タイムスリップ令和ジャパン   作:◆QgkJwfXtqk

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162 第2次世界大戦-29

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 フランス軍を基幹とするドイツ戦争西部戦線大陸軍(SDN-グランダルメ)は、時計の針の如く確実に、そして正確にドイツ領内へと進軍していた。

 対するドイツ軍。

 その歩みを阻む為にありとあらゆる手段を選択した。

 無差別なまでの地雷原の設置。

 遅滞戦闘の実施。

 様々な抵抗を行った。

 其処には、ドイツ領内のインフラを自らの手で破壊し、或いは民間企業などが備蓄していた物資の回収 ―― 不可能であれば焼き払う事すら含まれていたのだ。

 そこに民間人(一般ドイツ人)が居たとしても、である。

 非道の焦土戦とでも言うべき行動と言えるだろう。

 だがドイツ軍参謀本部、何よりヒトラーはコレを国防の為の最善の選択肢であると意識していた。

 ドイツ軍の補給線は基幹を鉄道に頼り末節、各部隊への分配は馬車に頼っているのが実状であった。

 又、食料その他の結構な割合を現地で購入してもいた。

 それは、かつての友好国であるイタリアやソ連も同様であった。

 だからこそドイツは、フランスも同様であると思いこんで居たのだ。

 シベリア独立戦争(Siberia War - 1936)に参陣していた将兵、その貴重な生き残り(戦争捕虜として日本を見た人間)の報告書では、あの恐るべき黄禍(日本自衛隊)は完全な自動車化を達成していたと書かれていた。

 それから約10年、ドイツが戦うべき世界支配級国家群(ワールドオーダー)は日本に追い付こうと努力はしていたが、実現してはいなかった。

 少なくとも国際連盟陸軍(リーグ・フォース)の数的主力であるフランス陸軍は、ドイツ戦争(国際連盟による侵略戦争)開戦前の時点では達成できていなかったのは情報収集で把握していた。

 G4で最も陸軍の近代化に努力していたフランス陸軍ですら、ドイツ陸軍と大差は無いのだ。

 であればブリテンもアメリカも、そうであるとドイツが思うのも当然であった。

 だからこそのインフラ破壊、焦土戦術であった。

 尚、大多数の住人(主に高齢者)を現地に残して撤退するのは最悪の合理性(チュートン的生真面目さ)、その発露であった。

 軍人が保護すべき民間人(非戦闘員)、その義務は国や国籍を問わない。

 そこに目を付けた政府高官、乃至はNazis党の人間がヒトラーに提言し、実行させていたのだ。

 文字通りの棄民政策であった。

 ドイツ(アーリア)人として、祖国に最後の奉仕をすべし、そう言っての事であった。

 これに少なからぬ数の、正規の軍人教育を受けていたドイツ軍人の心が折れるのだった。

 

 

――フランス

 確実に、ドイツ軍を排除してドイツの地に自らの領域を広げていくフランス軍。

 前線指揮官などは、後退するドイツ軍に更なる攻撃を仕掛ける事を禁止され、或いは機動突破戦術などでドイツ軍の指揮系統を破砕する事も認められていない事に不満(フラストレーション)を溜めていた。

 戦果の拡大を止める、いわば利敵行為に値すると政府や軍上層部を非難していた。

 それを高級将校たちが窘める。

 戦争であったのならば、前線指揮官たちが正しい。

 だがコレは戦争では無いのだ、と。

 ドイツと言う存在を歴史上の存在へと変える、只の作業なのだから問題は無いのだと告げた。

 実に傲慢(フランス的)な物言いであり、前年(1944)の戦いを思えば増長が過ぎると言われても仕方のない話であった。

 だが、その自信(傲慢)が事実であると思う程には、ドイツ戦争西部戦線は圧倒的であった。

 数で圧倒的なフランス軍。

 完全に機械化されたアメリカ軍。

 数と質とを揃えている日本軍。

 G4(ジャパンアングロ)のうち3つが居るのだ。

 苦戦しろと言うのが難しいと言うべき話であった。

 これに、オランダに部隊を集めているブリテン軍も加わるのだ。

 過剰(Over Kill)と言うのも当然であった。

 故に、大事な事は戦闘では無く部隊への補給であり進軍の為のインフラ整備であり、そして占領地の統治であった。

 物資の補給、特に食料品に関して日本はフランス本土に大規模な(天幕とプレハブで構成された)工場を作って、そこで面倒な下処理などを行い、前線部隊に届けると言う形をとっていた。*1

