タイムスリップ令和ジャパン   作:◆QgkJwfXtqk

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155 第2次世界大戦-22

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 国際連盟での公式名称はドイツ戦争とされている、国際連盟加盟国とドイツの戦争。

 だが好むと好まざるとに拘わらず戦場は世界規模となっており、遠くは極東アジアの山東半島および周辺海域。

 南北の大西洋。

 そしてヨーロッパ亜大陸全域である。

 故に、戦争の趨勢に影響を受けない国々などはドイツ戦争の事を第2次世界大戦(グレート・ウォー・セカンド)等と呼ぶ様になっていた。

 戦争の影響を大きく受けないが故の、遊びだったのかもしれない。

 或いは、歴史の変わり目に立ち会ったと物事を大きく捉えたいが故の感情であったのかもしれない。

 人間は誰しも、己はナニガシの特別な何か(天命)を持っている等と思い込みたい癖があるのだから仕方の無い話なのかもしれない。

 だが戦争はロマンチストが望むような劇的さ、或いは歴史に残る特別な何かなどないままに、散文的に進んでいった。

 1944年に始まった戦争でドイツは、開戦劈頭から時計の針が進む様に終焉に向けて転がり落ちてゆくだけであった。

 特別を願う人々を無視し、戦争は終焉へ向かってまっしぐらに動き続けていた。

 

 

――チャイナ民国

 アメリカとの戦争が終わり、国土の再建に勤しむ事となっているチャイナ民国であったが、その広大な国土を繁栄させるにはチャイナ民国の国力は余りにも貧弱であった。

 特に、アメリカ空軍が盛大にぶっ壊して回ったチャイナ民国領内の各種物流インフラは、復興どころか、その計画すら立てる事が出来ないでいた。

 結果、長江流域を主体とする、水運の恩恵が受けられる狭い範囲での経済活動が生命線となる有様であった。

 この状況を打破する特効薬として、チャイナ民国が考えたのは、ドイツ戦争への参戦であった。

 正確に言えば日本だ。

 国際連盟の参戦国に対する支援として日本が用意した100兆円の予算、そしてMLシリーズ*1だ。

 それを大量に得る事が出来ればチャイナの再建は容易となる。

 そう考えられたのだ。

 チャイナの願望、或いは大望。

 だがそれは、残念ながらも初手から頓挫した。

 先ず、国際連盟への加盟が断られたのだ。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()と言う事でアメリカの反対は勿論、国際連盟総会でも反対を受けたのだ。

 正式加盟は当然ながらも、発言権付の準加盟(オブザーバー参加)すらも許されなかった。

 当然の話であった。

 国際連盟は現在、加盟国の相互安全保障を主軸とする同盟組織へと変貌している為、先に加盟した国家の利益に反する事(に敵対する国家が加盟)が出来る筈も無かった。

 この点に関しては、日本が元の世界での経験(国連の無力化状態と言う前例)を基に政治工作を行っていたと言うのが大きかった。

 利益共同体であり有志連合としての国際組織と成る様に、誘導していたのだから。

 チャイナ民国に与えられたのは、総会の見学だけが許された列席権(ゲスト枠)でしか無かった。

 それでもドイツ戦争前のドイツに比べれば、まだマシな扱いであった。

 本部施設に入る事が許されており、加盟国との個別の外交なども可能となっているのだから。

 ドイツは国際連盟脱退後、本部施設への立ち入りすらも禁じる特定監視対象国(ノン・グラータ)として扱われていたのだから。*2

 国際連盟の場が駄目であるならば、とチャイナ民国は、フランスに対してチャイナ人義勇兵100万の派遣用意があると伝える事とした。

 戦争の終結(G4との関係が固定化)した事で、余剰となった軍人たちの口減らしも目的とした様な、非情な決断であった。

 フランスはチャイナ民国の提案を受け入れる事も考えたが計算した所、フランスの持つ船団規模では、この100万の軍勢がフランスの地で戦争準備を終える前にドイツ戦争が終わるとなった為、この参戦意思に関しては断る事とした。

 その代わり、ドイツ戦争後に行うアフリカでの治安維持戦に協力してもらうと言う事で決着する。

 そして、その対価としてフランスはチャイナ民国のインフラ再建に協力する事となる。

 

 

