となる。

 或いは工場群の疎開を要求する事となる。

 問題は、日本とフランスの航空機による麻痺爆撃(オペレーション・スタン)が行われだしている事であった。

 麻痺爆撃とは、ドイツ国内のインフラ網(道路、橋、鉄道)に対する爆撃であった。

 世界大戦(World War)でドイツが行っていた内線作戦を前提から破綻させると言うのが目的であった。

 文字通りドイツの軍事活動、部隊の機動を麻痺させようというのだ。

 フランスは、これを手ぬるいとして都市部への絨毯(無差別)爆撃も主張していたが、日本は絨毯爆撃をやった所で効果が薄いとして反対した。

 そもそも、無駄に爆弾をばら撒くのは戦費の無駄遣いだと言うのも理由であった。

 攻撃と言うものは効果的かつ効率的(スマート)に行うべきだと言うのが日本の考えであった。

 又、一般市民への爆撃は戦時国際法違反になるとも考えていた。

 空港や港湾施設。

 駅や操車場に物流拠点、果ては変電所を破壊はするが、別段にドイツの一般市民に対する被害を狙う必要は無いのだ。*1

 言ってしまえば、ドイツが自爆的に戦争を始めたお陰で労も無く手元に来た錦の御旗に、好んで泥を付ける必要は無いと言う話であった。

 

 兎も角。

 国際連盟による攻撃が齎す経済的混乱を、ドイツの資本家たちは簡単に受け入れる積りは無かった。

 ドイツ政府に対して、ルール工業地帯防衛に総力を挙げる様に要請する。

 これによってドイツは損切 ―― 遅滞戦闘による時間稼ぎと、戦力の再構築を断念する事となる。

 ヒトラーの独裁国家であるドイツであるが、そうであっても財界(民意)と言うモノを無視できる訳では無いのだから。

 否、独裁と言うものが民意による支持あればこそ成り立っていると言う事を考えれば、政府与党と対立する野党(ガス抜き)と言うモノが存在しない独裁国家の方が余程に民意と言うものに阿らざるを得ないと言う側面があると言えるだろう。

 かくしてドイツは、更なる徴兵 ―― 主要な労働人口()()の人々を根こそぎに動員していく事となる。

 定年退職者、ヒトラーユーゲントで未就労の少年少女による軍補助組織、国民突撃隊(Volks Sturm)の編成だ。

 又、女性たちも動員され、村や町の石造りの建物を、べトンなどで補強してトーチカを作った。

 涙ぐましいまでの国家総力戦。

 ヒトラーは此れを指して、ゲルマン民族への試練であると盛んに連呼していった。

 民族の試練、ドイツは自ら苦難への道を突き進む事となる。

 それも又、ドイツ人の選択であった。

 

 

――国際連盟

 フランス政府は、マインツ市解放が想定よりも遥かに短い時間で、極めて少ない損害で行えた事に自信を持つ事となる。

 そして、その自信を背景にして国際連盟安全保障理事会にて大規模な対ドイツ攻勢を主張した。

 電撃的にルール工業地帯を支配し、そのままドイツの心臓であるベルリン市へ向けて突進し、戦争を簡単に終わらせてしまおうと言うのだ。

 この時点で日本の遣欧総軍主力である第10機甲師団がフランス本土に到着。

 併せて第4航空団も展開を完了しつつあった。

 これがフランスの対ドイツ戦争への強気な姿勢を支えていた。

 日本連邦統合軍の正規機甲師団は、4個戦車連隊と1個歩兵(機械化歩兵)連隊を基幹としている部隊であり、先のマインツ市解放戦で活躍した機械化旅団は2個の歩兵(機械化歩兵)連隊と1個戦車大隊を基幹としていた。