 結果、ドイツによる焦土戦術は、全くの意味を持たなかった。

 ドイツ人住人の怨嗟の声は別にして。

 食料も燃料も奪われたドイツ人住人をフランスの統治部隊は見捨てなかった。

 大量の芋と米とを振舞ったのだ。

 但し、その際に一切のドイツ語を認めなかったが。

 統治する際の統治公用語をフランスとブリテン、そして日本語だけと定めたのだ。

 ドイツ人住人がドイツ語を使う事は止めないが、食料配布日の告知などの致命的な全てを統治公用語以外では一切認めなかったのだ。*2

 統治する村、町などの名前すら、ドイツ風には呼ばない。

 酷い場合は個人名すらも呼ばない。

 ドイツの全てを否定する勢いであった。

 支配と言う意味で反感を買う行為であったが、フランスは占領したドイツ領をフランスに()()()()()として編入するとしていた為、特に大きな問題では無かった。

 フランス人としての権利が欲しいのであれば、フランス人である事を学べ ―― そういう話であった。

 この苛烈な態度に反感を募らせるドイツ人住人であったが、暴動などを起こせば即座に鎮圧された。

 それも、フランスが海外県から動員してきた黒人やアジア(フランス領インドシナ)人によってだ。

 ブリテンの勧めで行われたソレは、極めて効果的な影響を与えた。

 ドイツ人住人の心を折ったのだ。

 ドイツ()人が、非白人によって動物の様に扱われた。

 その衝撃たるや相当なモノがあった。

 扱いに反発し暴動を起こし、そして虫けらの様に蹴散らされていった。

 そこに慈悲は無かった。*3

 余りの待遇の悪さに、知識層(パワーエリート)のドイツ人住人は業務のボイコットなどを行い、抗議に出た。

 普通に解雇された。

 解雇される段になって、村や町の統治に問題が出ると脅せば、苦労するのは被統治下の人間でありフランスでは無いと返される始末であった。

 実際、様々な混乱が発生したが、フランスは一切気にする事は無かった。

 事、この態度を見た時に、フランスの統治下に入ったドイツ人は心底から理解する事となる。

 フランスは、ドイツを消す積りなのだと。

 村や町の統治システムが止まろうとも、工場その他が休業しようとも、フランスにとってどうでも良いのだ。

 統治して利益を得る事が目的なのではない。

 ドイツを消す事が目的なのだから。

 結果、その事を理解したドイツ人から()()()が出て来るのも当然の話であった。

 

 

――ブリテン

 順調にドイツ領の西方域を侵食していく国際連盟軍。

 その中にあってブリテンはあまり積極的とは言えなかった。

 これはドイツの解体、分割統治が前提となって来ている為、間違ってもヨーロッパ亜大陸に領土など持ちたくないと言う気持ち故にであった。

 資源や人口で発展性が乏しく、その上で国家がひしめき政治的な対立や連帯を繰り返している旧世界(ヨーロッパ)はお荷物でしかないからだ。

 それよりは、世界中の国々(主に日本とアメリカ)と連帯し世界帝国として生存し続ける事を国家戦略としているブリテンにとって、戦後のヨーロッパでのアレコレに巻き込まれかねないヨーロッパ亜大陸の領土は不要だからだ。

 害悪(邪魔)とすら言えた。

 だからこそ、オランダを軍が発して以降の土地は、オランダに近い場所はオランダに統治する様に要請し、それ以降は共に進軍する日本を共同統治者として必ず巻き込む様にしていた。

 その上で細心の注意を払って、ドイツ人の憎悪がブリテンに向かない様に配慮していた。

 ドイツ人による民族国家の解体が予定されている以上、ドイツ国家との戦争は将来的に発生する可能性は乏しいが、()()と言う可能性は捨てきれないからだ。

 陸路でブリテン本島とヨーロッパ亜大陸とを繋ぐ予定が無いとは言え、近隣なのだ。

 ヤケクソになったドイツ人が何を仕出かすかと思えば、ブリテンが警戒するのも当然の話であった。

 そんなブリテン陸軍に対して、ブリテン海軍は活躍の場をアドリア海に求める事となる。

 ドイツ海軍が事実上、消滅している為、北海 ―― バルト海に渡る海域で出来る事など何もないからだ。

 地上攻撃任務もあるにはあったが、その場合、ブリテン空軍その他との調整と連携が行われる為、正直な話としてブリテン海軍の戦争とは言えなかった。

 だからこそのアドリア海なのだ。

 ユーゴスラビアでの戦争に、航空支援と言う形で加わろうというのだ。

 ブリテンは、最小限度の労力で最大の利益を得られる場所を良く理解していた。

 

