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1945年に入り、ポーランドは戦争の潮目が変わったと明確に感じていた。
冬という過酷な環境ゆえに、共に塹壕を掘って殴り合いをしていた正面のドイツからの圧力が低下しだしたのだ。
戦車が顔を出さなくなってきた事や
物資不足の可能性を感じたポーランド軍参謀本部は、温存していた機甲部隊の集中投入による威力偵察を敢行する。
攻撃によって反応を探るだけが目的であったにも拘わらず、ドイツ軍の塹壕及び幾つかの陣地の攻略に成功していた。
威力偵察の対象としていたのが主戦線では無い部分であったとは言え、ポーランド軍参謀本部も威力偵察部隊も誰もが驚くほど簡単に攻略に成功したのだ。
ドイツ側の罠、そして反撃を警戒して短時間で退却したが、その短時間の間でも、十分な情報の収集に成功した。
それは塹壕や陣地などに用いられた物資の規模、機能、そして備蓄されている物資の量だ。
結果は事前の予想通りだった。
防御力自体は、良く計算された構造や、手間暇を惜しまずに作られたお陰で、堅牢と言う他なかったが、その構造その他は、一言で言えば貧相であった。
そして何より武器弾薬、燃料や食料などが殆ど備蓄されていなかった。
炊事用と思しき場所はあり、そして補給などが定期的に行われていない場所であるにも関わらずである。
そして何より、遺棄されていた車両のガソリンタンクがおしなべて空であった事が、それを裏付けていた。
ドイツ軍は物資不足に陥りつつある。
ドイツ本国からの補給線は攻撃されていない。
ポーランド国内に入った物資は、かなりの確率で前線部隊まで届くのだ。
にも拘わらず前線に備蓄されている物資が乏しい理由は、1つしかない。
少ないのだ。
そもそも、ドイツ本国から送ってくる物資の量が。
この時点で既に西部戦線はドイツ西部のマインツ市近郊まで解放しており、現在、ドイツの工業力の源泉の1つであるルール工業地帯が圧迫されつつあった。
ドイツ側も必死になって抵抗しているが、十分な効果を発揮できているとは言い難かった。*1
この状況にポーランド政府は積極的な反攻、大攻勢を決断する。
この時点で東部戦線の国際連盟軍部隊は、十分な戦力と物資の備蓄を終えていなかった。
日本やアメリカ、北欧各国からの部隊がポーランドで戦争準備を終えるのは初夏を予定しており、それに伴った作戦が立案されていたのだ。
故に、今回の攻勢はポーランド軍が主体とならざるを得ない。
だが、やらねばならなかった。
総体としてポーランド国民は戦意を維持してはいる。
だが同時に、国土の半分近くがドイツの手に落ち、窮屈な生活を強いられる中で疲弊しつつあった。
ドイツとの講和も止む無しとの民意も小さくはあったが出ていた。*2
故に、民意を鼓舞し、戦争継続の意思を強くする為に敢えて行う政治的作戦行動であった。
先の完全な勝利ではなく、小さくとも目の前で見る勝利をポーランドは必要としたのだ。
――ポーランド春季大攻勢
政治的な理由はあった。
それ故に、新聞やラジオを介して大々的な宣伝も行った。
とは言え、それを聞かされた国連加盟国の駐ポーランド部隊の指揮官たちは非常に微妙な顔になっていた。
安全に勝てる未来が見えているのにと言う思いと、同時に、政治的な理由を理解するが故であった。
本来であれば、もう少し航空攻撃でドイツ軍部隊を疲弊させた上で、大規模な陸上戦力で反撃不可能な攻勢を行い、2ヶ月でポーランドの国内からドイツ軍を叩き出す予定であったからだ。
特に、弾薬に関しては致命的ですらあった。
当座の戦闘に必要な分の備蓄は行えていたが、2ヶ月に渡っての攻勢を支える水準には、物資自体は勿論、補給線を維持する為の準備が全く終わって居なかったのだから。
無論、その事をポーランド側も理解しているし、そうであるが故にポーランド軍単独による攻勢を決意していたとも言える。
