タイムスリップ令和ジャパン   作:◆QgkJwfXtqk

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168 第2次世界大戦-35

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 ドイツ国内で発生した、戦争中の国家で発生するには余りにも致命的なドイツ軍とSS(親衛隊)の対立は、ドイツの戦争遂行に対して甚大な影響を与える事となった。

 戦争の前面に立つドイツ軍。

 その補給路の維持、交通整理や民間の物流網の管制をSSが担っているのだ。

 ドイツと言う国家の戦争行動にとって、両輪と呼べる関係にあったのだ。

 それが対立したのだ。

 戦争の継続が簡単に出来る筈も無かった。

 まだドイツ本土であれば状況は極端に悪くなった訳では無い。

 民間市民(地元有力者)が両者の間に立つ事も出来たし、或いは、戦況的な意味で余裕があったのだから。*1

 だがドイツ連邦帝国(サードライヒ)東方新領と呼ばれる(東欧の新規併合)領域、そして国外であるポーランド領内に於いては致命的な影響が発生する事となる。

 ポーランドは言うまでもないだろう。

 戦争中の相手国領土であり、その住人はドイツの()のままなのだから。

 問題は、東方新領であった。 

 もとよりドイツ連邦帝国(サードライヒ)に編入された東欧の人々は、心から望んでドイツの体制下に入った訳では無かった。

 一部のドイツ系住人と、声と(暴力)を持った親ドイツ派によって世論を左右された結果と言う部分も大きかったのだ。

 故に併合後、自治権を奪われた事に、ドイツ人の風下に立つと言う事に不満は燻り続けたのだ。

 ドイツ系住人と親ドイツ派は、その不満を誤魔化す為にドイツとの一体化による利益を盛んに宣伝していた。

 だが、ドイツが飴を与える事は無かった。

 当然と言えるだろう。

 東欧諸国の併合を推し進めていた頃のドイツは覇権国家群(ジャパンアングロ)との対立、特にフランスからの圧力を常に受け続けている状況であったのだ。

 その状況で東欧の新領は、国力涵養の養分として収奪の対象にこそなっても、利益が与えられる様な状況になる事は無かった。

 一応、欧州最大の領域を持ったドイツ連邦帝国(サードライヒ)を市場とする権利は与えられてはいたが、税制的な面ではドイツ民族資本企業が優遇されており、簡単に対抗できる筈も無かった。

 更に言えば、ドイツを市場にする対価として、国際連盟に加盟する国々との貿易が低調化したのだ。

 ドイツ系住人や親ドイツ派以外からすれば、踏んだり蹴ったりと言う有様であった。

 この状況下で、ドイツに対する感情が好転する筈もなかった。

 そもそも、ドイツ系住人は兎も角として、親ドイツ派は利益を得たいが故にドイツに与する事を選んだ人々なのだ。

 利益が得られないとなれば、旗幟を変える事に躊躇する筈も無かった。

 無論、ドイツ側としても自らの行いと状況は理解しているが故に、ドイツ軍なりSSなりの治安維持部隊を派遣した。

 その事が益々もって住人の反ドイツ感情を沸き立たせる事に繋がっていた。

 とは言え、その派遣された圧倒的な軍事力が、その沸き立った感情の噴出を許さなかったのだ。

 更にはドイツ戦争にソ連が参戦して以降は、挙国一致だの大欧州防衛(エウロパガード)だのと言う宣伝を盛んに行った上で若い人間を片っ端から動員し、武装親衛隊(Waffen-SS)に組み込んで行ったのだ。

 対するソ連。

 国際連盟の決議に従ってドイツ領(サードライヒ東方新領)に進軍したソ連軍であるが、勿論、その本音は国際連盟加盟国としての義務は勿論、世界秩序云々などにも興味はなかった。

 ドイツ打倒などよりも、ソ連の利益の極限化 ―― ドイツ領となっている東欧諸国の切り取り(火事場泥棒)が目的であった。

 勿論、その点はG4(ジャパンアングロ)も理解していたが、そのG4(ジャパンアングロ)自身も国際社会の良識、或いは正義などと言うものが存在する事が無いと認識していた為、問題にする事は無かった。