 

――オランダ

 国民に充満する反ドイツ感情を発散する為、日本とブリテンの支援を得てドイツ領内へと侵攻したオランダ軍。

 その統治方針は、フランス並みに情け容赦の無いモノであった。

 否、ある意味でそれ以上であった。

 戦災避難民などへの支援は一切行わず、目につく建物の悉くを、ドイツ軍が抵抗の拠点にしかねないと言う理由で粉砕し続けたのだ。

 官民を問わずに、である。

 一般住宅すら、戦車で踏みつぶしていた。

 抗議する住人すらも踏みつぶしていた。

 流石に日本やブリテンが余りの(非人道的)行為では無いかとやんわりと抗議したが、オランダ軍関係者はドイツ軍に利する行為を行った為であるとして、取り合わなかった。

 実際問題として、ドイツ自身がオランダ領内で同種の行為を行っていたのだ。

 非公開での日本とブリテンとの折衝の際、オランダ代表は自国に報復する権利があると断言しており、その事に関して日本すらも反論できない部分があった。

 ハーグ陸戦条約を見ても、厳密に言えば条約違反的な部分もあったが、ドイツ軍との戦争行動の一環であると言われれば、全くの条約違反であると言えない点が、誠にもって悪質と言えた。

 その上で、食料等に関しては()()()()()()()()()を行っていた。

 無論、オランダが定めた、占領地に於ける適切な価格(ボッタクリ)である。

 ドイツ軍の焦土作戦と相まって、オランダ領内に近い地域は地獄の様な飢餓が発生する事となる。

 飢餓が治安を悪化させ、悪化した治安を治める為に、容赦の無い暴力が振るわれた。

 控えめに言っても地獄めいた情景が生まれる事となる。

 ドイツ人であるから、と行われたオランダの報復は、実際にオランダの地を荒らしたドイツ人将兵に対しては、更に容赦が無かった。

 ドイツ人捕虜は、オランダの捕虜収容所で更なる凄惨な状況に直面する事となる。

 尚、それらをオランダ人は国際連盟からの制止が入らぬ様に、細心の注意を払い、法に基づいて実行していた。

 ブリテンは見て見ぬフリをした。

 そして日本は、頭を抱えた。

 

 

――日本

 オランダの蛮行(非人道的行動)、その影響を最も受けたのは日本であった。

 日本はそれまで、ドイツの状況を他人事の様に捉えていた。

 戦争は金を出すし、戦争遂行自体はやる気のあるフランスに任せれば良い程度にしか考えていなかった。

 だがここに来て、ドイツ人自身の行いが返ってくる形で、凄惨な事態が発生しているのだ。

 一般的な現代教育を受けた日本人の感性では、座視する事は難しい出来事であった。

 更には、独系日本人が声を挙げたと言うのも大きい。

 ドイツ語が理解できると言う事で、自衛隊に参加しヨーロッパに派遣されていた人たちが、ナチスドイツの自業自得とは言え、余りにも凄惨すぎると日本政府に泣き付いたのだ。

 結果、当座の解決策として日本連邦統合軍によるドイツ領内の掌握、統治に注力する事としていた。

 オランダが占領する前に、日本で占領統治する。

 特に日本政府関係者は泥沼に足を入れるかの如き感覚(おぞ気)を抱いたが、座視するのは余りにも寝覚めが悪くなるとして、その決断を行うのであった。*4

 尚、日本の行動に対してオランダは不満を募らせる事になり、益々、自らが管理する領域でのドイツ人への行動を悪化させるのであった。

 

 

 

 

 

 