兎も角。
貴重な完全充足と練度良好な戦車師団3個を基幹とした12個師団による
シンプルであったのだ。
正面から攻勢を仕掛け、ドイツ側が支配しているポーランドの中央部の都市を奪還し、その維持を行う。
問題は、その攻勢をかけるドイツの部隊が、いまだ元気一杯だと言う事だろう。
どれ程の損害が出るのか、ドイツ側がどう対応してくるのか想定しきれなかった。
中小国からの派遣部隊は共に演習して汗を流した仲間たるポーランド軍部隊の勝利を祈るだけであった。
だが日本とアメリカは違う。
共に、自国政府に掛け合って、何らかの支援が出来ないか相談したのだ。
この動きに真っ先に反応したのはバルト海にて無聊をかこっていたアメリカ海軍であった。
正確に言えば、アメリカ海軍航空隊である。
既に海洋は国際連盟側が支配した為、今現在は念のために対潜哨戒を行っているだけの日々を送っていたのだ。
活躍の場が得られるとなれば色めき立つのも当然であった。
そして都合の良い事に1945年のバルト海には、訓練や戦訓習得の為に3隻の空母を中心とした機動部隊が投入されていたのだ。
集中投入が可能な、200機を超える戦闘機と攻撃機の群れだ。
アメリカ政府としても、海軍空母部隊の将来性を考える上で戦訓は必要であると判断し、この希望を受け入れる事となった。
対して日本側は同じ行動は出来なかった。
航空戦力に関して言えば
どの部隊も、3週間後に実施と云うかなりタイトなスケジュールが組まれている雷鳴作戦に間に合うペースで簡単に転用できるものでは無かった。
とは言え、共に訓練をしたポーランド軍将兵が死傷し、悪戦するのを黙って見ていると言うのは寝覚めが悪い。
感情的な面と同時に、理屈の面でもポーランド軍への支援は必要であった。
ここで万が一にもポーランド軍の精鋭機甲部隊が大損害を被ってしまっては、この先の戦争計画にも影響が出る。
建前として、東部戦線はポーランドの戦争でもあるからだ。
一時的なドイツの支配下に置かれたポーランドの回復、その上でのドイツ本土への侵攻を実施する。
目的は、ドイツ東部の
国際連盟安全保障理事会の秘密会合では、ドイツ東部域はポーランドが管理、運営すると言う事で話が纏まりつつあるのだ。
その際に、ドイツ人住民の前でドイツ軍を打ち滅ぼす役割をポーランド軍が行わねば、その後の安定した統治計画に問題が出ると言うものであった。
筋金入りめいた
その為に日本として支援をする必要があるとの認識であった。
この時点でアメリカ海軍航空隊による全面支援が決定していたのだが、
又、空母艦載機の限界と言う視点もあった。
空母は航空戦力の自由で集中的な投入を可能とするが、艦自体が持つ弾薬備蓄量の問題や狭い艦上での作業と言う側面もあって、腰を据えての継続的な作戦は苦手とする部分があるからである。
その点は、アメリカ海軍もチャイナとの戦争の際に戦訓として理解し、補給艦や航空機整備支援艦などの検討を開始していたが、1945年現在に於いては紙上の存在でしか無かった。
故に、現実的な対応としてアメリカはブリテンと協定を結び、ブリテン島からの支援を受ける手筈としていた。
だが、バルト海からブリテン島の距離を考えれば、空母艦載機による対地攻撃支援が断続的に行える保証は無かった。
だからこそ日本も支援を検討する事としたのだ。
特科部隊の投入。
そして戦闘部隊。
切れる手札から何れを投入するべきかを迷った際、声を挙げた部隊があった。
シベリア共和国軍部隊である。
正確に言うならば、戦闘態勢を整えていた702機械化師団だ。
欧州への派遣に際して戦車連隊と新設した対戦車連隊を編入した事によって事実上の重機甲師団化された部隊であった。
第7機甲師団と並んで、
投入を希望した理由は
第702機械化師団に編入された対戦車連隊は、ドイツが血道を上げているトーチカ群への対応、正確に言うならば将来のソ連本土進攻を想定してシベリア共和国軍が新設した部隊であった。*3