――トルコ

 国際連盟加盟国ではありその義務に従って(G4からの圧力に折れる形で)ドイツに対する宣戦布告に参加したトルコであったが、ドイツとの国境を接していない事からトルコ軍の派遣先には苦慮する事となる。

 トルコ本土から距離が近いのはバルカン半島のドイツ領であったが、バルカン半島とトルコの間には友好的関係とは言い難いギリシャが存在している為、現実的では無かった。

 とは言えフランスに集結しつつある国際連盟軍、フランスがいう所の国際連盟大陸軍(SDN-グランダルメ)は遠かった。

 又、トルコ政府としてはトルコ軍が国際連盟軍の指揮下に入る事でフランスなどの自由に使われ、消耗する事も忌避したかった。

 結果、トルコはイタリアに接近する事となる。

 ドイツ戦争南部戦線である。

 トルコから遠すぎず、ギリシャとは関係が無い場所として選ばれる形となった。

 観戦武官の報告から、イタリアは無理な攻勢をかける事も無く、被害を抑えつつ戦争を遂行していると言う情報が得られたと言うのも大きかった。

 このトルコの参陣希望を聞いたイタリアは大いに喜ぶ事となる。

 これで、時間が稼げると。

 トルコ軍の装備は、決して劣っているとは言い難いが、同時に、正面からドイツ軍と殴り合いをするには()()()()水準であった。

 特に戦車の不足は重大であった。

 1940年代に於いて、戦車とは航空機以上に高価で貴重な存在なのだ。

 イタリア軍でも不足気味であったが、それでもドイツ軍の中型戦車であれば正面から殴り合える水準に達している戦車は3桁単位で保有していた。

 だがトルコ軍は、あらゆる戦車を合算しても100両を越えて保有して居なかった。

 国力の涵養こそが大事であるとの判断の結果、軍事装備の更新は後回しにされていたからである。

 イタリアはトルコと結託し、日本に戦車の融通を依頼する事となる。

 流石の日本も戦車を融通する事は難しかった。

 問題は生産では無い。

 この時点でMLシリーズにラインナップされていた戦車はM型(ML向けモデル)38式戦車(Type-38.M)となっている。

 現行の正規販売モデルであるC型に比べ、主砲や装甲、エンジンなど以外の各部を徹底的に簡素化したM型はハバロフスクの統合軍工廠にて大規模な生産体制を構築しているお陰で、1000両程であれば、即座に増産する事が可能であった。

 問題は生産では無く輸送力。

 日本の海運業界(マル・フリート)が持っている輸送力が限界に達しつつあると言う事であった。

 先に決めた、イタリアへの5万両分もの追加輸送によって、年内分の余剰輸送力をほぼほぼ使い果たしていたのだ。

 だがここに、救いの神(イタリアにとっての疫病神)が居た。

 アメリカである。

 国際連盟安全保障理事会戦争補完委員会で、日本とイタリアトルコが話し合っていた所に、善意で余剰になっている輸送船の提供を申し出たのだ。

 それも、日本を真似て整備したRO-RO船である。

 流石に40t近い38式戦車M型(ML-38)を輸送する事は難しいが、日本の輸送船の代わりにトラックなどの車両を輸送する事は簡単であった。

 かくして、イタリアの小さな策謀は潰され、年が明けてからの対ドイツ攻勢から逃げる事は出来なくなるのだった。

 尚、戦争への意欲と言う意味で避戦意欲に乏しかった(諦めていた)トルコは、別段に何かを感じる事は無かったが。

 

 

――ユーゴスラヴィア

 支配者であったドイツ軍が、イタリアの参戦によって補給路を断たれ、弱体化した事により、ユーゴスラヴィアの抵抗運動は激化する事となる。

 特に各民族各組織間を取り持てる人材が出て来ていた事から、ユーゴスラヴィアは急速に統一された反ドイツ活動が組織されていった。

 この事が、後にソ連による全土掌握に問題を及ぼす事となる。

 ユーゴスラヴィア人からすればソ連は、自らの手で国家を回復させようとしていた所に横からやって来た侵略者でしかないのだ。

 これがせめて、圧政中のドイツ軍と手を携えて対峙したとか、以前より抵抗運動を支援していたならば話は違っていただろう。

 だが、今回は違う。

 ユーゴスラヴィア人からすれば、戦うしかないと言う状況であった。

 幸いな事は、ソ連と同様に国際連盟の加盟国でありながらも、ソ連の勢力圏拡張を好意的に捉えない地中海国家群(ギリシャやイタリア、トルコ)が支援してくれていると言う事があった。