 旺盛な国力を得たフランスやブリテンにとって世界は遊戯盤(グレートゲームの場)であり、今もまだ帝国主義(パワーオブジャスティス)は健在であった。

 残る2ヵ国、日本とアメリカは更に酷かった。

 利権も無く、関係も乏しい東欧(世界の片隅)がどうなろうとも自己責任の結果と考えていたのだから(全くの無関心であった)

 兎も角。 

 ソ連軍の進軍はウクライナを起点として、先ずはルーマニア地方へと行われた。

 これは日本の脅威 ―― 国境を接するシベリア共和国(日本連邦)への根深い憎悪と恐怖を抱いているスターリンの裁定によって、重工業が戦車などに偏重した事が原因であった。

 日本ソ連戦争(War1928)シベリア独立戦争(War1936)で日本は帝国的覇権主義に基づいてソ連を食い物にした。

 そう認識すればこそ、国防に手は抜けぬとの判断であった。*2

 戦車や野砲、その他に国力(重工業生産力)が傾斜投入された結果、乗用車やトラックが大きく割を喰う羽目になっていたのだ。

 致命的なほどに数が少なく、貧弱なソ連経済を支えるのにも不足している。

 ブリテンの研究機関などでは、そう言う結論が出る程の惨状であった。

 しかも、一般経済が不調となる事が重工業の足を引っ張る事に繋がる為、益々、ソ連の国力は低下傾向になってスターリンは重工業の軍事偏重を指示すると言う悪循環に陥っているのだ。

 何とも大変な状況と言えた。

 かつてのソ連、シベリアを含む東方領土と共に資源と人口(人材)を有していた頃であれば、市場としての魅力から諸外国からの投資も期待出来たであろう。

 だが、シベリア共和国と言う形で国の3割以上が分離独立し、更には日本と対立する(G4筆頭に睨まれる)様になった現状では、大規模な投資など発生する筈も無かった。

 特に、ソ連が望む重工業やインフラ整備などはあり得なかった。

 完成して数年で日本に吹き飛ばされ兼ねないモノに投資(ギャンブル)したいと言う奇特な人間は、そう居ないのだ。

 結果、ソ連は物資の輸送を鉄道が基幹としながら、末端では馬車などに頼る事が常態化したのだ。

 民間も軍事も問わずに、であった。

 だからこそ、主たる侵攻の軸は黒海に面したルーマニアが選ばれたのだ。

 鉄道網に加えて、海運も期待できるからであった。

 ルーマニア地方から始まるドイツとソ連の衝突。

 だが、ルーマニア地方での衝突は最初、接触とも呼べる平穏なモノであった。

 ヒトラーがスターリンとの個人的友誼を以って、東欧領域をソ連へ一時的に預けようと考えていた為である。

 秘密裏の外交交渉。

 だが、ソ連に送った秘密の外交員はドイツとソ連の戦力の接触(開戦)から3ヵ月が経過しても1人として帰ってこなかった。

 連絡すら無かった。

 だがそれでもヒトラーはスターリンを信じていた。

 それが、ルーマニアの奇妙な3ヵ月(ルーマニア・ファニーデイズ)であった。

 だが3ヵ月目、遂にはヒトラーも事実を理解し、激怒し、痛飲し、そしてドイツ軍に対して徹底抗戦を命じていた。

 そして、ドイツ本国で行うよりも先に、より徹底した焦土戦術の実行を命じるのだった。

 作戦名は灰色(アッシェ)、全てを燃やし尽くした後の灰しか渡すなとの過酷な命令であった。

 其処から先、ドイツとソ連の戦いは地獄の様相を態していった。

 だからこそ住人はソ連を歓迎したとも言えた。

 たとえ侵略者であっても、圧政者よりはマシと言う風に。

 そしてソ連もソレに乗った。

 現地住人を補給線(現地鉄道網)の維持にかり出さねばならぬ関係上、良好な関係を維持せねばならぬからである。

 だが、その前提が崩れたのだ。

 戦争によって停滞していた物流 ―― 補給路に、ドイツ軍とSSの対立による混乱が止めを刺す形となったのだ。

 ドイツ本土からの補給が止まったドイツ軍部隊は、呆れるほどの勢いで活性を失っていく。

 それは、東欧の人々の蜂起を呼ぶ事となる。

 地獄の窯が吹きこぼれた。

 

 