新装備を持った新設された部隊なのだ。
その構想段階に想定されていた通の運用ができるのか、本格的攻勢の前に確認したいと言うのも道理であった。
かくして、第702機械化師団が雷鳴作戦に参加する事となった。
――ドイツ
政治的に行われたポーランド軍の攻勢であったが、ドイツ軍の対応に迷いはなかった。
ポーランド側の攻勢を柔らかく受け止め、幾重にも準備した防衛ラインで突進力を削ぎつつ絡めとる。
そして包囲を行う事で、ポーランド側に解囲救援作戦を強いようと言うのだ。
ドイツ側の事前計画であった。
前年に
最終目標はポーランド軍だ。
会戦でポーランドの野戦軍を撃滅し、一気にポーランド政府に講和交渉を持ちかける積りであった。
ヒトラーは、参謀本部が出してきた方針に、漸く参謀本部も政治が理解できる様になったと満悦していた。
只、それらの目論見は粉砕される事となる。
雷鳴作戦の目標となったのは、ドイツが占領後の整備拠点として運用していたポーランド第3の都市であるウッチ市だ。
その地理的条件からもポーランド側が反攻する際、第1の目標となる事が明白であったし、或いは標的とされなかった場合にはドイツ側の反攻の拠点と出来るとドイツ側が判断し、防衛体制の構築と物資の備蓄が行われていた都市だ。
防衛体制の構築はドイツ人が暇潰しを兼ねたかの如くウッチ市のみならず、周辺の50㎞四方にまで及んでおり、出城めいた存在や支援用の秘匿航空基地などまで整備されていた。
一種の要塞地帯と化していた。
ポーランドによる攻勢が政治的アピールが第1であるにしても、中々に刺激的な目標であると言えた。
少なくともドイツ側からは、余りにも冒険的であると見られていた。
同時に、航空偵察などで凡その状況を掴んでいた国際連盟でも同じことを考えていた。
だがポーランド政府の決意は変わらなかった。
逆に、ウッチ市の防御態勢が判れば判る程に
雷鳴作戦は、誠に以って政治が生み出した作戦であった。
とは言え、対するドイツ側も政治によって行われている戦争と言う側面はあった。
ヒトラーの戦争終結計画にとって、ポーランド戦線の意味は途轍もなく大きく、重いからである。
政治によって強いられる戦いは両国将兵を大量に飲み込んでいく ―― そんな訳は無かった。
ポーランド軍にはアメリカ海軍航空隊による対地攻撃支援と、何よりも日本の支援があったからである。
攻撃の精度的な問題は残っているが、十分に連携の取れた、数のある航空攻撃は圧倒的であった。*4
そして何よりも凶悪だったのは、日本の第702機械化師団である。
基本的に攻勢の矢面に立ったのはポーランド軍部隊であったが、陣地やトーチカを前にした場合は違う。
対戦車連隊、43式機動砲車を前に出して常に木端微塵に粉砕していたのだ。
水平に叩き込まれる203㎜砲弾に耐えられるモノなど無かった。
とは言えドイツ側もありとあらゆる火砲を持ち込んで抵抗を図るのだが、車体も砲塔も、日本基準での主力戦車並みの正面装甲を持っているのだ。
撃破出来るモノでは無かった。
尚且つ、火力を用いて来た戦車や火点などの情報を43式機動砲車はネットワークを介して随伴の戦車、38式B型戦車などと共有し、コレに撃破をさせてもいた。
43式機動砲車は、凶悪と言う言葉ですらも表現として足りない
結果、ドイツが半年は持久可能であると判断していたウッチ市は、半月を経ずしてポーランド軍に戻る事となった。
ドイツの東方戦争計画は、完全に崩壊する事となる。
ドイツの経済界は、ヒトラーに対してルール工業地帯が陥落した場合、ドイツの戦争活動に対して尋常ではない影響が出る事になる。
必ずや死守して頂きたい ―― その様な
無論、現実は非情であるが。
その事を理解している企業は、人員その他の疎開を行おうとする動きをみせていた。
対して一部の
企業と政府の対立。