*1

 食の道(メガロード)と綽名された計画、それは優に100万を超える将兵の胃袋を満たす工場 ―― 基点である為、その規模は非常識の一言であった。

 規模もそうであるが、食材を管理する為の冷蔵庫は勿論、皮を剥いたりカットする為の機材、水洗いをする為の大規模な浄水システムと排水の管理システム。

 施設を維持する為の大規模な発電システム。

 食材の管理のみならず、各部隊への輸送ルートの策定を行う部隊。

 それはさながら移動する大都市の様であった。

 そう、移動するのだ、前線部隊の前進に伴いこの大規模食糧工場は。

 丸ごと一度に動くのではなく、4つのグループに分かれて動くのだ。

 前線部隊向けのグループと、前線部隊に付随するが比較的ゆっくりと動く後方部隊向けのグループ。

 或いは展開する地方に合わせて部隊を派遣する事ともなっていた。

 尚、この部隊には食糧物資輸送部隊の運用を助ける為の、専用の工兵部隊も用意されていた。

 下手な部隊よりも大規模な、この支援部隊は、後に調理軍(アーミー・シェフ)と敬われ、配慮される事になる。

 誰にとっても、食事は最大の娯楽だからだ。

 将兵からの尊敬を集める事となった同部隊は、兵科徽章は無いが、参加した将兵に終戦後、兵科徽章の様な(スプーンとフォーク、箸と皿からなる)バッジを記念として配布していた。

 

 余談ではあるが、配給される食材の調理は各部隊が行うが、その際には調理レシピも調味料と一緒に併せて与えられていた。

 食事のメニューに関しては、かなりバラエティーに富む形となる。

 フランス料理や日本料理、或いは肉と言う綽名のあったアメリカ料理。

 G4以外の国から来た将兵にとって、それは文化の香りであった。

 尚、G4で唯一ブリテン料理のレシピ(兎に角煮ろ)だけは歓迎される事は無く、気の利いた部隊では、同じ食材を使った別の料理を提供する有様であった。

 

 全くの余談であるが、連邦国家である日本の料理は、純日本式から露系日本式、米系日本式などなどと多岐に渡る為、将兵が持つ日本のイメージは極めて混乱したものになっていた。

 

 

*2

 フランスの占領統治部隊側に非のある問題が発生した場合でも、フランスは徹底してフランス語のみで対応していた。

 交通事故、あるいは不心得ものによる暴力沙汰、婦女暴行。

 ソレらが発生しない様にと努力はしていたが、所詮はフランス人も人間であり、人間である以上は一定数の問題を抱えた人間が含まれるのは仕方がない事なのだから。

 只、その弔問や賠償の交渉ですらもフランス語(統治公用語)のみで行い、一切のドイツ語を許さなかった辺り、フランスは徹底していると言える。

 

 

*3

 非白人によるドイツ占領治安維持部隊であるが、それらが略奪や暴行、或いは婦女への搾取などの蛮族的な行いをしていれば、或いはドイツ人住人にとって救いがあった。

 フランス人が蛮族を集めて攻め入ってきた。

 何時かは報復してやろう、そう言う風に思う事が出来ただろう。

 だが、占領治安維持部隊は高い規律を持っていた。

 当然だ。

 彼らは選抜され、統治する為の専門部隊であり、高度な教育と高い給与が与えられているのだ。

 ブリテンが提案し、フランスが乗り、日本が適当に支援している占領治安維持部隊の将兵は、その意味でエリート部隊であった。

 

 尚、規律的である事が温和と言う事は意味しない。

 占領軍に歯向かった人間、法を破った人間には、容赦の無い暴力を振るう事を辞さなかった。

 それまでニコニコとしていた将兵が、ドイツ人住人が腕を振り上げた途端に、表情を一変させて野犬や畜獣にするかの如く()()するのだ。

 ドイツ人住人の心が折れるのも仕方のない話であった。

 

 

*4

 事実上、フランスの指揮下に入っていた日本連邦統合軍の部隊を引っこ抜く事に関して、日本とフランスの折衝は難航、しなかった。

 占領と管理する為であり、航空部隊などの支援は継続される事が約束されていた為である。

 そして何より、戦争自体が順調であり、フランスとしては予備戦力が多少減った程度であり、特に問題とならない為であった。

 そもそも、日本はフランスに対して折衝 ―― 依頼して来たのだ。

 G4として1括りにされる4ヵ国であったが、そこには明確な格差、或いは序列があった。

 日本に与した事で繁栄した国家と言う認識とも言えた。

 その日本が、頭を下げて来たのだ。

 フランスの自負心が満たされ、鷹揚になるのも当然と言う話であった。

 

 尚、ブリテンはオランダ問題に関して徹頭徹尾、知らんぷりを続けていた。

 

 


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