――ポーランド

 ドイツ軍とSSの対立が決定的になった頃、まだドイツ軍はポーランドの戦線で抵抗し続けていた。

 ヒトラーの厳命もあって、再度の攻勢を前提とした戦力の再構築にも努めていた。

 戦車などの補給も十分ではないにせよ受けられており、食料燃料弾薬の全ても、必要十分ではないものの届けられていた。

 勝てぬかもしれない。

 だがせめて、ドイツ軍の意地をみせてやろう。

 ドイツの伝統を歴史に刻み込んでやる。

 そんな合言葉の下で成されていた再度の攻撃作戦準備。

 だが、それらの全てをドイツ軍とSSの対立は変える事になる。

 ポーランドでも避難しなかった住人がSSの手で強制的に動員され、空爆で叩かれ、穴だらけとなった道路などのインフラ整備を担っていた。

 その多くはドイツ系であったが、様々な事情で残っていた人たちも居た。

 言わば、ドイツとポーランドの中間に居た様な人たちだ。

 その様な人達すら銃を突き付けて動員していたのがSSであり、そういう人たちの手でドイツ軍のポーランド侵攻部隊たる東方総軍は支えられていたのだ。

 その柱が一気に傾ぐ事となったのだ。

 東方総軍司令部では、SSに対する不信感を高めた。

 SSの現場側は、自分たちにその様な命令は出されていないと抗弁したが、それが事実であると証明できるものは一切なかったのだ。

 故に、東方総軍司令部では、SSから後方管理の実権を一時的に召し上げる事が提案された。

 ある意味で合理的判断であった。

 問題は、SSは同じドイツと言う国家に属する組織であるとは言え、別の組織だと言う事だろう。

 実権の召し上げ、そして実務部隊の東方総軍管理下への編入など受け入れられる筈も無かった。

 それどころかSSは、この東方総軍司令部の動きを、ドイツへと弓引く行為(反逆の意志の表明)だと捉えた。

 此方も、ある意味で当然であり合理的な判断であった。

 現在、SSはドイツに於いて警察すらも支配下におさめ、治安維持を担っているのだ。

 そのSSを一部とは言え支配しようとするのは、現在のドイツの治安体制に対する明確な挑戦であると捉えるのが当然と言えるからだ。

 ほんの数日、或いは1週間。

 ドイツ本国にあるドイツ軍やSSの司令部が事態を把握した時には、既にドイツ軍とSSとの間で火力の応酬が始まっていた。

 共に、自らの司令部には相手の不法を報告しながら。

 眼前のポーランド軍や国際連盟を忘れ、戦闘(バカ騒ぎ)をおっぱじめたのだった。

 実にドイツ的な行動であると言えた。

 この状況を前にしたポーランド軍と国際連盟の選択は、静観であった。

 敵が、敵同士で戦力の消耗を勝手に始めたのだ。

 疲れ切るまで、自分は戦力を揃えながら様子を見るのが妥当と言うものであった。

 それに、下手に手を出してしまいドイツ軍とSSとか団結され(抗争を止められ)ては面白くないと言うのもあった。

 無論、全く干渉しない訳では無く、ドイツ側の支配下にある領域からの自国避難民などの保護は積極的に行っていた。

 

 

――フランス

 万全なドイツ軍に対してすら勝利し続けている軍を持つフランスにとって、今のドイツの混乱は好機であった。

 但しソレは、攻勢強化を意味しない。

 支配下におさめた領域の管理の強化、そして更に侵攻するための補給路の整備に充てられた。

 インフラの補強や、物資の集積。

 そして部隊の休養である。

 勝てる戦争に於いて無理をする意味はない。

 兵に無理を強いる必要も無い。

 否、それどころか害悪とすら言えた。

 何故ならば、兵とは即ちフランスの有権者でもあるからだ。

 フランス政府は、既に戦後を見据えていた。

 それも、政治であった。

 慢心とも言える態度ではあったが、既にドイツの主要工業地帯であるルール地方の掌握に成功していた為、ドイツの国力(生産力)は時間と共に減衰すると判断されての事であった。