 比べ物にならない打撃力と言えるだろう。

 この戦力を、フランス陸軍が側面支援すれば、ベルリンへの打通とて容易である。

 そうフランスの代表が声を上げたのだ。

 その声にポーランド代表が賛同した。

 ポーランドが正面に立っているドイツ戦争東部戦線は、ドイツ軍の攻勢自体は頓挫せしめているものの、いまだ前線はポーランド国内にあるのだ。

 早期にドイツを国内から追い出したいポーランドとしては、西部戦線が活発化する事は願ったり叶ったりなのだ。

 だがそれを日本の代表が止めた。

 早期のドイツ戦争終結は宜しくないと言った。

 それは戦後を見据えた主張であった。

 ヒトラーのドイツを潰す事は難しい事では無い。

 だが、その潰した後の統治を考えた場合、簡単に潰してしまうと弊害が出ると言うのだ。

 日本代表は言う。

 ドイツ戦争で狙うべき相手、真に心を折るべき相手はドイツ人、ドイツの一般大衆に他ならないのだ、と。

 世界大戦(1914 - 1918)の如く、ドイツは負けていないが背後からの一撃で負けた等と寝言を言わせない様にせねばならぬのだ。

 ドイツ戦争を、ドイツが負けたのではない。

 ナチスとヒトラーが負けたのだ等と言わせてはならぬのだ。

 ドイツと言う国家と民族に誉は無い ―― 世界(G4)に劣るが故に負けたのだと教え込まねばならぬのだ、と。

 その為には、一撃でベルリンを落とすのではなく、一歩一歩ドイツ領内を侵攻して全ての領土を塗り絵の様に塗り替えて、ベルリンを炎上(ヴァルハラ炎上)させねばならぬのだと言う。

 淡々と紡がれた、だが余りにも苛烈な主張に国際連盟安全保障理事会の会議室は誰もが言葉を失っていた。

 この後、国際連盟による対ドイツ戦争の戦争計画は日本が主導していく事となる。

 

 

――ポーランド

 ドイツ戦争自体の長期化を国際連盟(ジャパンアングロ)の都合で決められたポーランドであったが、それを受け入れた背景には、戦後のドイツ国土の割譲 ―― ベルリン以東で、ポーランドが掌握出来た土地の無条件割譲が密約されたと言うのが大きい。

 又、その為の戦力、戦車その他を最優先で供給する約束を日本と()()()()が行ったと言うのもあった。

 本土は安全であり、海洋交易路も安定しているブリテンは、ドイツとの戦争も大事であるが、それ以上に戦後を睨んだ動きを見せているのだった。

 ポーランドとの関係強化、即ち、ヨーロッパ亜大陸でのフランスの一強体制を阻止すると言うのが目的だ。*2

 その意図を理解しつつ、ポーランドはブリテンの支援を受け入れて行く事となる。

 ポーランドとて、常に誰かの風下に居たい訳では無いのだ。

 特にそれが鼻持ちならない相手(スノッブめいたフランス)であるならば。

 二枚舌(ブリテン)田舎者(アメリカ)理解の外側(日本)などの方がまだマシと言うものであった。

 少なくとも、綺麗事を押し付けようとはしてこないだけ。

 そして国の距離が離れているだけ、マシであった。

 日本とブリテンからの支援、そしてフィンランドからの派兵を受けてドイツを国土から叩き出す為に死力を尽くしていく事となる。

 

 

――フランス

 様々な思惑の入り乱れる中、フランスは年明けからの一大攻勢に向けて物資や部隊の蓄積を行っていく事となる。

 フランス本土にはフランス軍のみならずブリテン軍、日本軍(日本連邦統合軍とエチオピア軍)、そしてアメリカ軍が轡を並べて行く事となる。

 又、南アメリカ大陸の諸国からも、最大でも師団規模程度ではあるが陸軍が派遣されてきていた。

 その事にフランスは、世界が後ろに居ると確信する事となる。

 名誉と言う意味に於いて、ある種の絶頂を感じていた。

 その総兵力は、予想されている範囲で優に300万近い規模を超える事となる。

 300万を超える人間の住居や食料を賄う事は大変な事ではあったが、無尽蔵と言って良い日本の支援もあって、問題無く遂行できていた。

 この300万を超える軍を指して、フランスは大陸軍(SDN-グランダルメ)と称していた。

 日本が手を回して総司令官をフランス人とした結果であった。

 名誉はフランスに。

 実権は諸国に。

 尚、その指揮権は総司令部参謀団が握る事となり、構成要員は部隊派遣国から派遣される事とした。

 参謀団での発言権は、日本は別格として、それ以外は派遣してきた兵員の規模に応じたものとなっていた。

 

 フランスの戦争準備の1つにはマインツ市の維持があった。

 当初はアルザス・ロレーヌ総軍回収後は速やかに撤退する積りであったのだが、度重なる空爆によってドイツ側の抵抗力(ドイツ西方総軍)が弱体化しているが為、この保持は可能であると判断した結果であった。

