017 ユダヤの民
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日本のタイムスリップで劇的に変わる事になったのは、ユダヤであった。
在日米軍からアメリカを経由してユダヤ系富裕層に1940年代、たった10年後に訪れる悲劇に関する情報が渡った。
荒唐無稽とは思えないリアルな写真などの証拠。
それを裏打ちするように、ユダヤの身の回りでは悪意や嫌悪感の表明が増加傾向にあった。
未来情報が確かであると理解した時、ユダヤはパニック状態に陥った。
急いでアメリカとドイツのみならずブリテンやフランスと言った様々な国々のユダヤが話し合った。
その結果、基本方針としてドイツ領内からのユダヤの大脱出が決定した。
危険性の通達は、富裕層のみならず一般労働者まで伝達される事となる。
だが問題があった。
脱出は問題は無いが、問題は何処に逃げれば良いかと言う事だ。
そもそもユダヤは亜欧州の国々で忌避される所があった。
その上で大恐慌だ。
いち早く恐慌を脱したブリテンやフランスは別だが、それ以外の国々で不景気で他所の国から人が来る事を歓迎するなどある筈も無かった。
この為、大多数のドイツ在住ユダヤは資産や身辺の整理をしつつ状況を伺っていた。
その状況を変えたのは、アメリカと満州だった。
満州を得たアメリカは、その大地を乳と蜜の流れる場所へと変えようとしていた。
その為、労働力として良く教育を受けていたユダヤの入植は大歓迎されたのだ。
その流れにドイツも乗った。
国内不安の原因の1つが消えるのだ、反対する理由など無かった。
フランスや中欧諸国も協力した。
これは対ドイツ戦争準備の一環だった。
ドイツの国力を削ると言う。
ユダヤへの憎しみでドイツは気付いて居なかった。
ユダヤの富裕層と労働力の喪失がドイツ経済に与える打撃を。
気づかぬままに、ドイツはユダヤに逃げられていくのだった。
――満州
元々のチャイナ人の少なさから、ユダヤ人労働者は歓迎された。
チャイナ、ユダヤ、アメリカ、ロシア、コリア、そしてジャパンまで様々な人間が集まる、人間の坩堝と化していく満州。
その中で問題となったのは、北チャイナからの流入だった。
彼らはユダヤと異なり、基礎的な教育も受けて居なかった為、労働力としての価値は乏しかった。
その為、その待遇も労働力相応のものとなった。
通常であれば、それで話が終わるのだが、この場は満州。
チャイナにとって、チャイナのものであると言う意識の働く場所であったのだ。
この為、チャイナを搾取する象徴として満州でコーカソイド系の住人が狙われた犯罪が多発していく事となる。
無論、コーカソイド系とてやられっ放しにする筈も無く、自衛に手を尽くしていた。
治安の悪化は満州での経済活動を停滞させる事に繋がる為、アメリカの経済界はアメリカ政府に強く、対応策を要求する事となる(※1)。
――沿海州
交易を行っていた富裕層のユダヤは、ソ連領内での経済活動にも着手した。
主要とするのは娯楽。
ソ連は5ヵ年計画で重税に喘ぐが故に息抜きを求めるだろうとの読みであった。
特に沿海州は日本とアメリカによる経済活動によって、それなりに潤っており、嗜好品は飛ぶように売れる事になる。
特にアルコール。
そこでユダヤは日本に目を付けた。
日本から安い徳用焼酎を買い込み、満州で瓶を詰め替えてロシアで売る。
余りにも売れすぎて焼酎の製造が追いつかなくなると、今度は日本の酒蔵に投資を始めた。
その上で、焼酎の製造に必要な芋は満州で作らせ、買い付け、日本の酒蔵に売る。
この貿易の流れでユダヤは大きな資金を作る事に成功する。
この資産を元にユダヤは沿海州の有力者を買収、更に日本への資材売却事業に食い込んでいく事となる。
――欧州
極東アジアでユダヤの経済活動が活性化した事は、ドイツ以外の欧州に住むユダヤにとっても福音であった。
特に満州では、土地の購入や経済活動などに一切の制限が無い為、欧州で息苦しさを感じていたユダヤの多くが移住していく事となる(※2)。
流石に著名な富裕層が移住という事は無かったが、それでも分家を送り、経済発展の旨みを逃さぬ様に活動をしていた。
この事が、ドイツでは問題化した。
経済的な窮乏の度合いが高まる事を、ユダヤが原因であると今まで以上に声高に主張する様になったのだ。
ナチス党にとっては、ドイツとソ連との結びつきから反共を主張しても市民の同意を得られ辛い為(※3)、ユダヤが格好の標的となったのだ。
(※1)
満州での経済活動の不安定化が、最終的にアメリカへ満州の地にフロンティア共和国を建国させる事を決断させる。
それ程に、満州での経済活動の旨みというものは大きかったのだ。
(※2)
ユダヤの流入により、満州の基本言語がチャイナ語からブリテン/アメリカ語へと変わっていく事となる。
又、日本との経済的な結びつきも強い為、日本語も使われるようになり3ヵ国の言葉が入り混じった言語へと変貌していく事となる。
(※3)
とは言え、ドイツ国内で共産主義を標榜し、過激な活動をする者は躊躇なく弾圧されていた。
政治的には、ソ連を主導するスターリンと対立したトロツキー派の行動であると宣伝され、ドイツとソ連の友好関係に問題が波及する事は無かった。
2019.05.08 文章修正
2019.05.08 文章修正
2019.05.08 文章修正
2022.10.18 構成修正