 オランダから侵攻していた日本とブリテン軍部隊によって後方を潰される形でもあった為、ルール地方のドイツ企業群は疎開に失敗していたのだ。

 無論、占領作業中であってもフランスも国際連盟安全保障理事会の決定に従って一般市民の後退は認めるとなっていたし、その中には多数の熟練労働者が含まれていた。

 無人の、設備がある家屋を支配しただけとも言えた。

 その意味でルール地方の生産力をフランスが活用するのは当分先となるだろう。

 だが、それをフランスは気にする事は無かった。

 ドイツの工業力を潰せた、と言う事が大事であるからだ。

 如何に熟練の技術者(マイスター)であっても、ルール地方から切り離され、作る為の道具が無ければ只の人でしかないのだから。

 否、今では貴重となっているドイツ国内の食料などを消費させると言う意味では、実に効果的であるとすらフランス政府としては思っていた。

 難民攻撃(ツナミ・ボム)と非公式にフランス政府内では称していた。

 居留地を離れた難民の群れが、津波めいてドイツ国内の食料や物資を飲み込みながら終点たるベルリンに向かう事を指しての事であった。

 合理性とは人道とはかけ離れているのだ。

 とは言え偵察と航空攻撃は続行されてはいたが。

 

 

――イタリア

 呑気な態度が許されるフランスに対して、イタリアにはその余裕はなかった。

 北上した部隊がフランス軍部隊と接触、歴史的な握手(打通作戦)に成功した形となり、イタリア政府としては一息つきたいところであったが、東欧の不安定化がそれを許さなかった。

 正確には、国際連盟安全保障理事会が、である。

 フランス代表が気取った顔でイタリアには東欧を安定させる義務がある、そんな事を言ってきたからである。

 無論、フランス代表の顔には了承(ウィ)以外の返事は許さないとの意思が込められていたが。

 イタリアはドイツへの憎悪を重ねつつ、その指示に従うのであった。

 

 

 

 

 

 

*1

 まだ戦野に呑まれていないドイツ東部域は勿論、国際連盟軍(ジャパンアングロ)による強い圧力 ―― 攻勢を受けているフランス、イタリア、オランダの3方面でも同じであった。

 これは、それぞれの主軸となるフランス軍、イタリア軍、そして日本/ブリテン軍による圧倒的と呼べる攻勢の前では、政治的対立などで遊んでいる余裕など無い事が理由であった。

 過酷な現実を乗り越える為には、理屈屋揃い(理論優先趣味者)のドイツ人であっても現実的にならざるを得なかった。

 そう評するべきだろう。

 どの組織にも愚か者は居るが、概ね、ドイツ軍とSSは良好な関係を維持できていた。

 少なくとも、前線に限った話であれば。

 そして、この馬鹿馬鹿しい状況(政治的乱痴気騒ぎ)の発端となった、SSによるドイツ軍指揮官の拘束騒動はフランス戦線での一幕であったが、それを行おうとしたSS部隊はベルリンの党中央部から派遣された特務部隊(エリート集団)であったのだ。

 現実と向き合うよりも党内、そして政府内での駆け引きこそが現場(現実)であると思えばこそとも言えた。

 

 

*2

 日本に対する憎悪と恐怖が染み付いている(トラウマを抱いている)スターリン本人は兎も角として、ソ連の上層部は日本との2つの戦争を冷静に記憶していた。

 勿論それは、ソ連が日本に喧嘩を売った、と言う事である。

 そしてもう1つ。

 シベリア共和国の日本連邦編入後の体制が固まって以降の日本は、その強大な国力を背景にしたソ連に対する領土的野心の表明を行っていないと言う事も理解していた。

 平和条約の締結や、文化交流に関しては低調(塩対応)であったが、敵対的では無いのだ。

 故に、ソ連上層部の一部の人間は、スターリンによる対日軍備整備方針は、現時点でのソ連の国力を見れば過大な、負担の大きなモノと考える様になっていくのだった。

 尚、ドイツとの戦争に参戦した事で日本からのMLシリーズの購入権を得たソ連であったが、購入権限(国家信用度/Tier)が低い為に買えるモノは限られていた。

 とは言えその中にはソ連の欲するトラック等も含まれてはいた。

 だが、信用度の低さ(下位Tier国家)故に購入価格も値引きなしの定価であり、そもそも、先に参戦した信用度の高い諸国(上位Tier国家群)によって日本の売却可能枠が埋まっていたり、或いは、突発的なイタリアへの大量供給によって儘ならぬ状態にあった。

 最悪、纏まった数がソ連の領内に届くのは早くても1947年ではないかとすら言われていた。

 ソ連政府は、足元を見られているのではないかと憤ってはいたが、同時に、買えるだけマシであると考え、MLシリーズの購入契約を締結するのであった。

 

 

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