 その背景には日本第11施設科旅団によるマインツ市の()()()()()があった。

 フランスの要望を受ける形で大量の物資を用いて塹壕を掘り、トーチカを作り、地雷原まで構築したのだ。

 通称はマインツ要塞(マインツバルジ)

 この拠点に対応する為、ドイツ側は周辺に多重防衛ラインを構築していく事となり、少なくない物資を大量に消費していく事となる。

 

 

――ドイツ

 失いつつある西部戦線に対して、東部戦線はいまだ攻勢の余地を残していた。

 その東部戦線で勝利する事で、国民に対して一定の面子を立てつつ国際連盟との講和を図る。

 それがヒトラーの考えた政治的戦略(絵図面)であった。

 制圧したポーランドの解放を政治的な対価とし、その上でフランス、オランダ、イタリアに対しては国土を割譲する。

 国際連盟への復帰(恭順)もする。

 こうすれば正義の御旗を掲げている国際連盟(ジャパンアングロ)は、平和の為として和平に乗って来ざるを得ない。

 そう言う認識であった。

 ドイツに対する敵意を隠そうともしないフランスは、断固拒否するだろうがブリテンは違うだろう。

 ドイツを下したフランスが覇権国家化する事を望まないであろうから、ブリテンは必ずや協力してくれる。

 政治的センスと言う意味に於いて、ヒトラーの頭脳は鈍っては居なかった。

 問題は、得ている国際情勢の情報が()()()()と言う事であろう。

 既にブリテンは、ドイツ戦争後のフランスの強大化をけん制する為にポーランドと協力関係を強化しており、イタリアにも支援を開始している。

 その意味に於いて()()()()のだ。

 だがドイツの首脳陣で、その事に気付けた人間は殆ど居なかった。

 居たとしても、ヒトラーの癇癪を恐れて口にする事が無かった。

 この為、ヒトラーはドイツ滅亡回避の為に、東部戦線に対する()()を強化していった。

 その上で、西部戦線に関しては軍に対して現在保持している領域を死守する様に厳命するのだった。

 余りにも攻め込まれると、講和の際に割譲せねばならぬ領域が増えるからである。

 又、バルカン半島で孤立している部隊に対しては()()()()()()ソ連軍部隊への降伏を認める命令を発した。

 同時に、ソ連に対して密使を送る事となる。

 バルカン半島を含むドイツ連邦帝国(サードライヒ)の東欧領の平和的割譲を対価として国際連盟との外交(講和)の窓口となる様に依頼する事としていた。

 ヒトラーの政治的外交的センスは、追い詰められつつある状況に於いても決して悪いものでは無かった。

 問題は、この密使がドイツに帰ってくる事が無かったと言う事である。*3

 ヒトラーも、その側近も忘れていた。

 世界はドイツの都合では無く世界の都合で動いていると言う事を。

 

 

――日本

 日本はドイツとの戦争自体は楽観視していた。

 だが、その戦後統治に関しては楽観視していなかった。

 タイムスリップ前の世界での米国が陥った伊拉克(イラク)統治の混迷が念頭にあったからである。

 だからこそ、ドイツとの戦争が確実視される状況になると直ぐに日本政府は、国内に戦後を見据えた研究チームを立ち上げたのだ。

 グアム共和国(旧在日米軍)に残されていた資料なども使用して行われた研究の結果は、国民が敗戦に納得しない限りは安定した統治は不可能であると言う結論であった。

 かつての第二次世界大戦の終結後、日本や独国が米国に強く反発しなかったのは国土の殆どが焼き尽くされ、負けたのだと誤解の余地も無く納得できたと言うのが大きい。

 そう結論付けられたのだ。

 統治者 ―― 支配者層の交代が魂に刻み込まれるレベルで敗北させねばならない。

 そこまでして初めて、大衆は受け入れるだろう。

 

 平和の為の暴力理論(ピースメイカー・ロジック)

 

 日本は、その理論を受け入れた。

 矢尽き刀折れれば人は受け入れるモノだと言うのは、皮膚感覚で理解出来たからだ。

 だからこそ、日本は念入りにドイツを潰す事を選んでいた。

 その潰す選択肢に、レーザー融合弾(純粋水爆)の実戦投入すら検討された点に於いて、日本は本気であった。

 尤も、大威力兵器の投入をしたとしても、軍を焼くだけ(民間人に被害の出ない場所での投入)ではドイツ人の心を折れないだろうと判断され、であれば値の張るモノを投入する甲斐は無いとして中止された。