 反ロシアと言う気分から、無条件に手を差し伸べているトルコ。

 隣国と言う事でユーゴスラヴィアの安定は死活問題でもあるので、人道的支援を行うギリシャ。

 そしてイタリアはG4、特に日本(反ソ連国家)の歓心を買う為に、軍事装備の提供も含めた強力な支援を申し出たのだった。

 それも、ドイツ占領時代の様にこっそりと送るのではなく、反ドイツ活動を支援すると言う名目で堂々と送り付けていた。

 そして、そんなユーゴスラヴィアの奮闘は、反ソ連の波としてバルカン半島全域に広がっていく事となる。

 ソ連は自らの手で泥沼にハマろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

*1

 輸送力としてのトラックなども有望であったが、それ以上にチャイナ民国が欲しがったのは工兵部隊向けとしてラインナップされている油圧ショベル(ML-41)ショベルカー(ML-43)であった。

 故障率が極めて低く、運転の容易なソレらは破壊されたチャイナのインフラを蘇らせる為に大きな力を発揮すると見られていた。

 元々はシベリア開拓で入植者向けに廉価に提供できる様にと日本政府の要請を受けて開発されたモノであった。

 開発に補助金を出す事で、メーカーを問わない各種部品や消耗品の規格化が成されたため、僻地であっても高い稼働率を見せつけた良品であった。

 又、ブリテンがアフリカ向けに、アメリカがフロンティア共和国向けに積極的に導入もしていた。

 MLシリーズに加えられたソレは、エアコンなどの快適装備こそ削除されていたが、基本機能はそのままであり、後方部隊向けの非装甲型と装甲化されたB型の2種類がカタログに載せられていた。

 尚、装甲部隊に随伴可能な機動力と装甲とを兼ね備えた装甲施設車(ML-45)も存在している。

 こちらは38式装軌装甲車をベースに開発されたモノである為、戦車並みの単価となっていたが、機甲部隊に随伴し作戦行動が可能と言う事で、フランスやイタリアなどの経済力に余裕のある国家は競って購入していた。

 尚、陸戦部隊の整備に余力のあるブリテンは自前での開発に挑むのだった。

 

 

*2

 ドイツに対する処遇に関しては、外交の道を封じる事であり本来であれば禁じ手に類される行為であった。

 だが、国際連盟脱退に前後する形で、ドイツがアフリカでの民族(独立)運動を焚きつけた疑惑が持ち上がった為、ブリテンとフランスとが緊急避難的措置(嫌がらせ行為)として行ったのだった。

 当初は単純な嫌がらせであったのだが、後にこれは致命的な影響を与える事となる。

 ドイツと日本が接触する事が困難になったからである。

 タイムスリップ後の日本は、余りドイツ(ヒトラー政権下のドイツ)との外交に積極的では無かった。

 国家生存が最優先で在り、その為に外交力を資源を抱えた列強(アメリカ・ブリテン・フランス)に優先分配していたのだから仕方がない。

 その後は日本連邦が成立し、()()()()としてユーラシア大陸で振舞う事を強いられ、チャイナ問題などで外交力を消費していた為、ドイツとの外交は等閑にされていたのだ。

 仕方の無い話である。

 日本の生存、或いは発展に対してドイツが良好な影響を与える事は不可能なのだから仕方がない。

 とは言え、ドイツから外交をしてくるのであれば、交渉の門は閉める積りは無かった。

 悪名高いナチス・ドイツ(タイムスリップ前の歴史感覚)とは言え、今の歴史では、まだそんな事をしていないかもしれないのだ。

 自覚の無い、自国の優越を確信した国家の態度とも言えた。

 そして、この日本の気分を敏感に感じたドイツは、日本との外交に積極的にはなれなかった。

 此方は、国家のプライドが邪魔した結果であった。

 劣等民族と見ていた相手が、隔絶した上位種族であるなど、とてもでは無いが認められる話では無かったのだ。

 その結果、ドイツは日本との積極的窓口を持たない状況に繋がっていた。

 

 

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