それを脇目に、軍は防衛体制の構築に邁進する。
とは言え他人事にはならない。
鉄道やトラックの奪い合いめいた状況すら発生しているのだから。
後方へと、
そこに軍の需要が乗るのだ。
建前として
トラック等は軍用の装いをしているいないを問わず、3両以上の集団であれば必ず攻撃を受けているにも拘わらず、である。
故に、まるで地獄の亡者が蜘蛛の糸に集うかの如く、その使用権は奪い合いとなった。
混乱が発生しない筈が無かった。
ルール地方の秩序は戦火が及ぶ前から失われつつあった。
1944年後半から、ドイツは公式にポーランド政府に対して停戦と講和に関しての提案を行っていた。
無論、その内容はヒトラーの戦争戦略に則っており、形式的ではあるがポーランドの降伏が前提とされている。
但し、高度な自治と自衛が許されており、ポーランド政府に対して非公式にドイツは戦争に勝利したと言うお題目さえあれば良いのだからと説明すらしていた。
無論、ポーランド政府は全てを拒否していた。
勝利で終われる戦争を、途中で投げ出すバカは居ない。
政府閣僚の1人は、ポーランドの新聞のインタビューにそう嘯いた程であった。
対戦車連隊はオホーツク共和国軍から得た、タイムスリップ前の
大口径砲で直接、障害物を叩き壊す役目を負った部隊だ。
陸上自衛隊などでは、戦車砲やミサイルなどによる破砕、無力化を考えていたのだが、シベリア系日本人たちは、それでは不足と考えていたのだ。
鉄筋入りの、べトンを大量に使用した陣地を一撃で粉砕する大口径砲があり、それを自在に投入可能な車体もある。
無論、それらの技術はシベリア共和国には無く、持っているのは日本だ。
いや日本は日本連邦であり、それはシベリア共和国を内包する概念であり国家だ。
であれば作るべきだ。
作るしかない。
作って欲しい。
そう判断し、シベリア共和国軍首脳は日本の防衛省や防衛装備庁に日参し、演説し、或いは泣き付いて開発をしてもらったのだ。
ある意味で、日本と言う存在の使い方を良く判っていたと言うべきだろう。
シベリア共和国の人々も、段々と
そう評するべきかもしれない。
兎も角、紆余曲折を経て生み出されたのは、43式機動砲車である。
37口径203㎜砲を主砲とし戦闘重量58tに達する、
最初は203㎜重自走榴弾砲なる
車体は当初、38式戦車や38式装軌装甲車を流用する事が考えられていたが、開発が進む中で、その場合では十分な装甲を施す事が困難であると判明。
結果、同時期に開発が進んで居た次期主力戦車、42式戦車の
無論、そのままではなく重量バランスの問題からフロントエンジン配置に改められ、後方には広い戦闘室を持った砲塔が搭載される形となっている。
無論、
砲塔である。
流石に360度の旋回は不可能であるが、左右45度までであれば射撃も可能である。
日本人的に言えば
何であれ粉砕可能な地上の戦艦が生まれたのだと。
しかも1940年代の車両で見れば、43式機動砲車の60tにも達しようかと言う戦闘重量は過大であり、足回りに不安を持つ事となるが、日本の場合には話が違う。
流石に
尚、203㎜砲は完全自動化された装填システムが搭載されており、砲弾は7発装填されている。
アメリカ海軍航空隊とポーランド陸軍の雷鳴作戦部隊との連携が十分に取れた理由は、言うまでも無く日本であった。
ある意味で、情け容赦なく各国に
その通信機によるネットワークのお陰であった。
前線と後方、そして後方から指揮系統を介して国を越え構築されているネットワーク網は、日本が打ち上げた通信衛星によって支えられ、恐ろしい程の力を発揮していた。
但し、慎重に、政治と前線が直結される事の無い様にシステムは構築されていたが。
兎も角。
戦場の霧を晴らすと言う意味において、この日本による
少なくとも、何処に誰が居るかは判るのだ。
どこで何が得られるのかも判る。
空恐ろしいレベルでの戦力倍増要素であった。