 一般ドイツ人の眼前で、健気に戦うドイツ軍をぼろ雑巾の様に無情に無慈悲に潰えさせる事が肝要なのだから。

 かくして日本はフランスに戦力の集積を行い、併せてポーランドに対しては大規模な航空戦力を展開させていく事となる。

 フランスが航空戦力に於いてドイツに優越していると言うのも大きいが、陸上戦力の大規模なポーランド派遣が難しい事も大きかった。

 爆撃機や攻撃機、戦闘ヘリや武装UAVまで投入されていく事となる。

 この運用が行えるのは、ドイツ海軍の消滅によるバルト海が完全に国際連盟の管理下に入ったお陰であった。

 その上で日本はドイツの主要港湾(軍港等)を機雷にて封鎖し、又、小さな港湾であっても見逃さず、ドイツが魚雷艇や武装漁船などでの行動が出来ぬ様にと片っ端から焼いていったのだった。

 尚、漁船をも焼くと言う行為は、法務官の一部から戦時国際法を厳密に運用すれば抵触する恐れありとの意見が出されたが、日本は無視する事とした。

 正確に言えば無視では無い。

 国際連盟安全保障理事会隷下の軍事法務委員会を動かしていたのだから。

 ドイツの漁船はドイツ政府/軍の管理下に容易に入り兵器として転用される恐れが大である為、コレを破壊する事は戦時国際法に抵触しないと言う報告書を出させていた。

 正に、法の正しい運用であった。

 とは言え、元々ドイツ自身が偽装商船での通商破壊戦を行っていたのだ。

 因果応報と言うべきであろう。

 かくして、日本だけでは無く国際連盟加盟国の各艦艇が()()()()()()()()()()()()()()()()

 尚、ドイツ海軍最後の大型艦、空母グラーフ・ツェッペリンなどが狙われる事は無かった。

 軍港の最深部で、厳重な偽装が行われていたから ―― では無い。

 イタリアや自前で空母を建造できない国家が欲した事が理由であった。

 最早、脅威とは言えぬ艦艇であるのだから、放置していても問題は無い。

 沈めても良いが欲しいと言う国があるならば攻撃をしなくても良い。

 ()()()()()()()であった。

 海の戦争は終わりを迎えていた。

 

 

 

 

 

 

*1

 そもそもとして、一般市民に被害を出さないからこそドイツの余力を削って行けると言う事も日本は考えていた。

 鉄道や道路を破壊しても、一般市民は元気に生きている。

 生きているのであれば、ドイツは国の面子に懸けても支えねばならないのだから。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()便()()()()()

 

 それが日本やブリテンの本音であった。

 

 

*2

 ブリテンの方針として、無駄にコストの掛かる旧世界(ヨーロッパ)は見捨てて、世界を管理する事で名誉と金を得ると言うモノがあった。

 ブリテン連邦として、日本やアメリカと商売する事で利益を生み出そうというのだ。

 その為には、ヨーロッパが()()()()()()()()()()()()()()事が重要となる。

 ヨーロッパ亜大陸に、ブリテンの本土に強い影響力のある強大な国家(スーパーパワー)が存在していては困るのだから。

 それ故のポーランド支援であった。

 又、同じ理屈でイタリアも支援していた。

 このブリテンの動きをフランスは、ドイツ領土の掌握 ―― 戦後に備えたアレコレの動きに忙殺されて気づく事は無かった。

 否、気づく人間も居はしたが、ドイツを併合しヨーロッパ亜大陸に巨大なフランス帝国を作り上げれば、ブリテンは自ずと跪いてくると判断していたのだ。

 ブリテンもフランスも、実に仲が良かった。

 

 

*3

 このヒトラーの密使事件は、後に1990年代に入って起きた東欧諸国の民主化(ソヴィエトからの離脱)に伴って真相が究明される事となる。

 密使は、ソ連軍との平和的接触には成功していた。

 只、スターリンに合う為にソ連本土に向かう途中で()()()()()()()()()()()()()()()()()、死亡していたのだ。

 尚、その事故が偶発的なものなのか、それとも()()()()()()()()()であるかは歴史の闇の中にある。

 

 


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